104話 バレンニスタ夫人の悩み事
次の日の朝――。
まだ終わってない調査依頼の対応に向かった。
スージーとの約束は午後だから余裕はあるだろう。
:内容 【バレンニスタ侯爵の素行調査】
王都北区に住む、とある貴族一家への訪問だ。
今度は、夫の浮気調査か。
依頼主のコニー・バレンニスタは夫――クリフォード・バレンニスタの帰りが遅くなったこと、家にいてもクリフォードが上の空で一切笑わなくなったことを以前から気にしていたようだ。
それだけなら浮気を疑うのは早い。
しかし、決定的だったのは、クリフォードが女性と二人で夜に会っているところを、コニーが目撃したというのである。
「――三日前、見てしまったんです……」
伏し目がちにコニーがそう漏らした。
気休めのように紅茶を一口含み、ティーカップをソーサーに置くその手は震え、カチャカチャと食器の音が静かな客間に響いた。
動揺しているみたいだ。
「三日前か……」
マグリル区の悪臭が発生した時期と重なる。
ただの偶然か?
新人の俺に回ってきた仕事が、たまたま同時期に来た新規の依頼だっただけ、ということだろうか。
でも、何かが引っかかった。
「そうなのです。それからというもの、私は寝るにも眠れず、見てください。ほら――」
「なんだ?」
「目の下のクマですよ。寝不足で真っ黒に……」
「普通に白いと思うが……」
突然あっかんべーするもんだから何かと思った。
この夫人は気にしすぎな所があるな。
「嫌ですわ、綺麗だなんて。夫に浮気されていたとしても、私は簡単に心移りするような軽い女ではありませんからね」
「そんなこと言ってねえ」
おまけに俺が口説いたと勘違いする始末。
こりゃあ、さっさと仕事内容を聞いて片付けよう。
「それで、素行調査の期間はどうする? 日にちが増えるほど料金も高くなるぞ」
「一日だけでいいです」
「一日……?」
神経質なくせに、かなり攻めた期間設定だ。
「うーん、一日で証拠が掴めるかどうか」
「大丈夫ですわ。おそらく今夜、また同じことをするでしょうから」
「同じこと?」
「ええ……。夫は今日、王家への表敬訪問で宮殿に向かってます。そういう日に限って夜が遅いのです。狙って、あの女と逢瀬を重ねているのですわ。よりにもよってお墓で……」
待て待て。ツッコミどころが満載だ。
「墓……? なんで墓に行く?」
「こっちが聞きたいくらいですわ」
「というか、そこまでわかってんなら、俺が調べなくてもコニーさん自身で証拠を掴めるだろう」
「……私は、自分で確かめるのが怖いのですわ」
気持ちはわからないが、納得はできた。
でも、クリフォードはわかりやすすぎる……。
これじゃあ疑われても無理はない。
貴族とはいえ大胆すぎるだろう。
「どうせ宮殿で知り合った女にうつつを抜かしているに違いありませんわ……。ああ……私の何がいけなかったのでしょう」
コニーは横分けにした長い前髪を掻き分けた。
動揺すると手癖に出るようだ。
「もしかして、ずっと子宝が恵まれなかったのを根に持って……。でも……私だって努力して……」
「あー、こほん。コニーさん、ちょっと」
「なんですか?」
意識はしっかりこちらに向いているようだ。
目がぎょろぎょろしていて少し怖いな。
「証拠はどう押さえる? 写真か、録音か」
「どちらも。機材はこちらで用意しますわ」
「お、おう……」
迷うことなく判断を下すコニーの様子に、たまに気圧されそうになる。
コニーはテーブルの上の鈴を鳴らした。
間もなくして誰かがやってきた。
ノックして、客間の扉を開けて、静かに入室する。
使用人だろう――そう思ったが、どうにもその淡々とした動きに違和感を覚えた。
入ってきたのはメイド服を着た女だった。
盆に乗せたカメラやレコーダーをテーブルに置く、無駄のない洗練された動作が目に付いた。
こいつは人間じゃない。
「オートマタか?」
「よくお気づきになりましたね」
「前にもオートマタに給仕されたことがある」
「まあ。ソードさんは宮殿に行ったことがあるの?」
「いや、そうじゃないが、ちょっとな……。なぁ、関係ない話だけど、オートマタって高値で市販されていたりするのか?」
貴族では一家に一台オートマタ?
これだけハイテクな機械が蔓延する世界だったら、そうであっても不思議じゃない。
「いえいえ。この人形は主人が貰ってきたんです」
「貰ってきた? 誰から?」
「王室からです。不要になったものだそうで」
「ふーん……」
不要になった人形を、王室関係者が貰っている?
ということは、グレイス座が廃棄したものか?
変な話だ。
劇団はわざわざ西区の劇場から北区の王室まで、あんな大きなケースに入れて人形を廃棄している。
どうせ人の手に渡るなら、劇場で処分すればいい。
手続きの都合だと言っても二度手間だ。
何処もかしこも人形の影が付いて回るな……。
このあと、スージーにちゃんとその辺りの事情について聞いてみよう。