第百十三話「出掛けました」
日が昇ってきた頃、ウィリアムの部屋を出てアンジーの部屋に向かったら舞もアンジーももう起きていた。そして何故か顔が膨れている。
「伊織ちゃん!どこへ行ってたの!」
「そうですわ!私達を置いていなくなってしまうなんて!」
「ごめんごめん」
もう二人は俺のことを斎ではなく伊織と呼んでいる。今更素性を隠しても意味はないと思っているのかもしれない。それなら本当の名前で、呼びたい名前で呼ぶ方が良いということだろう。まぁ、もうウィリアムに俺が八坂伊織だと言ってしまったんだから、少なくともこの屋敷内でなら何と呼んでも問題はない。
「舞、アンジー、今日はデートをしよう」
「そんなことで誤魔化され……、え?」
「デート?」
俺の言葉を聞いてポカンとしていた二人は、やがてその言葉の意味を悟って少し赤くなりながらうれしそうな顔をしていた。
「うん。行こう」
「ようやく伊織様からお誘いしてくださいましたわね」
二人ともはにかんだような笑みを浮かべている。とても可愛い。というわけで今日は舞とアンジーと三人でデートすることになった。でもさすがにまだ夜明けから間もない時間だ。こんな時間にデートに出かけたって店もまともに開いていない。まずは朝食を済ませようと屋敷の食堂に向かう。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
俺とウィリアムは不自然にならないように今まで通りに振る舞う。ウィックドール家の面々や舞は信じているとしても、メイドや執事のような家人達まで全員が大丈夫だという確証はない。もしかしたらアイリスの息のかかった者が紛れ込んでいる可能性もある。
今更アイリスがウィリアムやアンジェリーヌなどウィックドール家に何か手を出すとは思い難い。普通に考えたらもうすぐ始まる最後の決戦に向けて全力を尽くすべきだろう。
でもアイリスはついこの前アンジーを殺そうとしたばかりだ。こんな時期に、こんな状況で、何故わざわざアンジーを殺さなければならないのか。俺にはその考えも理由もさっぱりわからないけど、少なくともそうしようとして、実際に実行したという事実がある。ならば家人達の中にもアイリスに操られている者がいないとは言い切れない。
あまり人を疑いたくはないけど、こんな世界で、今までのことを考えたらそう思わざるを得ないだろう。リスクを最小限にするためにも、あくまで俺とウィリアムの関係は今まで通りであるように見せかけておかなければならない。
「さぁ、それでは食事をいただきましょう」
ビクトリア夫人の言葉で朝食が始まった。もしかしたら夫人は何かを察したのかもしれない。ウィックドール家のお世話になって朝食を頂き、一度三人でアンジーの部屋に下がった。
「どの服を着ていこうかなぁ……」
「あら?舞は決めていなかったのですか?」
部屋に戻ると二人は今日着て行く服を選んでいた。いつものようにプリンシェア女学園の制服で行くつもりはないようだ。たぶん……、これが最後だと思っているから……。最後だからこそ悔いがないように、精一杯今を生きようとしている。
その気持ちはわかる。舞やアンジーからすればあと数日で確実に王都が陥落し、自分達も死ぬ運命だと思っているに違いない。でも……、そんなことは絶対にさせない。俺が必ず二人を、王都を守る。
王都の者達や王族、貴族、ましてやイケ学の生徒達を守ってやる謂れはない。むしろ俺達に苦痛を強いてのうのうとしてきたような奴らだ。それでも……、そんな奴らでも……、王都が陥落してしまえば人類滅亡は免れない。俺達だけ逃げ延びても数十年後に俺達が死んで終わりだ。そんな結末を俺は認めない。
アイリスがうまくやってこの世界が救われて、アイリスが救世の聖女として崇められる世界になったら、それはとても怖い世界だと思う。今までのアイリスの行動を見る限り、アイリスが世界の支配者になったらもしかしたら今よりも酷い世界になるかもしれない。だけどそれでもこのまま人類が滅亡するよりは良い。
舞と、アンジーと、三人でこれからも笑って生きていくためには、例えアイリスが支配者になる世界だとしても、人間の世界は残ってもらわなければならない。
「俺も今日着て行く服を決めないとな」
「伊織ちゃん!口調!」
またいつものように舞に怒られる。でも俺はそっと膨らませている舞の頬に触れる。
「いいんだよ」
「…………そっか」
まるで何かを察したように舞はもうそれから何も言わなくなった。でも恐らく俺が考えていることと舞が考えていることは違う。舞はもうこれが最後になるからと思ったんだろう。でもそれは違う。
確かに今の状況で買い物を楽しんだりデートしたりするのは最後になるかもしれない。でもそれは俺達やこの世界の終わりを意味するものじゃない。俺が絶対にこの世界の破滅を回避し、舞もアンジーも助けてみせる。
今回のことに終止符が打たれたら当分は今までのような生活は出来なくなる可能性が高い。だから最後の決戦の前に、今の状況でゆっくり出来る最後のデートを楽しもうと思って誘った。でも……、これで終わりじゃないから……。この争いが終わったら……、また三人で……。
「それでは準備いたしましょうか!まずはお風呂ですわね!」
「……え?お風呂に入るのか?」
アンジーの言葉に俺は困惑する。女の子って出掛ける前とかにいちいちお風呂に入ったりするのか?するのか……。少なくともそういうイメージはよく聞くな。まぁ入らない人もいるだろうけど……。
「あのね伊織ちゃん……、伊織ちゃんは気付いてないかもしれないけど……、私達その……、かなり匂いが……」
「え?臭い?」
前にも臭いって言われたから俺もちょっとは匂いを気にするようになったはずだけど……。別にそんなに臭くないはずだけどどういう……。
「汗や汚れの匂いではなくてですね……。行為をした後だというのがわかる匂いがしているのですわ……」
「えっ!?そうなの!?」
男のアレの匂いがしていたらヤッた後だとわかるというのも頷ける。でも俺達は女の子ばかりなのに、それでもそういう匂いがするものなのか?そういうのがわかってしまうんだろうか?
「恐らくお母様にも気付かれていましたわ……」
「あ~……」
そういうことか……。朝食の時の夫人の態度がややおかしかったのは、俺とウィリアムの話し合いを察していたんじゃなくて、俺達三人が淫らな匂いをさせていたからバレバレだったというわけだ……。
ちょーーー恥ずかしい!!!
「それじゃお風呂に入ろっか」
「はい……」
そう言われたら断れるはずもない。俺も二人と一緒に大人しくお風呂に入……、ろうと思ったんだけど、この三人がお風呂に入って何事もないはずがない。お風呂場で声が響いているというのに、結局昨晩の続きを楽しんでしまったのだった。
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お風呂から出ると執事達は顔を赤くしていて、いや、メイド達も赤くなっていたけど、ニヤニヤした顔で見られたり、赤い顔を逸らされたり、とても恥ずかしい思いをしてしまった。
そりゃそうだよ。こんな朝っぱらからお風呂に入って、声の響くお風呂場であんなことをしていたら皆に聞いてくださいっていってるようなもんだ。でも後悔はしていない。とても素晴らしい経験が出来た。俺も昨晩は翻弄されただけだったけど、少し慣れてきたから……、いや、やっぱり二人に弄ばれただけだったな……。
ともかく気を取り直して出掛ける準備を進める。出掛けるにはまだ早い時間だったけど、お風呂で思わぬ時間がかかったから丁度良い時間になってきたかもしれない。
「それでは出掛けましょう!伊織様、どこへ連れていってくださるのかしら?」
「ん~……、どこ、とは決めてないんだけど……、気の向くままにかな?」
勢いでデートに誘ったのは良いけど、実際問題として俺は王都のことをほとんど知らない。この世界の八坂伊織は王都で育って色々知っていたのかもしれないけど、中身が入れ替わった俺は王都のことについては二人に連れて行ってもらった所しか知らないくらいだ。
あまり下手なことを言ったり、したりしたら、俺の中身がこの世界の八坂伊織と違うということがバレてしまうかもしれない。かといって今まで二人に連れて行ってもらった場所を再び訪れてもどうかと思う。デートしようと言ったけど結局何も考えていなかった。
「それじゃ気の向くままに、いこ?」
「そうですわね」
「あっ、ああ……」
何か俺の方が押されてしまっている。結局うまく物事を進めてくれているのは舞なのかもしれない。舞がいなければ俺はこううまく乗り切ってくることは出来なかっただろう。
少しは振り回された所もあるけど、舞がいてくれてよかった。
特に行くあてもなく、ただブラブラと王都の町中を歩く。つい昨日あんなことがあったばかりだというのに町はいたっていつも通りだった。俺が舞とアンジーに案内されて歩いていた町の様子と何も変わらない。
もしかしたらこの世界の人達にとっては、あれは案外そういうものとして当たり前のように受け止められているのだろうか。インベーダーに襲われて命を落とすことも日常?さすがにまだそこまで被害は出ていないと思うけど、それにしても昨日騒ぎがあったばかりだというのに町はいつもと変わらない。
インベーダーに破壊された店、破壊され散らばっている物、犠牲になった人の血痕、インベーダーの死骸。皆何でもないことかのように当たり前のように片付けをしている。
こんなものなのか?人の死が、平和が乱されたことが、こんな平然と受け止められるものなのか。
「あっちへ行ってみよう」
「うん」
特にあてがあるわけじゃない。ただ……、何となく……、あるいは何かに引き寄せられるかのように俺は王都の端に近い方へと進んでいく。外壁に近い場所ほど破壊されている所がたくさんある。外壁を乗り越えて入り込んだインベーダーに真っ先に被害を受けるんだから当然だろう。
こういった外周部に近い場所に住む人は基本的に貧民だ。壁沿いに近いほど外周部に行けばそれは最早スラムと言える。
確かに外周部に近いほど破壊されている場所は多い。でも中心部のような血痕はあまりない。やっぱり今までの襲撃で何度も被害を受けているから、外周部の人ほどちゃんと避難するんだろう。昨日俺達が居た辺りの人達は暢気に構えていたからな……。
壊れている掘っ立て小屋を直そうとしている人達はいるけど、血痕の前で泣いている遺族というのはあまりいない。ここの人達はここの人達で強かに生きているんだろう。
「伊織ちゃん」
「ん?」
舞に呼ばれて振り返ってみた。でも舞はそれから口を開かない。呼んでみただけか?
「どうした?」
「…………ううん」
何か舞の様子がおかしい。でも俺は……、止まることなく進んでいく。こんな場所詳しく知らないはずなのに……。
確かに屋根の上を駆け回って王都のあちこちは調べた。だけど真っ暗な夜中に屋根の上を駆け回ったからって、王都の詳細な配置が全てわかるというものでもない。むしろこうして下を歩いていると思っていたイメージとまったく違ったりして混乱するくらいだ。
それなのに……、何かに引き寄せられるように……、俺はスラムにどんどん近づいていく。
知らないはずの路地を曲がり、知らないはずの道を通り抜け、知らないはずの景色の中を当たり前のように歩いて……。
今日の俺はいつものプリンシェア女学園の制服じゃない。今日俺は男装してきた。イケ学の制服とも違うけど、ボディスーツの上からサラシを巻いて出来るだけ胸とか体型を隠して、舞とアンジーと一緒に行った店で買った男装用の服を着て……。
「おい兄ちゃん、余所者がこんなとこまで入ってきちゃ駄目だぞぉ?」
「ひひっ!女と金を置いて消えりゃ命だけは助けてやるぜ」
下卑た笑いを隠そうともせず、スラムのゴロツキどもが寄ってきた。道の前も後ろも塞がれている。でもそんなことはどうでもいい。それよりもこれは……。
「どけ……」
「あ?ぎゃぁっ!」
「ぐあっ!」
「いでぇっ!」
「あしっ!おれのあしがぁっ!」
俺達に絡んできていた馬鹿を一瞬でぶちのめし……、路地を抜けた先は……、まるでそこだけぽっかりと切り取られたように開けた空間だった。
『待ってよ伊織ちゃん!』
『舞!遅いぞ!』
俺の目の前を……、小さな舞の幻が走っていく。その先にいるのは……、俺?
いや、幻じゃない。これは……、俺の……、俺達の……。
「あっ!?」
急激に目の前が真っ暗になったかと思った瞬間、俺の体から全ての感覚はなくなっていた。