第五十九話「誘いました」
ちょっと待て……。意味がわからない。出戻りって何だ?
ゲームの『イケ学』には保持出来るキャラクター数に限りがある。その上限いっぱいまでキャラクターを持っているのにそれ以上に新しいキャラクターを持つことは出来ない。
それをしようと思えば、課金してキャラクター保持最大数を増やすか、すでに保持しているキャラクターを解雇してパーティーから追い出すかだ。
もちろんそれらは保持キャラクターが上限まで達していなくても出来る。今の主人公パーティーが七人しかいなかったとしても実行可能だ。俺が知る限りでは主人公パーティーはアイリスと攻略対象五人以外には、健吾とマックスがスカウトされたことしかわからない。
俺の知らない所で他の者がスカウトされているのかもしれないけど、その数が上限に達していなくても解雇することは可能だ。だから健吾が解雇される可能性はあるのかもしれない。
ゲーム中では解雇したキャラはもう二度と戻らない。キャラガチャで出たキャラも、雇用でランダムに出現するモブも、解雇したらデータ消滅となる。二度と元に戻すことは出来ない。
現実となっているこの世界で解雇したら一体どうなるのかは不明だった。でも健吾がここに戻ってきたということは、この世界では解雇しても消滅するわけじゃなくて、元のクラスに戻ってモブ扱いに戻るだけということかもしれない。
そもそもゲームの時も健吾やマックス、ディエゴやロビンといった顔あり名前ありの無課金キャラを解雇したらどうなるのか俺は把握していない。
キャラデータが消えて元に戻らないのは間違いない。課金のキャラガチャで出てくるキャラを解雇したら、同じキャラを雇うにはまたガチャで当てなければならない。モブもステータスデータは消えてしまう。ずっと繰り返し雇用で探してたら同じキャラは出てくるかもしれないけど、ステータスや戦闘経験はゼロに戻っている別キャラとなる。
でもイベントありの無課金キャラなら?
もう二度と雇えないのか?それともスカウトする前に戻って、またイベントを進めたら雇えるようになるのか?もしかしたら雇用のランダムで繰り返していたらそのうち現れるのかもしれない。
もちろんステータスや戦闘経験は全てリセットされているだろう。それはわかっている。問題なのはそのキャラがもう二度と出てこないのか、何らかの形でまた雇えるように出てくるのか、ということだ。
俺は確かに『イケ学』をやり込んで、最少課金で全クリアした。でも俺だって全てを検証して知っているわけじゃない。攻略情報とかは見ていたけど、自分に関係ない部分まで全て把握していたわけでもない。雇って鍛えておきながら健吾やマックスを解雇するなんてしたことも考えたこともないから、実際にやったらどうなるかなんて知るはずもないだろう。
「健吾……、お前……、何ともないのか?」
「あ?何ともって?別に何もないけど?」
俺の質問の意図がわからないとばかりに首を傾げている。俺が聞きたかったのはもうアイリスの影響はないのかということだ。でも直接その言葉を言うことは憚られる。それに健吾にはシステム的な話やゲーム時の話をしたら何かおかしくなっていた。あまり余計なことは言わない方が良いだろう。
「あ、わりぃ。ちょっと便所」
「あっ、ああ……」
俺も中に入ろう。いつまでも玄関に突っ立ってても……、って、あっ!
やばい!俺昨日から『始まった』んだった。トイレには使用済みのナプキンが……。もちろんそこらにポンッと置いているわけじゃないけどゴミ箱の中に入れてある。健吾に見つかったらやばい。
外ではかなり気をつけているけど、健吾もいなくなって寮に一人で油断していた。そうだよ……。今日は健吾が戻ってきていただけだけど、場合によっては俺が部屋に入る前に心配したみたいなことも起こり得る。
アイリスや王子達が俺を調べたり暗殺したりするために誰かを送り込んでくるかもしれない。前回の戦闘で目立った俺を調べようと誰か侵入してくるかもしれない。それなのにナプキンをトイレのゴミ箱に入れたままとかどんだけぼーっとしてんだよ……。
やばい……。健吾に見つかったら何て言い訳すればいいんだ?考えがまとまらないまま、それでもいつまでも玄関に突っ立ってるわけにもいかないと部屋の中へと入る。
健吾がいなくなってからも俺は部屋をほとんど触っていなかった。健吾の荷物が置いてあった場所はただ空白になっていただけだ。俺が自分の荷物を広げるということはなかった。今はその元健吾のスペースだった所にまた健吾の荷物が置かれている。まるで何もなかったかのように元通りだ。
「あ~、わりぃ。何だっけ?」
「うわっ!」
俺が部屋を見回していると健吾がトイレから出て来た。
「何だよ?」
「あっ……、いや……」
急に出て来た健吾に俺が驚いていると変な顔で見られてしまった。そりゃトイレに入ったのは知ってるんだからトイレから出て来たからって驚く方がおかしいよな。それよりも……。
「何もなかったか?」
「はぁ?何もって?」
だからトイレに入って使用済みナプキンを見ておかしいと思ったりしなかったのかって聞きたいんだよ!でもそんな自爆するようなことを言えるはずもない。そもそも健吾の性格ならいちいちゴミ箱の中身とか確認するような性格じゃないだろう。普通に……、普通に考えたら気付かなかったと思う……。
でも絶対そうだと言い切れるか?本当は俺が戻ってくるまでに部屋の中を家捜しして、俺の女の子アイテムを発見済みかもしれない。トイレに捨ててあったナプキンに気付いているかもしれない。今は知らないフリをしているだけで本当は知っているんじゃ……?
そう思うと気になる。もうはっきり聞いてしまいたい。もし俺が女の体だってバレているのなら……。
あっ!そもそも健吾が戻ってきたらブレスレットが読めないじゃないか!ブレスレットの中に込められているものを読んでることを健吾に悟らせるわけにはいかない。
「いや……、何でもない。今日は健吾が先に風呂に入るか?」
「ああ、俺は後でいい。伊織が先に入れよ」
「…………わかった」
お前が入ってる間に部屋の片付けをしたかったんだよ!余計な時だけ遠慮しやがって……。確かに前から俺の方が先だったけど今日くらいはお前が先に入れよ!
とにかく風呂に入ってる間に色々考えないと……。それから健吾が入っている間にしなければならないこともある……。
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風呂に入ってる間に考えていたことを健吾が風呂に入っている間に実行していく。
まず俺の女の子アイテムは確実に見つからない所に隠したり処分したりしなければならない。元々ポンと見える所に置いてたわけじゃないけど、一人になってから少々気が緩んでいた。誰かが部屋に侵入してくるかもしれないのに油断しすぎだっただろう。というわけで下着とか女の子アイテムはすぐには見つからない場所に移し替えて隠す。
それからトイレに残ったままの使用済みナプキンもゴミに包んで見えないように処分する。いきなり消え去るわけじゃないんだから、ゴミの回収日まで健吾がゴミをあさって気付かないことを願うしかない。
そして一番大事なのが俺のスペースにカーテンをつけることだ。カーテンっていってもそんなに本格的なものじゃない。とにかく寝る前に自分のスペースでこっそりブレスレットの中身を読めるように、健吾に気付かれないように間仕切りがあればいい。
「ふ~……。さっぱりしたぜ。って、うおっ!何だこれ!」
「ああ、健吾……、出たのか」
俺が間仕切りを用意していると健吾が風呂から出てきたらしい。もうすぐ間仕切りも終わるから……。
「…………伊織、俺のこと怒ってるのか?」
「あ?」
間仕切りの設置に精を出していたらそんな声が聞こえた。怒る?
「一人だけ一組に行った俺のことを怒ってるのか?」
「あ~……、どうだろうな。一組に編入になったことは仕方ないと思ってるよ」
主人公にスカウトされて一組に編入になって主人公パーティーに入るのは本人の意思に関係ない。健吾もマックスも主人公や王子達にそう言われたら逆らえず、嫌でも無理やりでも編入させられてしまう。
健吾がどうだったのかはわからない。それに編入になってからの健吾の態度や言葉には腹も立った。でもそれが健吾の本心だったのか、何らかの理由があってそう振る舞っていただけなのか、あるいはアイリスの影響のせいだったのか、それは俺にはわからない。
俺はどう思っていたんだろう。確かに健吾にあんな態度を取られて、あんな言葉を言われて、腹が立っていたと思う。それは今でもなんだろうか?正直わからない。
ただ一つ言えることは今の俺と健吾には前までのような信頼関係はない。俺は明らかに健吾のことを信用していない。もしかしたらまだアイリスの影響があるんじゃないか、何かあればアイリスに報告するんじゃないかと疑っている。
俺が日本人の事なかれ主義的な精神だからかもしれないけど、表立って健吾にとやかく言おうという気はない。でも俺と健吾は前までの関係じゃない。二人の信頼関係は壊れているし、前までのように健吾に頼ったり、何か秘密を話したり共有したりしようとは思えない。
こうして二人で過ごしていけばまた前みたいな二人に戻れるんだろうか。それとももう二度と二人に本当の意味での信頼関係は戻らないんだろうか。それは今の俺にはわからない……。
「もう寝よう」
「…………ああ」
微妙な空気の中、今出来たばかりの間仕切りを閉めてそれぞれのプライベートスペースに別れる。俺がこうしたのはブレスレットの中身を読んでいるのを見られたくないからだ。でも健吾からしたらこれは俺からの拒絶だと感じるのかもしれない。
そして俺が健吾にブレスレットのことを知られたくないと思っているのは、健吾を信用しておらず、言い方によっては拒絶しているからだとすら言える。これが今の俺と健吾の距離感だ……。
いや、今は考えるのはやめよう。今はいつも通り日課のブレスレットの中身を読むことに集中しよう……。
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「おはよう」
「ああ、おはよう」
昨日に引き続いて微妙な空気の中、前までと同じように俺が朝食を用意して起きてきた健吾がそれを食べる。
何ていうか……、この空気が耐え難い。空気が重いというか……、痛いというか……。とくに話すこともなく黙々と朝食を済ませて三組の教室へと向かった。
健吾も三組のようで席も前のままだった。健吾が来ても誰も何も反応しない。俺に向かってはヒソヒソやってるけど……。
俺の感覚からしたら戻ってきた健吾のことについての方がヒソヒソしそうなものだけど、クラスの奴らは健吾のことにはまったく触れず、相変わらず俺のことだけヒソヒソと内緒話をしている。
まぁ昨日のディエゴやロビンのお陰でちょっと内緒話されているくらいそんなに気にならなくなっている。
…………あっ!そうだ!ディエゴとロビンにも話をしなければならないんじゃ?っと、その前に健吾の意思も確認しておかなければ……。
「なぁ健吾……、昨日は聞くのを忘れてたんだけど」
「ん?」
俺が健吾の席に近づいて話しかけると不思議そうな顔で俺の方を見ていた。気にせず俺は自分の質問を続ける。
「俺は今知り合い二人とパーティーを組んでいるんだけど、健吾もそのパーティーに入るのか?」
「え?俺が入ってもいいのか?」
俺の質問に健吾が質問で返してきた。でもそれは俺が一人で答えることは出来ない。
「パーティーだからな。俺が一人で勝手に決めることは出来ない。他のパーティーメンバーの話も聞かないと俺がここでパーティーに入れるとか入れないとか言えないんだ。でも健吾が入りたいっていうなら他のメンバーに聞いてみようと思う。どうする?」
「……入れてくれるなら入りたい」
「……そうか。じゃあ昼休みに皆で集まろう」
健吾の言葉を聞いて、今日もまた昼休みにディエゴとロビンと集まって話をしようということになった。
俺は何故健吾を誘ったんだろうか……。健吾がアイリスの影響を受けているのなら近づかない方が良い。それでも俺は……、健吾とまた前のようになりたいと思っているんだろうか?
正直自分でも自分の気持ちがわからない。まだ健吾に腹が立っているのか。健吾を信用していないのか。健吾を信用したいと思っているのか……。
色んな感情がぐちゃぐちゃで……、でも俺は何故かそれを確かめる前に健吾をパーティーに誘った。もしかしたらそれが答えなのかもしれない。




