第六十七話「リズムが狂いました」
いつも通りに朝の支度を始める。軽く学園の準備をしてから朝食の準備だ。まぁ朝食なんていってもほとんどパンを焼いて、あとはハムとかたまごとかソーセージを焼くだけだけど……。
「ふぁ~……、おはよう」
「おはよう」
起きてきた健吾に答える。今は非常にハイだ。徹夜明けの妙に興奮状態というか、本当なら眠いはずなのに妙に目が冴えている状態だ。
でも俺は知っている……。この後は急激に眠くなって、寝るつもりがなくてもうつらうつらしてしまうほどに眠くなるだろう。地球でも散々徹夜は経験しているからよくわかる。
「いただきま~……、伊織、どうしたんだ?目が赤いぞ?」
「ああ、大丈夫……」
どうやら目も充血しているらしい。そりゃ一晩中ブレスレットの中身を読んでいればそうもなるわな……。充血とりの目薬なんてないし、そもそも目薬で充血を抑える効果があるものはあまり良くない。目薬に含まれている成分のうち、保存料や充血を抑える効果のものは眼にあまり良くないと言われている。
まず保存料は眼を傷つける原因になる。毎日目薬を差していると、目薬が沁みるだけじゃなくて痛みを感じたことはないだろうか。あれは保存料が眼を傷つけ、その傷に沁みているからだ。だから目医者では使いきりの保存料が含まれていない目薬を処方している。市販の保存料入りの目薬を常用していると眼にかえって傷がついてしまう可能性がある。
それから充血しているからと、充血を抑える目薬を差す人がいるけどこれもNGだ。眼が充血しているのは、例えば細菌などが入ってそれと戦うために血液、白血球などをたくさん送るために充血していたりする。充血を抑えるというのはただ血管を収縮させているだけだ。
体が必要があるから血管を膨らませて多くの血液を送ろうとしているのに、薬で無理やり血管を収縮させて充血をとっても眼に悪いことはあっても良いことは何も無い。ただ見た目で充血していると嫌だから、という理由くらいのものだろう。
でも眼が充血しているのを人に見られるのと、眼を治すために血管を膨らませて働いているのと、どちらが重要だろうか。俺なら充血したまま人に見られてでも眼が自然な治癒をしようとしている方を重視する。薬で無理やり血管を収縮させて見た目だけ取り繕っても良いことは何もない。
何の話だったかな……。やっぱり寝不足のせいでおかしくなっているな……。
「早く行こうぜ」
「これを片付けたらいくよ」
いつも通りに後片付けをしてから寮を出る。……今日は厳しい一日が待ってそうだ……。
~~~~~~~
ヤヴァイ……。眠い……。授業が子守唄のようだ……。一応授業を聞こうとしてみたりしたけど無理……。もう起きていられない……。本当にやばい……。これで敵でも襲ってきたら……。
って、やめろ馬鹿!今まで俺がそう考えたら大体碌なことになってない。いつもの襲撃ペースからしたらまだ早い。まだ来ない。そう!絶対に来ない!
…………よし。大丈夫だな……。
もうこれからは絶対に徹夜なんてしない。これはやばすぎる。今日は敵が来ないとしても普段はいつ来るかわからないんだ。それなのに徹夜明けで体調最悪なんて時に戦って、万が一にも死んだら死んでも死に切れない。せめてきちんと寝ておけば……、なんて思いながら死ぬのは嫌だ。
やっぱりこういう状況にいる時は体調管理は重要だな。それもこれは自分でコントロール出来ることだ。自分でコントロール出来ない病気とかなら止むを得ないけど、自分で勝手に徹夜して体調が最悪だなんて間抜けにも程がある。
それでなくとも今の俺は女の体で生理があるんだ。生理の前後とか本当に体調も気分も最悪だし、女の体が万全の時なんて方が少ない。それなのにその体調を自分でさらに悪くするなんて愚かなことだ。
確かにブレスレットの中身は早く読みたい。あれが出来るようになれば今後の戦闘の助けにもなる。でもそのために今死んだら意味がないだろう。気持ちが焦るのはわかるけどここで失敗したら元も子もない。もっと慎重で確実に行動しなくちゃ……。
…………。
………………はっ!
やばい……。意識がなくなってた。もう限界だ……。今まで授業中に寝てる奴なんて見たことがないけどもう限界だ。これ以上起きていられない……。先生やクラスメイトに対して目立つ可能性はあるけど……、もう無理です。おやすみなさい…………。
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ちょんちょんと刺激を感じる……。
「うぅん……」
ちょっと体を動かしたらなくなった。これで眠れる……。
ツンツンと突かれる。
「んっ……」
顔の向きを変えて突かれた頬を隠す。これで眠れる……。
「ぁ……、ん……」
サワサワと、脇をくすぐられているような刺激を……。って、あっ!
「はっ!」
ガバッと飛び起きる。体が痛い。顔も痛い。体調もテンションも最悪だ。
「よう。起きたか?」
「健吾……?」
周囲を見てみれば俺の横に健吾が腰を屈めていた。ここは……。何で健吾が……。
キョロキョロと辺りを見回す。ここは学園の教室だ。そうだ。俺は今日徹夜明けで、授業が眠すぎて途中で寝てしまったんだ。じゃあ……、さっきの刺激は……、健吾が?
「昼だぜ。飯に行こうぜ」
「あっ、ああ……」
そう言って健吾が真っ直ぐ立つ。そして一言……。
「まぁ伊織はその前に便所か流しに行くんだな。顔に跡とよだれがついてるぞ」
「げっ!マジか!」
俺は慌てて腕で顔を拭う。
「ぷっ!あははっ!嘘だよ!いつもの綺麗な伊織の顔だぜ?」
「なっ!」
騙された?そういえば地球でもこんなやり取りがあったな……。学校で寝てて友達に起こされて……、よだれが垂れてるとか言われて慌てて腕で拭ったり……。これが……、普通の学生のやり取りなんだよな……。
俺は健吾のことをまだ警戒しているけど……、何だか馬鹿みたいにも思えてくる。こんな健吾が裏表があって俺を探ってると思うか?健吾にそんな器用な真似が出来るか?
そもそも……、こんな自然な……、本当の友達みたいなことを嘘で出来るのか?
出戻ってきてからの健吾に不審な点は見当たらない。警戒している俺がまるで馬鹿みたいなくらい自然体で普通だ。
「って、あっ!おい健吾!お前、俺が寝てる間に何か悪戯したんじゃないだろうな?」
さっき明らかに顔や体を触られてたぞ。もしかして胸やお尻を触られたんじゃないだろうな?別にそういう所を触られて恥ずかしいとかそういう話じゃなくて、もしかしてそういう所から俺が女の体だってバレるんじゃないかと心配してのことだ。
「さ~?どうだったかなぁ?くっくっくっ!さっきの伊織は可愛い反応だったぞぉ!」
「――ッ!?」
慌てて立ち上がる。まさか本当に胸とか触られたんじゃ……。っていうかさっき確実に脇の辺りを触られてたよな。ってことは俺がサラシやコルセットをしていることもバレたはずだ。マックスは馬鹿だから気付かなかったけど、健吾は妙に勘が鋭いというか面倒臭い所がある。気をつけておかないと本当にバレる可能性も……。
「おーい。伊織、早く行こうぜ!」
「待てよ!」
俺から逃げるように先に進んでいく健吾を追いかける。俺が男の体で……、ここが地球か、少なくともこんな命懸けの場所じゃなくて、あの気持ち悪いアイリスさえいなければ……。俺と健吾はもっと……、本当の友達になれていたのかな…………。
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健吾と一緒に食堂で昼食を食べる。でも何だろう……。俺は食堂に来るたびに何か違和感を覚える。別に食堂が何かおかしいというわけじゃない。ただ何故か……、いつからだろう……。これは確か……、健吾がいなくなる前かいなくなって間もなくくらいか?
はっきりとは思い出せない。というかいつから、何故、何について違和感があるのかわかっていない。ただ何か大事なことを忘れているような、見落としているような……。
「どした伊織?」
「いや……。何でもない……」
自分でも何をおかしいと思っているのかわからないのに人に相談しようもない。それに健吾のことだってまだ完全に信用しているわけでもない。余計なことは言わない方がいいだろう。
「それにしても授業中寝てる奴なんて初めて見たぜ」
「え……?」
そう言われて固まる。いや、わかってた……。わかってはいたけど……、直接そう指摘されて固まる。
俺だって今まで授業中に寝てる奴なんて見たことがない。地球の学校だったら割と寝てる奴もいたのに、イケ学では休む生徒も授業中に寝てる生徒もいない。
皆真面目なんだと言えばそれまでかもしれないけど一種異様ですらある。普通なら体調を崩して休む生徒や、授業中に居眠りする生徒がいてもおかしくない。それなのに今までそんな生徒一人も見たことがないなんて異常としか言えないだろう。
別に授業中に居眠りしてしまったことについてはどうでもいい。この学園の授業はレベルが低いから今更俺が習うことは何もない。授業内容についてはどうでもいいことだ。そもそも定期テストもないこのイケ学で、授業を聞いていようがいなかろうがどうでもいいことなんじゃないだろうか?
そういや、定期テストもないのに成績はどうやって判断するんだろうな?やっぱり授業中の態度とか提出物とかか?まぁ俺はイケ学での成績なんてどうでもいいんだけど……。
とにかく今まで一人たりとも授業中に居眠りしている奴なんて見たこともない。そんな中で俺が居眠りしてしまった。これは絶対に目立つ。俺が寝ている間周囲がどうだったのかはわからないけど、明らかに俺が目立ったのは間違いない。
とはいえ眠らないというのは無理だった。そして恐らく午後の授業も寝る。自信がある。これで腹が膨れたら絶対また眠くなるだろう。そもそも睡眠時間も足りないし、ゆっくり休めない机で突っ伏して寝るだけじゃ少ししか回復しない。やっぱりどこかで寝転がってゆっくり休まないと駄目だ。
「その調子じゃ午後の授業もどうせ寝るんだろ?」
「そうだな……」
取り繕っても仕方がない。今でも寝ようと思ったら眠れそうなくらい眠い。午後の授業を聞いていたら絶対また睡魔に襲われるだろう。
「そんなに具合が悪いなら医務室に行ったらどうだ?」
「あ~……、いや……。やめとく……」
ここが日本の普通の学校だったら行ってたかもしれない。でもこの世界の医務室には出来るだけ行きたくない。あの部屋は何かおかしい。ベッドを借りて眠れるなら良いけど、またあのわけのわからない機械に入れられて、変な処置を受けるくらいなら授業を聞いている方が良いだろう。
それに医務室には攻略対象の一人、アランがいる可能性が高い。ゲーム中では医務室に行けばほぼ会える。イベントも医務室が中心だ。アイリスと関わりがある人物との接触は極力控えた方がいいだろう。
そう言えば攻略対象五人の中でアランだけ見かけないことも多い気がする。ほとんど医務室にいたり、イベントが医務室で起こったりするから、医務室に行かない俺がその場に出くわすことがないからかもしれないけど……。
あれ?ハリルもどうなったんだ?ハリルが前衛として役に立たないから代わりの前衛を、という話から健吾が引き抜かれたわけだし……。健吾は捨てられてマックスがその役になったんだとしても……、他に誰か補充されているのか?
俺はアイリスが怖いからって避けてばかりで情報収集が進んでないな……。でも下手に近づいたらやばいしなぁ……。
アイリスは俺の位置がわかるのかと思うくらいにこちらをじっと見ていたりする。あまり調べに行くと逆にこちらが知られてしまうから迂闊に近づけない。アイリスのことももっと調べた方がいいんだろうか……。
「教室に戻ろうぜ」
「ああ……」
健吾と一緒に食堂から教室に戻る。お腹も膨れた午後の授業はますます眠くて、当然のように午後の授業も眠ってしまった。健吾に起こされたのはいつもの放課後の時間より遅くて、アンジェリーヌの手紙を持って待っていた舞に怒られた。
そして放課後の移動も、舞との待ち合わせも遅れた俺は当然のように特訓にも遅れニコライに怒られ、しかも寝不足で精彩を欠いていた俺は特訓の内容でもニコライに怒られた。
これからはやっぱり夜はきちんと寝よう……。一度崩れた生活リズムは中々直らない。今日もまた授業中に寝たせいで夜に寝つきが悪くて明日も寝不足になるんじゃないか……。そんな俺の不安は的中して暫く生活リズムが狂ったままになってしまったのだった。




