第二十話「女の子を捕まえました」
あれから数日が経っているけどどうやら健吾が武器特訓に顔を出したのはあの時一回だけのようだ。俺が瞑想と交互で体育館の体力特訓に行っても健吾と顔を合わせることはなかった。
魔法基礎は中級Ⅰまで進んでいる。内容が難しくて中々進まないのが難点だ。誰か教えてくれる人でもいればもっとスムーズに勉強が進むんだろうけど独学で本を読むだけだったらこんなものかもしれない。
今日も放課後に瞑想に行こうと思ったら……、ゾロゾロと歩いている女の子の集団を発見した。俺の方が後ろから追いついた方だから向こうには気付かれていない。アンジェリーヌとその取り巻き達だろう。またアイリスをいじめるイベントが起こるようだ。
あの前髪を下ろして瓶底眼鏡をかけている女の子は……、いた……。今日もアンジェリーヌの取り巻きの一人としてついて来ているようだ。だけど俺の記憶ではゲーム時にはあんな女の子の取り巻きはいなかった気がする。
いくらきちんと描かれていないモブだったとしてもあれだけ個性的で作りこまれたキャラなら忘れるとか気付かないなんてことはないだろう。顔なしで髪型や色違いの量産型モブなら見分けがつかないとか覚えていないというのも無理はないけど顔を隠すように髪を下ろしてあんな眼鏡をかけていたら忘れるはずはない。
あの女の子は何者なんだ?どうして俺の名前を知っていた?それに本来ならアンジェリーヌの取り巻きにはいなかったはずなのにどうしてこの世界ではアンジェリーヌの取り巻きをしているんだ?わからないことだらけだ……。
何とか……、あの子とだけ接触する方法はないか?どうにかして……。
「……よし。やってみるか……」
コソコソとアンジェリーヌとその取り巻き達を追跡していた俺は気付かれないようにそっと最後尾に近づいた。最後尾付近を歩いている瓶族眼鏡の女の子に狙いを定める。
…………まだだ。まだ……、次、次の教室は空き教室で扉も開いている。あそこの前を通る時に……。今だ!
「――ッ!?んぐぅっ!」
後ろからバッ!と瓶底眼鏡の女の子の口を押さえるとそのまま空き教室の開いていた扉に引き摺り込んだ。急いで扉を閉めて暴れようとする瓶底眼鏡の女の子を大人しくさせる。
「しっ!落ち着いて!俺!俺だって!」
「んんっ!ん……、ん……?」
最初はバタバタと暴れていた女の子も俺が耳元で話しかけたら次第に大人しくなってきた。やがて抵抗が完全になくなったことを確認してそっと手を離す。よくよく考えたらこれって完全にやばい状況だよな……。女の子を無理やり襲ったと言われても反論のしようもない。ここでこの女の子が叫び声でも上げたら俺はかなりやばいことになる。だけどこの子は叫ばなかった。
「いっ、伊織君……。どうして……?」
「いや……、どうしてって言われても困るんだけど……」
何に対してどういう意味で『どうして』と言っているのかさっぱりわからない。普通に考えたらどうしてこんなことをしたのかと言う意味だろうけどそれにしてはこの子は妙に驚いた顔をしていた。
そもそもこの女の子は何者だ?何故俺の名前を知っている?この世界の……、女になっている俺の知り合いか?もしそうだとしたらあまり下手なことは言えない。俺がこの世界の俺じゃないってバレる。
「君こそどうしてこんな……」
「え……?えっと……」
探りを入れるように少しずつ会話をしようとそう言ったら彼女もばつが悪そうに視線を彷徨わせていた。恐らくアンジェリーヌに従ってアイリスをいじめていることを言われたと思ったのだろう。俺としてはそのことを責めるつもりはないけど後ろ暗いことをしている自覚があるから気にしているんだと思う。
「わっ、私は……、伊織君に会えると思って……、この学園に入るにはああするしか……」
おおっ……、そうなのか……。俺に会うためにアンジェリーヌの取り巻きをしてアイリスのイジメにも渋々加担していると……。どれほどこの子に思われているんだ、この世界の八坂伊織は……。羨ましい奴め……。
この子はパッと見、地味で冴えない感じだけどそんなことはどうでも良い。俺は地球で女の子にこんなに思われたことなんて一度もない。こっちの世界の俺自身かもしれないけど羨ましい奴だ。
「それじゃ俺に会いに来るためにアンジェリーヌの取り巻きをしてアイリスのいじめに加担しているのか?」
「それは……」
また視線を彷徨わせる。まぁ瓶底眼鏡だから目は見えていないけどね。ただ顔を少し逸らしているから恐らく視線も逸れているだろうという予想だ。そんな細かいことまでいちいち突っ込みは言いっこなしで頼むぜ。
ただ……、やばいな……。この感じからしてこの世界の八坂伊織とこの子は相当親しいんじゃないだろうか。少なくとも顔見知りだよな?たぶん?違うとしたらこの女の子はとんだストーカーということになる。
向こうは俺の名前も知っているのに俺は向こうの名前も知らない。このまま会話を続けても良いものか?顔見知りや友達なのに名前も知らないとなればすぐにバレてしまうんじゃ……。
「あ……、そうだ。これ……」
俺はこの前の時にこの子が落としたキーホルダーをポケットから取り出して差し出す。もっと低年齢向けのキャラクターのキーホルダーなのにこんなものを持っているということは大事な物なんだろう。
「あっ!それは!ありがとう!失くしたと思ってたんだ……。よかった。ありがとう……」
本当にうれしそうに女の子は俺からキーホルダーを受け取ると大事そうに両手で持って仕舞っていた。どうやらよほど大事なものだったらしい。あの時アイリスに拾われなくてよかったな。あの不気味なアイリスが拾っていたら今頃どうなっていたかわからない。
「あら?神楽さんはどこへ行ったのかしら?」
「え?本当……。神楽さ~ん?」
げっ!アンジェリーヌ達がこの女の子がいないことに気付いたらしい。そりゃそうだよな。こっそり一人だけ連れ去っていなくなるなんて無理な話だ。本当にそんなことになったらすぐに誰かが気付くだろうよ。
やばい……。何も考えてなかった。もしこのままこの子がアンジェリーヌ達に何か言えば俺は即、女の子を無理やり空き教室に引き摺り込んだ暴漢ということになってしまう。
「ここは私に任せて。伊織君は……、そうだ!あそこに隠れてて」
俺の焦りに気付いたらしい女の子は俺の手を取ると教卓の影に俺をしゃがませた。ここで隠れていろということらしい。俺をそこに隠れさせた女の子は一人でスタスタと歩いていった。音しか聞こえないからどうなっているのかとても不安で仕方がない。ガラリと教室の扉を開けた音が聞こえてきた。
「ごめんなさい。キーホルダーを落としてしまったの」
「あぁ、そんな所に居たの?」
「駄目でしょう?勝手にあちこちに入っては……」
「そうよ。私達はアンジェリーヌ様のお陰で特別に入れているのよ。アンジェリーヌ様にご迷惑をおかけするようなことはしてはいけないわ」
どうやらあの女の子は他の取り巻き達に色々と追及されているようだ。だけど声しか聞こえないから不安で仕方がない。もしかしたら彼女達は口でそんな会話をしながら俺がここに隠れているのを筆談か何かで教えられてどう対処するか考えている最中かもしれない。
無理やり女の子の口を押さえて空き教室に引き摺り込んだような奴だ。そんな評判を流されたらイケ学の中でいられないどころか犯罪者にまでなってしまうかもしれない。
「ごめんなさい」
「良いのよ。良いのよ神楽さん。貴女いつもそのキーホルダーを大事にしてらしたものね」
「え?……どうしてそれを?」
アンジェリーヌの声が聞こえる。この声は何度も聞いた。ゲームの声優の声そのままだ。
「当然知っていますわ。さぁ、大切なものが見つかったのならばもう行きましょう。私達の目的はただ一つ……。そうでしょう?他の方に迷惑をかけてはいけませんわ」
「はい、アンジェリーヌ様」
ゾロゾロと足音が離れていく。どうやら助かったらしい。やっぱりアンジェリーヌもパトリック王子とアイリスのこと以外ならば良い子だ。何しろ最初はあまりに良い子で正論すぎてあまり反発を受けなかった悪役令嬢だからな。
あまりに悪役令嬢にヘイトが集まらないから途中で運営がアンジェリーヌの設定やイベントを変えて本当に悪辣で嫌なご令嬢になるまでは普通に良い子だった。そこからのアンジェリーヌはとことんひどいキャラになってアンジェリーヌ関連のイベントは本当にひどいものばかりだった……。
こうして見ていると今のアンジェリーヌは初期の頃のまだ普通だった頃のアンジェリーヌのキャラに感じる。取り巻き達にもただ偉そうにしているだけじゃなくてきちんと気配りが出来る良きリーダーという感じだ。
それにしても……、俺って本当に何も考えていない馬鹿だな……。あんなことをしたらこうなることはわかっていただろうに……。後ろからこっそり一人だけ攫えば見つからないだろうなんてそんなアニメみたいなことがうまくいくはずがない。後ろからついて来ていた者がいなくなったら誰かしら気付くだろう。そんな当たり前のことにも考えがいかないなんて……。
あの子とどうしても話をしてみたいと思ってやったことが結果的にあの子に庇われて、あの子の評判を下げることになってしまった。あの時あの子が俺を庇ってくれていなければ俺は今頃変質者や暴漢として捕らえられていたかもしれない。
ただ一つ……、一つだけよかったことは彼女の名前がわかったことだ。あの子は『神楽さん』と呼ばれていた。神楽なら姓でも名でもどちらでも通用しそうだけどあの感じからして恐らく姓だろう。少なくともあの子は俺の敵じゃないし俺になる前の八坂伊織のことを知ってそうだった。
今後……、どうにかボロを出さない範囲で神楽さんとどうにか連絡が取れないだろうか。別に女の子と仲良くなりたいからとかそういうことじゃない。あの子もイケシェリア学園戦記では見たことがない存在だ。ただのモブとも違う彼女には何かあるかもしれない。
俺が俺と入れ替わる前の八坂伊織と別人だとバレるリスクは高くなる。それでも何かこの世界のことがわかるヒントになる可能性があるのなら彼女と接触してみるべきだ。
暫く隠れたまま完全にアンジェリーヌ達がいなくなったのを確認してから俺も教卓の影から出た。考えなければならないことはたくさんあるけどまずは今日の予定通り瞑想をしに行こう……。
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瞑想をしに図書館に行ったらディオに遅いと怒られた……。別に何時に行こうが自由のはずだけど……。そもそも遅いって言うほど遅くなかったし……。いつもより数分遅かった程度だと思う。
何か最初の頃よりニコライもディオも厳しくなっている気がする。最初の頃はまだそんなにいちいち何も言ってこなかったのに最近は少し遅くなるだけで遅いとかやる気がないとか言われてしまう。俺だってずっと特訓や瞑想をしてばかりというわけにもいかない。違う予定が入る時だってあるだろう。
そもそもゲームの時にニコライやディオはいちいちそんなことは言ってこなかったはずだ。物凄い久しぶりに特訓や瞑想コマンドを選択してもいつも通りの対応しかしてこなかった。遅刻だとか休むなとか言われたことはないんだけど……。これもゲームが中途半端に現実になったかのようなこの世界特有の現象か?
チャプチャプとお湯の音をさせながらゆっくり湯船に浸かる。あの国民的アニメのお風呂好きなヒロインじゃないけどここの所俺もお風呂が好きになった気がする。もともと嫌いではなかったけどここまで好きだったかなという気もするんだけど……。
まぁサラシを外してゆっくり出来るのはここだけだ。全てを開放してゆっくり出来るお風呂が落ち着くというのは当然だろう。
「お~い伊織~?俺のタオル知らねぇか~?」
「なっ!ばっ!健吾!何してんだよ!?」
脱衣所に……、健吾が来ている。すりガラスの向こうを歩いているのが見えていた。しかもタオル?何で今頃?自分が風呂に入る時に探せば良いだろう?何でわざわざ俺が風呂に入っている時にやってくる必要がある?
もしかして健吾の野郎やっぱり何か気付いているんじゃ?俺の洗濯物とか脱いだ物を調べたり、すりガラスから俺の体を確認しているんじゃ?
さっきの某ヒロインみたいに『健吾さんのエッチー!』とか言いながらお湯をぶっかけてやりたい所だけどそんなことをしたら俺の体が女だってはっきり見られてしまう。やばい……。どうすれば……。
「あっ!お前昨日ベッドの枕元に昨日の洗濯物置いたままだっただろ!」
「あっ……、あ~……、そうだったわ。サンキュー」
暫くガチャガチャと音がして脱衣所から健吾が出て行った音が聞こえてきた。すりガラスにも人影は映っていない。どうやら出たようだ……。
やっぱりおかしくないか?普通最初に向こうを探して、それからこっちを見にこないか?昨日枕元に放っていた洗濯物に気付かず脱衣所を漁りにくるなんてあるだろうか?それも次は自分がお風呂に入る番だ。俺が出てから探せば良いんじゃないのか?何故わざわざ俺が入っている時に来る?
ドクドクと血の気が引いたようになっているのに心臓の鼓動だけやけにはっきり感じる。俺はこのまま何事もなく健吾と相部屋で過ごせるのか?




