103話 ◆赤の弓兵vs白の司祭Ⅱ
衛生兵が弓兵を倒すなんてできるものか。
ケアが挑まんとすることは、そういう戦いだ。
おまけに周囲の人形も、分け隔てなくケアにも襲いかかる。
それなら身体能力に長ける者に軍配が上がる。
だから、退くのは簡単だと思った。
「……」
DB――否、そのオーラは当時のケアに近い。
ケアは身動き一つせずに魔力を滾らせた。
魔力放出に気圧されそうになるのを堪え、私は両手で二丁の魔導銃を構え、牽制も兼ねてケアに魔弾を射出した。
ケアは背中から伸びた二本のケーブルを正面に突き出してシールドのようなものを張った。
魔弾はその膜に吸われて消滅した。
「何よそれ。盾の勇者じゃあるまいし」
「魔素を増やしたのは貴女だけじゃない」
ケアの視線が路地裏の壁に映った。
私はそれを見落とさなかった。
何かしらの術を展開してくる。
そう思って逆方向の壁に跳び上がり、突き出た換気フィルターを足場にして屋上に上り詰めた――。
振り返って確認すると、ケアの視線の先は、ちょろちょろと水が流れて地面を濡らしただけだった。
「【潮満つ珠】……虚仮威しじゃないっ! 馬鹿にしたわね」
「ふふふ。ただの水が怖い?」
不敵に笑うケアに腹が立って、気が狂いそうなほど頭を駆け巡っていた憎しみが、さらに増強した。
「舐めるなァ!」
二丁の魔導銃をそれぞれ弓と矢に変化させた。
これが私の本領。
銃なんて自分で魔弾を放てない非力な人間が生み出した、ただの道具だ。私にとっては小道具に過ぎない。
本物の兵器は、そんな道具を凌駕する。
この弓が、その証拠だ――。
「あらあら、もう本気モード? 想像よりもだいぶ短気な魔素に憑依されたのね」
「軽口を叩けるのも今のうち――【弩砲弓】!」
弓師にとって地の利は大事。
今、建物の屋上にいる私が、地上に立ったままのケアを蜂の巣にすることなんて造作もないこと。
凶悪な形状をした弓が具現化していく。
鋭利な末弭と螺旋にうねる鏃。
魔力を纏う、物理破壊力も有する弩砲弓だ。
これなら物性がどうあれ、どんなものも貫ける。
ケアが纏う謎のオーブも貫通するだろう。
「【桜吹雪】!」
放つ魔弾は散弾の矢。
そこは逃げ場のない袋小路だ。
【桜吹雪】で隙間なく矢を撃ち込めば、ケアも逃げられない。
散弾した矢が砲煙弾雨のごとく降り注いだ。
轟音が一帯に響き渡り、瓦礫が舞い上がった。
これだけ撃ち込めば、ケアも木っ端微塵に……。
「――昔の技ね。それで私を倒せるとでも?」
耳元で涼やかな声が聞こえた。
ぞっとして瞬発的に裏拳を食らわせようと肩をひねったが、ケアはぶ厚い本一つで私の拳を止めた。
間合いを取って弓を構える。
「何をしたの……? 私の動体視力でも、ケアが屋上まで跳んだ瞬間を捉えられなかった」
「なにって、ゆっくり歩いてきただけだけど?」
邪悪な笑みを浮かべるケア。
その目に光はなく、無機質な瞳を向けていることにおぞましさを感じた。
確かにケアの着衣は乱れていない。
忌々しい法衣を纏った、司祭の体を保っている。
人間離れした身体能力で素早く跳躍してきた、という風ではなかった。
「一つ言うなら、階段を昇るのは面倒だったわ」
「そんな……」
気怠そうに語るケアに底知れぬ力を感じた。
ここまで気味が悪いと、私も戦意を失いそうだ。
駄目。こんな所で捕まるわけにいかない。
「街も人形だらけだし。歩くだけで億劫」
「……ケアは、あの人形の正体を知っているの?」
彼女はお喋りだ。それが欠点である。
なんとか気を反らして、次の手を考える。
どうやってケアは私に気づかれず屋上まで来た?
本当にゆっくり歩いてきた?
ゆっくりと言うわりに、一瞬の出来事だった。
もしかしてケアが持つ魔素は……。
「さぁ、どうかしら。でも、そろそろ王室に対して、教会から監査をかけようと思っているわ。新手のアークヴィランが王家を侵略……なんて事態が起きていたら大問題」
「もしハイランド王家が支配されていたら?」
「そのときは……まぁ、なんとかするわ。王国まるごと瘴化汚染は洒落にならない。今はソードも王都に越してきてくれたし、彼がなんとかしてくれそうだけどね」
ソードの名前が出てきた。
ピキッ――。
私は頭にひびが入ったかのような感覚に陥った。
ケアはわざとその名前を出した。
私の心を揺さぶって、隙を作ろうとしている。
「へぇ、そう……。ケアもソードに頼るんだ?」
「もちろん。彼は良い男よ。私に振り向いてくれないのが難点だけど、彼の情緒は昔のままだから仕方ないわね」
よくも私の前でベラベラと……。
想い人の仇敵だと、ケアも知っているくせに。
「やっぱりケアも最初から裁くべきだった」
「裁く、か……。感情って厄介なものね。同時に視野も狭くする」
「機械人形のあなたに何がわかるのッ」
私は思いきり弩砲弓の弦を引っ張った。
弓矢を番える。――天空に向けて。
ケアを討つのは、またの機会だ。
ここで焦って捕まれば、ソードに復讐できない。
「――【雷霆】!」
天空に一矢が放たれた。
鏑矢のような笛の音が響き渡り、空の彼方へ消えた矢は、稲妻をまとって空に暗雲を立ち込めた。
「ん……」
ケアの動揺が見て取れた。
やはり。
「ふん。動けるなら動いてみたら?」
踵を返し、私は屋根から屋根に飛び移った。
そのまま距離を離し、時折、通常の魔弾で牽制しながらそのまま戦場を離脱した。
【雷霆】は、一定のフィールドから動いた者に、天罰の如く天空から雷撃の矢を突き落とす一撃技だ。
もしその矢より早く動けるのなら回避は可能。
でも、きっとケアにそれはできない。
ケアは黙って立ち尽くしていた。
さっき彼女が屋上までゆっくり歩いてきた、という言葉は、嘘じゃないのだろう。
おそらくケアが使った能力は、自分の動きを早めるものではなく、時間そのものを操作する力。
「精霊オルドールの力か……。禁忌を冒したわね」
世界には時間操作をも実現する力があるらしい。
あまりに強力な魔素であるゆえに、生身の器では耐えられず、使用者が破滅する。
魔素コレクターの間では大禁呪の力である。
時間が止まっていても、自律した攻撃ならその身に届くだろう。そう判断して【雷霆】を放ったが、狙い通りだったようだ。
あの時間操作にも対抗策を練らないと……。
いや、それもこれも先にソードへの復讐が果たせればどうでもいいか。
一つ、ヒントが得られた。
王都全体に取り巻く瘴化汚染の問題。
その中心地は王家にある。
なら、それを利用してやろう。