第二十五話「隠しイベントを発見しました」
悲鳴を上げそうになった俺は必死で堪えて階段を上った。上りの階段に入ればアイリスからは俺が見えないはずだ。
危なかった……。大声を出す所だった。アイリスは絶対に俺を見上げていた。今のは間違いなく目が合った。
いや、いやいやいや……、落ち着け。それくらい普通だろう?階段ですれ違った時に、折り返しで相手の方をチラッと見たりするくらい誰でもするだろう。何もおかしなことはない。そのはずだ……。大丈夫……。大丈夫……。落ち着け……。
図書館の近くまで来た俺は図書館に入る前に一度落ち着いて深呼吸をする。こんな精神状態で瞑想しに行っても効果はない。それは何度もディオに言われていることだ。
そうだ!それより先に彼女の手紙を読もう。これも気になっているし瞑想に集中出来ない要因になる。彼女の手紙を読んでアイリスのことは忘れよう。そう思い立った俺はポケットから彼女の手紙を取り出す。
図書館の前から離れて小さく折り畳まれている手紙を広げてみる。一体何が書いてあるんだろう。
『今はまだすぐに連絡を取る方法が思い浮かびません。考え次第連絡しますので少しお待ちください』
端的に淡々と書いてある。もっと文通チックな……、可愛い文を期待していた俺の期待は見事に粉砕された。
まぁ……、こんな小さな紙に書いて周囲から見つからないように渡そうと思えば余計な文章を書いている余裕はないだろう。出来るだけ小さな紙に端的に書くのは当然だ。特に彼女は、見た目からの俺の勝手なイメージだけど……、的確に必要最小限のことを効率的にやりそうなイメージがある。
俺はこの世界のことについて未だによくわかっていない。現地人であるはずの彼女でもすぐには考え付かないんだから俺が思いつくはずもないだろう。この件については彼女に任せておくしかない。俺は今自分に出来ることを頑張ろう。
よし!そう思うと気持ちも落ち着いてきたぞ。俺は俺で自分の特訓を頑張ろう!そう思って図書館へと入っていったのだった。
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今日で……、もうこの世界に来てからどれくらい経った?恐らく八週間目くらいか?魔法基礎中級Ⅲまできているから大体八週間目か?
本格的にやばいな……。このあまりに時間の流れが曖昧な世界にずっといると何月何日何曜日ということがわからなくなってくる。わからなくなるというよりはそもそもこの世界にはそういった概念がない。学園で『今日何日?』なんて聞いても怪訝な顔をされるだけで誰も答えてなんてくれない。何故なら日付なんてないからだ。
俺はこの世界の人間じゃなくて元の世界の感覚があるからそんなことを考えるけどこの世界の住人達はそんなことを気にしない。ただ毎日学園の授業を受けて、インベーダーが来たら戦う。ただそれだけの毎日……。
特に問題なのが日曜日等の定期的な休みがないことだろう。毎日ダラダラと同じパターンの繰り返しだから余計に日にちの経過がわからなくなってくる。何らかのイベントで学園が休みになることはあっても毎週定期的に決まった休みというものがない。だから曜日を意識することがなく何日ということも考えない。
あるいはこれはわざとこういう風にしているのかもしれないとすら思える。学園生達の思考力を奪うためにこうしてずっとワンパターンな生活の繰り返しをさせているんじゃないかと穿った見方をしてしまうのは俺だけじゃないはずだ。
そんな毎日同じことの繰り返しの生活も随分経った気がする。今日も放課後はいつもの日課をしようと体育館にやってきた。瞑想と体力特訓は毎日交互だからこれだけが俺の生活リズムのメリハリかもしれない。
「よくここまで特訓に耐えたな!八坂伊織!これからお前にニコライ流剣術を教えてやる!」
「…………へ?」
今日もいつも通り体育館へ体力特訓をしにきたらニコライがそんなことを言い出した。何だこれは?何かのイベントか?でもゲーム中でこんなイベントなんて見たことも聞いたこともない。ニコライ流剣術とやらが存在するなら攻略情報なり何なりで流れているはずだ。だけど俺はそんな情報は一切見たことがない。
「何を言ってるんです?」
「皆まで言うな!わかってる!お前だって本当は武器の特訓がしたかったんだろう?だけど今まで我慢して体力特訓を耐え抜いてきた。そうだな?」
「はぁ……?」
まぁそれは間違いじゃない。確かに武器特訓だって出来ることならしたい。でもまずHPと筋力を上げるために体力特訓を優先する。それはイケ学攻略をするなら当然の選択肢だ。だから俺はどちらかというと武器特訓より体力特訓がしたい。何しろ俺のメイン武器は杖になる予定だ。武器特訓をしてもあまり意味はない。
剣は鍛えているけどそれはあくまで自衛のため。接近戦になった時に対応出来るための最低限の自衛手段としてだ。そして体力特訓をしているのは最大HPを増やして死なないようにするためであって、武器特訓せずに体力特訓ばかりしていたのは俺の意思なわけだが……。
そもそもニコライは何で急にこんなことを言い出した?少なくとも俺はゲームではこんな台詞やイベントは見たことがない。それに攻略情報にも出回っていなかった。何がきっかけでこんなイベントが始まったんだ?
…………もしかして、今回は体力特訓二十六回目……か?体力特訓二十五回目まではいつも通りだけど二十六回目から内容が変わる、もしくは何か追加される?隠しイベントか?
でも隠しイベントにしても二十六回目くらいなら繰り返すプレイヤーも居たはずだ。それなのにそんな攻略情報はなかった。ということは現実になっているこの世界特有のイベントということか?
「そんなお前のためにこれからは体力特訓と同時にニコライ流剣術を教えてやる!今までの辛い特訓を耐え抜いてきたお前ならきっとやれるはずだ!」
「えっと……」
どう反応したらいいんだ?乗っかれば良いのか?呆れれば良いのか?俺の答え次第でイベントの先が変化するんだろうか?でも俺の答えなんて関係なさそうだな。何しろニコライがもう木刀を持ってきている。これは俺の意思に関わらず強制的にやらさせられるということだろう。
「さぁ!剣を取れ!」
「……はい」
差し出された剣を受け取る。…………で?
「走れ!」
「…………はい?」
「さっさと走れ!ダーッシュ!体育館二百周!」
「はいぃっ!」
バシンッ!と竹刀で床を叩くニコライに追い立てられて走り出す。周回数は地味に増えているけどこれって結局いつも通りじゃね?何か違うのか?
「こらー!剣の柄を握ったまま走れ!」
「うわっ!追いかけてきた!?」
いつもは最初の場所で立って指示を出すだけのニコライが竹刀を振り上げながら追いかけてきた。そのために聞き逃しそうになったけど今何て言った?剣の柄を握って走れって言ったのか?
俺は今剣の中ほどを逆向きに持っている。左手で剣を差しているように腰に当てて右手で柄を握って構えたりするだろう。あの左手で剣を握っている状態に近い。剣の先を後ろにして中ほどを握っている。これを剣の柄を握っている状態に変えて走れということか?
「こうっすか~?」
「おう!そうだ!それで走れ!」
俺が持ち替えたらニコライは追ってくるのをやめた。どうやら合っていたらしい。つまり剣を抜いて構えている状態で走れということらしい。こんなことで何か変わるのかと思いながらも言われた通りにいつものランニングから始めたのだった。
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「はぁ……、はぁ……、はぁ……」
何だこれ?二百周っていつもより周回数増やされてるじゃんとか思ってたけどそんな問題じゃなかった。二百周くらい余裕だと思っていたのに百周もする前にもうつらくなっている。いつも百五十周している俺がだ。
「まさか……、たった……、これだけで?」
俺は自分の右手に握られている木刀を見詰める。いつもと違うことといえばこの木刀だけ。それなのにいつも百五十周走っても最近は平気になってきていた俺が、たった百周にも満たない間にもう息が上がっている。
木刀自体の重みは1kg前後だろうか。感覚的にしかわからないけどさすがに2kgはないと思う。この木刀はみやげ物屋で売っているようなイメージでよくある木刀と違って太くて重い。これを持って走っているだけでこんなに違うものなのか。
もちろん単純な重量の増加というものはあるだろう。でもそれだけじゃない。剣の柄を持った状態で走ると腕を振るたびに引っ張られてバランスが崩れる。最初のように剣の中ほどを持って大きく振らないように走ればまだしもこんな持ち方をして走っていたら反動でこうなるのは当然だろう。
「おら~!チンタラするな~!百五十周にまけてやるからさっさと走れ~!」
「うひぃ……」
まけるっていうかそれがいつもの周回数だろう……。いつもより負荷が増えているのにいつも通りにしろというだけでも十分負担が増えている。これを走り終わるだけでも相当なものだ…………。
何とか走り終わった俺にニコライは次々に課題を課してくる。いつものメニューに加えてこの太くて重い木刀を持ったままトレーニングをさせられるからしんどい……。それにバランスが崩れる……。
「よ~し!そんじゃ次は素振りだ。その木刀を振れ」
「え?……あの?」
いきなりそんなことを言われても俺は剣の振り方なんて知らない。今まで散々木刀で戦ってるだろうって言われるかもしれないけどあれは無我夢中で振り回しているだけだ。
「ニコライ流とかいうのを教えてくれるんじゃ?」
「だから教えてやってるだろ。さっさと振れ!」
「はいぃっ!」
型とか振り方とかはどうでもいいのか?何も教えてくれないからさっぱりわからない。とにかくいつも通りに何となく木刀を振る。
「脇が甘い!」
「いて!」
俺が木刀を振ると竹刀で脇を叩かれた。それならフォームくらい教えてくれたらいいじゃないか。
「重心がおかしい!」
「いてっ!」
今度は足を叩かれる。
「体がブレてる!」
「いでぇ!」
とにかく木刀を振るごとに竹刀であちこちを叩かれる。何度も何度も……。それに一通り全部指摘されたかと思ったらまた同じところを叩かれる。エンドレスだ。
「脇!」
「いっ!」
「足!」
「うっ!」
「腰!」
「おっ!」
もう途中からニコライの指摘もいい加減になってる気がする。とにかく何か言いながら俺の体を叩いているだけだ。
「どうした?手が止まってるぞ」
「もう力が……」
散々筋トレやら何やらさせられた後だ。もう腕が上がらない。
「ちっ……。しょーがねーなー……。よし!最後だ。最後にもう一度残ってるもん全部乗せて振ってみろ」
「はい……」
本当にもう腕も一杯一杯でプルプルしている。木刀を振ったって握力がなくてすっぽ抜けるんじゃないかと思うほどだ。それでも言われたら振るしかない。残っている全てをこの一振りに乗せて……。
ビュンッ!
「お?」
「え?」
ビシッと……、今までにないほどの感覚がして会心の一振りが出来た気がする。体もスムーズに、余計な力が入ることなく今までに比べたら自然な形で振れたんじゃないだろうか。
「今のはまぁまぁだな。よし」
「おっ、終わった……」
ようやく終わりか……。もう腕が上がらない。最近はようやく体力特訓に慣れてきていたと思ったけど今日は今までの比じゃないほどにきつかった。
「おい、何休んでる?今の感覚を忘れる前にもう一回振れ!」
「え!?さっきので最後だったんじゃ?」
「いいから振れ!」
「うひぃっ!」
最後だから全部込めろって言ったじゃん!言ったじゃん!この嘘つき!
「全然なってない!腕!足!腰!重心!」
「痛い!痛い!痛い!」
結局このあともまだまだ散々素振りをさせられたのだった。
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寮に帰ってお風呂に入る。今日の特訓は酷かった……。手足を見てみればあちこち青あざになっている。女の子の肌にこんなに痣をつけやがって!
まぁ……、でも悪いことばかりでもなかった。俺は武器特訓は諦めていた。そんな時間もないし結局は剣はサブウェポンのつもりだった。だから武器特訓なんてしている暇はなかった。だけどニコライが体力特訓と一緒に武器特訓もしてくれるなら……、俺ももっと剣が使えるようになるかもしれない。
ゲームなら無駄だと切り捨てる。後衛魔法職が剣の特訓なんてしても無駄だ。でもこの世界で俺が本当に魔法を使えるようになるという保障はない。確かに魔法基礎は勉強している。瞑想もしてMPだって増えているはずだ。だけど絶対に魔法が使えるようになるという保障はどこにもない。
システムとして保障してくれているゲームと違って中途半端に現実になっているこの世界じゃ魔法が絶対に使えるとは限らない。それならこうして剣が使えるようになっておくことには意味がある。
全身筋肉痛だし青あざだらけだけど……、今日は充実した気分で眠れそうだ。




