第七十四話「騙されました」
「ふわ~~ぁ。おはよう」
「…………」
カチャカチャと朝食を食べる。
「まだ怒ってるのか?」
「…………」
何か言ってくるけど黙って無視する。
「悪かったって……」
「……」
俺は答えない。
「はぁ……」
健吾も諦めたのか朝食を摂り始めた。俺はまだ昨日のことを怒っている。朝食はちゃんと用意してやったんだからむしろ感謝して欲しいくらいだ。俺の寛大な心を理解してもらいたい。
俺は何もケーキが食われたから怒ってるんじゃない。あのケーキはアンジェリーヌが俺のために手作りして渡してくれた大切なものだった。それを無断で、それも半分以上も勝手にさっさと食ってたなんて到底許せることじゃない。
一人で食うには大きいケーキだったよ。だから健吾と一緒に食べるのも吝かではなかった。それなのに……、俺が奥にいる気配は感じていただろうに……、黙って、勝手に、あんなに食べて……、第一声があれでは怒らない方がどうかしている。
いくら友達でもルームメイトでもしていいことと悪いことがある。代わりのケーキを買ってくればいいんだろという話じゃない。あれは……、あれはアンジェリーヌが作ってくれた世界に一つしかないケーキだったんだ……。
昨日あれから健吾が土下座をして一応許してはやった。だからこそ朝食だって用意してやったんだ。だけどまだ腹を立てているのは本当だしそんなに簡単に許して良い問題じゃないと思う。もしここで甘い顔をしてまた同じことを繰り返されたら俺は今度こそ健吾を殺してしまうかもしれない。
昨日は本気で殺意が湧いたからな……。あんなに本気で人をやってしまおうかと思ったのは生まれて初めてだ。口を利かないのもそれが理由でもある。今もし口を開けばまた感情的になってしまうだろう。だから冷却期間を置くためにもあえて健吾を無視している。
それが理解出来たのか、ただ単に諦めただけか、健吾も黙って二人で教室へと向かったのだった。
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今日一日中モヤモヤした気持ちのまま過ごした。今日はディオの瞑想の日だってのに……、こんな調子で行ったら絶対集中出来てないってまた怒られるな……。それでなくとも二日も三日も修行を空けた後だってのに……。
「ん?」
そう思って図書館へ向かう廊下を歩いているといつもの教室からにょっきりと手が出ていた。そしてチョイチョイと手招きしている。
いつものようにその手に誘われて……。
「おい!誰だ?俺が間違えるとでも思ってるのか?」
俺はその手を掴むと空き教室から引っ張り出した。俺が舞だと思って騙されるとでも思ったか?手を見れば舞の手じゃないことくらいすぐわかる。舞マニアである俺の洞察力を侮るなよ。普段は馬鹿な俺だけど、こと舞のことに関しては絶対に間違えない。指先を見ただけで偽者だとすぐにわかる。
「きゃっ!」
そうして俺に引っ張られて出て来たのは……。
「えっ!?アンジェリーヌ様?」
空き教室から手を出して手招きしていたのはアンジェリーヌだった。
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「すみません。まさかアンジェリーヌ様だったとは……」
「いいえ。私の方こそあのようなことをして申し訳ありませんでした」
空き教室に入ってお互いに頭を下げる。空き教室には舞とアンジェリーヌだけがいた。いつもの他の取り巻きはいない。
今日慰安訪問にやってきたアンジェリーヌは、いつも舞がどうやって俺と待ち合わせしているのか聞いたらしい。そしてその真似をして同じ空き教室で手招きをしていたようだ。別に舞のフリをしようとかいう話ではなく、ただ舞と俺がいつもしていることを自分もしてみたかっただけらしい。
ただ予想外に俺が舞の偽者だと思って引っ張り出してしまったからあんなことになってしまった。アンジェリーヌを引っ張るなんてことをしてしまったから謝ったんだけど、アンジェリーヌの方もこうして謝ってくる。二人でお互いに謝り続けていたら舞が口を挟んだ。
「そうやってじゃれあっているのもいいですけど、あまり時間もないんじゃないですか?」
「あっ!そうでしたわね」
どうやらあまり時間もないらしい。舞はいつも割と自由に振る舞ってるけどな……。舞が早く戻るのは俺が特訓に行かなければならないからだし……。ちょっとゆっくりしてイチャイチャしてることも多い。
「それより今日はどうされたのですか?いつもなら慰安訪問ならば事前に連絡を頂いて待ち合わせしていたと思いますが……」
「ごめんなさい伊織様。どうしても今日しか時間が空いていなかったので、ご連絡する暇もなく今日ご訪問することになってしまいました」
アンジェリーヌがまた頭を下げる。別に責めるつもりはない。ただ不思議に思ったから聞いただけだから頭を上げてもらう。
「頭を上げてください。責めているわけではないのですよ。ただ突然だったので驚いてしまっただけです」
またお互いに謝りあうことになりそうだったから早々に手を打つ。本当に舞やアンジェリーヌに時間がないのなら要点だけでも聞いておきたい。
「慰安訪問はあの子達だけに任せているのであまり時間がありません……。実は……、私の次の許婚候補が決まりそうなのです」
「…………え?」
その言葉を聞いて……、まるで足元が崩れたような感覚に襲われる。真っ直ぐ立っているはずなのに自分がどう立っているのかわからない。まるで曲がっているような、傾いているような、倒れこんでいるような、地面も空もわからなくなる。
「もちろん伊織様ともこれまで通り……」
「…………だ」
「え?」
「嫌だ!そんなのは……、そんなこと!俺はいやだ!」
「きゃっ!」
どうしていいかわからず、俺はただアンジェリーヌを抱き寄せていた。いくらサラシを巻いてコルセットをしていると言っても、女の体で抱き締めたら女だってバレるかもしれない。でもそんなことを考えている余裕なんてない。とにかくアンジェリーヌがどこかにいってしまわないように強く抱き締めていた。
「伊織様……」
「アンジェリーヌにとっては……、結婚は政略結婚で俺は愛人なのかもしれない!それでも!アンジェリーヌが他の男のものにされるなんていやだ!我慢がならない!俺は自分は舞とアンジェリーヌの二股をかけておきながら、それでもアンジェリーヌが他の男に抱かれるなんて想像するのも嫌なんだ!」
「「…………」」
後先も考えず、俺は駄々っ子のように馬鹿なことを口走っていた。俺がアンジェリーヌと付き合うことが許されているのも、舞と三角関係でも許されているのも、それは全てアンジェリーヌが貴族的思考で、結婚は政略結婚、恋愛は愛人とすると考えてくれているからだ。
それなのに俺は自分は舞と付き合っておきながら、アンジェリーヌには他の男と政略結婚であろうともして欲しくないと思っている。なんて……、なんて小さい男だろう。俺は独占欲が強い独り善がりな子供だ。
それでも……、そう思っていても……、やっぱりアンジェリーヌが誰かと結婚するなんて想像もしたくない。そんなことになるくらいならアンジェリーヌと舞を連れてどこか遠くへ……。
「……駆け落ち」
「「え?」」
「駆け落ちしよう!俺と、舞と、アンジェリーヌで!誰もいないどこか遠くへ!」
そうだ!アンジェリーヌの実家もパトリックもアイリスも関係ない所へ行こう。インベーダーだってイケ学だって知ったことじゃない。このまま……、ここにいて捨て駒にされて……、アンジェリーヌは見ず知らずの貴族と政略結婚させられて……、そんな人生に何の意味がある?それならいっそここから抜け出してやる!
「ほら!アンジェリーヌ様!だから言ったでしょう?伊織君ならそう言ってくれるって!」
「伊織様……、私は……、私は……」
「え?」
舞とアンジェリーヌを抱き寄せていると二人だけで何か言い合っていた。急に雰囲気が変わって何事かわからずついていけない。
「あのね、伊織君。怒らないで聞いてね?」
アンジェリーヌと一緒に抱き寄せた舞がこちらを見ながら何か言い難そうにしている。一体何が……。
「実はアンジェリーヌ様の許婚候補が決まりそうって嘘なの」
「…………は?」
嘘?許婚が?何で?いや、それが嘘なのはわかったけど何でそんな嘘を?
「アンジェリーヌ様がね、伊織君が本当にアンジェリーヌ様のことを好きなのか心配だって言うから……、こんなことをしたの。ほんとにごめんね?」
「な……、に……、を……?」
舞の言葉が徐々に理解されてくる。
「伊織様のお気持ちを確かめるような真似をしてしまってすみません!ですがいつまで経っても様付けで呼ばれたり、何か遠慮されているようで……、それに舞と伊織様の間に私が入っても大丈夫なのかと心配だったのです」
瞳をウルウルさせながら俺に抱きついたアンジェリーヌがそんなことを言う……。嘘……、嘘だったんだ……。
「あぁ……、よかった……。アンジェリーヌが他の男に奪われたりはしないんだ……」
そう思ったら一気に気が抜けた。へなへなと崩れ落ちる。
「あっ、でもね伊織君、アンジェリーヌ様に婚約話がたくさんきてるのは本当なんだよ。アンジェリーヌ様が全て断っているだけで、もし今伊織君がきちんと気持ちを示さなかったら本当に誰かに取られてたんだからね!しっかりしてよね!」
「あっ、ああ……」
まだ気持ちの整理がつかない俺は何とも言えない。徐々に頭が回り始めて色々と考えが巡る。
それはそうだよな。アンジェリーヌほどの立場ならパトリック王子と破談になったらすぐに次の婚約話がいくらでも来るはずだ。それなのに今まで次が決まってなかったのはアンジェリーヌが断っていたから。それは当然の話だろう。舞い上がっていた俺はそんなことも考えていなかった。
「いや……、そもそもアンジェリーヌは、あっ……、アンジェリーヌ様は……」
「アンジェリーヌとお呼びください!もうそのような遠慮は必要ありません!」
俺はいつの間にかアンジェリーヌと呼び捨てにしていたことに気付いて言い直した。だけどまたアンジェリーヌがウルウルと潤んだ瞳でそんなことを言ってきた。そう言われて遠慮した話し方をするわけにはいかない。
「アンジェリーヌは……、その……、いいのか?俺は舞もアンジェリーヌも、二人とも欲しいと思ってる。そんな奴についていっていいのか?」
俺はアンジェリーヌが貴族的思考だからこの三角関係も容認しているんだと思った。だから結婚は別として政略結婚するのが当たり前だと受け止めているんだと思ったのに……、政略結婚を断って俺について来てくれるのだとしたら……、この三角関係はまずいんじゃないのか?そういうことを全て正直に聞いてみる。
「私は舞と伊織様の間に後から入れてもらっている身ですもの。贅沢は言えませんわ。もちろん……、本当なら独り占めしたいですわよ?」
「う……」
そう言いながら、挑発するように妖艶な笑みを浮かべたアンジェリーヌにゴクリと生唾を飲み込む。この前は無垢な少女かと思ったら、今度は妖艶な美女に見える。これが高位貴族の処世術か。
「まっ、舞はいいのか?」
「私は伊織君のこともアンジェリーヌ様のことも大好きだもん。三人で一緒にいられるならとっても素敵なことだと思うよ」
真っ直ぐに舞を見詰めるけどその目はとても澄んでいた。強がりとか言い訳ではない。本心からそう思っている。
…………やっぱり舞って可愛い女の子が好きな人なのかな?この体も女だし、アンジェリーヌも入ったらむしろ舞の方がウハウハハーレムだと思ってるんだろうか?
「言っておくけど!私だってすぐにこんなに割り切れたんじゃないんだからね!プリンシェア女学園で散々アンジェリーヌ様と話し合って、ようやく納得してここに落ち着いたんだから!だから伊織君も覚悟を決めてよね!さっきの言葉を翻しちゃだめだよ!」
「はい……」
もちろんもう駆け落ちはしない。する必要もない。ただ……、あの時の覚悟と気持ちだけは忘れてはいけない。俺は舞を愛している。でもアンジェリーヌのことも愛してる。そして二人のためなら全てを投げ打ってでも、駆け落ちでも、全世界を敵に回してでも、二人を守る。そのことを胸に刻んだ。
その後、また暫く三人で話をして、昨日のケーキがとてもおいしかったことや、ルームメイトに勝手に食べられてしまって残念だったことを伝えた。
舞とアンジェリーヌが帰った後、予定通り図書館に向かったけど、結局今日もディオに怒られた。舞達に会う前の気分で行ってても怒られただろうけど、舞達に会って浮かれた気分で行っても結局怒られるとは……。つまり何をしても怒られるんじゃね?とは思うけど、それは言わないでおこう。




