第百二十二話「依頼しました」
今がこんな大変な時だとは思えないような、とても穏やかな日々が流れている。舞とアンジーと俺の三人で、質素ながらも幸せな生活だ。
いっそ世界なんて知らん顔をして、俺達三人だけでずっとこうして生活していたい。個人用転移装置を二人に渡して研究所の森まで逃げればそれも可能だろう。出来るから、出来てしまうからこそその誘惑に駆られてしまう。でもそれをするわけにはいかない。
俺達だけが三人で逃げ延びても世界が滅べば意味はない。世界を救うためには王都も無事に残らなければならず、俺達が平穏に暮らすためには人類もある程度は安定した生活を送ってもらわなければならないからだ。食料やエネルギーや物資の問題から考えても、人類が滅んでしまったら俺達にとってもマイナスになる。
そしてついに俺達は『最終・聖女の祈りLv99』を習得してしまった。舞とアンジーが習得出来ているのかどうかはわからないけど、少なくとも俺は習得出来た。
俺が……、聖女の祈りを使って……、少なくともこの近辺だけでも浄化出来れば……、人類はまた数十年か数百年は延命出来るだろう。俺の頑張り次第では舞やアンジーが天寿を全うするくらいまでは滅びを先延ばしに出来る。
ただし俺の命と引き換えに……。
アイリスが何故あんな風になったのか。アイリスが何をしようとしていたのか。今となっては予想しか出来ない。でもその気持ちは痛いほどに良くわかる。
最後の最後までアイリスが聖女の祈りを使うのを躊躇ったのは……、自分が死ぬかもしれない恐怖があったからだろう。俺だって怖い。もし……、俺も聖女の祈りを使ってアイリスのようになったら……。それを思うと怖くて聖女の祈りなんて使いたくないと思ってしまう。
アイリスの様子を見て、俺自身も聖女の祈りを覚えて、よくわかった……。この世界の魔力結晶は消えてなくなったわけじゃない。
例えば地球でも質量保存の法則とかエネルギー保存の法則というものがある。どんな物もエネルギーも消えてなくなるわけじゃない。形を変えたり、薄く拡がってほとんどわからなくなってしまうことはあっても、その物質やエネルギーを構成していたものが消えてなくなることはない。
この世界の魔力、魔力結晶というものも同じだ。この星の生命力、魔力や、動植物の魔力が固まって魔力結晶が出来るのだとして、それを消費したからといって消えてなくなるわけじゃない。
大気中に放出されたり、また地面に散らばったり、他の動植物に吸収されて存在し続ける。形や存在する場所が変わるだけでなくならない。無限に循環し続ける。
この説明を聞けば矛盾に思うだろう。では何故この世界の魔力結晶は枯渇し、世界は滅びに向かっているのか。もし本当にただ循環し続けているだけなら魔力結晶はまた出てくるはずだし、なくなることはないはずということになる。
結論から言えば……、実はこの世界の魔力、魔力結晶は枯渇していない。それが俺の見解だ。あくまで俺がこれまでの知識や見聞きしてきたものから推測しているだけで、この考えが絶対に正しいという証拠はない。でも俺はあながち間違いではないと思っている。
もう少し正確に言うならば……、人間や生物が利用出来る魔力や魔力結晶はほとんどなくなっているが、この星そのものの魔力、魔力結晶は変わらず循環し続けている、と言うことが出来る。
思い出してもらいたい。この世界のほとんどを覆っている黒い大地。黒く変色した黒インベーダー達。インスペクターやルーラーも……。そして王都に近づいてきていた時に生えていた黒く変色した奇形な植物達。その黒とは何なのか。何故変色し奇形になっているのか。
俺は無意識に良く言っていたはずだ。『汚染である』と……。一体何に汚染されているのか。考えるまでもないだろう。それは変質した魔力、あるいは魔力結晶に汚染されているんだ。
本来この世界に居た人類や動植物が使える状態の魔力や魔力結晶が、消費されて変質してしまう。この星自身や星の持つ魔力の循環システムを通るうちに、その変質された魔力はまた元の形へと戻って自然に還元されていた。この循環と消費が均衡を保っている間は良いだろう。でももしその均衡が崩れたら……。
魔力結晶を採掘し、消費する。地球で言えば何らかの資源を取り出し消費するのと同じだ。消費されたそれらはなくなりはしないが別の物質やエネルギーになってしまう。リサイクル出来る金属とかならまた精製すればいいけど、石油のように燃えて別の形になって霧散してしまえば人間では同じ形にして生み出すことが出来ない。
魔力結晶が消費され、霧散して、再び元の魔力結晶に戻るまでに長い年月や様々な環境が必要だったとして、それを上回るペースで採掘、消費し、どんどん形を変えてしまっていけば、やがて使える魔力結晶がなくなってしまう。
インベーダー達が黒く変色し汚染されているのは……、人類が消費して変質した魔力結晶を取り込んでしまうからだ。白インベーダー達が行っているのは、汚染された魔力結晶と浄化された魔力結晶をうまく使い、徐々に浄化させているんだろう。
汚染されたインベーダー達の分解が遅いのは魔力結晶の浄化や循環がうまくいっていないから、黒インベーダー達に溜まった汚染魔力結晶がいつまでも残ってしまうのだと思われる。
つまり……、聖女はこの世界の浄化装置だ。汚染された魔力を浄化するフィルターにすぎない。限界目一杯まで汚染物質を取り除いて浄化させたフィルターはやがてフィルター自身が汚染され、目詰まりを起こし、役立たずになって廃棄される。
これまで何人の聖女が現れ、どれほどの量を浄化してきたのかはわからない。でも人間の住める範囲がこれだけ狭まりもう滅び目前ということは、聖女達が浄化した量など微々たるもので滅びの先延ばしでしかなかったんだろう。
聖女システムなど所詮は根本的に解決出来るようなものではなく、歴代の聖女達がただ自分の大切な人たちを滅びから救うために、例え何十年、何百年でも良いから先延ばしにしてきた結果に過ぎない……。
それでも……、俺もその気持ちが痛いほど良くわかる。例えここでまた聖女の祈りで滅びが百年延びたとしても、いずれ人類の滅亡は避けられないのかもしれない。それがわかっていても……、大切な人達には生き残って欲しい。
苦しみを押し付けるだけかもしれない。いっそもう滅んだ方が楽なのかもしれない。それでも……、生き延びて欲しい。舞も、アンジーも……。
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聖女の祈りを覚えた俺はマントとフードとマスクで姿を隠し、ハイドを使って隠れ家を出た。向かう先はわからない。とりあえずウィックドール公爵家の屋敷に行ってみる。でも家人達がいただけでウィリアムとビクトリアの姿は見当たらなかった。
屋敷にいないのならと思って王城に侵入してみる。王都も王城も、あの襲撃以来かなり静かだ。もちろん人々は日々の生活を営んでいる。でも……、何というか……、まるで喪に服しているかのように皆が静かに大人しく生活している。
王城の警備も一応いるけど、ハイドで消えている俺が通り抜けても誰にも気付かれることはなかった。もしかしたら皆もう滅びを理解して諦めているのかもしれない。今更何をしても運命は変えられないと……、ただ死んでいないから生きている、というだけなのかもしれない。
王城に入った俺はウィリアムの執務室へと向かってみた。扉の前に兵士が立っている。それに中から気配がするから誰かはこの中にいるようだ。牢屋にはぶち込まれていないけど軟禁状態ってところか?
一度外に出て外の窓を見てみる。外側には見張りは立っていない。まぁ当たり前だな。外のバルコニーにまで見張りを立たせることはないだろう。バルコニーには人はいないようなので飛び上がってバルコニーから様子を窺う。
室内にはウィリアムとビクトリアの姿があった。他には誰もいない。やはり軟禁状態のようだ。そりゃ勝手に結界を再起動させるわ、出所不明の魔力結晶を持ってるわ、聖女の失敗を誰よりも先に知ってるわ、他の者達からすれば怪しすぎることばかりだからな。
最悪牢屋にでも入れられているかと思ったけど、とりあえず現段階ではまだ執務室に軟禁で済んでいるらしい。
とりあえずバルコニーの窓を軽くノックして注意を引いてみる。あまり派手な音を立てたら扉の前の兵士達に気付かれる可能性がある。ウィリアム達が気付いても不審がって開けてくれない可能性もあるけど……。
「…………」
でも俺の予想に反してウィリアムは黙って立ち上がると窓を開けてくれた。どうやらそのうち俺が訪ねてくることを予想していたようだ。中に入った俺が窓の片側を閉めると、俺が中に入ったことを理解したらしいウィリアムがもう片側も閉めてくれた。
室内に入った俺に何か声をかけてくることもなく、ウィリアムはまた執務机に座るとスラスラとペンを走らせた。
『斎君かね?』
声を出したらこの部屋を監視している者に気付かれる可能性がある。だからウィリアムは何も言わずに筆談にしたのだろう。ビクトリアも素知らぬ顔でお茶を飲んでいる。
『はい。八坂伊織です』
ウィリアムはあえて斎と書いたんだろう。だから俺だとわかるように伊織だと答える。ここまで侵入するような芸当が出来て、斎が伊織だと知っている者となれば俺以外にあり得ない。もしこれが敵が情報を引き出そうとした罠だったならばもうお手上げだ。その時は相手の手腕を褒めるしかない。
『何か用かね?ご覧の通り今私は軟禁中でね。何の力にもなってあげられないよ』
ウィリアムの言葉にちょっと罪悪感が湧いてくる。他にどうしようもなかったとはいえ、俺がウィリアムにあんな頼み事をしたためにこんなことになってしまった。少し筆談でウィリアムの状況などについて聞いてみる。
どうやらウィリアムとビクトリアの立場は思ったよりも悪くないらしい。確かに出所不明の魔力結晶で勝手に結界を再起動させたりしたということは事実だ。でもそれによって余計な被害を抑えて王都を救ったのも事実であり、ウィリアムが怪しいから締め上げろという者達と、ウィリアムはよくやった、今後のためにも協力するべきだ、という者達が争っているらしい。
確かに怪しくはあるけど、今の状況を考えたら普通は今こそ皆で協力しようと思うはずだけど、こんな状況でも未だに権力争いの延長でしか物を考えられない者達もいるようだ。
そんな状況で、一応ウィリアムを有能であるとして庇ってくれている側に王様もいるようで、だからこそここに軟禁状態で済んでいるらしい。ウィリアム達の状況がわかって、思ったよりも扱いが悪くないのがわかったのはよかった。ただこの状況ではさらなる協力を頼んだり、詳しい情報を聞くのは難しいかもしれない。
『イケシェリア学園のその後や兵士達の動向、今後の対策など何かわかることはありますか?』
「…………」
俺の質問にウィリアムは目を瞑って腕を組んだ。どう説明したものかと悩んでいるような感じだ。
『イケシェリア学園についてはわからない。兵士達も今まで通り王城と城壁の警備をしているということしかわからない。今後の対策は私の知る限りでは何もない』
「…………」
ウィリアムの筆談を見て……、俺も黙り込んだ。ある程度予想はしていたけど……、やっぱりどうしようもないか。
これからのことでイケ学が役に立つとは思えない。アイリスが失敗した時点でイケ学は精々そこらの兵士として利用するくらいしか価値がなくなっただろう。兵士達もまだ生きているから仕方なく今まで通りの日々を送っているだけで、もう一度攻勢に出ようとか、今後どうすれば良いかなどわかっているはずもない。
もしかしたら王侯貴族は何か打開策を考えているかと思ったけど……、事ここに到っても権力争いをしているような奴らだ。インベーダー達への対応よりも、ウィックドール公爵家をどうやって貶めるかしか頭にないらしい。だけど……、もしかしたら一つだけ光明があるかもしれない。
『王様はウィックドール公爵に好意的なのならば、王様に渡りをつけることは出来ませんか?』
「……」
俺の文字に再びウィリアムは黙り込んだ。
パトリック王子は無能の極みだ。例えアイリスに洗脳されていたとしてもあまりに馬鹿で無能すぎる。まぁそのお陰でアンジーとの婚約も破棄してくれたんだから、恋敵としてはとてもよかったんだけど、少なくともこの事態に対して何か役に立つとは思えない。むしろ余計な口出しだけして引っ掻き回しそうで恐ろしいくらいだ。
でも今までの流れからすると王様はそこそこ状況が見えているんじゃないだろうか。元々ウィリアムを信じて仕事を任せたりと、その働きや見る目の良さはある。もし王様がそれなりにでも有能ならば……、ウィリアムに渡りをつけてもらい……、最後の策に打って出る。もうそれしか道はない。
『わかった。出来る限りのことはしてみよう。必ず会えるとは限らないが……』
『ありがとうございます。よろしくお願いします』
筆談を終えるとウィリアムは今の書類を暖炉にくべた。あっという間に燃えて証拠はなくなった。現代の科学捜査なら燃やしても色々な証拠を見つけ出したりするけど、さすがにこの世界で燃えた書類から物証を取り出すことは出来ないだろう。
ウィリアムが再びバルコニーの窓を開けてくれる。遠くから監視されている可能性もあるからあくまでウィリアムが開け閉めしないとおかしいことになる。合図代わりにポンとウィリアムの肩を叩いてから窓からバルコニーに出ると、俺は急いで隠れ家に戻ったのだった。