第二十一話「『あの日』がきました」
あれから何日も経っているけど健吾は特に変わった様子はなかった。やっぱり俺の考えすぎか?どうにもわからないことだらけで神経質になっているのかもしれない……。こちらが意識しすぎているだけで案外向こうは何も考えていないだけかもな……。
「伊織、昼飯行こうぜ」
「ああっ……、――ッ!?」
健吾に言われて食堂に行こうとしたら突然の腹痛に襲われた。実はこの経験は二度目だからそろそろだろうと思っていた。なので慌てずに健吾に手を振る。
「悪い……。ちょっと腹の調子が悪いから先に行っててくれ」
「あぁ……、大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。すぐ行くから」
さっさと行けとばかりに手を振って健吾が先に行くのを見送る。学園生は学園の食堂でいつでも無料で食事が食べ放題になっている。俺はここで通貨を利用したこともなく見たことすらない。学園生は学園内において全てのサービスを無料で利用出来る。
文房具がなくなれば売店でタダで貰えるし食事は食堂に行けば食べ放題。着替えの服ですら申請すれば無料ですぐに手に入る。そんな中で俺達が独自に手に入れられないものが医療品だ。
医務室に行けばありとあらゆる症状に対処してくれる。だから俺達個人が医療品を持つ必要はないとして売店でも物品購入の申請でも医療品は存在しない。具合が悪くなったら医務室へ行けというスタンスだ。
ただ医療品は手に入れられないけど『生活用品』は手に入れられる。学園の制服や着替えは申請して無料で貰えるけど生活するにはそれ以外にも色々と必要だろう?
例えば寮で使っているタオルとか歯ブラシとか歯磨き粉とか、文房具や学校の制服や着替え以外にもそういったものが必要になる。それらは学園の物品購入申請でも無料で手に入るけど個人で買うことも可能だ。その場合は外の業者にインターネットのようなもので注文して送られてくるものを受け取ることになっている。
俺がそれらを購入した場合に誰がどうやって代金を支払っているのかわからない。もしかしてお金がかかるのかと思って試しに買ってみたけど俺がお金を払った形跡はなかった。知らない所から自動で引き落とされているのかもしれないけど……。
そして購入して送られてきた物は学園側に調べられているのかと思ったけどそんなこともないらしい。恐らく持ち込み禁止であろう物を買ってみたけど特に取り上げられることもなく部屋に届いた。何故そんなことをしたかと言うと本当に必要な物を手に入れられるか、実際にそれを注文する前に確認しておく必要があったからだ。
「うぅ……」
お腹が痛いのを我慢しながら人が誰も来ない遠く離れたトイレに急ぐ。別にお腹を壊しているとかそういうことじゃない。これは基本的に毎月一回は来るやつ……、そう……、『あの日』だ。
この世界に転生してからまだそんなに経っていなかった頃……、俺は突然の腹痛に襲われて慌ててトイレに駆け込んだことがある。その時はたまたま寮の自室にいる時に始まったからまだよかった。
少し前くらいから体調が悪いなと思っていたら突然下っ腹が痛くなって駆け込んだトイレで大惨事となって大変だった。初めて見た時はあまりのショックにめまいがしたくらいだ。幸い健吾がいないタイミングだったから助かったけどもしあの時に健吾が近くに居たらかなりやばかったかもしれない。
そしてここ最近……、またあの時と同じ体調不良を感じるようになっていた。だからまた来るんじゃないかと思っていた矢先にこれだ。
俺がさっき言った買い物の話。そう……、それは生理用品をどうやって手に入れれば良いのか、ということと買っても大丈夫か、ということの実験だったわけだ。
この体の八坂伊織も元々生理に備えて用品は置いていた。私物の奥の方にこっそりと女性用下着や生理用品が置かれているのは初期の頃に見つけている。だけどそんな大量にあるはずもなくこっそり隠していたから数量には限りがあった。そこでどうにかして追加で手に入れる方法はないかと思って確かめたというわけだ。
外部の物を買う時は寮の部屋に設置されている端末で注文する必要がある。相部屋の俺と健吾は同じ端末で頼むことになるけど一応表向きはプライバシー保護なのか購入履歴は確認出来ないようになっている。そこで俺は色々なパターンを試してみた。
まず基本は俺が自分で俺の物を買うこと。これは当然何の問題もない。
その次に俺が健吾の名前で買い物をすること。これはいわばIDは俺だけど購入者の名前を健吾にしたということだ。これも別に問題なく部屋に届いた。
そして俺が健吾のIDで勝手に買い物をする。それも健吾が被害届を出すなりしない限りは問題ないようで特に何も起こらず普通に荷物が届いた。
続いて俺は自分のIDで健吾名義でエロ本を購入。それも特に取り上げられることなく普通に届く。エロ本くらいいちいち荷物をチェックされて取り上げられないのかもしれないということでそこから色々と健吾名義で買いまくってみた。『今度産む』さんを買ってみたり、エログッズを買ってみたり、本来なら学園で禁止されている物も買ってみたけど特に取り上げられることもなく全て無事届いた。
なので俺は本命の物を注文してみた。それは女性用下着と生理用品……。ここまで変な物を色々買って届いていたんだから大丈夫という気持ちと、さすがに女性用品だとやばいかなという不安はあったけどこれも何の問題もなく届いていた。つまり学園は学生が何か買って届いても特に取り上げることはしないだろうということがわかった。
買った覚えがない物が次々に届いた健吾は困惑する……、どころか喜んでいたし良いだろう。
ちなみに健吾のIDで俺が買い物をしたというのも本人に了承を得てのことだから無断で買ったわけじゃないということは言っておく。ただ宛名の偽名は出来てもIDが本人以外で使えるのかわからなかったから確認しただけだ。
そうして生理用品を含めた女性用品が手に入る目処は立ったわけだけど……、用品があっても本人、つまり俺の知識が足りなければ色々と困ったことになる。インターネットのような情報収集が出来るものもない。買い物は出来るけど情報を検索したり出来るものじゃなかった。まぁそもそも剣と魔法の世界にインターネットってな……、という気もするしな……。
とにかく女の子初心者である俺には『あの日』への対処は難しい。周期的にも体調的にもそろそろ来る頃だろうと思ってナプキンは持ってきていたけどまだ慣れない……。
何にしろ人が来ない所まで行ってゆっくりしなければ……。初心者の俺はそんな手早くうまく出来ないから人がいない遠くのトイレで一人じっくりと……。
「よう!八坂伊織じゃないか」
「げっ……、マックス……」
何故こんな所にマックスが……。ここは教室からも食堂からも遠く離れた場所だ。お昼休みであるこの時間にこんな場所に居る者なんていないと思ったのに……。よりにもよってマックスみたいな面倒臭い奴に見つかるとは……。
「げっ、とは随分な言葉だな。どうした?こんな時間にこんな場所で?」
それは俺の台詞だ。お前こそこんな所で何をしていたんだよ……。お腹は痛いし、イライラするし、あまり時間をかけすぎたら垂れてくるかもしれない。早く済ませたい……。
「お前こそこんな場所で何をしているんだよ?」
「俺か?俺はさっきの授業で使った資料を返してくるように言われたからそれを……」
べちゃくちゃと長い……。もうわかったから早く俺を通してくれ……。資料を返しにきたんだよ、でじゃあさいならと済ませれば良いだろう。いつまでしゃべってる気だ。本当に面倒臭い。
「それで伊織は?」
「俺はちょっとこの先に用があるんだよ……」
『あの日』が始まったからナプキンをつけに来ましたなんて言えるわけがない。とっとと終わらせて早くトイレに行かせてくれ……。
「この先?この先には使われていない教室があるだけだぞ?……何か怪しいな。お前何か企んでいるんじゃないだろうな?」
何か企むって何をだよ……。もういい加減にしてくれ……。そろそろ限界だ……。
「何か様子もおかしいし……、何か善からぬことをしているんじゃないだろうな?」
「だから!具合が悪いんだよ!見てわからないか?あぁ?さっさと話を終わらせろ!」
もうイライラがピークの俺はぶち切れてマックスにそう叫んでいた。もう限界だ。もしかしたらちょっと垂れてきているかもしれない。早くトイレに行かせてくれ!
「おぉ……、そっ、そうか……。具合が悪いのか?大丈夫か?なら医務室まで運んでやろう。さぁ、行こう」
俺に怒鳴られたマックスは少し怯みつつもそう言って俺の腕をとって医務室の方へ行こうと引っ張る。折角ここまで来たのに医務室へ行こうと思ったらかなり戻ることになる。今の俺にはそんな余裕はないんだよ!
「引っ張るな!離せ!」
「おっ、おい?具合が悪いんだろう?医務室へ運んでやるから。な?」
あぁもう!何でわからないんだ!あまり力んだらドバッときてしまうかもしれない。とにかくさっさと向こうへ行ってくれ!
「何でこんな場所まで来ているか、具合が悪いって言ってるのがわからないのか?もう出そうなんだよ!無理に引っ張ろうとするな!力んだら出ちゃうだろ!」
「あっ……、あ~~~…………。悪い…………。そうか……。皆がいる所でするのが恥ずかしいとか言う奴もいるもんな……。俺が無神経だった。悪かったな……。じゃ……、えっと、頑張れよ……」
そう言ってマックスは顔を逸らせてそそくさと立ち去っていった。よし!ようやく開放された。もう限界だ。急いでトイレに向かわなければ!
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ふ~……、何とか間に合った。ちょっと……、そう、ほんのちょっとだけ下着が汚れてしまったかもしれないけどそれは普通のことだ。俺が特別失敗したわけじゃない……、はずだ。
それにしてもマックスの野郎め……。こっちはギリギリだったっていうのにいちいち絡んできやがって。だからあいつは面倒臭いんだ……。
「って、あっ!ああぁぁぁぁ~~~~っ!!!!」
俺は我知らずトイレの中で叫んでいた。
ちょっと待て……。ちょっと待てよ?さっきの俺とマックスのやり取り……。あれって完全に俺がお腹を下していて皆がいるトイレで大をするのが恥ずかしいからこんな辺鄙なトイレまで来たと思われてないか!?
いや……、良いはずだ。それで良いはずなんだよ?だけど……、何だこの大切な尊厳を失ったような喪失感は?
俺が『あの日』がきたからナプキンを装着するために人気のない所まで来たとバレるわけにはいかない。だからさっきのやり取りはむしろ好都合なはずだ。マックスがそう勘違いしてくれているのなら万々歳のはずなんだ……。
だけど俺はありもしないお腹下しと思われた上に、人がいるトイレで大をするのが恥ずかしいからこっそり遠くのトイレまでやってきた奴ということになってしまった……。何という屈辱……。
いや……、まぁ……、実はこの体になってからは本当にそうだからあまり偉そうには言えないんだけどな……。俺は男用の小便器で用を足せない。かといって大勢の生徒達が利用しているトイレの個室に入ってする勇気もない。
勘違いしてもらっては困るのは男の時は平気でしていた。皆が利用しているトイレで大をするとかしていると思われるのが嫌だとかそういうことじゃない。もし……、万が一にも誰かが上から覗いていて俺が女だとバレたら……、とかそういうことを考えると人が大勢いる場所で個室に入って用を足せなくなってしまっただけだ。
上も下も隙間が開いてる学園のトイレで男子生徒達がうろうろしている中で女の体で用を足すというのがどれほど大変なことか……。それに耐えられなかった俺は普通に用を足す時もこうして遠くのトイレに足を運んでいる。
こんな環境の中で女がポツンといることって大変だよな……。この体の八坂伊織はどうしてこんな大変な思いをしてまでイケ学に性別を偽って入学しているんだろう……。それにアイリスは?
そうだ……。アイリスはどうしているんだろう?イケ学には女子トイレなんてものは存在しない。職員も全て男性であり女子トイレというものが必要じゃなかった。だからどこにも女子専用のトイレは存在しない。詳しくは知らないけどアイリスもトイレに困っているんじゃないだろうか。
俺はアイリスのことは気持ち悪いし怖いと思っている。だけどこんな環境の中で女がポツンといる苦労だけはわかる。そういう意味では少しだけアイリスにも同情を禁じ得ないのだった。




