第九十四話「裏が見えました」
「う~む……」
ウィリアム・ウィックドール公爵は資料を眺めながら唸っていた。いくら精査しても、何度見比べてもわからない。
イケシェリア学園の戦闘記録には、出撃したメンバーの名前、死亡者の名前、行方不明者の名前などが記録されている。具体的に誰がどれだけ倒したかの戦果ははっきりしないので時折参考程度の記録がある程度だ。
本来ならば戦果を記入しないなどあり得ないことだろう。これがもし兵士や騎士達の記録であったのならとんでもないことだと批判されるはずだ。
しかし何戦か戦ってもどうせそのうち死ぬだろうと捨石にされているイケ学の生徒達には、いちいち戦果や撃破数は記録されない。論功行賞も行なわれないので記録や撃破数など無意味だ。
そして仮にそれなりにでも戦える者がいれば勝手にそういう者は戦果を挙げて目立つようになる。装備する武器も良い物に代わり、周囲からの評価も上がる。だからどうせほとんど死ぬ者達の戦果など記録せず、使える者は勝手に目立ってくるだろうと放置されていた。
使える者がいたら上位クラスに引き抜かれるはずだ。下位クラスは本当にただの壁でしかない。そういう立ち位置になっているはずだった。
しかしウィリアムは記録を精査すればするほどどうにも腑に落ちない。本当に一組がこれほど敵を倒していたのか?それならば何故今の一組はこれほど不甲斐無いというのか。
ある戦闘を境に撃破数は極端に減り、被害は増加し、戦線を維持出来なくなっている。その時と、その後の戦闘記録を比べて、参加者や死者や行方不明者を確認する。死者は言葉通り死亡が確認された生徒だが、行方不明者とは死体が確認出来なかった、というだけで実質的には死者と変わらない。
インベーダー達を相手に戦っていれば死体がまともに残らない者も多数いる。顔などが確認出来ないような死に方をした者や、戦闘中にどこかへ連れて行かれる者もいるかもしれない。転移門を閉じてしまえば、例え戦闘終了時点で生き残って行方不明になっただけだとしても、その後まともに生きているはずがない。
つまり行方不明者として捜索もされず、転移門が閉じられた時点でその者の死は確定している。付近の捜索や救助活動中に見つけられなかった者は、転移門の閉鎖と同時にインベーダー避けの結界の効力がなくなり、例え生きていてもインベーダー達に殺されることになる。
戦果が激減する直前と、戦果が激減した直後、その二つの記録をいくら見比べても何もおかしな点はない。前の戦闘で死亡または行方不明となった者は確かに次の戦闘には出ていない。しかし生き残っている者や死んだ者のそれまでの記録をどれほど探しても、そんなに飛び抜けた戦果を挙げていた者などいないのだ。
今のメンバーで言えば『鉄の槍』と呼ばれる斉藤健吾や、『鉄の剣』と呼ばれるマックスはかなりの戦果を挙げている。戦闘記録が取られていなくとも、こういう者がいれば自然とそれがメモや備考欄にでも残るものだ。そんな凄い者がこの戦闘で死んだという記録はどこにもない。
「ふ~~~……」
ウィリアムは一度目頭を押さえて上を向く。これまで何度も何度も資料室に足を運び調査してきたがこれまで何の成果も得られていない。そろそろ他の貴族や大臣達がウィリアムが何の成果も挙げていないと槍玉に上げ始めている。このままではウィリアムは失脚させられるかもしれない。
「もう少し調べるか……。むっ?いかん……」
目頭を揉み解したウィリアムは再び資料と向き合おうとして、うっかり手をあてて資料の山を崩してしまった。それほど枚数は多くなかったので崩したといっても上の数枚がずれて落ちただけだが、自分も耄碌したかと思いながらそれらを拾い集める。
これらの資料は戦果が激減する直前の戦いより前のものだ。順番に重ねられていたので落ちたものはそれより前のものばかりだった。拾い集めながら順番を確認していく。そこでふと違和感に気付いた。
「これは……。まさかっ!?」
ウィリアムは拾い集めた資料を順番に読み込む。そして崩れなかった残りの山も捲って読んだ。
「これも……、こっちも……、やはり!」
ウィリアムは戦果が激減する直前と直後の資料ばかりに注目していた。普通に考えたらそこに載っている死亡者もしくは行方不明者の誰かが、これまで戦線を支えていたと考えるだろう。
しかし偶然崩れた資料を見ているうちに気付いた。確かに前と後で戦果が雲泥の差で死者の数も大きく違う。誰がその戦果を挙げていたのかは書かれていないが……、一つだけおかしな点があった。
「戦果が落ちる前の記録と……、その一つ前の記録では……、一人人数が合わない……」
古い記録から順に追っていけば、出撃数と、死亡または行方不明を合わせて死者数として計算すれば全て数が合っている。それは当たり前の話だ。出撃数からその時の死者数を引いていけば残りの数になる。それを繰り返していっても数字は全て合うはずだ。それなのに……。
「何故ここだけ一人合わない?」
それまでの記録では死者数は少なく戦果は大きい。数字も合う。それなのに……、戦果が激減する一つ前、その強い者が死んだと思われる前に数が一つ合わなくなっている。
ウィリアムはドクンドクンと静かに、しかし強く打つ鼓動に唾を飲みこみながらその二枚を比べた。
前の記録では死者に含まれていないのに、戦果が落ちる直前の記録には名前がない者が……、一人……、いる……。
再びゴクリと唾を飲みこんでもう一度確認する。……やはりない。
普通の者なら戦果の変化の前後だけを確認するだろう。まさにウィリアムもそうした。記録が間違っていなければ誰でもそうする。それが一番正しいやり方だ。
しかし……、しかしそもそも記録が間違っていれば?
もっと前の時点で、特定の相手だけを消しておけば……、誰も気付かないかもしれない。人は案外騙されやすい生き物だ。簡単な仕掛けでもいとも容易く騙されてしまう。思い込みというのは怖い。戦果の変化がある前と後を比べればそこに答えがあるはずだ。そう思っていればそうとしか考えられなくなる。
そもそも個人の戦果が記録されていない以上は、前の死者の誰かがよほど強くて戦果を挙げていたのだろう、という結論に落ち着いてしまう。そこで結論が出たならば、その者が死んでしまった以上はもうどうしようもないという話になるだろう。
しかしこの話に何か裏があるとすれば?
どのような裏かはわからない。しかし誰かにとって都合の悪い何か裏の話があったならば……、その誰かは証拠を隠蔽するはずだ。その時にどうやって隠蔽する?全ての資料を改竄してその人物がいなかったことにするか?そんな手間なことはしていられない。だったら……。
直前の記録だけ改竄すればいい。この戦果が激変する時に何か隠さなければならない事実があったのならば、その時だけ記録を改竄すれば、改竄がバレる可能性も下がり、人にも気付かれない。
たくさんの資料を改竄すれば痕跡が残りやすい。改竄がバレず、最少の手間で記録を改竄するにはほんの一枚か二枚、その時か、念を押すならもう一つ前くらいまで遡って記録を改竄すればいいだけだ。実際に今まで誰もこのことに気付いていない。
消耗品の生徒達が何人死んで、何人生き残ったかなどただの記録でしかない。それもその記録は大して重要ではないのだ。現状使える者が何人いて、何人生き残っているか、ほとんどの興味はそこにしかない。数が減りすぎたら全滅する前に補充しなければな、という程度の認識だ。だから今まで誰も気付かなかった。
「これは……」
これはまずい……。この裏に何があるのかはわからない。ただ一つわかることは、『相手はイケシェリア学園の戦果記録を改竄出来るだけの立場と権力を持っている』ということだ。
「一体何のために……」
「どうされましたか?ウィックドール卿?何か……、見つかりましたか?」
「――ッ!?」
急に後ろから声をかけられてウィリアムは飛び上がりそうになるのを必死で抑えた。何でもない顔をしながらゆっくり振り返る。
「いえ……、何もわかりません……。私の力不足です……」
ウィリアムは平静を装いながら肩を竦めてその相手と向き合う。その相手は……。
「貴方こそこのような場所でどうされたのですか?ギルバート様」
パトリック王子の幼馴染で、イケシェリア学園の同級生。そしてこの国の宰相の息子、ギルバートはまるで扉を塞ぐかのようにウィリアムの前に立ち塞がっていた。
「どうやらこの城にはネズミがいるようです」
「ネズミ……、ですか……」
コツコツと足音をさせながらギルバートが大袈裟なほどに身振り手振りを交えて歩く。冷や汗が伝いそうになるウィリアムはギルバートから視線を逸らせることなく、あくまで何でもないかのように普段通りに振る舞った。
「ウィックドール卿……、本当に……、何か見つけたのなら報告してください。事は一刻を争うことです。この国を救うためにも……、本当のことを話してください」
ギルバートにそう言われて……、ウィリアムは一瞬言葉が喉まで出掛かった。ここで自分の気付いたことをギルバートに話せば宰相の耳にも入る。そうなれば王と宰相と自分の三人でこの陰謀を暴けるだろう。
しかし、そこまで考えて出掛かった言葉を飲み込む。
「ふ~……。申し訳ありません……。どうやらこの件は私には荷が重すぎたようです……。議会で追及されるのは気が重いですが……、これだけ時間をかけて何の成果もないのでは仕方ありますまいな……」
ウィリアムは首を振って肩を竦める。ギルバートはじっと見ているがウィリアムはそれを気にしない風を装いあくまで静かに答える。
「本当に……、何も見つからないのですか?私は貴方の手腕に期待していたのですが……。ウィックドール卿……、貴方は切れ者のはずだ。本当はもう何か見つけられたのではありませんか?この国を救うためです。共に戦いましょう。もちろん貴方の手柄を奪おうなどとは考えていません。どうか……、何か気付いたのならお教えください」
真摯な態度のギルバートが自分を騙そうとしているようには見えない。ギルバートのことは幼少の頃から見てきた。親友である王子のためならば自らの身も投げ出せる好青年だ。もしかして本当にギルバートは国を憂いてこんなところまでやってきたのかもしれない。
喉まで言葉が出掛かる。しかし……、あまりにタイミングが良すぎる。それにギルバートが一人でこんな所に来るだろうか?ウィリアムは武術の達人というわけではないが……、扉の外に意識を集中してみれば、微かに人の気配がしているような気がする。
もし……、ウィリアムが余計なことを言えば……、扉の向こうに控えている者が乗り込んできて斬られるのではないか?
ふとそんな不安がよぎった。
「申し訳ありません……。私の力不足により……、何もわかりませんでした……」
「そうですか……。それでは私はこれで」
「――ッ!?」
そう言って頭を下げて部屋を出て行こうとしたギルバートは……、先ほどまでの幼馴染の王子を想う好青年ではなく、虚ろで無表情な人形のようになって部屋から出て行った。一瞬しか見えなかったから気付かれなかったのだろうが、ウィリアムは今間違いなくそれを確認した。
「こっ、こうしてはおれん……」
ウィリアムは急いで資料を片付け、自分が気付いたことを悟られないように細心の注意を払った。もし自分が気付いたことが敵にバレたら……。それを想像するとブルリと震えた。
犠牲になるのが自分だけなら良い。しかし家には家族が、妻が、娘がいるのだ。ウィックドール家には多くの家人や兵達がいる。それら全ての者の命を背負っている。
王子との婚約や婚約破棄では娘に随分な負担をかけてしまった。これ以上娘に辛い思いはさせたくない。出来ることなら娘の望む通りの未来を……。
アンジェリーヌはパトリック王子と結婚してこの国を導いていくために己を殺して生きてきた。王妃に相応しいように教養も知識も所作も人脈も、あらゆる物を努力を惜しまず身に付けてきた。
「私が……、間違っていたのか?どうして……、何故このような……」
ウィックドール家の権勢などどうでも良かった。ただ娘が平穏で幸せな人生を送ってくれれば……。そう思っていただけなのに……。いつからこうなってしまったのか。何故こうなってしまったのか。
「しかし……、まだ……」
直前の記録と一つ前の記録で参加数と死者数が一人合わなかった。つまり一つ前の戦闘で死んでいないはずの者が、その次の戦闘で参加者として名前が載っていない。何らかの事情で戦闘に参加出来なかったのならば後の戦闘に出てくるなり、備考やメモに何か書いてあるはずだ。それらが何もないということは……。
抹消されたのだ。その者の名前だけが完全に戦果が激減する直前の記録にない。何故そんなことをしなければならなかったのかはわからない。ただ一つわかることは……、これは記録を改竄出来るほどの者が、闇に葬りたかった何かが隠されているということ……。
「八坂……、伊織……。一体何者なのだ……」
ウィリアムはその名前が抹消された人物について情報を集めることにしたのだった。




