102話 ◆赤の弓兵vs白の司祭Ⅰ
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夜、ユミンタワーから城下町を見下ろす。
遠目には都会のビル群が眩く見える。
時代は変わっていく……。
あの日から、時間が経ってしまった。
街の様子は年々変化していく。
ユミンタワーの背丈に近い建物も増えてきた。
街は夜でも灯りが煌々と照っていて、まるで眠る気配がない。人間たちの飽くなき欲望を体現しているかのごとく、光一つ一つは消えることがない。
「……」
私の心に宿った炎も、消えることがない。
どうしても引っかかり続けている――。
まるで胸の隙間に溝ができてしまったようだ。
私は、"慟哭"でその隙間が埋まることを知った。
苦痛を叫び、力を奮い立たせていれば、この渇望も少しは和らいでくれる……。
これが感情というものだろうか。
三日前、劇場を逃げてからというもの、私はそれを埋められずにいた。
「ソード……ソード……」
ソードのせいで仲間が死んだ。
ソードのせいでパペットは死んだ。
ソードのせいで、最愛のメイガスが死んだ。
死んだ死んだ死んだ。
復讐なら、もっと徹底的にやらないとダメだ。
人質を取るというやり方は、我ながら卑劣な作戦ではあったが、必ず成功すると思っていた。
勇者は、腐っても勇者。
仲間を傷つけられるのは苦痛に違いないからだ。
でも、失敗した。
なぜだろう――。
『痛っぁぁああああーーい!』
劇場に響いた悲鳴。
あの娘、魔導銃に撃たれても傷一つ付かなかった。
今でもまだ信じられない。
魔導銃とは、濃縮した魔力を弾丸に込めて射出する殺傷性の高い兵器だ。通常の実弾を放つ短銃とは異なり、射程距離も長い。
ましてやゼロ距離射撃の威力は短銃の数倍。
人間兵器でもあるまいし、普通の人間の娘が悲鳴一つで終わるものではない。
ともすれば、人間ではないのでは――?
そう思って少しヒンダという娘を尾行していた。
しかし、ヒンダは至って普通だった。
人形劇に興味があるらしく、パペットに付いて回るばかりで特別に人間らしからぬ行動もなかった。
母親の存在も確認した。
他に心当たりがあるとすれば、アークヴィランの力の加護、か……。
――キィ……キィ……。
風が音を運んできた。
鉄が軋むような不快な音だ。
よく見ると、街の至る所から鳴り響いている。
音のようでもあるし、"声"のようでもある。
「なに? 不愉快な音ね」
弓の勇者ならではの千里眼で目を凝らすと、街中に蠢く黒い影がゆったりと彷徨い歩いている様子が見受けられた。
それは人形だった――。
自律して動くことから、自動人形なのは明白。
一体、いつ頃から、こんなに多くの人形が王都を埋め尽くすようになったのだろう。
「……」
雑多な街路に犇く黒い影は毛細血管のようだった。
影は王城へ行くほど密度を増している。
どうやらそこが"動脈"らしい
ちょっと気晴らしに調べてみよう。
…
真夜中の街中に降り立つ。
大きな通りには人の気配が一切ない。
でも路地裏に回れば、異界が広がっていた――。
「あらあら、これは……」
路地裏には壊れたオートマタが蔓延っている。
私もこんなに醜いものは初めて見た。
人形はその表皮から剥がれ落ち、頭皮も禿げ上がって内殻の合金が丸見えだ。
それらが纏う黒いオーラは、瘴気そのもの。
「これじゃあ、まるで"汚染源"が自律して歩いてるみたいじゃない」
瘴化汚染だ。
アークヴィランではなく、人工的に作られた傀儡が瘴気を振り撒いている。長年、アークヴィランハンターをしている私ですら聞いたことがない。
人形は覚束ない足取りで襲いかかってきた。
私はそれを軽く往なし、魔導銃で手足を破壊して行動不能にした。
だが、四肢を破壊されてもなお這いずる自動人形。
気味が悪い……。
「人形ってことはパペットの仕業……? 違うか。発生源が王城だから、あそこに別のアークヴィランでもいるのかしら?」
そもそもパペットが造った人形は、王都で瘴化汚染が発生しないように厳正に管理されている。
パペットは残念だが、アークヴィランになった。
その侵略衝動は抑えられるものではなく、人間兵器の戦闘力を考慮しても、暴走した場合に手に負えなくなるので、その能力――【傀儡女】を解放する目的で、人形劇団を公営化し、そこにパペットを押し込めたと云う。
彼女が作製した人形も、王室と聖堂教会で管理し、廃棄しているはずだ。
「ふーん。どうせまたDBの怠慢か」
そうぼやくと、裏路地に新たな気配を感じた。
「――怠慢だなんて失礼ね。私はアークヴィランハンターの運営で忙しい身なのよ」
「……ッ!」
咄嗟に間合いを取る。
尾行されていたなんて、まったく気づかなかった。
そこに居たのは人間兵器五号――ケアだった。
「DB……尾行るなんて悪趣味な女!」
「悪趣味? 誰のおかげで劇場の件が表沙汰にならずに済んだと思うのよ。貴女が仕事を増やしてくれたせいで、こっちは大変なのよ。怠慢だなんて、どの口が言ったのかしら」
劇場の件――パペットと派手にやり合ったことか。
別に、こっちは表沙汰にしてくれても気にも留めなかったのに。
相変わらず恩着せがましい女だ。
これだから回復役は扱いに困る。
「貴女、裏で指名手配されているの、知ってる? 王家じゃいつまでも捕まえられないっていうから、私が出張ってあげたのよ。さぁ、大人しく降参しなさい」
「ふん、この状況で?」
周囲を見渡す。
今は人形の群れに取り囲まれている。
戦闘型ではなかったケアが、この不利な状況で私を組み伏せるとは思えない。
「それともこの傀儡、あなたが用意したとでも?」
「そこまで落ちぶれていないわ。――この惨状、私も驚いているところだけれど、それは後回し。今は、こっちの憑依を捕まえるのが先……」
DBは無機質な瞳で真っ直ぐ私を見て、そう言った。
憑依?
誰のことを言ったのか、一瞬、理解できなかった。
だってここに魔素を宿した人間は、DBを覗けば私以外にいないのだから。
私が憑依? そんなはずはない。
私はちゃんと意識がある。勇者をやっていた頃の記憶もある。パペットのようにはなっていない。
メイガスへの想いも忘れていない。
今でもこんなに、怒りで心が滾るのだから……。