最終話「浄化しました」
「――っ!これは……」
「舞!行きますわよ!」
「うん!アンジー、行こう!」
王城へ避難していた舞とアンジーは、正門の方から放たれる聖なる力を感じ取った。二人はすぐさま腕に巻いている個人用携帯転移装置を起動させた。向かう先はすでに入力されている。伊織が向かうと言っていた正門の上だ。
舞とアンジーは伊織との約束で、自分達の身に危険が迫ったり、作戦が失敗しそうになったら各自の判断でこの装置を使って良いことになっていた。
確かに伊織との約束で何かあれば王都も、伊織すら置いて逃げることに同意した。しかしそれを最終的に判断するのは二人だ。アンジーがあっさりとこの条件を引き受けた時、舞はどういうつもりかと思った。でも詳しい話をアンジーに聞いて納得したのだ。
脱出するかどうかは二人が判断して決める。だから例えその時に伊織が脱出するように言ってきたとしても、それを聞き入れるかどうかは二人が決めることだ。そして……、二人は伊織を置いて自分達だけ逃げ出すつもりなど毛頭なかった。
そう……、アンジーはあの時すぐに聞き分け良く伊織との約束をしたように見せかけて、実は最初からそんなつもりなどなかったのだ。もし逃げるのなら……、最低でも三人揃って……。でなければ舞もアンジーも逃げるつもりなどない。
さらに、伊織が聖女の祈りを使う時、自分達も駆けつけて共に祈る。それも決めていた。自分達では何の役にも立たないかもしれない。もしかしたら伊織の足を引っ張るだけかもしれない。それでも……、せめて最後まで共にありたい。だから今こそ転移する時だ。伊織のいる正門へ!
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すでに祈りを使って光り輝きながら浮かんでいる伊織に呼びかける。そしてその手を握って三人で祈った。祈ると言っても何を祈っているのか自分達でもよくわからない。
世界の平和?汚染魔力の浄化?人々が安心して暮らせる世界?
どれも違う。本当なら、聖女ならそういうことを願って祈らなければならないのかもしれない。しかし三人が願うのはそんなことではない。一度気持ちが揺らぎかけた伊織が再び持ち直して願ったのは、舞とアンジーが平穏に暮らせることだ。自分の全てを懸けてでも、舞とアンジーが暮らしていける世界を願う。
舞が祈るのは伊織と、舞と、アンジーの三人でいつまでも幸せに暮らせることだ。世界も他の人も関係ない。まず願うのは伊織の幸せ、アンジーの幸せ、そして……、出来ることならそこに自分も居たい。三人で笑っていられるだけでいい。何も贅沢は望まない。ただ三人で平穏に暮らせることだけを願った。
アンジーの祈りはもっと漠然としている。確かにアンジーも伊織や舞の幸せや平穏を願っている。しかしアンジーにはまだ他にも大切な家族もいる。それに貴族の務めとして王都に暮らす人々の平穏も願わずにはいられない。アンジーの願いはこの世界の問題点が取り除かれ、平和になること。ただ漠然とそんなことを願う。
「おっ、おおっ!」
「これは……」
伊織のマスクもマントも光の奔流に飛ばされたかのように飛んでいき、三人の美少女がお互いの手を取り合いながら祈りを捧げる。三人はフワリと空中に浮いているにも関わらずまるで跪いているかのような姿勢のまま無心に祈っていた。
その姿はあまりに神々しく、正門の上に居た者達は自分達も跪き涙を流し始めた。少女達が美しいから?光が神々しいから?何かはわからない。わからないが自然と涙が溢れて膝をつき祈らずにはいられない。
やがて光はさらに広がり、避難所に避難している人々にまでその光が降り注ぐ。避難所に居た人々の誰もが跪き祈る。誰に言われたわけでもなく、老人も、子供も、男も、女も、善人も、悪人も、全ての人が自然とその光に誘われて祈りを捧げる。
「これが……、聖女の祈りか……」
王城でも、宗教も救いも何も信じていなかった貴族達ですら椅子からおりて膝をつく。王ですら自然と玉座からおりていた。ただ誰もが、自分の願いを、祈りを心で唱える。
大切な人を守りたい者。自分が助かりたい者。全ての人に助かって欲しい者。自分の周りだけ助かりたい者。願いは様々でも、誰もが何かを祈らずにはいられない。その想いが、願いが、祈りが、三人の聖女に、いや、四人の聖女に集まる。
「おおおぉぉっ……」
空に浮かびながら祈る三人の聖女を包み込むように女神が現れた。体は透けて、まるで実体がないかのようにフワフワと浮いている。最初から中央で祈っていた聖女に良く似た女神は、慈しむように三人の聖女を抱き締めていた。
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まるで無重力の空間を漂っているような、浮かんでいるような、流されているような、そんな感覚に捉われる。
『よくやってくれた』
(あぁ……、もう一人の俺か……)
何故か、その話しかけてきている相手がこの世界の俺、この体の持ち主だと直感的にわかった。根拠も理由もないけど、何故かそれが正しいとだけわかる。
(お前のお陰で俺はここ何ヶ月、いや、年単位か?大変な思いばかりさせられたよ)
『……すまない』
もしまたこの世界の俺に会えたら、色々文句を言ってやりたい気持ちはあった。聞きたいこともあった。でももういい。俺もわかってしまったから……。そして俺が逆の立場でもそうしただろうから……。
(まさか自分を二人犠牲にしようだなんて考える馬鹿がいるとはな……)
『……すまない』
この世界の俺が、何故異世界の俺を呼び寄せたのか。それは俺が、俺達が『聖女の片割れ』でしかないからだ。
この世界を救うには『聖女の祈り』で汚染魔力を浄化するしかない。それは『聖女』や『聖女の片割れ』なら本能的に知っている。本物の『聖女』であるアイリスはきっとずっと昔からそれを察していたんだろう。だからアイリスはあんな風になってしまった。
自分が犠牲になってこの世界を救わなければならない。周りは誰も助けてくれないのに、自分だけが犠牲になって世界を救わなければならない。それは一体どれほどの苦しみだろうか。
世界の全てがアイリスに優しい世界だったなら……、あるいはアイリスも自己犠牲を発揮して世界を救おうと思えたかもしれない。でも……、この世界では誰もアイリスに本当の意味で手を差し伸べなかった。
平民に生まれて、貧しくささやかな生活を送ってきただけだ。それも順風満帆ではなかっただろう。スラム育ちの俺達より良い生活はしていただろうけど、それでも町に出れば犯罪にも巻き込まれるだろうし、悪意ある人間が近寄ってきて何らかの被害を受けることもある。
アイリスにとってこの世界は優しいものではなく、ただ欲望と欺瞞に満ちた醜い世界に見えたに違いない。
ゲームでなら……、素直で天真爛漫な平民育ちのアイリスに、貴族社会で生きてきた攻略対象達が心を動かされ、やがて愛を育むことになる。でもこの世界のアイリスは決して馬鹿でも天真爛漫でもなかった。世界の裏側、汚い部分も知っていた。そして何よりも……、本当の愛なんて信じていなかった……。
パトリック達もそんなアイリスに本当の愛を教えることなど出来ず、ただ良いように利用されるのが関の山だった。そして恐らく……、パトリック達もそれはわかっていたんじゃないだろうか。
アイリスを愛していると言いながら、どうすればいいのかわからない。愛というものがどういうものかわからず、ただ貴族的な薄っぺらい上辺だけの愛を囁いていただけだ。そんなもので聖女の力がうまく働くはずはない。
アイリスがしてきたことに対して俺も腹は立つけど……、全てただアイリスが悪いというにはあまりにも可哀想すぎる。俺だって……、そうなっていたのかもしれないのだから……。
この世界の俺はアイリスが失敗することを見抜いていたんだろう。あるいは成功すれば良し、失敗した時のための保険をかけていたのかもしれない。
異世界の自分である俺を、『聖女の片割れ』をもう一人用意することで……、アイリスが失敗した後を、舞の無事を確保しようとしていたんだ。
『聖女の片割れ』である俺と舞はどちらも『聖女』としては半人前なんだろう。片割れでしかない俺達が聖女と対等、同等になれるには、両方の片割れが必要だ。それはつまり……、アイリスが失敗したならば、俺と舞が犠牲となって聖女の祈りを完成させなければならないことを意味する。だから……、この世界の俺は俺を呼び寄せた。
片割れが聖女になるためには二人必要ならば、同じ魂を持つ異世界の自分、もう一人の片割れを用意すればいい。自分が二人居れば片割れが二人となり聖女となれる。だから自分が二人犠牲になれば舞を犠牲にしなくて済むはずだ。この世界の俺はそう考えた。
『結果……、私は間違えていた』
(そんなことはないさ。結果オーライだろ?)
この世界の俺は、異世界の存在である俺まで犠牲にしようとした。それは確かに腹が立つ。勝手に呼び寄せておいて、この世界のために犠牲になれというんだ。そんなこと知るか!と言いたくもなるだろう。
でも、この世界で暮らして、舞と、アンジェリーヌと、知り合えて、共に暮らして、愛しいと思うようになった今なら、この世界の俺の考えもわかるし同意も出来る。ただ計算外だったのは結局俺とこの世界の俺を合わせても、片割れが二人で聖女にはならなかったことだ。
算数じゃないんだから0.5と0.5を足したからって単純に1になるとは限らない。そして仮に1に、二人で一人の聖女になれたとしてもそれでは世界は救えない。聖女一人で世界が救えるのならアイリスが救ったはずだ。聖女一人の力では限りがある。
(半人前でも四人集まれば一人前二人分くらいにはなるさ)
『……そうだな』
一人で背負って、何もかも救うなんてことが出来るはずがない。俺も、この世界の俺も、自分が『聖女の片割れ』だと、特別だと思っていた。思い上がっていた。でもそうじゃない。一人で出来ることには限りがある。何より聖女の力は想いの力だ。一人でいくら頑張っていてもあっという間に限界がくるだろう。
お互いがお互いを支え合うから、想い合うから、人は強く生きていける。その想いを無視して、ただ独り善がりな気持ちを押し付けるだけじゃアイリスと同じだ。俺もアイリスと同じ失敗をするところだった。舞が、アンジェリーヌが来てくれなければ俺も失敗していた。
でも今は二人がいるから、そしてもう一人の俺がいるから。四人なら耐えられる。どんなことでも、どんな想いでも……、この世界に満ちる悪意も、この星の痛みも、全て……。
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人々の祈りを乗せた光はさらに輝きこの星を大きく照らす。やがて光が収まると、見渡す限りの大地は本来の色に戻り、真っ白な色に戻ったインベーダーやインスペクター、ルーラー達は王都から遠ざかっていった。
「やった……。やった!ははっ!やったぞ!」
「救われたんだ!俺達は救われたんだ!」
城壁上に居た兵士達の歓声を聞きつけたのか、やがて避難所に隠れていた人々も日の下へと出て来て大歓声を上げた。この日王都は、いや、人類は、いや、この星は救われたのだった。
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「本当に良いの?」
「ああ、三人で、いや、俺達四人でまだ他の地域に行かなくちゃな。それに研究所にいる白インベーダー達と会いたいだろ?」
マントとマスクで姿を隠している怪しい三人組がこそこそと王都を抜け出す。すでに王都を覆う結界は張られていない。もはやそんな必要はないからだ。城門は開放され、近くへ出て行く人も徐々に増えている。まだ人々も全てを信じているわけではないが、少なくともこの近辺は安全だということは次第に知れ渡ってきている。
「そこの三人、随分怪しい格好だな?」
門を出ようとしている三人に兵士が話しかけてきた。マントにマスクで顔もわからない三人組だ。怪しくないわけがない。
「外へ行くのか?気をつけていけよ」
「ああ、ありがとう」
しかし止められはしない。徐々に外へ出て行く人は増えている。どこまで安全になっているのか調査に向かう者もいる。だからこの三人組が何者で、どこへ向かい、何をするつもりかなど兵士はいちいち問わない。
門を出た三人組は広い荒野を歩いていた。確かに辺りの地面も綺麗になっているが、しかし植物が生い茂るというにはまだまだ程遠い。浄化されてからまだ僅かしか経っていないのだから突然植物が生えてくるはずもない。それはこれから……、また長い年月をかけて再生されていくのだろう。
「本当によかったんですの?王都に居れば聖女として一生安泰ですわよ?」
「自由もなく、ただお飾りとして崇められる一生なんて送りたいか?」
「あははっ……、それは……、いやだね……」
「だろ?」
三人は気軽に会話をしながら新しい大地を踏みしめる。目的は色々とある。世話になった古代文明の研究所に二人を連れて行きたい。それにあそこにいた白インベーダー達がどうなったのかも確認したい。そして出来ることなら二人にも白インベーダー達と交流させてあげたい。そんなことを思いながら歩く。
何よりも……、あの時の祈りでは世界全てを一度で浄化し切れていない。星の裏側に行けばまだまだ汚染されている地域は残っている。ならば……、自分達四人がいる間に、せめてもっと、もっと多く、広くの場所を浄化していきたい。この四人がいればきっとどこへ行っても幸せだから……。
「…………ん?そう言えば何か忘れているような……?」
「どうしたの伊織ちゃん!」
「伊織様早く!」
「はいはい。今行くよ、舞、アンジェリーヌ」
『二人に愛されて羨ましい限りだ』
(お前は俺で、俺はお前だろ)
『しかし体の主導権が失われたままだ……』
伊織の中にはもう一人の同居人がいる。元々のこの体の持ち主……。しかし異世界の伊織もこの世界の伊織も同じ伊織なのだ。それに感覚は共有している。夜のお楽しみはちゃんと味わっているではないかと言われて、この世界の伊織は赤くなって黙り込んだ。
「さぁ、残りもちゃちゃっと救っちゃいますか」
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本来ならば王族しか安置されない霊廟に、真新しい石棺が置かれていた。五人の男がその石棺に向かって祈りを捧げる。
「アイリス……」
「アイリスを死に追いやった者共め……」
「俺達は罪人共を許さないから、そちらで見ていてくれ」
五人の男達は復讐を誓い合い霊廟を出て行く。扉の外で待機していた衛兵は出て行った五人を見送ってから扉を閉めようとして、何か物音が聞こえた気がして手を止めた。
「おい……。今霊廟の中から何か音が聞こえなかったか?」
「気持ち悪いこと言うなよ!」
相方の衛兵が妙なことを言うのでもう一人の衛兵は本気で嫌そうな顔をした。王族が眠る霊廟で気持ち悪いなどと言ったことが知れたら死刑にされるかもしれない。しかし誰でも墓所の衛兵などしたくはない。それも物音が聞こえたなんて不気味なことを言われたら……。
「「……」」
「何も聞こえないじゃないか!さっさと鍵を閉めろよ!」
少しだけ聞き耳を立てても何も聞こえなかった。二人の衛兵は気味が悪いと思って扉を閉めた。
ガリッ
ガリガリッ
ガリガリガリッ!ゴトッ!
まだ真新しい石棺の蓋が、まるで中から押し上げられ横にずらされたかのように不自然に動いた。動いた蓋の隙間からは黒い……、まるでそこだけ空間がぽっかり穴をあけたかのような黒い何かが今まさにそこから這い出ようとしていた……。