第九十八話「幽霊騒動が起こりました」
荒廃し切っている王都においても、少女達は懸命に、そして逞しく生きていた。プリンシェア女学園の生徒達はこんな世情でも今日も噂話に花を咲かせる。
「ねぇねぇ!知ってる?また出たんですって!」
「え?本当?また?」
「そうそう!今度は商業区で出たらしいわよ!」
女子生徒達の噂話はこんな時でも恋の話などが多い。しかし最近は恋バナ以外にも、とある話題が彼女達の話題をさらっていた。
「一体何なのかしら?」
「新種のインベーダーよ!」
「違うわよ。それにしては死者は出てないじゃない。やっぱり幽霊よ」
「新手の泥棒っていう噂もあるわね」
彼女達の今一番の関心事は……、世間を騒がせているとある騒動だった。
「アンジェリーヌ様!アンジェリーヌ様はどう思われますか?」
「え?えぇ……、そうね……」
急に話題を振られたアンジェリーヌは何と答えたものかと思いながら言葉を濁す。アンジェリーヌはそもそもその噂自体を信じていない。幽霊などいるはずがないし、新種のインベーダーならば何故誰も犠牲者が出ていないのか。インベーダーならもっと暴れていてすぐに見つかっているはずだ。
「何かの見間違いじゃないかしら?」
「え~!違いますよ~!もう何人も目撃者がいるんですよ?」
「そうですよ!絶対いますよ!」
イケシェリア学園では評判の悪いアンジェリーヌも、本人と直接付き合いがあるプリンシェア女学園の生徒達の間ではとても評判がよかった。公爵令嬢でありながら偉そうに振る舞うこともなく、誰にでも分け隔てなく優しく接してくれる。そんなアンジェリーヌが人気にならないわけがない。
中にはアンジェリーヌに嫉妬してあらぬ噂を流そうとする者もいるが、少なくともプリンシェア女学園で直接アンジェリーヌと接したことがある者は誰もそんな噂など信じない。
相手が公爵令嬢であるにも関わらず、周囲の女生徒達もアンジェリーヌの回りに集まって、あれやこれやと噂話がさらに活発になっていた。
「一体何者なんでしょうね……。夜空に舞う三角頭……」
最近王都を賑わせている話題……。夜に突然現れ、ふわふわと空を舞い、いつの間にかいなくなっている。目撃者を名乗る者は現れどもその姿がはっきり確認されたことはない。
噂では新種のインベーダーが侵入しているだとか、幽霊が飛んでいるだとか、荒唐無稽な話になっているが……、その正体を知る者はまだ誰もいない。
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プリンシェア女学園の授業が終わり、アンジェリーヌは自宅へと帰る。帰りの馬車の中にはもう一人、同じプリンシェア女学園の制服をきて、グルグル眼鏡をかけた少女が座っていた。
「ねぇねぇ!舞は『夜空に舞う三角頭』の正体は何だと思う?」
「アンジー……、学園の時と全然態度が違うね……」
向かいに座る神楽舞に、アンジェリーヌは熱く語りかける。舞とアンジェリーヌはお互いを気安く呼び合う仲になっている。もちろん他に人がいる場では主従関係を貫いているが、こうしてウィックドール家の馬車に乗って二人っきりの時などは、アンジーと愛称で呼ばせて、堅苦しい話し方も禁止されていた。
学園でその噂話を聞かれた時は興味ないとばかりの態度だったのに、この帰りの馬車ではすぐに噂の『夜空に舞う三角頭』の話をする。興味がなかったのではないかと舞は肩を竦めた。
「あんな噂話信じてないんじゃなかったの?」
「もちろん新種のインベーダーだの幽霊だのは信じてないわ。でも……、何かはあると思うのよ。錯覚や見間違いだったとしても……、それなら一体何をどう見間違えたのか。それが気になるのよ」
アンジェリーヌは噂の三角頭そのものや、それにまつわる噂を信じているわけではない。ただそういう噂が流れ、時々目撃者が現れることに興味があるだけだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花、とは言うがそれには勘違いするための枯れ尾花がなければならない。
それに比べて今回の噂では三角頭は空を飛び回り、フワフワ動いていたかと思うと突然どこかへ飛び去ったりするという。一体何を見て、どう見間違えればそうなるのか。アンジェリーヌは単純にその正体に興味があった。噂は信じていなくとも、そう見間違えるだけの何かはあるのではないか。ではその何かとは一体何なのか。
「う~ん……。洗濯物でも飛んでしまったんじゃないですか?」
「ちょっと舞!思ってもいないことを答えるのは駄目よ!」
噂では三角頭は、体は丸くフワフワしているのに、頭はシュッと真っ直ぐに頂点があり、その回りがまるで三角形のように見えるという。それはあたかも布袋を逆さまに被っているようだという噂もあった。
出現場所は特に決まっておらず、王都の外周に近い地区に不定期に現れるらしい。いつどこにどういうタイミングで現れるのかはわからないが、夜中にしか見られたことはなく、時々目撃者と名乗る者が出てくる。
その行動には一貫性はなく、目撃地域で泥棒に入られた家や店もなく、誰かが襲われたこともない。そもそも夜警の兵士達には目撃者はおらず、自称目撃者達は夜の町で転がっていた酔っ払いなどで、証言にもどれほどの信憑性があるのかはわからない。
ただ王都の一部ではその噂が広がり、最近では割とあちこちで話題になっている。
「学園では猫を被ってるけど……、アンジーってそういう所あるよね……」
「何とでもいいなさい。私はわからないことが気になる性質なの」
二人で他愛無い話をしながら馬車に揺られる。本当ならば……、そんな場合ではない。ほんの数ヶ月で王都はみるみる廃れてしまった。今ではもういつ王都がインベーダーに攻め落とされてもおかしくない、などと言う者まで出ている始末だ。
もちろんそんなことを公言していれば、すぐに兵士が飛んできて捕まってしまう。しかし誰もがそれを感じている。刻一刻と終わりが近づいているような……、それなのに打つ手もないような……、鬱屈した空気が王都を包み込んでいる。
しかし……、だからこそアンジェリーヌは気丈に振る舞っているのだ。ここで塞ぎこんでしまったら助かるものも助からなくなってしまう。だから……、何があっても……。
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ウィックドール家の屋敷にて……、夕食の席でアンジェリーヌは父を心配そうに見やった。
「お父様……、お加減が悪いのですか?」
「あぁ……、いや……、大丈夫だ」
少し前から父の様子がおかしい。それに議会で随分追及されているとも聞いている。父は家族を心配させまいと家ではそんなことは言わないが、ウィックドール家が傾きそうだとか、責任を取れだとか言ってくる他の貴族もいるのだ。
パトリック王子と婚約していた頃からアンジェリーヌを快く思わない連中はたくさんいた。それはつまりそれと同じだけウィックドール家の伸張に反対している者達がいたということだ。
そういう妬みだけならば、パトリック王子との婚約が破棄された時点で相手もやめるかと思いきや……、実際にはますますアンジェリーヌへの風当たりは強くなっていた。王子と婚約破棄になったということで、それまでは媚び諂っていた者まで掌を返したような態度になる者もいた。
もちろん周囲全てがそうではない。むしろアンジェリーヌは庶民や下級貴族達にはウケが良い。アンジェリーヌを快く思っていないのは高位貴族などの者達ばかりだ。
アンジェリーヌにそれだけ強く当たってくるということは、当然ウィックドール家に対してもそうだろう。王子との婚約破棄が決定しただけでもウィックドール家は周囲から相当攻撃されたはずだ。それに加えて最近は何かで追及されているというのだから、父の心労はいかほどであろうか。
「お父様、あまりご無理はなさらないでください」
「そうだな……」
そうは答えても父の心はここにあらずという感じだ。何とかしたいが……、アンジェリーヌにどうにか出来る問題でもない。それがわかるからこそアンジェリーヌは歯噛みしながらも、黙って食事を続けたのだった。
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「ねぇ舞……、私達で三角頭の正体を掴みましょう」
「えっ!?」
ある日のプリンシェア女学園からの帰り道で……、アンジェリーヌは舞をそう言って誘った。そんなことを言われて舞も驚きアンジェリーヌを見詰め返す。
「三角頭の正体って……、一体どうやって?」
アンジェリーヌの言葉に舞は不安そうな表情を浮かべて問い返した。三角頭がよく目撃されているのは夜中だ。もし三角頭を捕えようと思ったらそれは夜中に行動しなければならないことを意味する。
いくら王都が比較的安全で女子供でも出歩けるとしても、それはあくまで日中の表通りなどの話だ。夜中に年頃の女の子がウロウロしていたらどんな目に遭うかわからない。
「それに私はともかくアンジーはそんな時間に出歩けないでしょう?」
ウィックドール公爵家のご令嬢であるアンジェリーヌが、夜中に一人でウロウロ出歩けるはずがない。そんなことは確認するまでもなく舞にもわかっている。
「そうね……。何度もは無理よ……。でも一度くらいなら何とかなるわ……。ね?舞……、私達で三角頭を捕まえましょう」
正体を掴む、から、捕まえる、に変わっている。あるいはアンジェリーヌにとってはどちらでも良いのかもしれない。何故アンジェリーヌが突然そんなことを言い出したのかはわからない。ただ……、アンジェリーヌの顔はただの興味本位や遊びという雰囲気ではなかった。
「はぁ……。わかったわアンジー……。どうせ私が駄目だって言っても一人でもするつもりなんでしょう?」
「さすがは舞ね。それじゃ早速考えましょう」
アンジェリーヌが家を抜け出せるのは精々一回か二回。その間に正体不明の三角頭を見つけようというのだ。闇雲に探しているだけでは見つかるはずがない。
この町にどのくらい夜中に起きて三角頭を捕まえようと思っている者がいるかはわからないが、少なくともこれまで三角頭を見つけたり捕まえようとして、実際に見つけられた者すら存在しない。目撃者達は皆偶然、それも本来あり得ないような状況で見かけただけだ。
「目撃地点と日時の情報を整理しましょう」
「そうね……」
まず集められている目撃情報の地点と日時を地図に書き出す。一見日時も場所もランダムのように思える。これでいつどこに現れるのかを予測することは不可能だ。
そして目撃者達の大半は、酔っ払って路上などで寝ている時に偶然空を見ていて見つけたという。こういう噂が広まれば物好きが三角頭を捕まえようと出てくるはずだが、今までそういう者達から目撃情報や捕まえたという情報はない。
「これ……、目撃された日時と場所がバラバラに見えるけど……、近い日に近い場所には現れないわよね」
「なるほど……」
二人はある共通点に気付いた。本当にランダムに現れているのなら予測のしようはない。しかし作為的な行動ならばその思考を読み解けば予測も可能だ。
三角頭の目撃情報の出現位置と日時はかなり離れている。近場に連続では現れないということだ。もちろん毎日目撃されているわけではないので、目撃されていない日に連続でその辺りに現れている可能性はあるが……。
「この推測が正しければ……、つい最近現れたこの辺りには出ない……、ってことかしら……」
「それで言えばその前のこっちにもまたすぐに現れるとは思いにくいってことだよね?」
二人で順番に情報を整理しつつ次の出現位置を絞っていく。そこでふと舞は何かに気付いたような顔をしていた。
「舞?何かわかったの?」
「あっ……、えっと……、わかったってほどじゃないんだけど……、この三角頭の動きからして……、何か探してるのかなって……」
「探している?」
そうだ。三角頭の行動を予測するのならば、その目的がわかればいい。目的に沿って行動しているのならば、その目的が分かればさらに行動も読みやすくなる。
「この動きって……、段々王都の奥に進んでない?だったら次は……」
「今まで一度も現れておらず、前までの位置よりも遠い位置……」
「「次は……、貴族街?」」
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夜中に……、アンジェリーヌはこっそり家を抜け出した。事前に周到な準備をしていたので一回抜け出すくらいはわけない。ただこれでこっそり抜け出したことが発覚すれば、次からは同じようにはいかないだろう。監視が厳しくなればもう二度と抜け出すことは出来なくなる。
待ち合わせ場所にいた舞と落ち合い、二人で予想した地点付近へと移動する。三角頭は空を飛んでいることから、高い建物に登って探そうとしている者が多い。しかし実際に目撃情報は地面に寝転がるようにしていた者達が多い。単純に上に登ったから見つかるというものではないのだろう。
そこでアンジェリーヌと舞はあえて地面に寝転がり空を見上げていた。自分達の姿は見え難く、空の上はよく見える。そんな場所を事前に見つけていた。そこで二人で並んで寝転がり空を見上げる。
「アンジー……、どうして急にこんな……」
「……」
舞の問いにアンジェリーヌは答えない。その時……。
「――ッ!?舞!今のを見ましたか?今確かに……」
「え?」
舞に問いかけられても空を見上げていたアンジェリーヌの視界の隅に、今確かに空の上を飛ぶかのような奇妙なモノを見た。体を起こしたアンジェリーヌに釣られて舞も体を起こす。
「舞!今確かに……、――舞っ!」
「――ッ!?」
アンジェリーヌが見たのは、上半身を起こした舞の後ろにぬぅっと現れた、土色のような体に布袋を逆さまに被っているかのような……、三角頭だった。




