第三十九話「次の敵が来ました」
マックスに先導されてまた人気のない空き教室へとやってきた。まさかここで……。
『ぐへへっ!お前が女だってことを黙っていて欲しかったらわかってるだろ?』
『いやぁ~!やめてぇ~!』
みたいなことになるんじゃ……。
「…………織。……坂伊織。八坂伊織!」
「ひゃいっ!」
いきなり耳元で大きな声を出されて驚いた俺は飛び上がった。あ~、びっくりした……。
「何度も呼びかけたのに……。ぼーっとしてどうした?お前らしくもないな」
「そっ、そうか……?悪かったな……。それで何の用だ?」
心臓はドクドクと大きく脈打っているのに血の気が引いたような気持ち悪い感覚がする。真っ直ぐ立っているつもりでぐらぐらと足元が揺れているような錯覚がしていた。
「今日の昼休みの件でな……」
やっぱりか!こいつやっぱり何か勘付いて……。
「お前……」
「ゴクリッ……」
何を言われるんだ?やっぱり女だって見抜かれて体を要求されるのか?
「お前……、肋骨を骨折でもしているのか?」
「…………は?」
ロッコツヲコッセツデモシテイルノカ?……ちょっと待ってくれ。意味がよくわからない。落ち着け。肋骨を、骨折でも、しているのか?そう言ったのか?
「いや……、昼休みに触れた時に胸部用のギプスをしていたからおかしいと思ったんだ……。それにあの反応……、骨折して痛い所を触ってしまったのかと思ってな」
「あっ……、あ~…………」
こいつ……、どうやら俺のコルセットに触ったのを肋骨用のギプスをしていると勘違いしたのか。でもこの世界じゃ治療すれば一晩でどんな怪我も治るはずだ。骨折しているのにギプスをつけてそのままなんてことがあるんだろうか?
「お前が何で骨折してるのに治療を受けないのかはわからないけど……、何か言えない事情でもあるのか?」
「え~っと……」
こいつは完全に俺が肋骨を骨折しているのに治療を受けずギプスをしていると思っているのか?この場合どうすれば良いんだ?こんな状況はまったく想定していなかった。答えようがない。
「俺は骨折してないっていうか……、ギプスをしているわけじゃないっていうか……」
「――ッ!」
俺がそう言うとマックスがくわっ!と目を見開いた。何か勘付かれたか?やっぱり骨折してるってことで話を合わせておけばよかっただろうか?
「そうか!やっぱりな!つまりあれがお前の強さの秘密なわけだな!」
「…………はい?」
マックスは何を言っているんだ?強さの秘密?
「その胸につけている養成ギプスで鍛えているんだろう!それが八坂伊織の強さの秘密だ!そうなんだろう?」
「え~……」
こいつは何を言っているんだ?俺が胸につけているのは何かの負荷をかけたりして体を鍛えるものだと思っているのか?そんな漫画みたいなものがあるはず……。
いや……、待てよ?ここは漫画じゃないけどゲームの世界に非常に近い。おまけに魔法なんて眉唾物まで実在する世界だ。もしかしたらそういう養成ギプスがあっても不思議じゃないのかもしれない。
「いい!わかってる!皆まで言うな!」
「はぁ?」
俺はまだ何も言ってないんだけど……、いや、俺が答えに窮しているから答えられないことだと思ったのかマックスは手を前に突き出してきた。
「そうだよな!人には言えないよな!心配するな!俺は何も気付かなかった。俺は何も見ていない。あっ、触っていないだな……。とにかく!俺は八坂伊織が日々どうやって鍛えているかなんて知らないし気付いていない。そういう体でいいんだろ?わかってる!任せておけ!」
「え~っと……」
一人で次々とそんな風に捲くし立てるマックスに何て言えばいいのかわからない。勘違いしてくれているのならこのまま勘違いしておいてもらえば良いのか?もう展開が斜め上すぎてはっきり言って理解が追いつかない。何も考えられない。
「それじゃ邪魔したな!……よーし!俺も頑張るぞ!」
言いたいことだけ言うとマックスはさっさと俺を置いて空き教室から出て行った。ポカンとしている俺は取り残されたままどうすればいいのかわからず暫くその場で佇んでいたのだった。
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寮の自室でお風呂に入りながら寛ぐ。今日は散々な日だった。マックスには胸を触られるし、女だとバレたかと思ったらわけのわからないことを言われるし、そのせいで特訓に行くのが遅くなってニコライにはこってり絞られるし……。もう踏んだり蹴ったりだ。
いや……、マックスに俺が女の体だってバレなかっただけ良かったと思うべきか……。
ぶっちゃけ自分で触ってもサラシを巻いてコルセットをしている状態では胸があるかどうかなんてまったくわからない。元々そんなに大きくない上にサラシで潰して、しかも硬いコルセットをしていれば服の上から触ったくらいでわかるわけがなかった。あの時の俺はどうかしてたんだ。
あまりの出来事に気が動転してそんなことにも気が回らなくなっていた。多少豊満な胸の女性でもサラシできつく締めてコルセットをしていたらただの硬い板にしか感じない。だからこそ俺も普段からしているはずなのに、男に胸を触られたと思った途端にああなってしまった……。
これからはもっと気をつけなければならない。一番大事なのは俺の体を不用意に触らせたりせず女の体だって気付かれないようにすることだ。だけどそれだけじゃなくて今回のように万が一アクシデントで触られたとしてもあんなに取り乱さないように心構えが必要だろう。
はっきり言えばちょっと体が触れ合ったとかそんな程度で男か女かなんてわかるはずがない。それを俺が過剰に反応していたら余計におかしいことがバレてしまう。もっと自然に、男同士だって体がぶつかったり触れ合ったりすることくらいある。そういう時のように『おう、わりぃ』くらいのノリで乗り切らなければならない。
こんな環境で女の子一人、しかも自分の性別を偽って紛れ込んでいるなんて大変だよな……。この世界の八坂伊織が何故こんな大変な思いをしてまでイケ学に忍び込んでいるのかはわからないけど……。
って、ちょっと待てよ?女の体で一人で大変な思いをしているのはこの世界の八坂伊織じゃなくて俺じゃないか?
事情もわからず……、しかも女の体にされて……、女の体の扱いも知らないし……、もしかしてこの世界の八坂伊織は女の身でイケ学に紛れ込むのが難しいから俺と中身入れ替わって全部俺に丸投げしたとかじゃないだろうな?
まぁ……、違うと思いたい。そもそもそんなことで女が自分の体を赤の他人に差し出すか?という話だ。赤の他人じゃなくて俺もこの体もどっちも同じ『八坂伊織』みたいだけど……。
それでも、例え別世界の自分自身だったとしても男の意識に自分の体を預けるなんてそんな程度の理由では出来ないよな。出来ないよな……?
俺は元の世界では男だったから、もし仮に俺の地球での体にこっちの世界の『八坂伊織』が入り込んで生活していてもそれほど何とも思わない。でも普通なら年頃の女の子がいくら別世界の自分だったとしても男の意識に体を明け渡したりしないはずだ。
もし俺がこの体が女の体だからって好き勝手していたらと思ったら向こうだって気が気じゃないだろう。俺が人の体だと思ってそこらの男を誘ってビッチプレイでもしていたらと思ったら大変だ。たぶんだけどこの体は穢れを知らない乙女だ。そんな乙女が男の意識に体を任せるような決断をしたんだからよほどのことなんだろう。
普通なら……、この世界の『八坂伊織』と神楽舞の思いを考えたら舞を守るのも自分で守りたいはずだ。二人の絆はそれくらい深い……。その記憶は今の俺にはないけど何となくはわかる。『伊織』と『舞』は本当に強い絆で結ばれている。
その舞を守れと言いながら右も左もわからない俺の意識に体を任せるくらいなんだから相当なことのはずだ。苦渋の決断だったに違いない。他にどうしようもない止むに止まれぬ事情があったに違いない。
だから俺はその思いに応えなければならない。この体を安易に男に穢させるわけにもいかないし舞も守り抜く。
それと……、今考えていて思ったけど……、元の世界の俺の肉体はどうなった?
この体が女であることからわかるようにこれはこの世界の『八坂伊織』の体だ。俺は地球で男の八坂伊織だった。男であった地球の俺の意識だけがこの世界に来ているのだとすればこの世界の『八坂伊織』の意識はどこへ行った?今どうなっている?そして俺の地球での肉体はどうなった?
単純に考えたらこっちの世界の『八坂伊織』が俺の体に入っているのかと考えることが出来る。ただ意識だけが入れ替わった状態だとすればわかりやすい。でもそれを証明する術はない。もしかしたら地球での俺の体は意識がなくなった状態で眠ったようになっているかもしれない。
俺は……、本当に元の世界に戻れるのか?仮に戻れたとして俺の体はどうなっている?もし今寝たきりになっていてこちらの世界と向こうの世界の時間の流れが同じなのだとしたら……。俺は元の世界に戻れても元の生活には戻れないかもしれない……。そんな不安だけが広がっていく……。
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魔法基礎上級Ⅳまで読み進んでいる。つまりざっと言ってこの世界に来てから十四週目に入っているということだ。
マックスとディエゴとパーティーを組むことになってからそこそこ時間が経っているけど相変わらずインベーダーの襲撃はない。何か最近は襲撃のスパンが長くなっている気がする。
それは何も良い意味じゃない。確かに襲撃される回数が減ればそれだけ危険な戦場に立つ回数が減ることを意味する。それは良いことのように思えるけど俺はそうじゃないと思っている。もしかしてだけど……、スパンが長いということはそれだけ敵が増えてるんじゃないのか?
例えばだけど……、一週間でインベーダーを百匹用意出来るとしたら、一週間毎に襲ってきたら百匹を倒せば良いけど四週間空けてから襲われたら一度の戦闘で四百匹を相手にしなければならなくなるんじゃないだろうか?
もちろんこんなのは俺の想像でしかない。だけどインベーダーが機械にしろ培養された人工生物にしろ作り出すまでに時間が必要であり今作り溜めしているのだとすれば、次の戦闘でそれを一気に相手にしなければならないという可能性は十分にある。
敵が襲ってこないからといって良いこととは限らず、むしろこの後の襲撃がそれだけ厳しくなるのだとすれば小出しに連戦するほうがまだしもマシな気がしないでもない。とはいえどちらにしろ毎回無限湧きかと思うほど敵を倒しても倒しても終わりが見えないから結局同じは同じか。
それはまぁいい。俺が考えてもわかることじゃないし無駄に不安になっても仕方がない。出来ることをして備えておく必要はあるけど悩んでも時間の無駄だ。それよりマックスとディエゴだけど二人が順調に訓練や魔法基礎を学んでいるのかどうかちょっと不安だ。
二人も真面目にやってると思いたいんだけど体育館でも図書館でも二人とはまったく顔を合わせたことがない。俺は毎回体力特訓と瞑想を交互に行っている。ディエゴも俺と同じように武器特訓で槍を鍛えて図書館に通っているとしたら偶々俺と通う日が逆になっていたらまったく顔を合わせないのもわからなくはない。
でもマックスは違うだろう?マックスは武器か体力特訓をしているようにと伝えたはずだ。毎日体育館に行っていれば二日に一回は俺と会うはずなのにまったく会ったことがない。他所で一人で特訓しているのかもしれないけど少なくとも体育館で顔を合わせたことがないというのは少々不安だ。
俺自身の特訓は順調にいっている……、はずだ。たぶん?
ニコライ流剣術でもちゃんとついていけるようになりつつあるし、あの禍々しい瞑想部屋でも一応瞑想出来るようになっている。ずっと瞑想し続けるのは厳しいけど出来なくもない。相当瞑想に入るまで短時間で出来るようになり瞑想中の効果が上がっている証拠だろう。
もう少し……、もう少し鍛えたい……。どうせ敵が来ないのならもう少し来ないでくれ。出来ることならマックスとディエゴも一緒にきちんと……。
『インベーダーが現れました。全校生徒は戦闘準備に入ってください』
それなのに……、そう思った途端に無情にも流れる放送が俺達を次なる死地へと誘うのだった。




