第五十四話「再会しました」
ああ若いって素晴らしい。でも恨めしい……。流石に二日目になると筋肉痛も治ってしまっている。筋肉痛でまともに動けないから特訓はやめておきますという言い訳が使えない。
別に誰かに強要されているわけじゃないんだからそんな言い訳しなくても休みたければ休めばいい。確かにその通りなんだけどやっぱり元気なのにサボるのは許容出来ない。つまり誰に言い訳しているかと言えば世間でもニコライでもなく俺自身ということだろう。俺がそれを許せないから言い訳が必要になるわけだ。
まぁ残念ながら筋肉痛も治って元気だから今日は特訓に行くしかないだろう。それに特訓がしたくないわけでもない。まだ他にも覚えられるスキルはいくつかあるんだけど、まずは一つずつ身につけていこうと思う。次々読んでも体で覚えていなければ意味がない。
今日の予定を考えながら教室へと向かう。そういえばこの無駄な授業もなしにして一人で勉強すれば、魔法応用を読む時間やスキルを覚える時間ももっと確保出来るはずだけど……、さすがにそれは無理か……。
いや……、待てよ?
別に授業に出なくてもそれほど問題なくないかな?別にイケ学には留年とか進学とかないし……。退学というのも聞いたことがない。そもそもまだ定期試験もないぞ?もしかして試験もないのか?学期とか成績とかそういうものもないかもしれない。
まぁ……、そんなものつけていた所でどうせかなりの数の生徒はいなくなっているしな……。
それなら別に授業に行かずに自室でブレスレットの中身を読んでいる方がよほど有意義じゃないだろうか?俺にとってはイケ学の授業は過去に地球で習ったものの中でもかなり簡単なものばかりだし、今更無理に授業に出て習う必要性を感じない。
ただ本当に授業に出なくて大丈夫なのかというのはわからない。そもそも大怪我も一晩で治る、医療に関しては地球より遥かに進んだ世界だ。病気で授業を休んでいるという奴も見たことがない。そんな中で授業を休みますとなったら滅茶苦茶目立つかもしれない。何故休んだのかと追及されるかもしれない。
こういう時この世界の常識がない俺は困る。誰か授業を休んでくれたらその時にどうなるのかわかるんだけど……、やっぱり誰も休んでくれないんだよな……。
こんなこと考えていても無駄か……。真面目に授業に出るしかないな……。授業時間が自由になれば特訓も瞑想も読書ももっと時間が取れるのに……。
~~~~~~~
今日は特訓の日だから体育館へ向かう。いつも通りの準備運動や基礎訓練を終えてまた今日も素振りだ。
「よし。今日も全部素振りはスラッシュでやれ」
「え~っと……、そんなことして大丈夫なんですか?俺昨日は物凄い筋肉痛で大変だったんですけど……。体への負担とか、体を壊したりしませんか?」
言われるがままにしてたらどんな無茶をさせられるかわからない。ニコライだって言われるがままじゃなくて自分で調べたり考えたりしろと言ってたし、ちょっと気になったことを聞いてみる。
ここは医療だけは地球よりも遥かに発達していると言えるような世界だ。そういうことで体を壊す心配はないのかもしれない。
例えば地球ではスポーツ選手が練習のし過ぎや体の酷使が原因で肩、膝、肘、腰、首なんかを壊して引退を余儀なくされるなんてことはよくある。でもこの世界の医療ならそういった問題は全て回復されて起こらない可能性もある。
この世界に詳しくない俺には具体的なことはわからないけど、地球では体の酷使がスポーツ選手の選手生命等に関わるけど、こちらでは全て簡単に治るのかもしれない。
「体が出来てない者に無理をさせたら体を壊すこともあるだろう。でも八坂伊織、お前は違うだろう?今まで休むことなくずっと特訓についてきたお前ならその程度で体がどうにかなることはない。それに筋肉痛になるということは体がそれに対応出来るようになろうとしているということだ。つまり今回は前回よりも体が対応出来ている。そして次はもっと対応出来るようになる」
「それはそうかもしれませんけどね……」
言っていることはわからなくはない。トレーニングをしても筋肉痛にならなくなればそれは負荷が足りていないということだ。それでは効果的なトレーニングが出来ているとは言えない。でもただ体を酷使すれば良いというものでもないだろう。
あれ?でも地球では体を酷使しすぎたら選手生命に関わるからやりすぎは良くないとしても、こちらの世界ではそういう体の故障も全て治るんだったら、体を壊すから酷使は良くない、という理屈は成り立たない?
もうわけがわからない……。地球とでは医療も考え方も世界の法則も違うから地球の感覚で考えちゃ駄目なのか?
「八坂伊織が今スラッシュで体が筋肉痛になるということは、スラッシュを使い続けて筋肉痛にならなくなれば普段の力が今のスラッシュを使った力と同等になるということだ。そしてその時にさらにスラッシュを使えば今のスラッシュを使った状態にもう一回スラッシュを使ったのと同じことになる。さらにそれに慣れれば……」
「わかりました!もうわかりましたから!」
言ってることはわかるよ。スラッシュが攻撃力1.2倍になるなら、通常状態でスラッシュを使っているのと同じになるまで鍛えれば今より1.2倍強くなっているということだ。その状態でさらにスラッシュを使えば今の状態に比べて1.44倍になる。さらにそれが普通になるまで鍛えれば……、という話自体はわかる。
でも人間の力なんてそんな簡単につくものじゃないだろう。それにあまりに力をつけすぎれば今度は筋肉がつきすぎて動きが鈍くなるとか、疲れやすくなるとか、色々と弊害も出てくる。そもそも人間はそんな単純に倍々ゲームのように成長するものでもない。
ニコライの言うこともわからなくはないけどそう簡単じゃないだろう。ただだからって何もしなければ成長もないわけで、とにかくやれっていうのは確かにその通りだ。実際力がそんなにつくかどうかはともかくスラッシュを体で覚えるのに何回も素振りをして叩き込むというのはわかる。スポーツ選手だってそうやって体に染み込ませるものだ。
それはいいけど……、よくよく考えたら俺ってあまり肉体的には変化していないような気がする。もちろん初期の頃より引き締まった体になったとは思うけど……、もっとこう……、筋肉ムキムキとかになるかと思ったけどそんなことはない。
今の俺は相変わらず女の子のプニプニした体をしている。無駄な脂肪もなく引き締まってるしそれなりに筋肉もついてるけど……、こう……、地球で鍛えていた時とは明らかに違う。それが性差によるものか、ゲーム世界のようなこの世界のせいかはわからない。
「おら!わかったらとっととやれ!」
「ひぃっ!やりますってば!スラッシュ!スラッシュ!スラッシュ!」
結局このあとまた全身筋肉痛になっただろうなと思うほどに体を酷使させられたのだった。
~~~~~~~
今は覚えられる魔法もないし、スキルは覚えられるけどスラッシュを身につけるだけで手一杯だから今のうちに魔法応用Ⅰを読んでいる。応用は色々と難しいことも書いているから中々進まないんだけどそれよりも……、何か応用は色々と面白い。
まだ少し読み始めたばかりで偉そうなことは言えないけど……、何ていうかとても実践的というか即物的というか……。
基礎は本当にただの学問というか理屈を理解して詰め込むようなものだ。それに比べて応用はそれをどうやって使えば良いかとでも言えば良いんだろうか。
例えば瞑想部屋の魔法陣。あれはやっぱり魔法基礎や魔法応用を利用したものだ。特殊な触媒を使って、特定の回路を作り上げることで詠唱しなくても魔法の効果を発現させる、とでも言えばいいんだろうか。まだ読み始めたところであまりわかってないから偉そうには言えないけど、ざっと言えばそんな感じだ。
これってもっと応用したら……、戦闘中に詠唱しなくても魔法を発動させたり出来るんじゃ?
俺はまだ魔法を使ったことがない。だけど忙しなく動き回っている戦闘中に、集中して魔力を練って詠唱して魔法を発動させるって滅茶苦茶難しいと思う。瞑想部屋でじっとしながら魔力を練るのでも大変なのに、戦闘中ともなればその難易度は何倍にも跳ね上がるだろう。
この前俺は瞑想中にディオが投げてくる物を避けたりキャッチしたりするということをさせられた。たったそれだけのことで俺は途端に瞑想が出来なくなっていた。それくらい集中して魔力を練るというのは難しい。そこからさらに詠唱して魔法を発動させるとなると相当難しいんじゃないだろうか。
ゲームならターン制だし攻撃を受けても詠唱が途切れるということはなかった。でも現実となっているこの世界では戦闘中に魔法を使うというのは滅茶苦茶難しいと思う。
そんな中でこの魔法陣というのはとても凄いものに思える。何故誰もこれを普及させないのか。何か理由があるのか?出来ないとか?
ど素人の俺でもちょっと考えたらすごい有用だろうと思える。当然これまでにそう考えた人は大勢居たはずだ。それなのにそれが普及していないということは何か問題があるんだろう。素人が思うほど簡単じゃないのはわかる。
でも……、もしそれが出来たら……。
魔法がもっと便利で戦闘で使いやすくなるかもしれない。そもそもまだ一度も魔法を使ったことがない俺が何を言ってるんだという話だけど……。そういう想像をするのは楽しい。
もっと読みたい。授業なんて行かずにこれを読んで過ごせたらどれほど良いだろう。そんなことを考えながら時間いっぱいまで魔法応用を読んでいたのだった。
~~~~~~~
あ~……、ちくしょー……。やっぱり今日も全身筋肉痛だ……。
歩くのも辛いけど無理やり体を起こしてベッドから出る。数をこなせば体も慣れる、みたいなことを言ってたけど全然慣れる気がしないぞ……。ってあれ?ちょっと待てよ?
確かにスラッシュが通常の1.2倍の力を出すのだとして、トレーニングを重ねて今の1.2倍の力になったとしよう。でもその状態でまたスラッシュを使えばさらに1.2倍の負荷がかかるわけで、俺がどれだけ力をつけても結局ずっとその1.2倍の負荷がかかり続けて、ずっと筋肉痛になり続けるのでは?
それじゃあ永遠に慣れなんてこないじゃないか!詐欺だ!騙された!
まぁスラッシュの練習をしているのは何も力をつけるためだけじゃない。いつどんな状況でも確実に技を出せるように体にその型を叩き込むためにやっている。だから特訓も無駄じゃないし、騙されたとかそういう話でもないんだけど……、何か腑に落ちない。
そんなことを言ってても仕方がないのでノソノソと準備をして寮を出る。歩くのも辛いから授業に遅れそうだ。いつも早めに出てるからまだ遅刻するか間に合うかぎりぎりのところだけど、これが朝いつもギリギリの奴だったら確実に遅刻しているな。
まだ時間に余裕はあるはずだけどここに来るまでにかかった時間を考えたら、残りの行程にかかる時間を逆算すると本当に遅刻ギリギリだ。気持ちは焦るけど体は動いてくれない。そんな俺を後ろから追い抜かしていく奴がいた。
「マックス……」
「……八坂伊織か。久しぶりだな」
ノロノロと歩く俺を後ろからスタスタと追い抜いていったのはマックスだった。振り返ったマックスは俺に合わせて歩く速度を落としたけど、俺は常に最速で移動している。立ち止まって話なんてしていたら確実に遅刻してしまう。
「調子はどうだ?」
「……ああ」
俺がそう聞いても視線を逸らせて曖昧にそう答えるだけだった。二人で並んで歩いているけど会話が続かない。前までなら……、もっと会話が続いたはずだけど……。
マックスが変わってしまったのか。俺がマックスとの距離を感じるようになって前のように話せなくなったのか。そのどちらもだろうな……。
俺は今のマックスに何か余計なことを言えばアイリスの耳にも入るんじゃないかと思って警戒している。だからマックスに対して前までのように接することが出来ない。またマックスの方も前までのように陽気に、気安く話しかけてこなくなった。
それがアイリスによる影響なのか。一組に編入になったことで本人に心境の変化があった結果なのか。何もわからない。
ただ一つわかることはこうして二人で並んで歩いていてももう昔の二人ではないということだけだ。隣に並んで歩いていながら、二人の間にはもう越えられない圧倒的な距離と壁がある。
「教室についたな。じゃあな」
「ああ……」
一組の前でマックスと別れる。俺はまだ三組まで行かなければならない。三組まではまだ距離があるから俺は遅刻だろうな。
結局並んで歩いてもあれから何も話すことはなかった。もう……、マックスとも健吾とも……、前のように笑い合って、ふざけあって、冗談を言い合うことはないのかな……。




