第三十二話「回避盾に決めました」
寮の部屋に戻った俺は舞にもらった花束を活けてからさっき受け取った手紙を取り出して読む。健吾は戻ってきていないし当分戻らないんじゃないかと思う。相当へこんでたしもしかしたら再起不能かもしれない。
それはともかく舞の手紙を見てみよう。これだけが今の俺の心の支えだ。
『五日後にアンジェリーヌ様と学園に入ります。その時に前の教室で二人きりで話が出来るようにします。あの教室で待っていてください』
なるほど……。恐らくアンジェリーヌ達に誰かと会ってくると告げて別行動するということかな?
確かにそれはリスクも含んでいる。アンジェリーヌやその取り巻き達が舞の後をこっそりつけてくれば舞と俺が会っているのを見られる可能性もある。それに俺と舞の会話も聞かれるかもしれない。会っただけならただの逢引で済ませられるかもしれないけど会話まで聞かれたらアウトだ。
どんな会話になるかはわからないけど人に聞かれて良い会話じゃないのは確実だろう。アイリスに知られたら一番最悪だけど他の者に聞かれるだけでも十分まずい会話になる可能性が高い。もっと良い方法はなかったのかと思うけど今更言っても仕方がない。決まったことをとやかく言うよりもこの機会をどう活用するかを考えるべきだろう。
聞きたいことは色々ある。今のうちに質問を整理しておきたいけどどこまで踏み込んで聞いて良いのかもわからない。あまり下手な質問をすれば俺の中身が変わっていることを悟られてしまう。ある程度聞きたいことを考えておくのは良いけど会話のパターンは事前に考えても使えないだろうな……。
舞との話はどんな話になるかわからない。その場の流れで適当にうまくやるしかないだろう。俺はそういうのは苦手なんだけど苦手だからと言ってられない。やるしかないんだ。
結局俺が花を活けて手紙を読むまでに健吾は戻ってこなかった。俺は特訓に出かけるために部屋に鍵をかけて体育館へと向かったのだった。
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「何故昨日特訓に来なかったんだ!」
体育館に行くといきなりニコライに怒られた。でもそう言われても無理な話だ。
「昨日は戦闘で重傷を負い医務室に行っていたので……」
戦闘が終わったら医務室に行って気がついたらもう閉館時間をすぎていた。そもそももっと前に気が付いていたとしても昨日体力特訓をしようという気にはなれなかっただろう。体力も使い果たしてヘロヘロだったし来ても碌に動けなかったはずだ。
「重傷?八坂伊織がか?」
「そうです」
俺以外に誰がいるというのか。まぁ俺以外も重傷者なんて山ほどいただろうけど、むしろあの戦闘で負傷していない者の方が少ないだろう。ほとんどは何らかの怪我を負っていたはずだ。
「お前がそんな重傷を負うなんておかしいだろう?何かあったのか?」
「いえ……、ただ敵が大量で時間も長かったから体力が尽きただけです」
本当はそれだけじゃないけどそれも無関係じゃない。俺はまだ体力に余裕はあったけど他のパーティーメンバーは一杯一杯だった。あのまま続いていたら誰かがやられてそこからパーティーはあっという間に崩壊していたことだろう。
「お前が……?その程度で……?」
「…………」
そりゃ俺くらいの未熟者なら負傷もするだろうよ。何かおかしいか?
「まぁいい。だったらこいつを装備してみろ」
「え?これを……?」
そう言ってニコライが俺に渡してきたのは弓だった。俺はこの前槍が装備出来るようになったばかりだ。それなのに弓の装備なんてまだまだ出来るはずは……。
「……え?」
装備……、出来た……?もうレベル10を超えているってことか?まさか昨日の戦闘だけでそんなにレベルが上がったと?
「やはりな。……よし。それじゃ今日のメニューは……」
「あっ!待ってください!」
弓が装備出来たことで驚いていたけどいつまでも驚いている場合じゃない。俺はニコライに頼みがあった。俺は八坂伊織の育成について意見がある。
「どうした?」
「俺は体も小さいし腕力もない。鍛えてもらったお陰でそれなりには筋力も腕力もついてますけど限界はすぐに来るでしょう。だから俺には正面から腕力で受ける戦い方じゃなくて素早さやステップを利用した避ける戦い方を教えてください。鍔迫り合いになったら俺じゃ押し負ける。それに攻撃を食らっても耐えられるだけのタフさもない。それでも戦うにはこれしかないんです!」
ニコライが俺をどういう風に育成するつもりだったのかはわからない。ニコライ流剣術っていうのがどういうスタイルなのかも未だにわかっていない。だけど一つだけわかっていることは俺には健吾やマックスのような力ずくの戦い方は出来ないということだ。
多少攻撃を受けても怯まず、力ずくで敵をなぎ倒し吹き飛ばす。そんな戦い方は俺には向いていない。ダメージを受けて医務室に行きたくないというのは確かにある。だけどそれだけじゃなくて俺の体格じゃまともに敵と押し合えば力負けしてしまう。それに攻撃を受けたら吹っ飛ばされるだろう。
俺に向いている戦い方は回避盾だ。敵の攻撃を食らわずに全て回避する。鍔迫り合いもせず攻撃は全て受け流して正面から力勝負はしない。そういうスタイルでないとこの先戦っていけないだろう。
ゲームなら体格は関係ない。明らかな身長差も体重差もある俺と健吾が鍔迫り合いしてもステータスの筋力が同じなら釣り合うんだろう。だけど現実世界じゃそうはいかない。仮に俺と健吾の筋力が同じでもウェイトの差で絶対に俺が押し負ける。ましてや俺は女の体で筋力がつきにくい。そもそもの前提として筋力が同じということにも無理がある。
「ほう……。よくわかってるじゃねぇか。そうだ!八坂伊織!お前は全てを避けて生き延びるしかない!力ずくの戦いも他の奴らが好むような派手な戦いも出来ない!お前に出来ることは正面から受けないように避けて受け流し、防がれる前に斬る!それだけだ!」
ニコライの言っていることはまさにその通りだ。そしてそれは俺が考えていたことと同じだ。避け、受け流し、鍔迫り合いにされないように防がれない攻撃を放つ。
「よ~くわかった!これからお前を立派なニコライ流剣士に育ててやる!まずはこれを持って百五十周走ってこい!」
「はいっ!お願いします!……って、それって結局いつもと一緒なんじゃ?」
渡されたでかくて太い木刀を持ちながら走り始める。だけどこれっていつもしていることだ。何も変わっていないような気がする。
「つべこべ言うな!走れ!ダーッシュ!」
「ひぇっ!」
ニコライが竹刀を振り上げる。俺は慌てて走り始めたのだった。
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「もう無理っす!」
「じゃあ無理だからってお前は戦場で立ち止まるのか!動け!止まるな!」
「ひぃ……、ひぃ……」
ランニングや筋トレが終わったと思ったら今度は前後左右への不規則なステップをさせられる。前の反復横跳びに前後の動きが加わったようなものだ。それに木刀を持ったままだから動き難い。バランスが崩れる。
ニコライが不規則にその場で決めたようにステップしなければならないからいつどっちへどうステップするのかこちらは予想も出来ない。ニコライが竹刀を振り下ろしてくるのをステップで避ける。ニコライの攻撃はあえて極端になっている。
例えば明らかに俺の右側を極端に狙ってくるなら左にステップして避ける。真正面から振り下ろしたり突いてきたらバックステップで下がる。逆にニコライがわざと隙を作ったら前に突進してこちらの木刀を振るう。ステップの特訓というよりはより実戦に近い形での特訓だ。
ただこれがまたキツイ……。散々ランニングや筋トレや素振りやとした後でまた不規則にステップの連続だ。足がガクガクしてもう動けない。でも俺が動けなかろうともニコライは容赦なく竹刀を振るう。ちょくちょく竹刀で殴られているからあちこちが痛い。これはまた青あざになっていることだろう。
「おら!止まってるぞ!」
「いだっ!」
ニコライはやたら元気な上に随分張り切っている。こっちは散々トレーニングした後で疲れているからそれだけでも大きなハンデだ。
「止まるな!止まったら死ぬぞ!」
「はぁ……、はぁ……」
それはわかるけど……、そうは言うけど……、太腿や脹脛がブルブル、ビクンビクンしてる。それに膝が笑って思うように動かない。それでも止まることは許されない。これは特訓だから失敗しても死なない。でも戦場じゃ死ぬんだ。それを俺は今まで嫌というほど味わってきた。
「あと三十分追加!」
「ひぃ~~~っ!」
それはわかってるけど……、やっぱり無理なものは無理でした……。
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今日の特訓はいつにも増して厳しかった……。ここの所ニコライ流剣術の特訓にも少しは慣れてきたと思っていたけどまだまだだ。また体中青あざだらけだし全身ガクガクだ。
湯船に浸かりながらちょっと体を揉み解す。すべすべの綺麗な肌に青い花があちこちに咲いている。よく見るとうっすらと産毛が生えている。当たり前だけど女性だってお手入れしていなければ体毛くらい生えるわな……。
まぁ男と違ってうっすらとした産毛だから毛むくじゃらということはない。産毛も全部お手入れして剃ってしまう女性もいるだろう。でもこの体の産毛はかなり薄いから剃らなくてもそんなに気にならない。
自分の体を見ていても空しい……。それよりもっとこう……、舞の体を見たいな……。舞はどうなんだろう?毛が濃いようには見えない。舞の体もこんな産毛だけなんだろうか?それとも案外脱いだら毛深いのかな?肌はすべすべだろうか?胸は大きい?
「んっ……」
舞のことを考えながら自分の体をなぞっていく。舞の体もこんなに柔らかいんだろうか。
「はぁ……」
つつつっと手が体を撫で回す。敏感な所に手が触れそうになって……。
「お~い、伊織~?いつまで入ってんだ~?いい加減代わってくれよ~!」
「――ッ!わりぃ!もうすぐ出る!」
何してんだ俺は……。これじゃ一人でしてたようなものじゃないか……。
そう言えば男は出して終わりだけど女はどうなんだろう?……いや、純粋な興味というか少し気になっただけでしてみようとかそんなつもりは……。
それに健吾はどうしてるんだ?俺と相部屋だから俺が見てる前ではしてないけどもしこの世界が本当に現実の世界ならある程度は自家発電で発散させてないとおかしくないかな?それともイケ学の世界に準ずるこの世界では皆そういうことはしないんだろうか?
まぁ別に健吾が一人でしてようがしてなかろうがどうでも良い。むしろあまり深く追及したくない部分だ。それより早くお風呂からあがらないとまた健吾が来るかもしれない。
一緒に風呂に入るってことはないだろうけど脱衣所で待たれたり、一緒になったりしたら最悪だ。早く出て交代しよう。
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お風呂からあがって寛いで暫くすると健吾もお風呂から出て来た。健吾のお風呂は結構短い。カラスの行水ってほどじゃないけどさっと入ってさっとあがるような感じだ。まぁ俺も男だった時はそれに近かったと思う。中には長湯の人もいるだろうけど男の方が全体的にお風呂の時間は短いイメージがある。
それはともかくパレードの後に健吾は随分落ち込んでいたのに今日戻ってきたら随分上機嫌になっていた。俺が体力特訓……、ニコライ流剣術特訓?に行っている間に何か良いことでもあったんだろうか。
「なぁ健吾……、今日何か良いことでもあったのか?」
別にそんなに興味もないと言えば興味ないんだけど、ずっと無言というのも変だし会話の取っ掛かりとしてそう聞いてみた。すると健吾はいきなり反応した。
「わかるか?へっへ~ん!俺だって今日は女の子と話をしてきたからな!」
「へぇ……、………………え?」
最初は聞き流そうとして……、その言葉の意味がわかった俺は健吾を見た。健吾は終始ニコニコしているけど向こうの鏡に映っている俺の顔は驚愕そのものという感じだ。
待て……。待て待て待て……。そんな……、違うよな?
「羨ましいか?俺だって女の子と話せるんだぜ!これからはもっと話して親しくなるんだ!」
イケ学には女はいない。たまにアンジェリーヌが取り巻きを連れて入ってくるけど基本的にそれ以外に女はいないし、アンジェリーヌ達はいつ来るかわからないから定期的に話すことも出来ない。
もし健吾がこれからもその女と会って話せるというのならそれは……、この学園にいる女と言えば……。
違うと思いたい。違うと言って欲しい……。だけどこの学園にいる女は男装して紛れ込んでいるこの『八坂伊織』か……、主人公、聖女アイリス・ロットフィールドしかあり得ない……。
「これからは遠慮せずに話しかけてくださねって言われちゃったんだよ。アイリスたんに」
「――ッ!」
その言葉を聞いて……、俺は思考が完全に固まった。




