第九十五話「探索を開始しました」
川沿いに下って早一日。谷の底じゃなくて当然ながら今回は谷の上を歩いている。谷底を歩いて行っても高い崖で登るのが大変になってしまうからな。たぶん体調がある程度万全な今ならあのくらいの崖なら登れるとは思うけど……、わざわざ苦労してあんな臭いし狭い場所を行く理由はない。
まぁ利点としてはもしかしたら黒インベーダーに出会わないんじゃないかなということくらいか。あの時も森に辿り着くまでに黒インベーダーに襲われることはなかった。あそこは黒インベーダー達の死体捨て場とかそんな場所なのかもしれない。だからあんな底まで見に来る奴もいなかったんだろう。
「そろそろ飯にするか」
リュックから保存食を取り出して食べる。なまものとか日持ちしない物を優先してメニューを考えないと、好き勝手に食べてたら途中で腐ってしまったとかいうことにもなりかねない。
持ってきた食料はだいたい一週間分くらいだ。この体はそんなに大食いじゃないから節約すればそれより何日かはもつだろう。ただ食料が十日ももたないからあまり残しておいても、食えなくなるだけで無駄になってしまう可能性もある。つまり俺は一週間から、長くとも十日以内に食料を補給しなければ飢えて死ぬことになるというわけだ。
そこらに座って簡単な食事を摂りながら考える。まだ何も変化もなく川沿いに下流に進んでるだけだ。景色も特に変わらないし何も発見はない。精々谷が次第に深くなっているのがわかるくらいだろうか。
でも方向性は合っていると思う。俺もこの個人用携帯転移装置を手に入れたからわかる。例えゲートの発生に莫大な魔力が消費されていて、距離に対しての消費はそれほど多くないとしても、それでも遠距離になれば割と馬鹿にならない消費になる。それは設置門型でも同じだろう。
ならば……、俺達が戦っていた場所は王都からそれほど遠くないはずだ。ゲートを開いて、多くの生徒達が行き来する間開いておかなければならない。遠距離に出口を開けばそれだけ消費も多くなる。魔力結晶がそれほど豊富だったはずがない王都で、そんな無駄に垂れ流す魔力結晶の余裕はないはずだ。
ゲートを開くには個人用携帯転移装置より設置門型の方がコスパが良いと言った。さらに調べてみた結果、もっとコスパを良くする方法がある。それが最初から出口側にも門を設置しておくことだ。両側の出入り口が門によって開かれていれば消費魔力を抑えることが出来る。
でも俺達が戦っていた場所は外であり、外の方には設置門型は置かれていなかった。それは俺が最後に置き去りにされた時に確認している。ゲートが消えた後には何もなかった。
ならばそんな遠くないはずだ……。きっと……、あの場所の近くに何かがあるに違いない。王都そのものではなくとも……、何かがあるはずだ……。
「これで俺の予想が外れてたら泣きそうだな……」
食料に余裕はない。前回谷底から森まで三日か四日か……、日の流れもわからない状況だったけどそれなりに日数がかかったはずだ。もしかしたらもっと長いかもしれない。
それでなくともこの世界では時間の流れが曖昧なのに、あの谷底では一日中天気も変わらず、日の出も日没もなかった。時間を計る方法と言えば精々自分の疲れや空腹だけだ。だから日数はあてにならない。
またあの時は体調も万全じゃなかった。空腹以外にも疲労や女の子の日や怪我も完全に治っていたとは言い難いし、今とでは体調も装備も準備も何もかもが違う。そんな状況で歩いた時間と、今の歩いた時間で同じ距離を移動しているはずがない。
「あっ……。そういや忘れてたけど俺は今このスーツの効果もあるしな……」
同じような景色が延々と続いているからわかりにくいけど、このボディスーツのバフ効果のお陰もあって、今の俺の移動速度は前よりも上がっているだろう。
ラピッドも使えばもっと早く移動出来るけどそれはしない。俺の目的は探索であって高速移動じゃないからだ。何かヒントになるものもあるかもしれないし、無闇に速く移動すればいいというわけでもない。
最悪、食料が尽きるまで探索に時間をあてて何も見つからなくても、装置で転移すれば森へは帰れる。でも装置の魔力も無限じゃない。自力で飛ぶには遠距離だから怖いし……。転移しなくてもラピッドをかけて走れば一日で戻れるかな?
「ただあの時の場所もわからないんだよなぁ……」
今俺がいるのは明らかに死の大地だ。死んで腐ったような黒い大地が広がっている。でもイケ学から出撃した時はもっとこう……、草原みたいな?荒野?何かそんな感じだった。少なくとも出撃している時にこんな死の大地は見たことがない。
探索だから急いでも仕方がないとはいえ……、やっぱり辺りの景色が変わってくるくらいまでは少し急ぐか?今でも行きよりは早く進んでると思うけど……、どうしよう……。
「迷っていても仕方ないか……。よしっ!明日はラピッドで飛ばそう!」
いくら辺りを調べながら進んでると言っても、こんな死の大地をいくら探しても何も見つからないだろう。それなら時間を有意義に使う方が良い。ある程度景色に変化が出るまでは急いで行くことにして今日はもう休むことにしたのだった。
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今日はラピッドも使って死の大地を駆け抜ける。ナビを使わなくても、大地が割れているのかと思うようなこの谷に沿っていけばいいだけだから簡単だ。道に迷うこともないし、間違えることもない。この谷はずっと一本道だから分岐もないし楽なものだ。
「…………段々景色が変わってきたな」
調子に乗って高速移動していると次第に周囲の様子が変わってきていた。大きな木はないけど、大地は真っ黒な死の大地から徐々に色が灰色のように変化し、チラホラと草のようなものが生えている。
実際これが草なのかどうか俺には見分けがつかない。一見雑草のようなものが生えているように見える、というだけのことだ。形や色が凄いから近づいて確認する気にはなれない。こういう環境に適応したこの世界ならではの植物なのかもしれない。
そんな大地を駆け抜けているとさらに景色は変化し、地面は普通の土色になってきた。俺も見覚えがあるような普通の草も生えている。段々と荒野や草原というような雰囲気になってきた。もしかしたら戦っていた場所もかなり近いのだろうか。
…………なぁ?ところで俺はどうやって自分が戦っていた場所を見つけるつもりなんだ?
確かにこの谷底を歩いて森まで行ったんだから、逆にこの川を下っていけば元の場所に戻れるだろう。でもそこが本当に戦闘を行なっていた場所かどうか俺はどうやって確認するつもりだったんだ?
俺はぼんやりその場所に行けばわかるんじゃないかと思っていた。でももし戦闘の跡が片付けられていたら、ただのこんな荒野や草原が広がる景色で、ここが俺が最後に戦っていた場所だ!ってどうやって見分けるつもりだったというのか……。
俺って本当に何にも考えてなかったんだな……。別にどうしても俺が戦っていた場所に行きたいわけじゃなくて、そこを中心に近くに何かないかと思って探そうと思っていただけだ。だから最後の戦場へ絶対に行かなければならないわけじゃない。最悪の場合は川を下って、ある程度景色が変わったら周囲を探索すればいいのかもしれない。
ただ……、自分の安易さ、迂闊さが嫌になる。そんなことだからあんな目に遭わされたんじゃないのか?もうちょっと気をつけたり、考えたりしないとまた同じ結果になってしまうぞ。
「これは……」
そんなことを考えながらスーツの性能とラピッドで飛ばしていると、辺りは完全に死の大地ではなくなっていた。俺達がよく戦っていた場所に似ている。ここがそうだとは限らないけど近くまで来ていることは確かだろう。
俺達が戦っていた黒インベーダー達は死の大地の方から来ていたとして、どうしてこんな変な分布になっているんだろうか。川上側である死の大地が汚染されているのなら、川下の方であるこちらも汚染されているはずだ。上から下に汚染が流れてくるはずだからな。
それなのにこの配置は色々とおかしい。水源であるあの森が綺麗だったのは良いだろう。研究所や白インベーダー達が浄化しているのだとすれば納得はいく。でもそのすぐ先からは死の大地だ。川にしろ、陸に降った雨にしろ、上流から下流に流れる。川下であるこの辺りには、川上である死の大地の汚染が流れてくるはずだ。
だけど実際には上流の死の大地は汚染されているのに、この辺りは汚染されていない。多少はされているのかもしれないけど、それなりに草木が生える程度には環境が良いのは見ての通りだ。何故こんなことが起きる?
水源の森は恐らく研究所や白インベーダー達が長い年月をかけて浄化した成果だろう。じゃあこの辺りも……、王都などの人間が住む場所も、かつての魔法科学文明の遺産や末裔達が何とか浄化出来るように努力してきた結果、最低限人が住める程度の環境は維持されているんだろうか?
それに王都とはいうけど他の町は見たことがない。そもそも王都の外の状況もわからない。ただ攻略対象の一人、ヴィットーリオは外国の高位貴族という設定だった。じゃあ王都以外にも人が住んでいる場所があるということか……。
たぶん普通に王都から出ることは出来ないだろう。他の都市との人の交流なんてほとんどないと思われる。それでも高位貴族のヴィットーリオがイケ学に留学しに来ているということは、高位貴族や伝令などは転移装置を使って行き来しているのかもしれない。
もしかして……、案外あちこちに生き残りの人間がいるのか?それなら王都がみつからなくても、こういう人が住めそうな環境が維持されている場所を探していれば、他の町でも何でも人がいる所が見つかるかもしれない。
「これだけ来たらとっくに通り過ぎてる気がするけど……」
辺りは完全に死の大地とは違う様子になっているし、森に向かった時のようにヨタヨタ歩いていたわけでもない。かなり急いできたからとっくに最後の戦場だった場所を通り過ぎている気がする。
ただ谷沿いに進んでも戦闘の形跡は一切なかった。人もインベーダーも死体は全てこの谷底に落とされたということか。だから死体も何もなく、どこが戦場だったのか、今更見てもわからないということだろう。
地面とかに戦った痕跡くらいあるんじゃないかと思ったけど、あれからもう何ヶ月も経っている。草も生えてるし地面も隠れてしまっているんだろう。ちょっと考えが甘かったな。
「仕方がない……。この辺りを中心にして探索を開始するか」
俺は転移装置にマーカーをつけた。今の自分の位置を記録しておけば、後で戻ろうと思った時にマーカーの座標を見てすぐに戻れる。
「それから……、俺達はこの谷の前にいて、こちら側からインベーダーを食い止めていたんだよな……。じゃあ……、町があるとしたらこの谷の逆側か?」
もし俺達の出撃が町の防衛目的だったならば俺達の背中側が守るべきものがあった方向だろう。絶対そうだとは限らない。ただ単に俺達が逃げ出さないように後ろに谷がある場所に俺達を出撃させていただけかもしれない。所謂背水の陣だな……。
でも他に何もヒントすらないんだから一度谷の向こう側を探してみるか。
「よっ……と!」
谷をヒョイと飛び越える。幅は十……、二十メートルくらいか?深さはわからない。底が見えないし、よくもまぁこの高さから落ちて生きていたものだ。暗くて見通しが悪いだけだとしても結構な高さがある。普通なら助からなかったかもな。運が良かったと思うしかない。
「何か最近独り言が多いな……」
わかっていてもわざとしているのか、それとも無意識についしゃべってしまうのか。ずっと一人でいると気がおかしくなりそうだ。森に居た頃はまだ白インベーダー達がいてくれた。見た目はグロテスクでも懐いてくれているのがわかって、何だかちょっと可愛いとすら思い始めていたくらいだ。
でもまたこうして何もない所にポツンと一人でいると気が変になりそうになる。
爬虫類や昆虫のような、好きな人は好きだろうけど、嫌いな人は嫌いであろうペットでも需要もあるし可愛いと思う人もいる。俺もいつしか白インベーダー達を可愛いと思うようになっていたようだ。
「また……、会いにいかないとな……」
また戻るって約束したんだ。舞とアンジェリーヌと会えたら……、今度は二人も連れてあの森へ行ってみようか。二人は死の大地で黒インベーダーに襲われたら大変かもしれないから……、行くなら転移装置を使ってだろうな。
「ふふっ。二人が白インベーダー達を見たら何ていうかな?」
やっぱりグロテスクだと言うだろうか?それとも案外可愛いと受け入れてくれるだろうか?そんなことを考えながら俺は、谷の反対側の探索を開始したのだった。




