第三十四話「舞と会いました」
ここ最近の特訓はどちらも半端じゃないくらいに厳しい。体力特訓はもう本当に体の限界だと思うほどに追い込まれてしまう。よく体が壊れずにもっているものだと自分でも感心するくらいだ。
そして瞑想……。あのバックヤードにある瞑想部屋はやばい。魔法陣に入った瞬間からガンガンMPが減っていく。もう入った瞬間に瞑想して魔力を取り込まないとすぐに枯渇してしまうくらいだ。
でもあの瞑想部屋はとても有意義だと思う。戦闘中に魔法を使おうと思ったらあれくらい一瞬で集中出来なければ到底使えない。敵が次々襲ってくる中でゆっくり魔力を高めて集中して詠唱して……、なんてしてられるわけがないだろう。あの瞑想部屋はそういうことを想定してあんな負荷になっているんだと思う。
前回の戦いで色々と思い知らされた。あれは本当にギリギリで運良く生き残っただけだ。もっと確実に、絶対に生き残ろうと思ったら今のままじゃ駄目だ。まだまだ実力が足りない。
もちろんどこまで出来るようになったから大丈夫というものはないだろう。『イケ学』は最初から最後までこんな調子のゲームだ。こちらが強くなる以上に加速度的にどんどん敵が強くなってくる。課金要素を使わないとこちらの強さが追いつかなくなるゲームであってちょっとやそっと強くなったって勝てない。
それにこれからどんどん戦闘時間も長くなってくるだろう。恐らく一組は今壊滅状態だと思う。アイリス達の戦力は下がってるのに敵の強さや数はどんどんより強く、より多くなる。そもそも下手をしなくても勝てないんじゃないかと思えるような状況だ。
俺が出来ることはただ一つ。もっと鍛えて生き残ること……。死んだら終わりだ。何をおいてもまずは生き残る。その上でインベーダーを倒してゲームクリアをさせるなり、この世界の秘密を解いて元の世界に帰るなりしなければならない。
もっと強くならなきゃ……。生きてあの子の下へ帰るためにも…………。
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今日はディオに瞑想に行くのは少し遅くなるかもしれないと伝えている。今日はあの手紙を受け取ってから五日、つまり彼女に会う日だ。彼女……、舞は元気にしているだろうか……。別に俺は彼女と特に親しいわけでもないはずなのに何故かそんなことばかり考えてしまう。
気も漫ろになりながらも何とか放課後まで耐え切った。授業が終わると同時に荷物を片付けて……。
「なぁ伊織……」
「健吾?悪い!俺今日は急いでるんだ!」
健吾に声をかけられたけど俺は舞との約束の場所に急ぐためにすぐに駆け出した。どうせ寮で会うだろうし何か用があればまた言ってくるだろう。それよりも今日しか会えない舞との時間を優先すべきだ。
「ふぅ……」
図書館近くの空き教室までやってきた俺は少し息を整える。それにしても俺も随分体力がついたものだ。
この世界の八坂伊織はまったく体力がなかった。女性ならあんなものなのかもしれないけど特に体を鍛えていたわけではない地球の俺よりも圧倒的に体力も筋力も腕力もない状態だ。何故あんな体でイケ学に入ろうと思ったのか不思議で仕方がないくらいだった。インベーダーと戦うつもりならせめてもう少し鍛えておけよと……。
でも今は違う。今は地球の俺よりもずっと体力も筋力もある。女性だからかゲームだからかはわからないけど見た目にはそれほど筋肉質というかマッチョにはなっていない。だけど明らかに地球の俺よりも体力だけじゃなくて筋力や腕力ですら上回っている。
図書館近くまで猛ダッシュで来たのに呼吸もほとんど乱れていない。こうして鍛えた成果が実感出来るのは今後のモチベーションにもなる。トレーニングやダイエットは効果が見えないと中々やる気を継続するのは難しいからな。
なんて……、何故こんなことを考えているかというとこれから舞に会うと思うとドキドキしているから気を紛らわせるというか、気分を落ち着けるというか、他のことを考えてごまかしているというか……。まぁ単なるヘタレだ。
ドキドキしながら前の空き教室の扉を開けばそこには……。
「う~ん……」
誰もいなかった……。
それはそうか……。舞だってプリンシェア女学園に通っている学生なわけで、授業が終わってからここに来るまでに時間がかかるだろう。同じ建物内で移動可能な俺が教室からここに来るまでの時間と、外にあるプリンシェア女学園からイケシェリア学園まで来てからこの教室に来る必要がある舞とで到着時間が同じなわけがない。ましてや舞の方が早いなんてことはあり得ないだろう。
俺がどうかしてた……。舞い上がっていた……。冷静に考えたらすぐにわかることすらわからない状態だったようだ。本当に俺って馬鹿だな……。
「伊織君?」
「えっ!?」
その声に振り返ってみれば……、おさげ頭で顔を隠すように前髪を垂らして瓶底眼鏡をかけた少女が立っていた。まさかこんなに早く来るなんて……。今さっき俺が考えた通りだったならまだまだ来るはずはないと思っていたのに……。
「舞っ!」
「ぁ……」
舞の姿を確認した瞬間俺の体は勝手に動いてその体を抱き締めていた。空き教室の扉のすぐ近くだ。もし教室の外にアンジェリーヌやその取り巻き達がいたら、いや、アンジェリーヌ達だけじゃなくて放課後なんだからイケ学の生徒だって通りかかるかもしれないのに、そんなことなど完全に頭から抜け落ちてぎゅっと抱き締める。
「…………」
最初は驚いたような反応をしていた舞の方もそっと抱き締め返してくれていた。今も胸にコルセットをつけているはずなのにコルセット越しですら舞の鼓動を感じる。俺自身もドクドクと、いや、ドッキンドッキンと痛くてうるさいくらいに鼓動を打っていた。
「伊織君……、扉を閉めないと……、見られちゃうよ……」
「あっ、あぁ……。そうだな……」
どれくらいそうしてたのか。途轍もなく長い時間のようでいてほんの数秒だったような、そしてそれがどれほどの時間であったとしても離れるのが惜しいとばかりにお互いに中々踏ん切りがつかないまま、それでもついに二人は離れて舞がそっと教室の扉を閉めた。
「随分早かったんだな……。プリンシェア女学園から来るのならもっとかかるかと思ったけど……」
間が持たないというか、どうしていいのかわからない俺はそんなどうでも良いことを口走っていた。そんなこと聞くべきことか?もっと他に言うことや聞くことがあるだろうに……。
「うん……。早く……、会いたかったから……」
舞はそう言ってほんのり赤くなりながら俯いてしまった。可愛い!もうその仕草と言葉だけで好きになりそうだ!いや、俺は多分もう舞のことが好きなんだろう。
正直言うと顔もまだきちんと確認していない。もし眼鏡を取ったら3の目なのかもしれない。だけどそんなことは関係ない。舞がどんな顔だろうとどんな出自だろうと俺は舞のことが好きだ。
「舞……」
「…………」
扉を閉めた舞を再び抱き締めた。舞は抵抗することもなく受け入れてくれる。少しだけ体を離して俺の顔を見詰めてきた。俺はあまり身長が高くないから舞ともそれほど変わらない。少しだけ俺の方が背が高いくらいだ。
「伊織君……、ううん……。伊織ちゃん……、やっぱりもう記憶を失っているの?」
「――なっ!?」
俺の顔を見ていた舞は……、今……、何て言った?
『やっぱりもう記憶を失っている』?どういう意味だ?いや……、言葉の意味はわかるけど何故舞がそんなことを言ったのかがわからない。
「警戒しないで……。これはイケシェリア学園に入学する前に伊織ちゃんが私に話してくれたこと。それからこれ……。伊織ちゃんにイケシェリア学園に入って記憶を失った自分に渡してくれって頼まれていた手紙……。まずはこれを読んでみて」
「…………わかった」
俺から離れた舞が取り出した手紙を見てみる。未開封であるその手紙の中身を舞は見ていないんだろう。一度封を切って再び封をした跡はない。そしてその封筒も封の仕方も何故か覚えがある。確かに俺が……、いや、この世界の『八坂伊織』が用意したものだ。
状況はまったくわからないけどとにかく落ち着いてその封筒を開けて中の手紙を取り出す。そこに書かれているのは……。
『記憶を失っている俺へ
お前は今記憶を失って……、いや、別の記憶を持ってここに居て混乱していることだろう。だが落ち着いて成すべきことを成せ。お前がすべきことは舞を守り生き延びること。奴らに舞の存在を気付かせるな。お前と舞の二人が生き延びなければこの世界は終わる。どんなことがあっても舞を守り、そしてお前自身も生き延びろ。お前が死んだ時がこの世界が終わる時だ』
これだけ……か?結局ここには何も肝心なことは書かれていない。俺が生き延びるなんてそんなのは言われるまでもないことだ。この手紙で一つわかったことはどうやら神楽舞も何か重要な人物であると仄めかしていること。それから『奴ら』とかいう敵が存在するらしいということだけだ。
そもそも『奴らに存在を気付かせるな』と言われても肝心の『奴ら』というのが誰のことを指しているのかもわからない。
インベーダーか?でもインベーダーならわざわざ奴らなんて書くだろうか?インベーダーならインベーダーだと書けば良いんじゃ……?そもそもインベーダーにそんな知能や何らかの調査能力があるのかもわからない。ゲームでは戦闘で出てくるインベーダーはただの駒だ。生物なのか何なのかもよくわからない。
わかりやすく言えばイケ学のインベーダー達はRPG風に言えば魔王に率いられたモンスターだ。RPGのモンスターなら生物だろうけどイケ学のインベーダー達は生物なのか、機械なのか、魔法か科学で作られた擬似生物なのかもはっきりとは言及されていない。
もしかしたら個体ごとに意思があったり思考をしているのかもしれないし、ただ命令されたことを実行し続けているだけなのかもしれない。インベーダーを操りこの世界にけしかけている存在もはっきりいえば正体不明だ。
異次元からの侵略者、魔王、破滅を招く者、ゲーム中でも様々な呼び名が出てくるけど結局正体が何なのか明言されていない。そもそも現段階で実装されている所まではクリアしたけどそれで完結というわけでもなかった。魔王だの邪神だの倒しても倒しても次の敵が出てくる。
オンラインゲームというのはえてしてそういうもので、明確なラスボスや物語の終わりというものが設定されていない。サービス終了まで追加やアップデートが繰り返されて結局最後は完結することなくサービス終了が普通だ。中にはきちんと予定通りのシナリオが完結して終わるものもあるかもしれないけどそちらの方が稀だろう。
ともかく『イケ学』も俺がプレイしていた時点ではまだ完結もしていなかったしラスボスも倒していないし物語の核心も解明されていなかった。オンライン乙女ゲーである『イケ学』のプレイヤーもそんなことはどうでもよかったんだろう。ただお気に入りのイケメン達とのイベントやグラフィック、音声データが手に入ればそれで良いプレイヤーがほとんどだったと思う。
どうすれば良いんだ?結局何も解決していない。何もわからないままだ。むしろ謎が増えたくらいかもしれない。ただ一つわかることは前の『八坂伊織』も今の俺も神楽舞のことが大好きで大切に思っている。そして守らなければならないということだけだ。
「そろそろ戻らないと……。ごめんね伊織ちゃん……」
「……いや、舞のせいじゃない……」
俺も舞も別れを惜しみ見つめ合う。だけどいつまでもこうしているわけにはいかない。この手紙通りなら舞にこんな危険なことをさせたら駄目だ。いくら相手がアンジェリーヌ達とはいえそれでも舞に不審な行動をさせたら目立ってしまう。
『奴ら』というのが誰でどこにいるのかはわからないけど敵に舞の存在を隠せというのならこんな危険なことをさせるのはこれで最後だ。
「舞……、俺が頼んだのに勝手なことを言うけど……、もうこんな無茶はしないでくれ。これからはなるべく目立たないように、アンジェリーヌ達にも不審に思われるようなことはしないでくれ」
「……うん」
舞は暗い顔で俯いてしまった。最初の時のような恥ずかしそうに俯いたのとはまったく違う。そんな舞を見ているとギュッと胸が締め付けられる思いがしてくる。だけどこれは必要なことだ。舞に無茶をさせたのは俺だけどもうこんなことはさせてはいけない。
「それじゃ……」
「――ッ!」
チュッ……、と、舞は俺の頬にキスをしてから教室から出て駆けていった。最後にどんな表情をしていたのかはわからない。まだ悲しそうな顔だったんだろうか。それとも照れた顔をしていたんだろうか……。
舞にキスされた頬をそっと撫でながら俺は図書館に向かった。途中でガラスに映っていた自分の顔が見えたけど……、滅茶苦茶だらしない顔をしてた。デレデレだ。最後にあんだけ格好をつけていたのにちょっとキスされただけでこのだらしなさよ……。でも止める気にもなれず図書館で瞑想して予想通り集中出来ていないとディオに怒られた。
そして瞑想も終わって寮に戻ってみれば……、鍵がかかっている。いつもなら健吾がいるから鍵は開いているはずだ。それなのに何故……。
何か嫌な予感がする。急いで扉を開けた俺は部屋に駆け込んでみた。だけどそこには健吾の姿はない。いや……、姿どころか部屋の中の荷物が半分なくなっている。
「健吾……?」
健吾の分の荷物が何もない。慌てて部屋の外に出た俺は表札を確認した。
「何で……?まさか健吾の身に何かあったんじゃ!?」
部屋の中だけじゃない。表札も何もかも……、この部屋には健吾の物が一切なくなっていた。




