第十四話「覗かれました」
パレードを終えて渡された王子達へのプレゼントを受付に全て預けた俺達はようやく自由の身となってバラバラと歩き出した。今日は授業はないそうで時間もすでに放課後の時間だ。皆は寮に帰る者が大半のようだけど俺には行く所がある。
「おい伊織……、お前戻らないのか?」
「あぁ……、ちょっと図書館にな」
健吾がちょっと遠慮気味に声をかけてきた。珍しいこともあるものだ。健吾はもっとズケズケと遠慮のない感じだったと思ったけど最近は少しこういうことがある。
「へぇ……、そうか……。じゃっ、じゃあまたあとでな」
「ああ、いつもの時間には部屋に帰るよ」
そういう健吾と別れて図書館へ向かう。図書館へ向かう俺の後ろに……、コソコソとでかい奴が隠れているつもりでついて来ているようだ。でかい上にガサツというか無神経というか、慎重さが足りない健吾がこっそり人の後をつけるのは不可能だな。現に俺にバレバレだ。
とりあえず気付かない振りをしたまま図書館までやってきた。図書館に入った俺はすぐさま扉の横に滑り込み身を隠す。そうとも知らない健吾は少しだけ扉を開けて中の様子を覗いている。いくら隙間から覗いても俺はすぐ横に逃げたから見えるはずがない。俺の姿が見えないことに焦ったのか健吾が徐々に扉の隙間を大きくしながら図書館を覗いていた。
「何か用か?」
「あ~…………、いや~……、ははは……」
頭をポリポリと掻きながら健吾が完全に顔を図書館の中に入れる。扉の横に身を隠していた俺と目が合うと気まずそうな顔をしていた。図書館の中で話をしていたら他の人に迷惑だと思って健吾の頭を押し退けて俺も外に出る。尤も俺以外に図書館の利用者なんて見たことがないけどな。
「それで?」
「あっ……、えっと……」
何か俺に用があってついてきたのかと思って用件を聞いてみるけど健吾は言葉を濁すばっかりではっきりと答えない。
「何か用があったんじゃないのか?」
「いや……、本当に図書館に来るのかと思って……」
「…………はぁ?」
いや、全然意味がわからん……。仮に俺が図書館に来ようが来まいが健吾にとってはどっちでも良くないか?
例えば日本の男子学生だったなら友達に嘘をついて女の子と会っていた、とかいうパターンはあるかもしれない。その友達に女の影がちらついていたらもしかして嘘をついて女に会いに行ったんじゃ……、と後をつけて調べる場合もあるだろう。だけどここはイケ学だ……。
イケ学には女なんて主人公アイリスしか居らず嘘をついて女と密会はあり得ない。そんなことは健吾も重々承知しているはずだ。だったら何故女好き下ネタ大魔神である健吾が女と密会している可能性もない俺の後をつけるような真似をしたというのか。
…………、駄目だな……。まるで思い浮かばない。
「いつも俺は部屋でも図書館で借りた本を読んでるだろう?」
「あぁ……、そうだな……。そうだったな……。すまん。忘れてくれ。じゃあ俺は帰るよ……」
それだけ言うと健吾はトボトボと帰って行った。全然意味がわからない。今のは一体なんだったんだ?
まぁいいか。これ以上俺がとやかく考えていても意味はない。折角今日はパレードがあっても放課後は自由に使える時間が残ってるんだ。早速瞑想部屋に行こう。
「こんにちは。瞑想部屋をお借りしますね」
「はい、今日は三番の部屋へどうぞ」
相変わらず胡散臭い笑顔のディオに声をかけてから瞑想部屋へと入った。目覚まし時計をセットして早速俺は瞑想に耽ったのだった。
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部屋に戻ると何だか健吾が余所余所しかった。いつもは鬱陶しいくらいに付き纏ってくるのに珍しいこともあるもんだ。
「先に風呂に入るぞ?」
「あぁ……」
俺の方も見ることなくぶっきらぼうにそう答えるだけ。いつものニヤニヤ、いや、ニコニコの健吾らしくない。まぁたまにはそういうこともあるだろうと思って俺もあまり深く考えずに風呂へと向かう。脱衣所で服を脱いでコルセットとサラシも外してようやく自由になった体を伸ばしながらお風呂に入る。
「ん~♪」
シャワーを浴びてから湯船に浸かる。やっぱり日本人なら湯船だな。この疲れやだるさまで湯に溶けていくような感覚が堪らない。
「伊織……」
「……はっ?」
なっ、何だ……?今健吾の声が……。まさか……。
「伊織……」
「ばっ!お前……、何してっ……!?」
風呂場のすりガラスの向こうに人が立っているのが映っている。でかい図体にいつものうるさい声と違って何か暗く沈んだような声。だけどその程度で声を聞き間違えるはずもない。ここ最近毎日聞いていて聞きなれた健吾の声だ。
やばい……。やばいやばいやばい!コルセットやサラシはきちんと隠したか?俺が脱いだ服を見られたらかなりやばいかもしれない。それに……、そうだ!下着!下着がやばい!この体の持ち主……、まぁ十中八九この体は俺自身の体のはずだけど……、女に変わってる間の俺が用意していた下着は女性物の下着だった。それはもう見れば一目瞭然というくらいのパンティちゃんが脱衣籠に入れっぱなしだ。
見るなよ!気付くなよ!それにあまりすりガラスに近づくな!いくらすりガラスとは言っても間近にぴったりくっついたらうっすら見える程度のものだ。ガラス越しに健吾に俺の体を見られているような気がして、バレているような気がして血の気は引いているのにドクドクと心臓の音だけが随分うるさく聞こえる。
「ここ最近伊織の様子がおかしかったから……、あんなことをしちまったんだ」
ここ最近様子がおかしかった?俺の?それは……、俺が……、俺の中身が入れ替わっているのがバレている?もしかして健吾の奴は何かに気付いているんじゃ……?
「わりぃ……。もうあんなことはしない。許してくれなんて言えないけどどうしてもそれだけは言っておきたかったんだ。じゃあ……」
「あっ……」
健吾の影が扉の前から遠ざかる。全然意味はわからない。だけど健吾は何かに気付いているような感じだった……。
それはそうだよな……。今の俺と入れ替わる前の俺は多分かなり性格が変わっていると思う。この体は俺の体が女体化したものだと思う。それに関してはほぼ確信している。でなければあまりにしっくりきすぎているこの体のことについて説明がつかない。
ただこの女体化した俺の肉体の前の意識と今の俺とでは性格がまったく変わっている。前の意識は持ち物もきちっと整理整頓して分類して置いてあった。それに比べて地球での俺の部屋は割りとぐちゃぐちゃだ。足の踏み場もないというほどじゃないけど机やテーブルの上に乱雑に物が置いてあるような部屋だった。
俺は前の意識の口調も健吾との関係性も知らない。思い出すらない。何か二人共通の思い出話をされてもついていくことすら出来ないのが現状だ。
そんな俺に健吾は何か不審なものを感じていたんだろう。だから俺を調べるようなことをしてしまったと……。
どうしたらいい?どうすればいい?知らんぷりで通すか?それとももういっそこっちから打ち明けるか?
いや……、駄目だ駄目だ駄目だ。打ち明けてどうする?そもそも何をどう打ち明ける?俺が女の体で男装してイケ学に通っていることか?意識だか精神だかが入れ替わって中身がほぼ別人のようになっていることか?
安易に話すべきじゃない……。それくらいは俺にでもわかる。前の意識は健吾にも女の体であることを隠していたはずだ。下着類や明らかに女物とわかるもの……、せっ、生理用品なんかは絶対に見つからないように隠してあった。健吾に話しているのならそんなことをする必要はないはずだ。
前の意識が何故女の体でありながら男と偽ってイケ学に通っていたのか。それがわかるまでは何があっても隠し通すんだ。
……でも、本当にバレていないのか?もうさっきすりガラスの向こうの健吾にバレていたんじゃないのか?
すりガラスも近づいてよく覗き込めば何となくだけど向こう側が見える。健吾が目を凝らして見ていれば入浴中の俺の体がおかしいと気付いたかもしれない。
そもそも俺は健吾が脱衣所に入っていたことすら気付かなかった。今まで健吾が脱衣所に入ってきたことがないと言い切れるか?声をかけられるまでまったく気付きもしなかった俺が?脱衣所で俺の脱いだ下着やサラシやコルセットを見られていれば女だってバレているだろう。俺はそこまで気にして脱いだ服を隠していたか?
そんなことを考え出すとキリがない。全てが怪しく思えて何でも疑ってしまう。グルグル思考は同じ所を回るけど答えは出ない。そしていつまでもお風呂に入っているわけにもいかない。すっきりしないまま体を拭いて部屋に戻る。だけど……。
「健吾……?もう寝てるのか?風呂は良いのか?」
「…………あぁ」
「そうか……」
部屋の明かりは落とされていて健吾はもうベッドに入っていた。こちらから何か言っても全て藪蛇になりそうで結局俺はいつもの時間まで魔法基礎初級を読んでから眠ったのだった。
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翌日も気が落ち着かなくて授業が頭に入らない。まぁ時々黒板を眺めてみても内容はそんなに難しいものじゃないから適当に聞き流していても大丈夫だろうけどそういうことじゃない。何か昨日から健吾とギクシャクしている。俺のことがバレているんじゃないかと思うと落ち着かない。
そんな授業も聞き流している間に終わっていた。放課後になると俺の体は自然と日課の行動をする。悩んでいても気が逸れていてもたった二週間少々の習慣でも無意識に習慣を繰り返してしまうものなのかもしれない。
「やぁ子猫ちゃん、こんな所でどうしたんだい?」
「ヴィットーリオ様」
げっ!体育館へ行こうと思っていたのに廊下の先に主人公アイリスと五人の攻略対象の一人、ヴィットーリオが会話している。これは覚えがある。ヴィットーリオが本格的にアイリスに興味を抱くことになるイベントだ。
ヴィットーリオは無類の女好きで女垂らし。女とみれば片っ端から声をかけて口説く。しかも性質が悪いことに本人もゲームの設定上では高身長でハンサムな二枚目。外国の高位貴族の跡継ぎで富も名声もある。ヴィットーリオに口説かれて落ちない女はいない。いや、いなかった……。アイリスに出会うまでは……。
いつものように気安く声をかけて女の子をその気にさせるだけさせて捨てようと思って主人公に近づいたヴィットーリオは生まれて初めて女性に振られる。それ以来主人公に興味を持つようになったヴィットーリオは最初はパトリック王子からアイリスを寝取ってやろうとしているけど次第にアイリスに惹かれ始めて……、とまぁよくありがちなパターンのキャラだ。
今はその一番最初のイベント。ちょっとだけからかってやろうと思って声をかけた主人公に誘いを断られて興味を持つ強制イベントの真っ最中に遭遇してしまった。
「少しカフェで話そうよ」
「すみません。折角のお誘いですがこれから用事があるので……」
「あっ……」
イベント通りアイリスはヴィットーリオの誘いを断って駆けて行く。まさか断られるとは思ってもみなかったヴィットーリオは驚いた表情のままアイリスに向かって若干手を伸ばしたまま固まっている。
そこまではいい。そこまではゲームのイベント通りだ。だけど……。
(やっ、やばいっ!隠れなきゃ……)
こっちに走ってくるアイリスの顔を見た俺は謎の怖気に襲われた。このままここに突っ立っていたらアイリスに見つかる。嫌だ。絶対に見つかりたくない。怖い。怖い怖い怖い怖い!
慌てて廊下の角から離れた俺は急いでもと来た道を戻って階段を駆け上った。この上は何もない階だ。空き教室や倉庫になっている教室が並んでいるだけで普通の者なら用なんてあるはずがない。そもそも滅多に人もいない。上の階への踊り場に隠れた俺はアイリスが通り過ぎるのをこっそり見守った。
何だ?何だあの女は?
笑ってる?顔の形だけは笑顔だけどあれは笑顔じゃない……。まるで目が笑っていない。顔の形だけが笑顔のように見える形を模っているだけだ。何なんだ?
こっそり踊り場の陰から覗いている俺に気付くことなくアイリスは下の階に向かって階段を下りて行った。よかった……。上ってこなくて……。普通なら絶対に上になんて用があるはずはない。だけどもし上ってきていたら……。あのアイリスと接触しそうになったら俺は正気でいられるだろうか……。俺はあの女が怖い……。
「ヒッ!」
「…………」
今……、アイリスは……、手すりの隙間からこちらを見上げていた?
この建物の階段は上まで壁があって手すりが別に付いているタイプじゃない。壁がなくて腰壁がそのまま手すりになっているタイプだ。つまり手すりから覗き込めば上や下をある程度覗くことが出来る。
下りて行く際にアイリスは一瞬こっちを見た……、気がする。目が合ったような気がする……。
もちろん確証はない。だけど俺はアイリスに見られていた気がして心臓が痛いほどバクバク脈打っていたのだった。