第百十五話「宣告されました」
「……おりちゃん、……織ちゃん、伊織ちゃん!」
「え?」
気がつくとそこは……、スラムにある空き地の前だった。後ろでは男達が呻いている。俺が軽く撫でたら手足が曲がってはいけない方向に曲がってしまったけど、彼らの自業自得だから俺のせいじゃない。
「どれくらい経った?」
「え?どれくらいって?この空き地に伊織ちゃんが入ってから急に立ち止まったから呼びかけても返事がなくて、今大きな声で呼んだところだよ?」
つまり……、ほとんど時間が経っていない?あれは一瞬のことだったのか。十何年分もの記憶を一気に見せられたようなもので、俺にとっては物凄く長い時間だったような気がしたけど、あれはこの体の記憶が一瞬で蘇ったということかな……。
「ここに居ても仕方がない。もう行こう」
「うん。行こう」
舞も俺を押すようにしてさっさとここから立ち去ろうとしている。確かに今この体の記憶を思い出したようなことが起こったけど、全てのことを完全に思い出しているわけじゃない。何となくおぼろげに思い出したことはたくさんあるけど、わからないこともまだたくさんあって……、気になることも色々とある。
まず……、俺達はスラムの出身だということはわかった。ここは昔に舞と一緒に遊んでいた場所だ。もしそうなら……、何故舞はさっさとここから立ち去ろうとする?何故家に寄っていこうと言わない?普通なら実家の近くまで帰ってきたら家に寄ろうと言わないだろうか?
俺達はそれぞれ学園に入って長い間家に帰っていない。それなら普通は少し顔を見せていこうとか思う気がする。でも舞は家に寄るどころかさっさとここから出ようとしている。思い出した記憶でもここが俺と舞の出身地であったことはわかってるけど、どちらの家族についても思い出せていない。八坂伊織の家族や、神楽舞の家族はどうした?どこに家がある?
「それで次はどこへ行くの?」
「あぁ……、そうだな……。どうするか……」
スラムから離れて歩いていると舞がそんなことを聞いてきた。でももう行き先なんてない。最初からなかったけど、あそこへ行って何かを思い出しかけてからもうどこへ向かわなくちゃ、という感覚がなくなっている。さっきまでのようにどこかへ向かおうという意思が働かない。
「それじゃここからは私が行きたい所へ向かってもいいかな?」
「俺はいいけど……」
「私も構いませんわ」
俺とアンジーが了承したことで答えは出た。ここからは舞が先導して町を歩く。やってきたのは……。
「ここの街頭テレビ!子供の頃伊織ちゃんと一緒に良く観たね!」
「そう……、だな……」
うん……。ぼんやり思い出せる。スラムにテレビなんてあるはずもなく、テレビを観たい時はいつもこの街頭テレビの所まで来て観ていた。舞はプリティちゃんとか言う子供向けアニメのキャラクターが好きだった。そのキーホルダーを……。
「ああ……、そうか……」
いつぞや、アンジーがアイリスをいじめていた後に、アンジー達が逃げる時に舞が落としていったキーホルダー……。俺が拾って舞に返したけど、あれは俺が舞に贈った誕生日プレゼントだったのか。
「ここはね~……、よく伊織ちゃんとお買い物に来た店!」
「そうなのですわね」
「……」
舞はあちこち回っては俺と舞の思い出を説明していく。それはまるで……、そう、それはまるで俺に一つ一つ教えているように……。子供の時にここでどうした。あの時そこで何だった。アンジーに聞かせているような感じだけど、舞が言っているのは俺だ。俺に聞かせているんだ。
もしかして舞は……、俺が元々の伊織と違うということを察しているんじゃないだろうか。記憶がなくて俺が俺に手紙を出したというのは舞も知っていることだ。でも俺が記憶がないだけじゃなくて、精神が別人に入れ替わっていることも知っているのかもしれない。
「そしてここでね~……、アンジーが婚約した時のパレードを見てたんだよ!」
「おい!舞!」
それはアンジーに言うべきじゃないだろう。あの婚約は馬鹿のパトリック王子とアンジェリーヌの婚約だ。しかも今では婚約は破棄されて、しかもアンジーは色々と風評被害まで受けている。そんなことを思い出させるようなことは……。
「伊織ちゃんはここで初めてパレード中のアンジェリーヌ様を見て、骨抜きにされてたんだよね?」
「えっ!?いや……、それは……、確かに綺麗で可愛かったけど舞の方が可愛いし!」
「まぁ!そう言えばこの辺りを通った気がしますね。ですが残念ながらあの時は私も緊張していてここに居た子供のことは覚えておりませんわ」
パトリックとのことを思い出させたらアンジーが辛いかと思ったけど、何だか軽い調子でそう答えた。あるいはそれはアンジーなりの気遣いだったのかもしれない。
「え?緊張してたか?あれで?まったく平気そうな顔をしてたと思うけどな」
「まぁまぁ!酷いですわ伊織様!私でも緊張くらいいたしますわよ?」
「「「あははっ!」」」
三人で笑い合う。アンジーが俺達のことなんて覚えてないのは当然のことだ。俺達はたった一人を見て覚えていればいいけど、アンジーからすれば王都中の人から見られていたわけで、その中の何人かをたまたま覚えているなんてことは無理な話だろう。よほど印象に残るようなことでもあれば別だろうけど……。
「それじゃ案内交代ね!次はアンジーが行きたい所に行こう!」
「あぁ……、そうだな。ここまで俺と舞が先導したんだから次はアンジーだな」
「……わかりましたわ。それでは私がお二人をご案内いたします!」
そう言ってアンジーは歩き始めた。俺と舞はアンジーの後についていく。
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さすがにアンジーまで俺と舞の時のようなことはない。舞は絶対にあれは俺にあちこちの思い出の場所を思い出させようとしていたんだと思う。それに実際行ってみて色々と思い出したこともあった。まだ完全じゃないけど今日町に出てくる前よりもかなりこちらの世界の伊織の記憶を思いだしている。
それと比べるのは失礼だけど、さすがに俺とアンジーの接点なんて学園に通い始めてからのものであり、王都内でどこかに行ったからといって思い出せる思い出もない。
アンジーの案内は本当にただ王都内のあちこちを歩いているだけだった。お店を見て回り、景色を見て回り、王都内を散々歩いた。
「あ~、今日は疲れたね!」
「そうですわね」
デートを終えて、ウィックドール家の屋敷に戻ってきた。前半は俺の記憶を探すために歩いていただけのようなものだ。だから本当にデートと言えたのはアンジーが案内するようになってからだろう。それでもあの後は皆でアイスを買って、またお互いにあーんさせあったり、服を見たり、色々とデートらしいこともした。
「お父様がお帰りになるまでまだ時間もありますし、お風呂にでも入りましょうか」
「うん」
「あぁ……」
もう今更一緒にお風呂を嫌がる理由はない。俺もちょっと期待しながらお風呂場へ向かった。そして……。
「なぁ舞、眼鏡、外してもいいか?」
脱衣所で裸になり、掛け湯をしてから湯船に浸かる。舞に近づいて頬に触れながら眼鏡を取っていいか聞いてみた。
今まで舞は眼鏡を外したことがない。いや、どこかでは外しているんだろうけど、俺は舞の眼鏡を外した姿をはっきり見ていない。ちょっと惜しい時はあっても、今まで真正面からちゃんと見ていなかった。
「うん……。いいよ」
スッと俺の前に来て全てを俺に委ねるかのように身を任せてくる。痛くしないようにそっと舞の眼鏡を外して……、髪も少し整えて手で束ねる。するとそこにいたのは……。
「美しい……」
それはまるで天女、いや、女神?違う。さすがは本物の聖……。
「本当に……、うらやましいですわ。ついつい見惚れてしまいます……」
「アンジー……」
アンジーも隣に来て舞の顔をじっと見詰めている。でもその反応からすると割と前から知ってたのかな、という気がする。俺の記憶では子供の時以来だ。その後もお風呂や行為の時に見る機会があったはずなのに、何故か妙に記憶にモヤがかかって思い出せない。今日、今、ようやくちゃんと舞の顔を見れた気がする。
「アンジーだって可愛いよ。ちょっと生意気で意地悪そうな悪役顔だけど」
「ちょっ!それはさすがに酷いですわよ!」
俺の言葉にアンジーが頬を膨らませた。悪役令嬢がそんな仕草をしているととても可愛らしい。ギャップ萌えというやつだろうか。
「でも……、俺はずっとアンジーのことが好きだった。気が強そうで、少し意地悪そうな顔だけど、実は寂しがりやで、一途で、友達思いで、自分が大変な時でも相手に心配させまいと笑っているアンジーが大好きだ」
「いっ、伊織様……」
これは嘘じゃない。現代地球でゲームをしていた時の俺は舞なんて存在は知らなかった。だから当然舞を好きになるなんてことは出来ない。俺がゲーム『イケシェリア学園戦記』で一番好きだったのは敵役のアンジェリーヌだ。今言った言葉に嘘偽りはない。
「舞……、アンジー……」
「伊織ちゃん」
「伊織様」
三人の体が近づいていく。そして……、朝の続きが始まったのだった。
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お風呂から上がると若いメイドさん達が顔を赤くしながらなるべくこちらを見ないようにしていた。知らん顔をするのならもう少しうまくやればいいのに……。それじゃむしろ意識してますとアピールしているようなものだ。
「旦那様がお戻りです」
「わかりましたわ。食堂へ参りましょう」
どうやらウィリアムが戻ってきたらしい。当主が帰って来てから食事なので俺達にはウィリアムが戻ってくるのを待つことしか出来ない。食堂に入るとウィリアムがここ最近にも増して深刻そうな顔をしていた。
「お父様?何かありましたか?」
「ああ……、今更隠しても仕方がない。アンジェリーヌも、君達も聞いてくれ。明後日の午後から、結界を解除して攻勢に出ることが正式に決まった。その時に王都の運命は全て決まる」
「あぁ……」
どうやらそういうことらしい。一見無謀な突撃に思えるかもしれないけどその判断は間違いじゃない。結界はまだ少しはもつんだろう。明後日の昼で切れるわけじゃない。自分達の方で解除するんだ。じゃあ何故まだ結界がもつのに自分から解除して打って出るのか。その理由は簡単だ。
別に攻勢が失敗した時に退却しても結界が張り直せるように魔力結晶を温存しておくため、とかではない。まだ結界がもつのにこちらから解除して打って出る理由はただ一つ。作戦開始時間をこちらでコントロールするためだ。
もし魔力結晶が切れる直前まで粘るだけ粘って、切れたらすぐ対処しましょうといってもそううまくいくだろうか?何時何分に切れるか正確にわかるなら良い。でもたぶんそんな正確にはわからないんだろう。
じゃあ切れそうになった時に、もう切れるか、今切れるか、と、ソワソワしながら待ち続けなければならなくなる。それじゃ精神的に疲れるし、ずっと全戦力が待機していなければならなくなる。それじゃ休めないし、結界が切れて戦闘開始になる時間がコントロール出来ない。
だから完全に結界が切れるまで粘り続けるんじゃなくて、まだ絶対に切れないというタイミングでこちらがあえて自分達で解除して打って出る。これなら部隊も明後日の正午まで休んで準備をしておけば良い。もし魔力結晶が切れるまで粘っていたら夜中に開戦になってしまうかもしれない。そういうタイミングも全てコントロール出来るというわけだ。
これはイケ学の洗脳されている奴らでは考え付かないだろう。王族か貴族にまだそれなりに頭が切れる者がいるらしい。まだこちらでタイミングをコントロール出来るうちに打って出ようというのは良い判断だ。
まぁ……、聞いている限りの戦力じゃ打って出るなんて無謀な話だけどな……。でも出るしかない。王都が生き残るにはこの戦いで打って出て魔力結晶を持ち帰ってくるしかない。
「それで……、森まで採掘に行くんですか?」
「いや……、最早転移を使う余裕もない。それに採掘中に護衛する戦力もない。こんな時のために王都の近辺の魔力結晶採掘は後回しにしていたんだ。門からイケシェリア学園の生徒達が打って出て、その隙に近場の魔力結晶をかき集める」
なるほど……。そう言えばこの辺りも草木が生えているもんな。森というほど立派な森はないけど、それでも魔力結晶も探せばあるだろう。
王族、貴族も一応考えていたというわけだ。余力のあるうちに遠くの魔力結晶を集め、最終段階になったら転移して拾いにいけないだろうから、近場の魔力結晶は出来るだけ残しておくと……。
でも仮にうまくいっても森にもなっていないようなこの近辺の魔力結晶じゃ、頑張って集めても結界の維持が数日伸びるだけじゃないだろうか。それじゃ前に言っていた通り問題の先延ばしであって、何一つ解決していない。それなら貴族達が持つ装置に入ってる魔力結晶でも集めた方がよほど確実だと思うけど……。
「明後日の正午までが最後の時間だ……。悔いのないように過ごしなさい……」
ウィリアムは項垂れてそう言った。どうやら俺の話もあまり信じていないようだな。ウィリアムにとっては聖女アイリスがどうにか出来るとは思っていないということか。
俺も色々考えてはいるけど、とりあえずアイリスが失敗した時にウィリアムがきちんと渡した魔力結晶で結界の再起動をしてくれることを信じるしかない。