113話 赤の弓兵vs黒い獣Ⅰ
ヒシズは、俺が現代でも胸張って生きていいと諭してくれた初めての人間だ。
恩に感じている。
その命が危ないってんなら、全力をかけて守る。
姫を守るのは勇者の役目だ。
「お城はこっちよ」
DBが指を差す方角には家々が立ち並んでいた。
本来なら北区から城門へ真っ直ぐ伸びる通りなのだが、迷宮化の影響で酷い回り道ができていた。
通りの名は『フーチフ・ディレ通り』。
古代ハイランド語で『お急ぎ直行便』って意味だ。
なんて皮肉な名前なんだ。
「他に道はないのかよっ」
「仕方ないでしょう。文句ならメイズモンスターに言ってちょうだい」
有事には要人がこの道を通じて城から脱する。
南区の旧城門と吊り橋を正面口とするなら、ここは裏口に当たる場所。
そこが今や崩壊したパズルピースのように、不揃いに邸宅が並び、王城への道を塞いでいた。
「しょうがねえ。飛び越えるか――」
人間兵器一号の身体能力を舐めるなよ。
こんな家々、跳び越えるなんて簡単だ。
そう思った矢先。
「――――ッ」
まるで隕石が飛来したかのようだ。
足元のアスファルトが盛大に弾けた。
小規模のクレーターが目の前に広がっている。
隕石の正体である一本の矢は、紫電を散らして焼失した。
「アーチェ……」
前に向き直る。
空では、次いで放たれた二本の矢が赤い魔力を纏って左右に散開している。
既に次弾が迫っている。
躱そうと思えば簡単な二本の矢。
だが、それらは地上に近づいた途端、垂直から水平に進行方向を変え、生き物のように弧を描いて、変則的な動きで背後に回ってきた。
「矢を遠隔操作してるのか?」
「……【鎌鼬】ね」
「キャンディー?」
「魔素よ」
DBは下唇を噛みながら、二本の矢を睨んだ。
アーチェの得意とする【誘導弾】とはまた別の能力らしい。
【鎌鼬】は大きく空中を迂回している。
獲物を狙うワシのような旋回だ。
「はぁ、まだまだ来るわ」
DBの視線の先、そこは旧王城の城壁アーチだ。
赤髪の女がそこで上空に向け、弓矢を番えている。
総攻撃をしかけるアーチェがいる。
その瞳は真剣そのもの――。
「もう隠れんぼは終わりらしい」
「ここで貴方を仕留める気ね。地利条件は最適」
確かに『フーチフ・ディレ通り』は道幅が広い分、他の路地より狙撃には打ってつけだ。
扁平な邸宅は俺のような歩兵には進路と退路を阻む障害物でしかなく、高い城門アーチにいる狙撃手から身を隠せる場所は少ない。
あいつは上空からも狙撃できる……。
先ほどからウロウロと空中を旋回する【鎌鼬】が、その証明である。
アーチェは次に、矢を天高く撃ち上げた。
鏑矢のような音を奏で、垂直に矢が昇っていく。
「ソード、あれ――」
「あれが【雷霆】だな!」
対抗しなければ死ぬ。
DBの瞳にはそんな警告の色が浮かんでいた。
「言われなくても!」
間髪入れずに駆け出した。
俺は飛び道具なんて持っていない。
この距離で唯一できることといえば、剣を投げつけることくらいだ。
助走をつけ、最速の剣成で刃を抜き、投げた。
剣戟が真っ直ぐ、鏑矢へ向かっていく――。
だが……。
雷撃が弾ける音が轟いた。
【鎌鼬】が軽快に進路を変えると、俺が投擲した剣に体当たりし、撃ち落とした。
「もう一本あるわ! 真上!」
DBの呼び声で気がついた。
もう一つの【鎌鼬】が俺を串刺しにせんと迫る。
俺は【抜刃】で剣を用意して、目視もせずに頭上へと剣を振り上げた。
「……ッ」
パァン、と剣が弾ける音。
剣と矢は互いの魔性を相殺して消失した。
その迎撃の刃を振り抜く最中――。
「…………!」
俺は確かに見た。
城門のアーチの上で次弾を番えるアーチェの姿を。
あいつはもう次の手を打っている。
後手後手だ。
「あ――――」
稲光が轟いたようだ。
すべてが瞬き一つの間の出来事だった。
既にそれは到達してしまっていた。
――【雷霆】の一矢。
それは、射ち放った主の号哭を宿し、天空へその祈りを届けてしまっていた。雷鳴轟く暗雲が広がり、中心部が大きく開口している。
「ソ――」
「アアアアアアアアアア!」
迷わず俺は【狂戦士】を展開した。
それは身を護る癖のようなものだ。
黒い鎧が瞬時に体を覆い尽くす。
直後、"動"という禁忌を犯した俺に裁きが下る。
天空から【雷霆】が体を貫いた。
胴体に風穴が空くようだった。
まるで杭を打たれて磔にされた罪人のように、その場から身動きが取れない。
少しのタイムラグの後、天空から雷が幾重にも降り注ぎ、俺の全身を焼け焦がしていく。
「ガ――ア、ア――――!」
黒い鎧が弾け飛び、生身の肉が曝されていく。
猶も【狂戦士】は宿主である俺を守るために、最硬の鎧が体を覆っていった。
「――――、――ァ」
何度、稲妻を浴びただろう。
四肢は爛れ、体幹は痺れて吐き気を催した。
裁きを終えた【雷霆】は爆散し、俺を盛大に吹き飛ばした。
死にかけた。
でも、なんとか持ち堪えた。
まだまだ反撃できる。……できるのか?
「え――――」
反撃を考えて目を開いたその刹那。
視界を取り戻して絶句した。
特大の光線が眼前に迫っている。
まだ狙撃は続いていたのだ。
しかも、【掃滅巨砲】だ。
まったくもって容赦がねえ。
【狂戦士】は使ってしまって、身を守る術を講じるほど魔力に余裕がなかった。
俺はその無防備な姿のまま、【掃滅巨砲】をもろに腹へ喰らい、体幹の右半分を失った。
ぽっかりと空いたスカスカの横っ腹。
態勢を整えられず、俺は無様に地に倒れた。
「ソード……!」
DBの叫びが、やけに遠く聞こえた。
俺は朦朧としながらも、生命を維持しようとする人間兵器としての器と、それを阻んで主導権を握ろうとする"黒い何か"が体の中で蠢くのを感じていた。
アーチェ、よくも。
よくもコケにしてくれた。
殺す……。殺す殺す殺す!
コロス。コロシテヤル。
黒い粘性の液をブシュブシュと振り撒きながら、それでも無理やりにでも身を起こす。
肉がなければ魔力で埋めろ。
骨がなければ黒鉄を組み込め。
この身はただ殺戮を貪る獣。
「ソード、その体は――」
体は黒い筋骨格で新生していた。
鎧として纏っていた時より、さらに硬く、さらに俊敏に、さらに破壊的に――。
「コロ……ス……」
それ以外の言葉も忘れたようだ。