114話 赤の弓兵vs黒い獣Ⅱ
仇敵は、すぐそこにいるようだった。
物理的な距離では2000はあるはず……。
その距離を持ってしても、彼の魔力は目の前にいるかのような気迫を感じさせた。
しかも時間とともに膨張していく。
なんて醜悪な魔力か――。
黒々として、野生的。
日が暮れつつある夕闇の街路では、その姿が都に迷い込んだ黒い野犬のように見えた。
これじゃあまるで"狩猟"だ。
「いいわ。その方が撃ち落としやすいし」
既に狙撃の手は尽くした。
手札のすべてではないが、【鎌鼬】、【雷霆】、【掃滅巨砲】――これらをすべて喰らっても、まだ止まらぬ黒い獣。
射ち落とすには、まだ魔力を費やす必要がある。
そうだ。私はまだ本気じゃない。
さっきは時間稼ぎの為に魔力をセーブしていた。
王都に蠢く人形は人間にとって害のあるものなのだろう。DBが独自に動いているのがその証拠だ。
私には、その原因や黒幕なんてどうだっていい。
ただ奴らが困る顔さえ見れればそれでいいんだ。
だから足止めだけに専念していた。
けれど、もうその必要も余裕もなさそうだ。
――ギリ、と弓弦を引く音が風に乗った。
「すべてはこの時の為だったんだから」
幾千年に及ぶ嘗胆の日々を思い出す。
アークヴィランを狩り、ソードに復讐するために必要な魔素だけを狙って取り込んだ。
そうして心に宿った灼熱の炎。
『今は、こっちの憑依を捕まえるのが先……』
DBの言う通りだ。私はヨリマシだ。
でも、例えこの身がアークヴィランに成り代わろうとも、復讐ができればそれでいい。
元より人間兵器とアークヴィランは似た者同士。
悠久の時の中で力を奮う存在だ。
そんな私たちは、一つの目的以外のことに着手できないのだから。
人間のように生を謳歌することは――。
『大丈夫だよ、アーチェ――』
「っ……」
脳裏に過る優しかった同胞の顔。
私は人間に憧れていたのかもしれない。
あのとき、人間のように、楽しいと思えることがこれから待っていると期待していた。
それに縋って、パーティーを束ねる責任に耐えた。
――ギリ。あらゆる想いが指先を辿る。
来る。
黒い獣が四つん這いのように駆け抜けた。
立ち並ぶ不律の邸宅などお構いなしに、それらを跳び越えて、憎き獣が私めがけて走ってくる。
しかし、その動きは乱暴なだけだ。
俊敏ではあるものの、人間兵器として弓を生業とした私が捉えられないほどではない。
既に【掃滅巨砲】を番えている。
次は手加減などしない。
魔力をありったけ込めて――。
「死ね、ソード!」
凝縮した赤の魔弾を撃ち抜く。
狙いは完璧。単純に真っ直ぐ城門へ向かってくるソードに、もう魔弾を回避する余力はなさそうだ。
2000の距離を瞬き一つのうちに矢が滑る。
ソードは避けもせず直撃した。
その体が吹き飛ばされた。
確実に死んだだろう。
「馬鹿ね。――――え?」
不意に間の抜けた声が出た。
ソードはすぐさま立ち上がって突進を再開した。
止まらない?
ソードの片腕はぽっかり無くなっていた。
左腕を犠牲に【掃滅巨砲】を素手で弾き落としたのか。
最初の狙撃で破壊した再起不能の左腕。
ソードは使い物にならない腕を、肉の剣とすることで利用したようだ。
「っ……」
腕一本で防げるなんて、ありえない。
よく見ると、ソードの左半身は【掃滅巨砲】を浴びてそのほとんどを焼き焦がしている。
捨て身……? もう理性がないのか。
「ハッ――、ハッ……」
興奮して呼吸が不均一になっていた。
ソードを覆う黒い肉腫は【狂戦士】のモノだ。
アレがバーサクと呼ばれる由縁。
肉壁は最凶であると同時に怖れを知らず、痛みで怯むようなことは期待できない。
「だったら!」
頭上に狙いを定め、【桜吹雪】を散らす。
砲煙弾雨で足止めだ。
足りない。【弾幕】も装填する。
ソードは着実に迫ってきている。
用意した無数の迎撃をも諸共せず。
だが、撃ち放った小粒の弾はソードを狙ったわけじゃない。
弾幕が家々を破壊して瓦礫の山を積み上げた。
その荒れ果てた足場が邪魔して、ソードの猛突進は若干ペースを落とした。狙いはそれだ。
時間は稼げた。
再び【掃滅巨砲】を弓に装填する。
もう【雷霆】を打ち上げる時間はない……。
確実に動きを止めるために、あえて急所を外す。
今のソードは、殺しても死なないだろう。
こんな矛盾が【狂戦士】によって担保されてしまっている。
ならば、狙うは脚。
矢の矛先を鷹の目で見定める――。
俊敏に動くその脚を射抜けるか?
愚問だ。私は弓に特化した人間兵器。
獣を狩るなど容易いことだ。
渾身の力を込め、その復讐の一矢を放った。