第七十三話「食べられました」
今回は前の失敗を繰り返さないために健吾の後ろに立つ。健吾も特に妙な動きはしなかった。素直に俺の前に並んだから特にこだわりはないのかもしれない。
それとも……、もう前回舞やアンジェリーヌのことを確認したから今回は調べる必要はないということか?
って、違うだろ。俺はいつまで健吾を疑っているんだ。インスペクターの攻撃で本気で死に掛けてでも庇ってくれた健吾を信じることにしたんだろう?
いくら表向きそう言ってもやっぱり本心ではまだ信じきれていないということだろうな……。命を懸けて守ってくれた友達のことが信じられないとか、俺は冷たくて酷い奴だろう。でも、やっぱり……、どうしても警戒してしまう……。俺ってこんなに人を信用出来ない人間だったんだな……。
そんなことを考えているうちに始まったパレードだけど……、やっぱり町の人出も少ない。皆仕方なく出てきているという所だろうか。
まさか……、町の住人まで犠牲になって減っているからパレードの人出が少ないなんてことはないよな?特に町や建物が壊れている様子もないし、ここが襲われたり戦場になっているようには思えない。それに建物の中とか向こうの通りに人の気配を感じる。皆パレードに興味がないから参加人数が減ってるだけで人間が減ってるわけじゃないだろう。
そりゃ……、誰だってこんなに何度も何度もパレードをされても嫌になるよな。いくらお祭りでも毎月や毎週してたら参加者も減るし嫌にもなるだろう。お祭りなんて年に一回の楽しみだから楽しいし頑張るものだ。どんなにお祭りが好きだと言ってても毎日あったら嫌にもなる。
まるで動員された住人達だけが嫌々参加しているかのようなパレードが進んでいく。いつもの場所に……、やっぱりいた。
「伊織君!」
「舞……」
いつもの場所に、いつもの花束を持って、そしていつも通りにその花束の包みにはデカデカと『伊織君へ』と書かれている。全てがいつも通りで……、何か安心するというかホッとするというか……。
「はい!」
「ああ、ありがとう」
満面の笑顔の舞から花束を渡される。本当はゆっくり語り合いたい。でもそんな暇はない。チラリと見てみれば兵士がこちらをじーっと見ている。あまり時間をかけ過ぎたら殴られてさっさと行けと言われるだろう。
「ごめんね。それじゃ……」
「うん……」
絡み合った視線は中々外れない。それでも、未練を振り切るようにその場を離れる。今は無理にパレードで会わなくても、学園にお使いに来ている舞と会える。会えるけど……、会えるけどこんな人前での一瞬ですら惜しい。ずっと一緒にいたい。
もちろんそんな不審な動きをしていたら舞まで目をつけられてしまう。そうならないようになるべく自然に離れたつもりだけど……。振り返って見てみれば舞はまだ俺の方を見て手を振っていた。
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さらに進んだパレードの先に滅茶苦茶目立つ一団がいる。護衛の兵士達に周囲を囲まれて、さらに取り巻き達までつれた派手な女性……。近づくまでもなくわかるその相手はアンジェリーヌだ。
「伊織様~~っ!」
「アンジェリーヌ様……、あまり叫ばれるのはちょっと……」
ブンブンと手を振って俺に声をかけてくるアンジェリーヌにこちらが困る。舞と違ってアンジェリーヌとの関係がバレてもそんなに困らないのかもしれないけど……、それでも周囲から滅茶苦茶見られてるし恥ずかしい。
「何をおっしゃられるのです!誰憚ることなどありません!さぁ!伊織様!これは私からの差し入れです!前のクッキーをおいしいと言ってくださったので今回も頑張って作ってみました!」
「あぁ……、ありがとうございます……」
確かにアンジェリーヌとの手紙のやり取りでクッキーおいしかったですと返信した。でも仮にまずかったとしてもまずかったですとは書けないだろう。
いや、本当においしかったよ?アンジェリーヌの手作りなのか、実質的には他の人がほとんど作ったのかは知らないけど……。何かお嬢様とかって料理とかしなさそうだもんな……。手伝いと称してメイドやお付きの人がほとんどして、最後にちょっとだけ手を加えて料理しました!とか言ってる可能性もないとは言えない。
まぁそれはともかく確かにクッキーはおいしかった。この世界では甘味はあまりない。イケ学が男子校だからというわけじゃないだろう。男でも甘党もいるわけで、スイーツとかが発達しているのならイケ学の食堂でも普通にあるはずだ。でもここにはあまりそういうものはない。
そんな中でもらった甘いクッキーはとてもおいしかった。そこに嘘はないけど……、でも手紙にそう書かれていても普通はお世辞とかも入っているかと思って話半分くらいに聞かないかな?
いや、いいんだけどね?アンジェリーヌは素直すぎるというか人の悪意にあまりに無頓着すぎる。見ていて危なっかしい。
今回渡されたものを見てみれば……、底が正方形でそこそこ高さのある箱だった。これはもしかしてあれじゃないかな?そう……、甘いお菓子の代表格……、ケーキなんじゃ?
箱の感じからしたらそんな気がする。ケーキ屋さんでケーキを買った時の箱のようなイメージだ。
もちろん箱の感じから、というだけで中身は違うかもしれない。それにケーキだったとしても現代日本人がイメージするような、スポンジに生クリームをたっぷり塗ったようなケーキとは違うかもしれない。パウンドケーキのようなものや、フルーツパイのようなものである可能性もある。
ただ……、期待するなという方が無理な話だろう。こちらの世界に来てから……、今まで当然ながらケーキなんて食べていない。地球に居た頃の俺もそこそこ甘党というか、甘い物も普通に食べられたけどそこまで甘い物が好きだったわけでもない。
でもこの世界に来て、まともに甘味も食べられない生活を送って、いかに地球の生活が恵まれていたかよくわかった。
イケ学でも食堂に行けば飢えることなく食事にありつける。でもそれは死なないために食べているだけで、おいしい食事を楽しむというのとは違うと思う。現代日本のように何でもあって、いつでもどこでも何でも食べられるわけじゃない。
そんな中にあってアンジェリーヌにもらったクッキーは本当においしかった。俺はこんなに甘味に飢えていたのかと自分でも驚いたくらいだ。そして……、もしこれがケーキなのだとしたら……、期待するなと言う方が無理な話だろう。
……もしかしたら、俺がこんなに甘味に飢えているのは女の体になっているのも影響しているのだろうか?地球でも女の子は甘味が好きというイメージがある。前述通り男でも甘党もいるし、女の子でも甘い物が苦手な人もいるかもしれない。あくまでイメージの話だけど……、やっぱり女の子は甘い物好きというイメージがある。
じゃあ……、ここで俺が甘味に飢えているのはこの体が女だから……、という可能性もあるだろう。
「伊織様、そんなに期待してくださっているのですね!」
「え?」
俺が受け取ったケーキらしき箱をじーっと見ているとアンジェリーヌにそんなことを言われた。どういう意味だろう。
「そんなに期待した目で見られては期待にお応え出来ているか不安になってしまいますが……。あと……、涎が垂れておられますよ」
「えっ!?あっ!」
慌てて片方の手で口元を拭う。でも……、あれ?別に垂れてないけど……。
「うふふっ。そんなに慌てられるなんて……」
「は?あっ!騙しましたね」
やられた。涎なんて垂れてなかったんだ。アンジェリーヌに嵌められてしまった。
「ふふっ。ごめんなさい。伊織様があまりに期待した目で見てくださっていたので悪戯してしまいました」
「くっ……、かわいぃ……」
かっ、かわいぃ……。何だこれは?アンジェリーヌがまるで無垢な少女のように笑っている。ゲームの『イケ学』の時はあんな嫌な悪役令嬢にされていたというのに……、今ここに立っているアンジェリーヌはとても素直で少し悪戯な無垢な少女のようだ。しかもその柔らかい笑顔がとても可愛らしい。
「かっ、可愛いだなんて……、恥ずかしいですわ」
「――ッ!」
駄目だ!照れてモジモジしているアンジェリーヌが可愛い!何なんだこれは?これが本当のアンジェリーヌだとでも言うのか?
「アンジェリーヌ様、そろそろ……」
「あぁ……、どうやらこれ以上お引き止めしていてはいけないようです……」
「あっ……、そうですね……。差し入れありがとうございます」
確かにいつの間にかパレードの中でもほぼ最後尾まで来てしまっていた。このままでは置いていかれてしまう。というか置いていかれるならいいけど兵士に殴られたら困る。殴られて痛いどうこうより、もしこの箱の中身がケーキだったとしたら崩れてしまうかもしれない。
「また学園にお伺いいたします」
「はい……。それではまた……」
アンジェリーヌの前から離れてパレードに戻る。アンジェリーヌもまた舞と同じようにずっと小さく手を振ってくれていたのだった。
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パレードが終わって……、今日はニコライ流の特訓に行く日だけどそれまでまだ時間がある。お楽しみはとっておく、と言いたい所だけどこんないつ死ぬかもわからない生活だ。後悔のないように何でもやりたいことは先にやるようになってしまった。
というわけで早速アンジェリーヌの差し入れを開けてみる。その中に入っていたのは……。
「おっ……、おおっ!」
開けた箱の中に入っていたのは期待通りのものだった。見た目的にはまさに現代のイメージのケーキそのものという感じがする。この世界がどのくらいの時代なのかはわからない。こういうケーキが誕生したのは地球でも相当近年になってからだと思う。
でもそんなことはどうでもいい。今!目の前に!ケーキがある!
恐らく中身はスポンジで、生クリームを塗っているんだろう。見た目からはそんな印象を受ける。これで中身がパンケーキだったとしてもそれは別に構わない。重要なのは現代でも通用しそうなケーキが目の前にあるというとこだ。
「ふふっ!ぬふふっ!」
顔がにやけるのが止まらない。まずはケーキを切ろう。包丁を持ってきてカットしてみる。
「おっ、おおおっ!ケーキだ……」
やはり中もスポンジだった。これは間違いなくケーキだ!
「それではさっそく!」
一口いただこうとしてふと手を止める。
「待て待て……。それはまだ早い……。折角ようやくのケーキだ。もっと完璧にしなければ……」
食べようとしかけたケーキを我慢してお湯を沸かしに行く。ケーキにはやっぱり紅茶だろ!いや、コーヒーかもしれないけど、今の俺は紅茶派だ。地球に居た頃はコーヒーだっただろうけどな。これもやっぱり女の体になった影響か?いや、知らんけどね。
ともかく紅茶を用意して、さぁ!いざケーキちゃん!
「お、伊織、これうめぇな」
「な゛っ……!?」
紅茶を淹れて、さっきカットしたケーキの前に戻ってきてみれば……。
「なっ、何勝手に食ってやがる!」
「ぶべっ!」
俺のケーキちゃんを勝手に食っていた不届き者をぶん殴る。腹を殴ってリバースされたら残ったケーキまで台無しになる可能性がある。なのでまずぶっ飛ばしてから倒れこんだところを馬乗りになってビンタの嵐を見舞う。
「このっ!これだけは!許せないぞ!」
「ぶっ!べっ!ぐぇっ!」
どれほどビンタを浴びせただろうか……。俺の下に倒れている愚か者がピクピク痙攣を繰り返している。
「そうだ!ケーキ!ケーキは!?」
ようやく我に返った俺は倒れている馬鹿なんて気にすることもなくテーブルの上を確認する。
「あっ……、あぁ……、もう……、これだけ?」
あり得ない……。切りやすいように八つに切ったケーキが……、残っているのはあと三つだけ……。もう残りは三分の一近くしかない。俺がお湯を沸かして紅茶を淹れている間に半分以上も食ってやがった……。
信じられない。あり得ない。絶対に許せない。
普通……、普通人が置いているものを勝手に食うか?せめて食べたいなら声をかけて食べたいと言うのならまだしも、黙って、勝手に、人の物を食べるか?
それもこれはただのケーキじゃない。アンジェリーヌが俺にくれたケーキだ。それを……。
「やっぱり殺るか?」
ユラリと立ち上がる。完全に伸びている馬鹿者を始末するのは簡単だ。今なら赤子の手を捻るより簡単に始末出来るだろう。後始末はどうする?出撃場の扉の外にでも投げ捨てるか?
「いや……、そんなことは後回しだ。紅茶が冷めて、ケーキが乾く前に食べてしまおう」
またどんな邪魔が入るかわからない。せめて残った分だけでも食べなければ……。
「今度こそ……、いただきます」
慎重にフォークで切って口に運ぶ……。
「うっ!」
口に入れた瞬間……。
「うまい!」
がっつきそうになるのを必死で抑える。そんながっついて一瞬で食べてしまうことは許されない。一口一口じっくり味わい、ゆっくり長く楽しむ。たまに紅茶で口の中を流してリフレッシュし、再びケーキを口に運ぶといくらでもいけそうだった。
「…………あぁ、終わってしまった……」
綺麗にクリームすら残らず片付いた皿と箱を呆然と見詰める。皿やフォークに残ったクリームすら全て綺麗に片付けた。もう、もうないなんてあんまりだ……。
いや……、本当ならこの倍以上、三倍とは言わないまでもそれに近いくらいの量があったはずだ……。それを……、どこぞの馬鹿者が……。
「やっぱり始末するか……」
ユラリと立ち上がった俺が健吾を始末しようと思っていたら途中で健吾も目を覚ました。その後パンパンに腫れた顔のまま土下座をしている健吾を俺が許したのは相当後になってからだった。




