第三話「敵は醜悪でした」
心地良い温もりと眩しい日差しが俺を包み込む。ふわふわと浮いているような感覚に気持ちよくまどろんでいると……。
「おーい、伊織!朝だぞ!」
「はっ!」
やばい!
聞きなれない男の声を聞いて慌てて飛び起きた。そこは見覚えのない狭い二人部屋の中だ。ただ『俺』の記憶にはないけど『体』の記録としては残っているとでもいうような奇妙な感覚だけはある。俺の意識は確かにここを知らない場所だと思っているのに無意識のうちにここは確かに俺が生活している場なのだと感じるという何とも言い難い気持ち悪さだ。
「伊織が俺より起きるのが遅いなんて珍しいな。いや……、初めてか?」
「あぁ……、悪い。すぐ起きる……」
健吾の言葉に自分の迂闊さを殴り飛ばしてやりたくなった。それはそうだ。この体の持ち主からすればそれは当然だろう。この下ネタ大魔神でエロ大好きな健吾より先に寝て後に起きれば何をされるかわからない。恐らくこの体の元の持ち主は毎日健吾が寝てから眠り先に起きていたはずだ。
女でありながら性別を偽って男の振りをしながら男子校に通っているんだからその程度の自衛は当たり前だろう。むしろ俺が昨日何も考えずに健吾より先に眠ってしまい、今まさに起こされるなんていう失態を演じたのが迂闊すぎる。
眠っている間に体を触られて性別を調べられたら?いや、そもそも既に俺の体が女だとバレていて眠っている間に悪戯されていたら?そう考えるだけでブルリと体が震える。女の体で男と一緒に生活しているというだけでこれほどストレスを感じるものなのか。
健吾が俺を女として見ていないというのはほぼその通りだと思う。だけど……、もし万が一……、と思うと怖くて仕方がない。体の元の持ち主もそうだったのかどうかはわからないけどわざわざこんな危険を冒してまで男の振りをしている理由は何だろうか……。
「朝飯作ってくれよ」
「え?」
「いつも伊織が朝飯作ってくれてただろ?」
「あっ、あぁ、すぐ用意する……」
そうなのか?健吾がそう言うんだからそうかもしれないな。でも何でだろう?例えばこの体では食べられない物があるとか?朝は絶対パン派、ご飯派、とか何かあるのかもしれない。
いきなり俺が体の前の持ち主と違うことをし出したり言ったりすると不審に思われるだろう。だけど俺はこの体の持ち主についてほとんど何も知らない。誤魔化しようも合わせようもないのにどうしろというのか。
ともかくわからないことだらけだけど手探りで行くしかない。どうすれば元の世界に戻れるのか、そもそも元の世界に戻る方法があるのか、最優先すべきはそれらだ。
だけど……、この体の持ち主が何を考え、何をしようと思って男装までしてこんな所にやってきたのか。それも知っておかなければならない気がする。少なくとも俺のミスでうっかりこの体が女だってことを周囲に悟られるわけにはいかないだろう。
適当に健吾と話をしながらそれとなく普段のこの体の持ち主について聞いたりしながら朝食を済ませてイケ学の授業へと向かったのだった。
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イケ学の寮と教室は一つの建物内で繋がっている。オープニングの主人公が入って来た扉だけが唯一外へ出られる扉であり、扉の内側はそれだけで生活の全てが賄える造りだ。
全寮制であり生徒は全員学生寮で生活している。また購買や学食というものも、授業を受ける教室も、所謂体育館のような設備も全て繋がっていて一切外へ出ることなく移動可能だ。
朝食を終えた俺達は片付けをしてから教室へと向かった。俺と健吾は同じ三組らしい。主人公や攻略対象の五人は全員一組だ。一組の他の生徒ですら割りと影が薄いのにましてや三組の俺達なんてモブも良い所でゲーム中でもほとんど名前も出てこず台詞もないようなキャラが多い。
適当に授業を聞きながら色々と考える。まず乙女ゲーについてだ。
女性主人公が攻略対象であるイケメン達と恋愛していくゲームを所謂乙女ゲーという。乙女ゲーにはいくつかお約束、つまりテンプレが存在する。
まずほとんどの場合、主人公は平民だったり、高位貴族のような者達ばかりが通う中で異例の低位貴族だったりと周囲より低い身分や立場であることが多い。
そして攻略対象達は王子様とか公爵家の跡取りとか、主人公達が置かれている環境の中でもほぼカースト最上位を占めるような最高位のイケメンであることが多い。
さらにその世界観は魔法とか何らかの特殊能力のような物がある場合がほとんどだ。そんな中で主人公は異例の力を持っているということになっている。それが後に聖女であるとか、女神候補であるとか、実は王家の血を引いているとかいう大どんでん返しの伏線だったりするわけだ。
もっとわかりやすく言えば心は優しくて良い子だけどイマイチ冴えない平民の女の子が、特殊能力などを買われて本来の身分では入れないような学園などに入学して、なぜかその世界でもトップレベルの金持ちで権力者でイケメンの男達にチヤホヤされるゲーム……、ということができる。
これらは所謂シンデレラストーリーという奴だろう。ただの平民として周囲に虐げられているけど実は凄い何かがあって最終的には全てをひっくり返して大成功を収める。
乙女ゲーの中には例えば平安貴族との恋愛とか陰陽師であったりと設定に多少の違いはあっても大筋でそのようなものが多い。
またゲームのメインはイケメン男子達との恋愛であり他の部分は盛り上げるための舞台装置や設定でしかない。だから基本的に作りがザルでガバガバだ。
申し訳程度に入っている育成シミュレーションパートだったり、簡単な戦闘パートだったりとただ単純に選択肢を選んで恋愛していくアドベンチャーゲームとは少々趣が異なる。
男性向けの恋愛ゲームである所謂ギャルゲーは恋愛アドベンチャーや恋愛シミュレーションが多い印象だけど乙女ゲーは何故か女性向けなのにキャラ育成シミュレーションや簡易ながらもRPGやシミュレーションのような戦闘パートがあったりする。初期に流行った乙女ゲーの踏襲や攻略対象との絡みを演出しやすいからかもしれない。ただその世界が現実になるとあちこちの設定がガバガバすぎて気持ち悪い。
このイケ学もその手の乙女ゲーと変わらず設定も世界観もガバガバだ。剣と魔法の世界で貴族がいて王子がいるのにご覧の通り生活は現代日本とそう変わらない。もしかしたら魔法で動いているのかもしれないけどスイッチを入れれば電灯のようなものが点灯するし蛇口を捻ると水が出る。お湯だって出る。
今受けている授業もまるで日本の学校のようなものだ。照明で照らされた教室に机を並べて先生が教壇に立ち黒板にチョークで授業内容を書いていく。剣と魔法で侵略者と戦っている設定はどこへ行った?と突っ込みたくなる。だけどこれがこの世界なのだから仕方がない。
イケ学は普段はこうして普通に学校のような生活を送って主人公は学内を移動して攻略対象達と出会いイベントを進める。また一日の行動回数に限りがあり攻略対象達と会うばかりではなくステータスを上げるための訓練や勉強をしていないと早々に敵についていけなくなり詰んでしまう。
まぁ昨日主人公が転入してきたばかりのようだから……。
「あっ!」
「どうしました?八坂君」
急に声を上げて立ち上がった俺に先生が板書をやめてこちらを見てくる。
「あっ……、いえ……、何でもありません。すみませんでした」
「そうですか……。あまり寝ぼけないできちんと授業を聞いてくださね」
先生がそう言うとドッと笑いが起こった。だけど笑われたことなんて気にしてる場合じゃない。俺は今がかなり危険な状況であることにようやく思い至った。今はまだゲームのオープニングとチュートリアルの部分だ。そしてチュートリアルと言えばこの後で起こるのは……、戦闘パートの説明だ……。
昨日の出入り口の扉で主人公が生徒全員に迎えられてオープニングムービーと歌が流れる。ムービーが終わると主人公はその日は部屋に案内されて一晩を明かす。翌朝から学園内を案内されて教室に向かい授業を受ける。しかし途中でインベーダーの襲撃があったと報告が入りイベントがスタートするわけだ。
そのまま戦闘システムの説明がされたり駒の動かし方が説明されたりしながら実際にチュートリアル用のマップでインベーダーと戦うことになる。
まぁこのイベントというかチュートリアルは初心者のプレイヤーにゲームの進め方や戦闘システムを教えるためのものだから戦闘で負けることはまずない。実際どんな初心者プレイヤーが説明も聞かずに無理やり戦闘をしてもまず勝てる程度のものだ。
それに騙されてゲームにのめり込むと途中から課金しないと絶対にクリア出来ない課金地獄に引き摺り込まれるわけだけど、いくら課金必須の鬼畜ゲーとはいっても流石にチュートリアルくらいは寝てても勝てるくらい簡単にしてくれている。まぁそれが罠でもあるわけだけど……。
ともかくそのうちチュートリアルの戦闘が始まるはずだ。それが主人公にとっての初陣でもある。
『インベーダーが現れました。全校生徒は戦闘準備に入ってください』
きた……。こんな暢気な校内放送が流れるのか?何て緊張感の欠片もないんだ……。
まっ……、心配する必要はないだろう。何度も言っているようにこれはチュートリアルの絶対勝てる楽な戦闘だ。負けたらどうなるのか知らないけど初心者が何も考えずプレイしてもほぼ負けないような設定になっている。目的はあくまでプレイヤーに戦闘システムを理解させるためのものだからな。
「おい、伊織。行こうぜ」
「あぁ……」
健吾にそう言われて教室を出て行く。おかしい……。ゲームの時は主人公と攻略対象たちだけで迎撃に向かうはずだ。全校生徒が武装するなんて描写はなかった。
……いや、それは描写が省略されているだけで本当は全員が迎撃に出ていたということか?その中でゲーム上では関係あるキャラクターの部分だけが描写されていた?じゃあ俺達は……、まさか……。
「まったく……、面倒な話だよな。ほいよ」
「……え?」
皆がプロテクターを付けつつ準備を終えていく。健吾が俺に差し出したのは木刀だ。確かにゲームではレベル1でも装備出来る最弱武器は木刀だった。だけどいくら何でも現実でこれはないだろう。そこに金属製の剣が置いてある。それを使えば良いじゃないか……。何で金属の剣があるのに木刀を使う必要がある?
「こっちを使えば良いだろ?」
「ばっ!俺達じゃまだそれは装備出来ないだろ!」
健吾がわけのわからないことを言っている。金属の剣だろうが木刀だろうが握って振れば良いだけだろ?木刀が振れるなら剣だって……。
「うっ!おっ!?」
そう思っていたのに……、立て掛けてある金属剣を持ち上げようとしたら重くて持ち上がらずズドン!と手から落ちた。何だこれは……?何で剣が持てない?重さが尋常じゃないからか?今の勝手に手から落ちたかのような重さは何だ?
「何だよ……。まさか知らない間に伊織だけレベルアップして装備出来るようになったのかと思って焦ったじゃないか。装備出来ないなら無理するなよ」
そう言いながら健吾が俺がひっくり返した剣を簡単に持ち上げて元の位置に戻した。どういうことだ?健吾の腕力や握力が俺よりも圧倒的に優れているということか?
気になった俺は今度は持ち上げようとせず少しだけ動かしてどけようと持ってみた。すると……。
「なっ!?今度は持ち上がる!?」
今度は剣が普通に持てた。これならこの剣を使えそうだ。それなら……。
「うおっ!」
「うおぃっ!さっきから何してんだよ!もうさっさと行くぞ!」
健吾に怒られた俺は木刀を持たされて引き摺られていく。まただ……。また急に重くなったような感覚がして手から滑り落ちた。
もしかして……、これがレベル制限か?この手のゲームはガチャで強い武器を出したからってすぐに装備していきなり最強とはいかない。武器や防具を装備するためにはキャラクターのレベルが一定以上でなければならないというレベル制限が存在する。そのレベルに達していないキャラはそれらを装備することは出来ない。
木刀はレベル1から装備出来る最弱の武器だ。俺達が今初期値だとすればキャラクターレベルも1ということになり木刀以外の武器は装備出来ない。
くそっ!何だよこれ……。目の前に金属剣があるのに何で木刀で戦わなければならないんだ……。
でもまぁいい。初期レベルがモブのレベル1と違って多少高めに設定されている攻略対象の王子達ならチュートリアルで負けることはまずない。俺達の出番はないだろう。
「待て、お前達はこっちだ。次はそこのお前からは向こうへ配置だ」
「え?」
俺達が出撃場へ向かうと兵士が学園生達をあっちへこっちへと割り振っていた。そんな備えなんて必要か?所詮チュートリアルだろ?俺達の出番なんてないはずだ。
「いいか。お前達の役目は王子達とあの聖女候補が安全に実戦経験を踏めるようにすることだ。最初にこちらで通した敵以外は絶対に王子達の所へ通すなよ」
え?……いやいやいや!ちょっと待て。この兵士は何を言っている?
「やべぇ……。緊張する……」
健吾が……、震えてる?それに……、俺達の出撃場の先には……、ゲームで見ていた時は所謂昔の火星人のイラストとして出て来たタコやクラゲのような敵が……、だけど現実で見るインベーダー達はゲームの時のようなデフォルメされたコミカルな見た目と違って醜悪でグロテスクな化け物だった。
「おい……、嘘だろ……。まさか今から俺達があれを?」
「何をしている!さっさと行け!」
「うわっ!」
兵士に押し出された俺の目の前には……、一面の化け物。何だこれ?これがチュートリアル?ふざけるなよ!チュートリアルでこんなの相手にさせられたら即死でゲームオーバーだろうが!
「何だよ……。何なんだよ!」
何が何だかさっぱりわからない俺に向かってグロテスクな化け物どもは徐々に距離を詰めてきていたのだった。