第六十六話「徹夜してしまいました」
舞の思わぬカミングアウトを聞いてから数日。ようやく魔法応用Ⅰを読み終えた。内容が難しいことや、他にすることが増えて魔法応用に集中出来なくなったから、読み終わるまでに相当かかってしまった。
何より致命的なのがやっぱり隙間時間を活用出来ないことだ。本を読んでいた時は昼休みでも本を広げて読めたけど、人の目がある所ではブレスレットの内容を展開して読むというわけにはいかない。止むを得ないこととはいえ学園にいる間の隙間時間が無駄になるようになってしまった。
それでもようやく魔法応用Ⅰを読み終えたわけだけど……。当たり前のように項目には魔法応用Ⅱが表示されている……。一体何冊あるんだろう……。先がわからないのは不安になるな……。
まぁ……、本当は俺が集中出来ていない一番の原因はやっぱり舞とアンジェリーヌのことだろう。舞はこれでいいって言ってたけど俺はまだ納得出来ていないというか……。むしろあの後の話を聞いて余計気になるようになったというか……。
舞はあれからも毎日アンジェリーヌの手紙を届けに来ている。二人で会って空き教室でこっそりイチャイチャして、アンジェリーヌと甘い文通を交換して、それが許される。男としてはとても羨ましい環境だろう。ただ……、舞の……、あの説明を聞いてから俺は胸のモヤモヤが消えない。
アンジェリーヌと三人で付き合う形で本当に良いのかと聞いた時、舞はそれでいいと言った。そしてその理由は……。
貴族は重婚が当たり前だ。全ての貴族が必ず重婚しているというわけじゃないけど、貴族社会では重婚していても何も非難されることはない。ただ重婚と言えば男の方がすることだ。女性側が重婚するということはない。
じゃあ女性は夫一人を愛さなければならないのか?もちろんそんなことはない。男女問わず、結婚相手は政略結婚で、跡継ぎくらいは残さなければならない。でも男も女も外に愛人を作ってそちらと仲良くするなんて当たり前のように行なわれている。夫婦で揃って公然と愛人を囲っている家も当たり前のようにある。
中には愛人を囲う妻に苦言を呈する夫もいるみたいだけど、それだって公然の秘密にするなというだけで、知られないようにこっそり愛人を作っているのなら何も言わないとかが普通だという。
もちろん中には政略結婚であっても夫婦仲睦まじく、重婚も愛人もなく二人で愛し合っている夫婦もいるだろう。でもほとんどは結婚は政略結婚で、恋愛は愛人とする、なんていうのが一般的らしい。
つまり……、俺がアンジェリーヌと付き合うことがこんなにあっさり許されているのは、俺がアンジェリーヌの愛人だと思われているからだ。アンジェリーヌの実家や周囲からしてみれば、アンジェリーヌはパトリック王子との許婚候補が解消されたと言っても、これから他の有力者と政略結婚することに変わりはない。
パトリック王子と破談になったといっても、アンジェリーヌと政略結婚したいという貴族は大勢いる。そしてアンジェリーヌもアンジェリーヌの実家もそれを受けるのが当然だと思っている。
だからアンジェリーヌはこれからまたどこかの有力貴族と許婚になって、やがて結婚する。じゃあ俺は?と言えば俺はただの愛人だ。結婚とは関係ない。アンジェリーヌは結婚は政略結婚でどこかの有力貴族と結婚し、俺は愛人として囲われる。
アンジェリーヌの周りや実家が、俺みたいな身元もはっきりしない者がアンジェリーヌと付き合っていても何も言わないのはそれが理由だ。だってただの愛人なんだもん……。俺がどこの何者であろうとどうでもいい。結婚相手はきちんと有力貴族と政略結婚させるから、遊びで囲ってる愛人なんてどこの馬の骨でもどうでもいいというわけだ。
もちろんだからこそアンジェリーヌは俺と舞とアンジェリーヌの三人の関係も許容している。アンジェリーヌが政略結婚して俺を愛人として考えているように、俺が舞と付き合っていて、あるいは将来的に結婚するとしてもお互いに愛人同士でいい、という考えによるものだ。
俺とは価値観や考え方が違いすぎる。俺はアンジェリーヌみたいにそんなに割り切って考えられない。貴族と平民の違いなのか、地球とこの世界の違いなのかはわからないけど……。
ただ一つはっきりしていることは……、俺はアンジェリーヌが他の……、有力貴族と政略結婚するということが許せない。心の狭いちっちゃい男なのかもしれない。でも……、アンジェリーヌがどこかの貴族と結婚して……、組み敷かれることを想像したら胸が苦しくなる。
俺はとても自分勝手だろう。自分は舞が好きだといい、舞と付き合っているくせに……、アンジェリーヌが他の男と政略結婚したり、他の男に抱かれるのかと思うと胸を掻き毟りたくなるような衝動に駆られる。実に自分勝手で独占欲の塊のような者だ。
アンジェリーヌ自身がそれを許容しているのに……、そもそもそのお陰で俺と舞の関係も認められているのに……、アンジェリーヌがそうすることは許せないと思っている。
奪われたくない。誰にもアンジェリーヌを触れさせたくない。自分は舞とアンジェリーヌの二人を恋人にしたいくせに、アンジェリーヌが他の男に奪われるのが嫌だと思っている。
そんな自分に自己嫌悪してしまうのにこの想いは止まらない。俺は一体どうすればいいんだ?
~~~~~~~
魔法応用Ⅱを読んでいるけど……、これはすごいぞ。魔法応用Ⅱで詳しく書かれているのは、例の、魔法陣とかだ。瞑想部屋にもある魔法陣。あれはやっぱり魔法応用で出来るらしい。もともと少しだけ魔法陣とかについても他の本にも書かれていたけど、ここまではっきり本格的に書かれてはいなかった。
魔法応用Ⅱを読んでちゃんと理解出来たら、瞑想部屋にあった魔法陣を自力で自分の部屋に設置することも出来るだろう。別に魔法陣を設置するつもりはないけど、ただそういうことも出来るようになるという話だ。
前回の戦闘で、前衛で敵と戦っている最中に魔法を使うのは非常に難しいと感じた。俺は途中から剣と魔法を使ってたけどあれはあの時だけだ。今同じことをしろと言われても出来る気はしない。あの時は異常に集中力が高まっていたから出来たんだろう。
同じように、あの時の真似をしようと思って木刀で何かを斬ろうと思っても当然のように斬れない。引き千切るように切ることは出来る。インベーダーやインスペクターだって、きのこを繊維にそって指で裂くように切ることは前から出来ていた。
でもあの時のように、まるで刃物でばっさり斬ったかのような斬り方は出来なかった。今も出来ない。あの時だけだ。うまく出来たのは……。
アレが一体何だったのか。俺が異常に集中していたお陰で出来たのか?剣と魔法を同時に使いながら、剣の切れ味も今までにないほどに抜群だった。
今度もまたあの時のように集中して同じように出来るとは限らない。むしろ出来る気がしない。あれ以来ニコライとの特訓の途中で魔法を練ろうとしたこともあるけどうまくいかなかった。もちろん本気で発動させるつもりはなかったけど、その前段階として集中して練ろうとするだけでも無理だった。
やっぱり普通の状態で動き回りながら魔法を使うのは非常に難しいわけで、魔法だけに集中出来ているのならともかく、敵に襲われて剣で戦いながら魔法を使うのはほぼ不可能だ。
でもそれが出来る可能性がある。それが魔法陣だ。魔法陣をうまく使えば魔法発動までのプロセスをかなり簡略化出来るんじゃないだろうか。
魔法陣は基本的に先に魔法発動のプロセスを作り上げて固定してしまっているもののことだ。普通なら魔法を使おうと思ったら、魔力を練り上げ、詠唱を行なって、魔法発動のプロセスを作り上げ、それを発動させることで魔法が発生する。
戦闘中では詠唱はともかく魔力を練り上げたり、プロセスを完成させたりするのが難しい。
だけど魔法陣なら……、もう魔法の術式は完成されている。あとはそれを発動させればいい。俺はまだ魔法応用Ⅱの勉強を始めた所だから完全に理解しているわけじゃないけど……。
魔法基礎を理解してから魔法陣を理解していれば、製作者の発想次第でいくらでも自由に魔法陣を組み上げることが出来る。
例えば火の魔法の魔法陣を組み上げておき、魔力を流すだけで火が発生するという魔法陣も作れるだろう。
図書館にある瞑想用の魔法陣は周囲にある魔力を取り込み、それを力の源にしてまた周囲の魔力を取り込むという、ある意味永久機関のような魔法陣だ。
まぁ永久機関と違って外部からエネルギーが供給されているわけだし、実際にそこからエネルギーが取り出せるわけじゃないから永久機関ではないんだけど、イメージとして延々と自力で動き続けるからわかりやすくそう言った。
普通の瞑想部屋の魔法陣は周囲の魔力を魔法陣に集めて、その力で魔法陣が働き、また周囲の魔力を集める。ただそれだけ。その中にいると周囲より魔力が濃いから感じやすいというわけだ。
逆にディオが案内してくれたバックヤードの魔法陣は逆の働きとも言える。魔法陣の中に魔力が入ると、それに反応して、その魔力を動力源として内部の魔力を外に流してしまう。だから中に魔力を持った者が入るとその魔力に反応して起動し、魔力を吸って外に吐き出してしまう。
こんな風に魔法陣には起動の方法や動力源、つまり魔力の供給方法など設計者の発想によって無限ともいえるほどに応用が利く。
これがあれば……、例えば魔法陣を用意しておいて、そこに魔力を流すだけでランス系の魔法が発動する、なんてことが出来るかもしれない。もちろんそうなると魔力の供給源は自分自身なわけで、魔法発動のプロセス全てをする必要はないとはいえ、魔力を練り上げて魔法陣に供給はしなければならない。
でも普通に魔法を発動させるよりはずっとプロセスを簡略化して実行可能なはずだ。一つでも二つでもプロセスを減らせるだけでも戦闘中の負担はぐっと減る。
ただ疑問なのは何故誰もそれをしていないのか、ということだろう。俺が考えているほど簡単にいくのならもっと魔法陣が発達しているはずだ。それなのにこの世界では魔法陣は驚くほど見かけない。どこか俺の知らない所では利用されているのかもしれないけど、俺が知る限りでは図書館関係しか魔法陣を見たことがない。
もし俺が考えているほど便利なものなら普通はもっと普及していないだろうか?誰かが同じことを考えないだろうか?それがないということは……、俺が思うほど簡単な話ではないのかもしれない。
でもやってみる価値はある。俺が考えるようなことなんてすでに誰かがやってるだろうけど……、俺より賢い人が散々研究しただろうけど……、それでも自分でもやってみる価値はある。
魔法応用Ⅱは凄い。楽しい。早く読みたい。自力で魔法陣が作れるようになったらもっと色々と応用が出来そうだ。
「伊織、まだ起きてるのか?明かりを消すぞ?」
「あ?ああ、悪い。そっちは消してくれ」
カーテンの向こうから健吾の声が聞こえる。俺はまだこれを読みたい。それに読書の時間はまだだ。いつももっと読んでいる。隙間時間の利用が出来なくなったからこうして夜くらいはしっかり読まないと中々進まない。
もうちょっと……、キリの良い所まで……。
気になるから……、この先まで……。
折角今良い感じに理解が進んでるから、この集中が切れるまで……。
あれ?これは何だっけ?……ああ、読み返してわかった。そうだったな。ちょっと忘れていた。じゃあここらでそろそろキリが良い所までいって終わろう。
ここは連続で繋がってるから……、これが終わるまで……。
ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ……。
「えっ!?」
鳴ったアラームに驚いて時計を確認してみれば……。
「嘘だろ……」
時計が壊れてアラームが鳴りだしたのかと思った。いや、そう思いたかった。でも無常にも時計の針が指しているのはいつもの起床時間……。
「やばい……。やっちまった……」
アラームを止めて起き上がってみれば……、外は完全に朝になっていた。どうやら熱中している間に……、徹夜してしまったらしい……。
「やばい……。今日どうしよう……」
前世までならたまには徹夜したこともあった。でもこの世界に来てから今まで俺は徹夜したことはない。前世なら授業中に寝るなり、学校をサボるなり、どうとでも出来たけど……、この世界で……、これからまた学園に行って授業を受けなければならないのに徹夜明け……。
どうしたらいいんだ?




