第六十一話「文通することになりました」
健吾が戻ってきてから数日が経っているけど特に妙な所は見受けられない。まったくの普通だ。一組に編入になる前と何も変わらないように見える。
そう……。編入になる前と変わらない……。
普通そんなこと出来るか?いくら神経が図太い奴でもこんなに何も気にせず前までと同じようにのうのうとしていられるか?
普通の神経の持ち主だったらまず無理だろう。絶対に編入になった時やその後のことを気にしてギクシャクするはずだ。それなのに健吾にはそれが見られない。
「ふぁ~……、おはよう。お?今日もうまそうだな」
「ああ、おはよう……」
起きてきた健吾は俺が用意した朝食を見てそう言いながら顔を洗いに行った。確かにこれは健吾が編入になる前と同じやりとりだ。一見何もおかしくないように思える。でも普通の奴だったらこんな風に振る舞えないと思う。普通ならもっと気まずくなるはずだ。
これが健吾も本当は気にしてたり気まずいと思ってるけど、それでも無理して精一杯前まで通りに振る舞おうとしているのか、それとも前までと同じように振る舞えと言われているとか、俺の警戒心を解くようにこうしているのか。
俺が何故こんなことを考えているかは言うまでもないだろう。俺はまだ健吾を疑っている。もしかしてアイリスに言われて戻ってきたんじゃないか。アイリスに言われて俺に近づき、警戒心を解いて何かを探ろうとしているんじゃないかと疑っている。
俺はきっと嫌な奴だろう。もしかしたら健吾は本当に一組を追い出されてきたのかもしれない。それなのにその相手を疑っている。
一組を追い出された健吾は健吾なりに悩み、気まずい中で、何とか俺とギクシャクしないようにあえて前と同じように振る舞っているのかもしれない。俺はそんな友達を疑っているということになる。
俺だって健吾のことを信じたい。本当に一組を追い出されて、本人だって傷ついたり、どうしたらいいか思い悩んでいるのかもしれない。そうは思うけど……、やっぱりどこか信じ切れていない俺がいる。健吾には悪いと思うけどそうすぐには信用出来ない。
「さぁ飯にしようぜ。いただきまーす」
「いただきます」
顔を洗ってきた健吾が朝食にかぶりつく。俺もその向かいで朝食のパンをかじりながら悶々と同じことを考えていたのだった。
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適当に授業を聞き流しながらソワソワと放課後を待つ。今日はアンジェリーヌが王子達の慰安訪問にやって来る日だ。つまり舞に会える。それにアンジェリーヌが俺に直接前のお礼を言いたいと言っている。会う約束と場所はもう決まっている。
アンジェリーヌに会って直接お礼を言われるのかと思うと気が落ち着かない。放課後になって欲しくないような変な感じがする。ちょっとお腹が痛くなってくるような、緊張するというか、気持ちが落ち着かないというか。それなのに時間はどんどん過ぎていく。
そして舞に早く会いたい。そう思うと授業が随分長く感じる。早く放課後になって欲しいのに何度時計を見ても時間が進まず、早く舞に会いたいのにこの時間がもどかしい。
相反する二つの感情に自分自身でも変な感じになりながらもただ授業が終わるのを待つことしか出来ない。
そんな授業時間も過ぎようやく放課後になった。早速待ち合わせ場所に……、と思うけどどうせ急いでも意味はないだろう。アンジェリーヌはプリンシェア女学園の授業が終わってからこっちに来て、王子と会ってから俺の待ち合わせ場所にやってくる。
それならアンジェリーヌが来るのは当分先になるだろうし、俺が急いで向かって待ってても待ちぼうけになるだけだ。それにそんなにアンジェリーヌに会いたいわけじゃない。どちらかというとちょっと避けたいくらいなのに……。
もちろん俺はアンジェリーヌが嫌いじゃない。それは本当に本心だ。ゲームの『イケ学』の時から別に嫌いじゃなかった。むしろ何であんなに嫌われているのかと思うほどだ。
まぁ最初の頃はアンジェリーヌもプレイヤー達にそんなに嫌われていたわけじゃない。ただライバル令嬢なのに嫌われていないと都合が悪いと判断した運営か開発の手によって、途中から本当に嫌な悪役令嬢にされてしまった。俺はその経緯も知ってるから余計にアンジェリーヌが嫌いになれない。
確かにゲームの時はそうだったけど……、現実となっているこの世界でアンジェリーヌに挨拶されたり、正式にお礼を言われたりすると思うとお腹が痛くなってくる。
アンジェリーヌはこの世界で本当に高位貴族のお嬢様だ。片や俺は地球でもこちらでもただの一般市民で礼儀作法も知らない。アンジェリーヌに畏まった態度でお礼を言われてもどうやって受け答えすればいいのかも知らない。
アンジェリーヌを不憫だと思うし、可哀想だとも思う。嫌いじゃない。でも俺があんなお嬢様とお話すると思うだけで胃が痛くなる。出来ればこのままふけてしまいたい……。
まぁ……、でもアンジェリーヌと会うことを我慢してでも舞には会いたい。アンジェリーヌや取り巻き達がいるから舞と親しく話すことも難しいだろう。それでも、一目その姿を見るだけでも会いたい。だから我慢する。アンジェリーヌと会う鬱な気分と、舞に会える喜びなら舞と会える方が上回る。早く会いたい。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると角の向こうから何人かの話し声が聞こえてきた。声に聞き覚えがあった俺はそっと角から廊下の向こうを覗いてみる。
「パトリック様、インベーダー討伐のお勤めお疲れ様でした。国民を代表してパトリック様への感謝の気持ちを……」
そう言いながらアンジェリーヌが差し出そうとしている手紙を、パトリックは途中でひったくるように奪い取った。
「ふんっ!何が感謝だ!お前が国民の代表だと?ふざけたことをいうな!」
「…………」
まだアンジェリーヌがしゃべっていたというのに途中で口を挟んだパトリックは、奪い取った手紙をビリビリに破いて廊下にばら撒いた。俺から見るとアンジェリーヌ達は後姿しか見えない。端の隅の方に舞の姿も見える。
一体手紙を破られて捨てられたアンジェリーヌがどんな表情をしているのかはわからない。ただ一つわかることはこちらから表情が見えるパトリックの顔は……、それはもう醜悪なものに見えた。
確かに顔は整っているんだろう。乙女ゲーの攻略対象として作られたキャラクターだ。見た目が悪いはずがない。でも……、アンジェリーヌにあんな言葉を浴びせながら、渡された手紙を読みもせず破って捨てるような奴が美しいはずがない。その顔は醜悪に歪み、とても一国の王子とは思えなかった。
「もう二度とアイリスに近づくなよ!さぁ行こうアイリス」
「はい。パトリック様」
それだけ言うとパトリックはアンジェリーヌの横を通り抜けて、アイリスの肩を抱きながら歩き始めた。
ってやばい!パトリック達はこちらに向かってきている。このままここにいたらこの角で鉢合わせしてしまう。それに気付いた俺は慌てて戻って隠れられる所を探した。階段の踊り場に出た俺は急いで上の階の間にある踊り場に身を隠した。何かいつも俺は上の階の踊り場に隠れてるな……。いい加減芸がないと思うけど他に隠れる場所もない。
隠れながら様子を窺ってみれば……、王子達は六人でゾロゾロと歩いているのに会話一つしていない。その表情は皆虚ろで恐ろしかった。普通なら五人も六人もで歩いていたら誰かしら会話でもするだろう。廊下を歩いていたらしっかりした表情をしているだろう。
それがどうだ?今通り過ぎた一団はまるで知性の欠片も感じられないような、本人の意思などないような虚ろな表情をしていた。
ぞっとする。あれがアイリスの仕業だとすれば……、アイリスは人を操る力でも持っているのかもしれない。
やがてアイリスや王子達の足音が聞こえなくなった頃、俺は急いで踊り場から下の階に下りた。俺の前にアンジェリーヌがいたということはもう待ち合わせ場所に向かった可能性がある。というより先ほどの所から先に行けば待ち合わせ場所だ。
急いでさっきの場所に戻って、また角から先を見てみたけどもうアンジェリーヌ達の姿もなかった。こちらに来ていないということはこの先へ、俺との待ち合わせ場所へと向かったんだろう。待たせたら悪いから俺もそちらへ向かう。
さっきアンジェリーヌの手紙が破かれた辺りに行ったけどもう手紙は落ちていなかった。取り巻き達が片付けたのかな。
王子があんな簡単に手紙を破っていたし、手紙の厚みやばら撒かれた破片から考えてアンジェリーヌの手紙は便箋一枚くらいしか書かれていなかったんじゃないだろうか。俺に送られてきている手紙は七枚とか十枚とかとても多い。それに比べて今さっき破かれた手紙は精々一枚か二枚という所だろう。
確か舞も、こんなに手紙を書いているのは俺に対してだけだ、というようなことを言っていた。それが証明されたということかもしれない。
こちらも怖い……。アンジェリーヌは俺にお礼を言うためだとか言ってるけど、やっぱり本当は俺も何か恨まれるか、怒らせるようなことでもしてしまったんだろうか。どう考えてもあんなに長文で送ってくるなんて嫌がらせの一種だよな……。
そう考えたらここで待ちぼうけさせたらまたどんな怒りを買うかわからない。俺も急いで待ち合わせ場所に向かおう。
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待ち合わせの空き教室に来たら……、中でアンジェリーヌがウロウロ歩いているのが見えた。俺はまだ教室の中には入っていない。空いている扉から中を覗いている状態だ。前に言った通りここは舞といつも密会している教室とは違う。あの教室は舞との思い出があるから荒らされたくないからな。
それはともかくたまたま見えた教室内でアンジェリーヌがウロウロと歩き回っている。やっぱり待たせてしまったから怒っているんだろう。俺も急いで部屋に入って謝ろう。
「お待たせしてすみません」
「あっ!伊織様!」
俺が一気に中に入って頭を下げるとそんな声が返ってきた。『伊織様』って……。まぁアンジェリーヌは本来育ちの良いご令嬢だ。そういう言い方をするのは普通なんだろう。
「さぁ伊織様、そのような所に立っておられないでこちらにいらしてください」
頭を上げてみれば……、アンジェリーヌはそう言って俺を教室の中央へと手招きしていた。こんな端の空き教室まで誰も来ないと思うけど、念のために扉を閉めてから恐る恐るアンジェリーヌのいる手前まで向かう。
舞を含めた取り巻き達もいるからアンジェリーヌと二人っきりじゃないけど、それでも何というか……、緊張するというか、何をされるか不安というか……。
チラリと見てみれば舞と目が合った。そして明らかに舞の頬が膨らんでいる。何故そんなに怒っているのかわからない。むしろ助けて欲しい。
「あの時は助けていただきありがとうございました。その後、傷の方はいかがでしょうか?もしまだ万全でないならば当家で出来る最高の治療をさせていただきます」
「えっと……、もう大丈夫です。アンジェリーヌ様もそうお気になさらず。あれはアンジェリーヌ様のような美しい女性が殴られるのは我慢ならなかったから飛び出してしまったのです。私が勝手にしたことですので」
何て言ったらいいのかわからない。言葉遣いも多分変だろう。俺はこんな場でちゃんとした言葉なんて使ったことがない。きっとアンジェリーヌや取り巻き達からしたらへんてこな言葉遣いで笑いを堪えているに違いない。
「あぁ、伊織様……、なんてお優しい方なのかしら。私が気にしないようにとそのようにおっしゃってくださっているのですね」
いや……、別にそんなつもりも意図もないんだけど……。実際俺は女の子が殴られそうだと思ったら後先考えずに飛び出していただけだし……。
「このお手紙からも伊織様の優しさが伝わってまいりました。きちんと私の手紙を読んでくださり、それに対してお返事くださるなんて……」
そう言いながらアンジェリーヌは俺が返した手紙を取り出すと胸に抱き締めていた。チラリとアンジェリーヌの取り巻きの一番後ろを見てみれば……、滅茶苦茶睨んでるよ……。何で俺が舞に睨まれなくちゃいけないのか……。
それに手紙を読んでそれに対応するように返事を出すなんて当たり前だろ?俺だけがそうじゃないはずだ。俺が普通でその対応が当たり前のはずだ。
「あの……、伊織様、厚かましいお願いとは思いますが……、どうか私と文通してくださらないかしら?」
文通……。何とも古風な……。まぁ時代背景とか技術水準とかが地球より遅れているというか、封建社会的な世界観だからおかしくはないのか?貴族とかは文通とかしてただろうしな。というより現代みたいに電話だのメールだのないし他に連絡手段もないか。
「わかりました。それくらいなら……」
「ほっ、本当ですか!ありがとうございます!」
俺がそう答えるとアンジェリーヌは頭を上げて飛び跳ねて喜んでいた。その顔は赤く染まっているように見える。そしてアンジェリーヌの取り巻き達や舞が信じられないものを見るような顔で俺を見ていた。一体何故?




