第八話「体育館にも行きました」
目的の本を借りて図書館を出た俺は体育館に向かった。思いのほか早く図書館の用事が終わったし今日はこれから体育館で特訓をしようと思う。
体育館に入ると案内が示している通りに体力特訓の方に行く。別に何か間仕切りとかがあるわけじゃないけど『体力特訓はこちら』『武器習熟特訓はこちら』と書いてある。それに従って当初の目的通り体力特訓の方に行ったけど誰もいない。
「ん?お前、体力特訓の希望者か?」
キョロキョロしながら歩いていると真っ赤な短髪が上を向いてツンツンに立っているムキムキ男に声をかけられた。
「そうです」
「おお!そうかそうか!それは殊勝なことだ。時間に遅れてきたことは目を瞑ってやろう」
俺の答えが気に入ったのかそいつはハハハとうるさく笑いながら近寄って来た。この熱血タイプの面倒臭そうなマッスルお兄さんはニコライという。体力特訓の担当官だ。
ニコライも女性プレイヤーからの人気があったサブキャラだ。気さくで面倒見が良くて何かと主人公アイリスの手助けをしてくれる頼れるお兄さんだ。また前述通り体力特訓の担当官として体力特訓のコマンドを選ぶと毎回登場するのでイケ学プレイヤーは相当回数会ったことがあるだろう。
「特訓に時間の指定はないはずですけど……」
一つ納得がいかないのが『時間に遅れてきた』と言われたことだ。図書館や体育館は閉館時間になるまで自由に使える。何時に行って何時に帰ろうが自由だ。特訓だって途中で帰ったって構わない。それをちょっと図書館に寄って本を借りてきた時間分遅かっただけで遅れてきたとか言われるのは甚だ心外だ。
「体力特訓ってのは心構えと時間が肝心だ!きちんと全てのメニューをこなすためにはきちんと決まった時間に決まった特訓をこなすことが重要なんだよ!」
それはまぁそうかもしれない。きちんとしたプログラムをきちんとした時間を計ってするのが最も効率が良いのは確かだ。適当に運動して適当にやめれば良いという趣味のスポーツとは話が違う。
それはさておき、こいつはニコライ、さっきのはディオ、王子はパトリック、王子の友人の一人はギルバート、俺のルームメイトは健吾、うん……。俺の言いたいことはわかるだろう?そう、名前がごちゃ混ぜで世界観が滅茶苦茶だ。
これはまだマシな方で他にももっとすごい名前の奴も出て来る。イケ学はいろんな国の名前が完全にごちゃ混ぜになっていてわかりにくい。まぁそもそも原画家が同じで髪の色とかを変えているだけだから日本人設定の健吾とパトリック王子ですら絵の描き分けすらない。これはもうそういうものだと思うしかないだろう。
それはともかく何故俺が体力特訓に来たのか。剣を使ってレベルを上げるつもりなら武器習熟特訓の方が戦闘に役に立ちそうな気がするだろう。だけどイケ学では先に体力特訓をしておいた方が良い。
まず武器習熟度は戦闘でも何でも使っていれば勝手に上がる。極端に言えば特訓しなくても戦闘パートだけでもずっと使い続けていれば上がってくるものだ。それに比べて体力は特訓かステータスアップでないと上昇しない。
そして実は武器習熟度等には体力が影響する。さっき魔法は知能に影響されると言ったのと同じようなものだ。武器のスキルを覚えるためには力が影響するけどそれらの習熟度には体力が影響される。
イメージで言えば一回技を出すためには腕力、力が必要だ。だけどそれを何回も繰り返すためには体力が必要だろう?少々こじつけだけどイメージとしてはそういう風に考えておけば良い。まぁ開発者がゲームシステムを面倒にするためにわざわざそうしただけだろうけど……。
だからまずキャラ育成をするなら先に体力特訓で体力を上げておくのが効率的だ。それに体力特訓でも力も上昇するから最悪の場合は武器習熟特訓は使わなくても良いとさえ言える。急いで一線級のキャラに育てて前線で使いたい時は武器特訓して育てた方が早いけど、急がないなら戦闘だけで鍛えても問題ないくらいだ。
まぁ俺は戦闘が怖いし今のままインベーダーと渡り合えるとは思っていない。そのうち剣の武器特訓はしようと思っているけど先に体力特訓を優先することは変わらない。
「お前何で体力特訓を受けようと思ったんだ?皆は武器特訓に行ってるぞ?」
「え?」
ニコライが顎をしゃくる。そっちを見てみれば向こうの方で学園生達が各々の武器を構えて振っていた。どうやらあれは武器特訓をしている生徒達のようだ。
向こうを見てみればかなり多くの生徒達が武器特訓をしている。それに比べてニコライの体力特訓の方に居るのは俺一人だ。
「武器を振るにしたって体力が必要でしょう?体も出来ていないのに武器だけ振ってても意味ないでしょう」
「ふっ……。そうか……」
何か知らないけど俺の答えを聞いてニコライはウンウンと頷いていた。そもそもイケ学のプレイヤーならまず最初に体力特訓で体力と力を伸ばすのは当たり前の選択肢だ。どれだけ武器を習熟していても一発食らったら戦闘不能になるようじゃ使い物にならない。
「よーし!だったらお前をとことん鍛えてやるぜ!」
「……はぁ?」
何か知らないけどいきなりニコライがやる気満々になっている。全然意味がわからない。そんなやる気なんていらないから普通にしてくれれば十分だ。そもそも今の俺にそんな体力があるとは思えない。まず基礎も出来ていない状態だと思うからそれに見合った特訓で十分だ。
「まずはこの周りを百周走ってこい!」
「えぇ!そんな無茶な……」
体育館の周りを百周走って来いって無理だろ……。この体育館は日本の狭い体育館と違ってかなりの広さがある。元々体力がない女性の肉体でいきなりここを百周も走るなんて無茶も良い所だ。
「早くいけ!ほらほら!」
「ひいぃっ!」
竹刀を振り回す体育教師みたいなニコライに追い掛け回されて渋々走り出す。ちょっと走っただけでもう一杯一杯だ……。これで百周なんて出来るとは思えない。
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しんどい……。走っても走っても終わりが見えてこない。周回する度にニコライが何周だと宣言してくれるけどそれを聞く度に絶望に押しつぶされそうになる。
「おら!まだ五十周だぞ!残り半分いけ!」
「ひぃ……」
もう足も動かないのにまだ半分……。こんなの百周も走れる気がしない……。
「くくっ!あいつ見てみろよ……」
「だっせぇ……」
「そもそも体力特訓なんてしてる奴始めて見たぜ」
体育館の周りを走るということは必然的に武器特訓している奴らの方も走って回ることになる。俺が通りかかると聞こえよがしにそんなことを言ってくる奴らが多かった。
そういえば今体育館に居る者で体力特訓しているのは俺しかいない。まぁ今の俺は本当に体力がないし現時点で武器を振り回しても何も身に付かないだろう。ゲームのセオリーというだけじゃなくて現実で考えてもまずはある程度体力作りをしないと使い物にならないというのは確かだ。笑われてもやむを得ない。
「ペースが落ちてるぞ!あと四十九周だ!」
「はひぃ!はひぃ!」
もうしゃべって答える余裕もない。とにかく必死で足を動かす。いつまで続くのかと思いながらも途中で辞めることなく走り続けたのだった。
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やっと百周走り終わった。口の中が血の味がする。へたり込みそうになる俺の腕をニコライが掴む。
「よし!次は筋トレだ。腕立て百回!」
「えぇっ!ちょっ、休ませ……」
やっと走り終わってまだ呼吸も整っていないし体中ガクガクなのに今から筋トレって……。
「何を言っている!さっきのは特訓前の準備運動だぞ!これから筋トレを行なう!それから特訓だ!」
「えぇっ!」
どんだけ脳筋なんだよ……。ただ無闇にやたらと体を酷使すれば良いってものじゃないぞ……。
「ほら!さっさとしろ!」
「ひぃっ!」
だけど俺は逆らえず次々にニコライにメニューを出されて消化していく。一体いつまでこれが続くんだろう……。
「おい、あいつまだやってるぜ」
「はははっ!あんなチビじゃ体力も力もないんだろ!」
ゾロゾロと帰ってる武器特訓組の笑い声が聞こえてくる。あながち間違いじゃない。確かに今の俺は体も小さいし体力も腕力もない。だからこそ生き残るために特訓しているわけでそう言われたらそうだと答えるしかないだろう。
「お前平然としているな。悔しくないのか?」
「へっ?えぇ……、まぁ本当のことですしね。そのために体力特訓してるわけですし、現時点じゃそうでしょ」
聞き流している俺にニコライがそんなことを聞いてきた。『悔しくないのか!』とか『言い返してやれ!』とかそういうことを言われるかと思っていたけど返ってきた言葉はそういうものじゃなかった。
「なるほどな……。きちんと先を見据えているということか」
先を見据えるって何だろう?俺はただ効率プレイでイケ学なら体力を先に上げる方が良いからそうしているだけだ。
「よ~し!俺がお前を一人前にしてやる!」
「はぁ……、お手柔らかに……?」
……あっ!この台詞は……、確かニコライが主人公アイリスを気に入った時に言う台詞だ。今の俺と同じく女性で元々あまり体力のないアイリスが何度か体力特訓を繰り返して数値を一定以上上げたらニコライに今の台詞を言われる。
この台詞を言ってからはニコライも主人公に協力的になってまさにアニキのように頼れる関係になるんだ。
俺は本当にイケ学に良く似た世界に来たんだな……。こんなちょっとしたことでもいちいちそれが感じられてしまう。とはいえ感傷に浸っている暇はない。ニコライに言われるがままこの日の俺は体力特訓を最後までやりきったのだった。
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食堂で夕食を済ませた俺は部屋に戻って早速魔法基礎初級に目を通す。
「…………」
うん……、はっきり言って難しい。これで基礎初級!?マジで?かなり難しいと思うけど……。
学園の授業は聞き流しているけどあれは簡単だからだ。この世界の学問はあまり発達していないのか学園の授業で習うようなことで難しい内容はまだ出てきていない。日本で普通にそれなり以上の高校や大学を卒業していたら寝ていても何とかなる程度のレベルだ。だからちょっと魔法基礎初級のことも舐めていた。
でもまったく違った。魔法基礎は学園で習っているような簡単な学習とはレベルが違う。そもそも俺の地球の知識やゲームのイケ学に関する知識がまったく役に立たないというのが大きいだろう。学園の授業なら地球で習った勉強で対応出来る。ゲームの攻略に関することならイケ学の知識で何とでもなる。だけど魔法基礎は俺が今まで一度も触れたことがない知識だ。
何で魔法使いが育たないかわかった……。魔法を身に付けるまでのハードルが異常に高過ぎる。つまり魔法を使える者っていうのは一握りの超エリートってわけだ。ゲームならただ選択肢の選び方を変えるだけで育てられる魔法使いが現実じゃスーパーエリートなのも頷ける。
知能を上げていないと魔法習得に失敗しやすくなるっていうのもこれだろうな。魔法基礎も覚えていないのに魔法だけ覚えようとしても覚えられるわけがない。仮に丸暗記して覚えたとしても意味がまったく理解出来ていないただの丸暗記だ。それで魔法を使いこなせというのは無理だろう。
まぁ尤も魔法基礎初級が難しいとはいってもまったく手も足も出ないというほどじゃない。最初の予備知識もとっかかりも何もないから難しく感じるだけだ。何度も読み直して、わからない所があったら戻って調べ直して覚え直して一歩一歩進めていけば何とか読める。
「ふわぁ~~……っと……。って、げっ!伊織……、お前マジで図書館に行ってきたのかよ。しかも本借りてきてるし!」
「あぁ、悪い。もう寝るのか?照明消そうか?」
大あくびをしながら自分のスペースに入ろうとしていた健吾が俺の開いている本を見てアレルギーでもあるかのように自分で自分の体を抱いていた。蕁麻疹でも出て痒くなったのか?
「部屋の明かりは消させてもらうぜ。そっちのスタンドの照明はつけててもいいぜ」
「そうか。悪いな。もうちょっと区切りが良い所まで読みたいからちょっとだけ辛抱してくれ」
健吾は本格的に寝るつもりらしく部屋の大きな明かりは消すことになった。俺は自分の頭もとに置いていあるスタンドの照明だけで本の続きを読む。明るさに問題はないから文字はきちんと読めている。
健吾が眠ってからもしばらくキリが良い所まで読み進めた俺は丁度良い所で切り上げて目を閉じた。今日は体力特訓で疲れたからすぐにぐっすり眠れそうだ……。