第百十九話「失敗しました」
今まではイケ学の奴らからあまり離れすぎないようにしていた。生徒達の方に流れる敵を俺がある程度コントロールして、被害が出過ぎない程度に戦わせていたからだ。でも今はもうそんなことを言っていられない。
俺とルーラー共が戦い始めれば周囲に相当被害が及ぶだろう。巻き込まれるのがインベーダー達ならむしろ万歳だけど、イケ学の生徒達が巻き込まれたら一溜まりもない。あんな奴らの攻撃は耐えるとかそんな次元じゃない。ボディスーツのお陰で防御力が高い俺でも即死だろう。
いかに耐えるかじゃなくて、いかに食らわないかを考えるような相手だ。それなのに生徒が密集している正門前にルーラーが到達してしまったら、一振りで大勢の生徒達が死んでしまうだろう。
というわけで、ルーラー達を正門に近づかせないために俺は前に突出していく。正門前に敵が溜まりすぎないように魔法陣で援護はしてやるけど、さっきまでのように接待プレイで安全に戦えるなんていう状況ではなくなった。
出来ることならこの状況を見て、アイリスにはさっさと『聖女の祈り』を使ってもらいたい所だけど、まだ動きがないということは使うつもりはないということか?まさか本当に人類滅亡を望んでいるなんてことはないだろうな……。それなら俺の作戦は根本から破綻していることになる。
まぁ今はそんなことを心配している場合じゃない。まずはルーラーの足止めだ。
「ああああああぁぁぁぁぁぁ~~~~~っ!」
一番近くまで侵攻してきていたルーラーの足元に降り立つと、終末を招くモノを両手で持って思いっきり振りぬく。今の俺でも頑張って斬っても一撃で足一本を斬るのが限度だ。まぁ原因は単純に終末を招くモノの長さが足りないから、足二本纏めて斬るとかは出来ない。
「ブモーーーーッ」
足を一本斬られたルーラーがバランスを崩して倒れる。倒れてくれればこちらのものだ。インベーダーやインスペクターに比べればかなり人型に近いルーラーの頭?らしき部分を……。
「ぶった切る!」
「ブモーーーッ!」
こいつらは人間で言うところの頭っぽい所を切り落とすと停止する。最初に弱点がわかるまではかなりあちこちを斬りまくって苦労したけど、一度弱点がわかればどうということもない。
確かにでかいのは脅威だ。向こうの一発を食らえばこちらは即ゲームオーバーだろう。でも今のボディスーツとバフ魔法で能力を底上げしている俺にとってはただのでかい的でしかない。
ただ……、問題なのは俺がこいつらの相手をしていればいいという状況ではないということだ。荒野で俺一人だったなら、そして敵が俺だけを狙ってきているのなら、じっくり敵を倒しても何の問題もなかった。危険を冒さず、安全確実にじっくり一匹ずつ狩っていけばいい。そして最悪無理だと思えば逃げればいい。でも今はそうはいかない。
敵の狙いは俺じゃなくて王都への侵攻だ。俺が一匹の相手に集中しすぎていれば、その間に他の奴が俺を無視して通り過ぎていってしまう。ルーラーは一匹も通すわけにはいかない。イケ学の生徒や王国の兵士達にルーラーの相手が出来るとは思えない。それにこういう敵に対する武器の備えもないだろう。
ルーラーを逃がさず全て食い止め、さらに魔法で援護してインベーダー達の侵攻が王都の防衛力を超えないようにコントロールしなければならない。俺一人で戦うより圧倒的に負担が大きい。いっそあいつらなんて放っておいた方が俺にとってはよほど楽だ。
「でも……、やるしかないんだよな……」
ルーラーなんて化物が王都に侵攻してしまったらもうおしまいだ。舞とアンジーを守るのも厳しい。だから絶対に近づけさせるわけにはいかない。とにかく片っ端から全部片付ける!
「きやがれってんだ!」
正門に向かっていくインベーダーやインスペクターに魔法を撃ち込みながら、俺はただひたすらルーラーをぶった切り、一匹も通さないように食い止めたのだった。
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「信じられん……」
「何だよありゃ……」
マックスと健吾は正面から近づいてきていたデカブツを見て呆然としていた。否、そのデカブツですら物ともせず剣一本で切り裂いている全身マントの華奢な者を見ていた。
「あれじゃどっちが化物かわからんな……」
剣でデカブツの足を斬り、倒れたところで首を落とす。実に堅実な戦い方だ。そしてあんなデカブツを相手にしながら全体を見て、敵の攻勢が強い所に信じられないような威力の範囲魔法を撃ち込んでいた。個人の剣技、魔法、戦場を見る観察力、どれも人間とは思えない。
「健吾!マックス!戦って!」
「ああ……」
「そうだったな」
ディエゴの声に我に返る。いつまでも呆けている場合ではない。ロビンの矢は補充されたがディエゴの魔力は回復していない。一番最初の時よりは流れてくる敵の勢いも弱まっているが、それでも自分達の前にあの者が立ってくれていた時よりは攻勢が強まっている。
「ディエゴはとにかく回復に専念しろ!いくぞ!」
「おうよ!」
敵の攻勢が弱まっているお陰でディエゴの魔法支援がなくとも何とか耐えられる。というよりは恐らくあの者がこちらが耐えられる程度に敵の勢いを殺してくれているからだろう。生かさず殺さず、イケ学の生徒達がギリギリ耐えられるだけ敵を流してくる。
「やっぱりあいつか?」
「……余計なことは考えるな」
健吾の疑問に……、しかしマックスはそれを考えないようにしていたのだった。
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「どうなっているの!」
正門の下ではアイリスが爪を噛んでいた。全然状況が思い通りに進んでいない。
まず現れたあのマントの者。あんな強い者がまだ王都に残っていたなんて聞いていない。兵士達も限界一杯一杯で、魔力結晶採掘の護衛も手が足りないくらいだと言っていたはずだ。パトリックやギルバートを利用して、普通の者なら知ることが出来ない情報まで調べさせたのだから間違いない。
それなのにいざ事ここに到って今更あんな者が出てくるなど計算違いもいいところだ。あんな者がいては世界を救った後に邪魔者になりかねない。だから出来るだけ優秀な者は排除して処分してきたというのに、まさかまだあんな者が残っていたなど計算違いどころではない。
そして今やってきている巨大な敵だ。あんな敵がいるなんて聞いていない。さすがにあんなモノに侵攻されてはあっという間に王都が滅んでしまう。多少の被害と絶望は与えたい所だが、実際に王都が滅んでしまっては意味がない。自分が救世の聖女として崇められなければ意味がないのだ。
「心配には及びませんよ。アイリスは私が守ります」
「どさくさに紛れて何を言っている?アイリスを守るのは俺だ」
「そういう時は『私達』でいいだろう?」
「チッ!」
ギルバート、パトリック、ヴィットーリオがそんなことを言い合っている。アイリスは聞こえるように思い切り舌打ちをしたがパトリック達は気付かない。ハリルとアランも周囲に控えて暢気な空気が流れていた。
アイリスはイライラしていた。この馬鹿共は何もわかっていない。今はもう何の余裕もないのだ。ほんの一歩間違えただけで奈落の底に真っ逆さまな薄氷の上を辛うじて歩いているにすぎない。敵を倒せる算段もなければ、この局面を乗り切る妙案もない。唯一アイリスが心の拠り所にしているのは『聖女の祈り』だけだ。
『聖女の祈り』だけがこの局面を打開し世界を救える。しかしそのためには聖女の命を捧げなければならない。
もちろんアイリスは世界のために犠牲になどなってやるつもりはない。世界を救い、自分も生き残り、救世の聖女として王子と結婚し、ゆくゆくは王妃として余生を送る。そのためだけにこれだけ苦労してきたのだ。全ては自分が栄華を極めるために。
だがここの所おかしなことばかりが起こる。八坂伊織などという者がイケシェリア学園に紛れ込んでいることに気付いてから……、何もかもうまくいかない。全てがおかしくなってしまった。そうだ。八坂伊織が悪い。全てあの者のせいでこんなことになったに違いない。
今正面から近づいてきているあの巨大な化物なんて知らない。あんなものが来るなんて聞いていない。
「さぁ、アイリス。今こそ我らの力を見せてやろう!」
「アイリス!」
「アイリス!」
「……るさい。うるさいうるさいうるさいうるさい!黙れこの役立たずども!誰のせいでこんな目に遭っていると思っているのよ!お前達がもっと役に立っていればこんなことにはならなかったのに!」
ただ作り物の笑顔で、何を言われても人形のように微笑んでいるパトリック達に向かって、アイリスは叫びを上げていた。
自分の計画は完璧だったはずなのに……、一体いつからこんなことになってしまったのか。何故こうもうまくいかないのか。
「さぁ、アイリス。聖女の祈りを」
「聖女の祈りを」
「聖女の祈りを」
「黙れぇぇっ!うるさいって言ってんのよ!気持ち悪い顔でヘラヘラと!あんたたちに……、あんたたちなんかに何が分かるのよ!」
パトリックが、ギルバートが、ヴィットーリオが、ハリルが、アランが、全員が、世界の全てが、アイリスに聖女の祈りを使えと囁きかけてくる。
「いやよ……。いやよ!どうして私が!どうして私が死ななければならないのよ!絶対に嫌よ!」
アイリスは自分の頭を抱えて蹲った。しかし誰も助けてなどくれない。
「さぁ、アイリス。聖女の祈りを」
「嫌……。嫌!嫌!嫌!いやあああぁぁぁぁぁぁ~~~~っ!死にたくない!死にたくない~~~!」
聖女の祈りを使った者は死ぬ。聖女の祈りとは聖女の命と引き換えに世界を浄化すると言われている。本来聖女の祈りを使えば術者は死ぬものだ。しかしそこには一つだけ救済が設けられている。聖女を心から愛し、聖女のために命を捧げられる者がいるならば、本来聖女の命全てを奪いつくしてしまう祈りから、聖女の命を残すことが出来る、と言われている。
もちろん何の根拠も確証もない。そもそも過去に聖女の祈りが使われて世界が救われたのかもわからない。いや、もし使われて世界が救われたのならば何故今の世界がこんな状況なのか。まったく救われていない所を見れば今まで一度も使われたことがないのではないかとすら思える。
今まで一度も使われていないのに、どうしてそんな方法で聖女の命が助かると言えるのか。これはもしかして聖女に祈りを使わせるために、僅かでも生き残る可能性があるように思わせるための罠ではないのか。
アイリスは自分が祈りを使っても死なないように、どうにか助かるように手を尽くしてきた。パトリック達だけではなく、イケシェリア学園の全ての生徒に慕われ、愛され、大切にされるようにしてきた。もしその伝承が正しいのならば自分は絶対に死なないはずだ。
そのはずなのに……、しかしいざ聖女の祈りを使おうと思うと怖いのだ。自分は死ぬかもしれない。死なないために色々と準備してきたはずなのに……、それでも怖い。失敗すれば死ぬ。嫌だ。死にたくない。
それなのに……、皆が、周り全てが、自分に死ねと言ってくる。祈りを使って世界を救って、そして自分に死ねと言ってくるのだ。感情の篭らない薄っぺらい笑顔で、自分に死ねと言ってくる。
「さぁ、アイリス。聖女の祈りを」
「あああぁぁぁぁっ!うるさい!うるさい!わかったわよ!やればいいんでしょ!私は死なない!私は死なない!絶対に死んでなんてやるもんですか!私は死なない!」
ブツブツと繰り返しながら、アイリスは正門の上にのぼっていく。
「聖女候補!?」
「一体何を?」
城壁の上にいる兵士達が驚いているが気にしている余裕はない。もうここまできたらやるしかないのだ。どうすればいいのかはわからない。そもそも聖女の祈りとはどうやって使うものなのか。詠唱や魔力は必要なのか?何もわからない。ただもうやるしかない。これ以上時間が経てば王都も滅んでしまう。王都が滅ぶことはアイリスの目的ではない。
「世界を……、救い給え……」
正門の上でアイリスは両手を胸の前で組み祈った。パトリック達や兵士達が見守る中……、やがてアイリスを中心に光り輝き……。
「おおっ!?」
「これはっ!?」
「これが……、聖女の祈り……」
アイリスがやや浮き上がり、パアァッという音が聞こえてきそうなほどに光が強くなった。その光に触れた王都の外の黒ずんだ大地が、インベーダー達が、インスペクター達が、全てから黒いモヤのようなものが立ち上り、アイリスの方へと引き寄せられていく。
しかしその黒いモヤはアイリスに到達することなく、光によって消えていき、霧散する。
それはまさに浄化だった。アイリスが発する光に照らされると、全てのモノから黒いモヤが追い出され消えていく。黒かった大地は本来の色に戻り、黒いインベーダー達もインスペクター達も白くなっていく。全てを浄化する聖女の祈り。確かに伝承通りの光景だった。
「すごい……」
「これで世界は救われる……」
その光景を見ていた者全てが胸に手を当てて祈りを捧げる。命を捨ててでも世界のために浄化の祈りを捧げる聖女のために……。
しかし……、神々しい光景はそこまでだった。
ジクジクと……、ジクジクジクジクと……、その光は次第に黒いモヤに取り込まれ黒く変色してきていた。それが光を伝って聖女に絡みつくように……。
「――ッ!?」
あっという間に黒いモヤに絡みつかれ、飲み込まれたアイリスとその祈りの光は、やがて真っ黒になり……。
「――っ!――っ!――っ!」
首を絞められているかのようにバタバタともがいていたアイリスはやがてドサリと城壁の上に落ちて倒れた。その姿はまるでミイラのようで真っ黒に干からびた老人のようになっていた。
「アイリス?」
「アイリスっ!?」
「聖女の祈りが……」
「聖女が……、もっ、もうお終いだ!この世を救う術はもうない!」
真っ黒に変色して干からびて死んでいるアイリスを囲み、城壁の上はパニックになっていたのだった。