第六十二話「引き入れることになりました」
何故か昨日はえらい目に遭った。アンジェリーヌはわけがわからないほど喜んでいたし、舞は滅茶苦茶怒ってたし、瞑想に行ったらディオに遅いと怒られたし、瞑想してても集中出来てないって怒られたし……。
だからディオには事前に昨日は遅れるって言ったじゃんか……。わかったって言ったじゃんか……。それなのに何故遅いと怒られなければならないのか……。とても理不尽だ。
集中出来てなかったことは認める。俺も集中力散漫で瞑想は出来てなかったと思う。そりゃそうだろう?何故かアンジェリーヌと文通することになって、舞は滅茶苦茶怒っていて、アンジェリーヌの取り巻き達は俺を信じられないものでも見るような目で見ていたんだから……。
俺は少なくともアンジェリーヌにとっては良いことをしてお礼を言われるだけだったはずなのに、何故あんな理不尽な目に遭わなければならないのか……。
今日も適当に授業を聞き流してニコライ流の特訓に向かおうとした俺は、いつもとは別の空き教室から出ている手に手招きされていた。その手の服には見覚えがある。プリンシェア女学園の制服だ。そして出ている手は舞の手だと一目でわかった。
手招きされるままに空き教室に入ると予想通り舞がそこにいた。何だかここ最近たくさん会えている気がする。とてもうれしい。
「舞……、あれ?」
空き教室に入って、扉を閉めて、舞を抱き締めようとした俺の手は空を切った。舞がスルリと俺の手を避けたからだ。
「あの……、舞さん?」
「ツーンだ」
口でツーンとか言ってるよ。何だか可愛い。でもそうも言ってられない。明らかに舞さんが怒ってらっしゃる。何故だ?
「舞さん……、私は何かしてしまったでしょうか?」
恐る恐る舞に聞いてみる。でも舞は唇を突き出してそっぽを向いたまま答えてくれない。
「あの……」
「はぁ……。伊織君……、本当にわからないの?」
はい、わかりません……。何で舞さんはそんなに怒ってらっしゃるのでしょうか?
「わかりません……」
「あのね……、伊織君はアンジェリーヌ様と文通することになったよね?」
「はい。文通する事になりました」
確かに昨日そんな約束をした。でもだからって何だというのだろう。そりゃ貴族でも文通くらいするだろう。
「本当にわかってないの?文通するってことはね……、これからお付き合いしましょってことだよ?」
「……は?……え?」
お付き合い?どつき合い?
「わかった?はい。これ。伊織君の彼女のアンジェリーヌ様からのお手紙」
「いや……、あの……」
怒った顔の舞がまた懐から手紙を出してきた。また滅茶苦茶分厚い。少なくとも前回の十枚と同じくらいはあるんじゃないだろうか。
「俺はそんなつもりじゃ……」
「はぁ……。そりゃそうだろうと思ったよ?あんなあっさりアンジェリーヌ様の言葉を受け入れるんだもん。事の重大性がわかってないんだろうなとは思ったよ……。でもね……、今更なかったことに出来ると思う?」
そりゃ……、今更『文通するってのがお付き合いするってことだと知らなかったんです』なんて言えるはずもない。そんなことを言ったらあのアンジェリーヌ様のことだ。俺だってどんな目に遭わされるかわからない。
でも……、あれ?待てよ?
「ちょっ、ちょっと待て。アンジェリーヌはパトリック王子の許婚だよな?じゃあ……」
「許婚『候補だった』ね。でももうあの二人は破綻してるでしょ?だからアンジェリーヌ様は文書で正式に三行半を突きつけたじゃない」
文書で三行半……?
「あ……、もしかしてあの破かれた手紙か?」
「やっぱり伊織君も見てたんだ?」
「ぁ……」
そうか……。俺はあの時後ろの物陰からこっそり見てただけだった。それなのに知ってるってことは覗き見してましたと自白したようなもんだな……。何か今日の舞さんは怖い……。さっきから嵌められてばかりだ。
「あの手紙だけじゃなくてきちんと国にも正式な書類を送ったそうだから、アンジェリーヌ様とパトリック王子様はもう許婚候補じゃないよ」
「マジか……」
そして俺とお付き合いし始めましたってか?それはもう冗談で済まない状態になっているぞ……。
いや……、待て。待て待て待て……。これって今どういう状況だ?明らかにゲームの『イケ学』にはなかった展開だ。ゲーム時はアンジェリーヌがパトリック王子の許婚候補から退くなんて展開はなかった。
最終的には主人公アイリスがパトリック王子ルートに入ればアンジェリーヌは蹴落とされるけど、途中でアンジェリーヌの方から許婚候補を降りるなんて聞いたこともない。これは明らかにゲームの展開を逸脱している。
それからアイリスだ。もしアンジェリーヌがパトリックと別れて俺と付き合い出したなんて話がアイリスの耳に入れば……。一体どんなことになるかわからない。
少なくともますます俺が目立つのは間違いない。その結果舞まで目立ってしまう可能性もあるだろう。それでなくても俺は最近色々と目立ったり注目されていたというのに、ここへきてアンジェリーヌとも付き合い出したなんてことになったら大事だ。
そして何よりも……。
「おっ、俺は舞のことが好きなんだ。アンジェリーヌのことは嫌いじゃないけど付き合いたいなんて思ってない。どうしたらいいんだ?今更やっぱりなしなんて言って大丈夫なのか?」
「……大丈夫なわけないじゃない」
あぁ……、やっぱり……。付き合いますって昨日言ったも同然なんだ。それなのに今日やっぱりやめますなんて言ったらアンジェリーヌの実家まで敵に回すことになる。
付き合ったのに次の日にふりましたなんて言えば『娘を馬鹿にしているのか』とか『娘を疵物にされたからどうなるかわかってるんだろうな』的な展開が目に浮かぶ。
「はぁ……。なくもないよ……。どうにかする方法……」
「えっ!?マジか!舞さん!どうすれば、どうすればいいんですか?」
もう舞に頼るしかない。俺はこの世界の常識なんて知らない余所者だ。こんな時にどう対処すれば良いのかもさっぱりわからない。
「…………アンジェリーヌ様を本気で落とすの」
「…………は?」
俺の聞き間違いか?それとも俺が想像したのとは違う別の意味でもあるのか?アンジェリーヌを落とす?
「アンジェリーヌ様に本気で伊織君のことを好きになってもらって、何をしても、何を言っても全て受け入れてくれるくらい愛してもらうの。そしたら伊織君が本当は伊織ちゃんだってバレても多分大丈夫だし、他に愛人を作っても許してくれるよ」
「いや……、いやいや。舞さん?」
何を言ってるんだ?それでなくてもアンジェリーヌと付き合うことになったとか言われて頭が混乱しているのに……。いや、そうだよ。俺は女だ。だったらアンジェリーヌに俺が女だと……。
「駄目だよ……。伊織君が今何を考えているかわかるけど、今の状態のアンジェリーヌ様に伊織君が女の子だって教えたら大変なことになるよ。それは伊織君の身が余計危なくなるの。だから絶対それはしちゃ駄目」
「それは……」
確かに……。俺は性別を偽ってイケ学に潜入している身だ。もし今アンジェリーヌに俺が女だって言って付き合えないと言えば?当然アンジェリーヌは怒りだすだろう。そして国やイケ学にも俺が女でありながら潜入していると報告するに違いない。
そうなれば俺はよくて追放。最悪の場合は犯罪者として逮捕されるかもしれない。それじゃ目立ってどうこうとかの比じゃないほどのことになってしまう。舞を守るどころか舞すら巻き込んでしまう可能性が高い。
「アンジェリーヌ様に、心の底から、何があっても伊織君を守りたいと思うほどに好きになってもらうしかないよ……。そうなったら伊織ちゃんだって話しても大丈夫だと思う」
舞は……、つらそうな顔でそう言った。確かにそれなら俺の正体がバレても大丈夫かもしれない。アンジェリーヌが味方になればそれほど心強いこともないだろう。これからパトリック王子達と対抗していこうと思えばアンジェリーヌの後ろ盾は欲しい。でもそれは……、舞と俺が付き合えないということも意味する……。
「あのね……、アンジェリーヌ様が本気で伊織君のことを好きになって、伊織ちゃんが女の子だって受け入れてくれるくらいになったら……、そこに私も入れてくれないかな?愛人でも何でもいいの……。アンジェリーヌ様は貴族だからそういうことに寛容だと思うわ。だから……」
「舞……」
それ以上言わせてはいけない。だから俺はギュッと舞を抱き寄せた。俺が馬鹿な返事をしたせいでこんなことに……。舞に辛い思いをさせてしまっている。
「俺が迂闊だったせいでこんなことになってごめんな……。俺が心から愛してるのは舞だけなんだ……。でも……、ちょっとだけ我慢してくれ。せめてアンジェリーヌと落ち着いて話が出来るくらいまでの関係にならなきゃ現状は変えられない。それまで辛い思いをさせると思うけど……、我慢してくれとしか言えない」
「ううん……。いいの。私の方こそわがまま言ってごめんね……。本当のことを言うとね……、もっと前から私もこうした方がいいって考えてたんだ」
「…………え?」
舞の言葉に驚く。何を言っているんだ?
「今の伊織君の状況だったら、協力してくれる後ろ盾が必要だと思ってたの。そしてそれはアンジェリーヌ様をおいて他にいないのもわかってた。だから私はずっとアンジェリーヌ様の取り巻きとして取り入ってたんだよ」
あぁ……、そう言えばゲームの『イケ学』にはアンジェリーヌの取り巻きに舞はいなかった。基本的にはゲームと良く似た世界なのに何故舞がアンジェリーヌの取り巻きをしているんだろうと思っていた。でもまさか舞が最初からアンジェリーヌを仲間に引き入れるためにそうしていたとは……。
「まさかこんな形になるとは思ってなかったんだけど……、結果的にはよかったと思う。それに私もアンジェリーヌ様のこと誤解してたんだ。こうして一緒にいるとアンジェリーヌ様が悪い人じゃないってわかるよ。だから……、アンジェリーヌ様を伊織君にメロメロにさせて……、二人でアンジェリーヌ様の可愛い所を見ましょう?」
「――ッ!?」
舞は……、少し顔を赤らめてそういった。その顔は……、まだ少女のはずの舞の顔は随分妖艶に見えて生唾を飲み込む。やっぱり舞ってアレなんだ……。可愛い女の子が好きなタイプの人なんだ……。だから俺と舞の間に可愛い女の子が増えても可愛がる子が増えるだけ、みたいな感じなのかな?
「まっ、舞は……」
「あっ!言っておくけど私は伊織ちゃんが一番好きなんだからね?それに伊織ちゃんに一番好きになって欲しいの!今回のことは仕方なくなんだから!伊織君が見境なしにアンジェリーヌ様を落としちゃうから、どうにかしようと思って昨日から必死に考えた結果なんだからね!本当なら二人っきりの方が良いんだから!」
「わかったわかった……。こんなことになって本当にごめん……」
もしかして舞は可愛い女の子に囲まれてたら良いのかと思ったけど、そう言おうとしたら滅茶苦茶怒られてしまった。そりゃそうだよな。誰だって好きな人には自分だけを好きになってもらいたいし、自分だけを見てもらいたいものだろう。それなのにその間に他所の人が入ってきたら嫌なはずだ。
それでも……、どうにか現状で最善の方法を考えてくれたんだな。自分の気持ちを押し殺してでも……。だったら俺は舞のためにもヘマは出来ない。アンジェリーヌも仲間に引き入れつつ、舞を一番に愛しているというこの想いも永遠に忘れてはいけない。
「それより返事……、書かなくていいの?」
「あっ!そうだった!」
舞と話し込んでいて随分時間が経ってしまった。ニコライを待たせたらまた後で何を言われるかわからない。急いで受け取った封筒を切って中身を……。
「…………なぁ、舞?」
「何?」
「アンジェリーヌって本当に俺のこと、好きとまでは言わないまでも好意的な興味を持っているのか?」
「それはそうだよ。あれだけ人がいる前で告白してお付き合いすることになったんだよ?」
そうなんだろうか?俺は渡された封筒の中身を見てゲンナリした。何しろ文字がびっしり書かれた便箋が十枚はある。これは嫌がらせとか呪いとかそういうものじゃないのか?本当に相手が好きだったらこんな怖いことをするか?これを見たら普通ドン引きだと思うけど……。
「それだけ愛されてるんだよ。さ、お返事書こう?」
「うぅ……」
舞が出してきた返事用の便箋に、俺はまたあれこれと十枚にも渡る手紙の返事やこちらからの言葉を添えて書き上げた。舞がそれを受け取って帰り、ようやく体育館に着いた俺は案の定ニコライに怒られたのだった。




