第百十一話「結ばれました」
アンジーの部屋に戻ってきても誰もしゃべらない。それはそうだ。もうあと何日かしたら王都ごと全員が死ぬことになる。王都の状況を知っているということは貴族達は王都の外のことも知っているだろう。仮にインベーダーの包囲を突破して王都から脱出出来たとしても、結界もない外では普通の者は数日も生きられないだろう。
俺なら、俺一人なら王都を脱出しても生き延びられる自信がある。油断さえしなければ最早黒インベーダー達は敵じゃない。食べ物も森へ戻れば一人分くらいは何とかなる。
でも俺一人だけ脱出して生き延びて何の意味がある?
ウィリアムも言っていたように、魔力結晶を提供して何日か結界を維持しても結局その先がないのなら何の意味もない。同じく、俺一人だけが生き延びたって人類滅亡に変わりはない。俺一人だけがこの先何十年も苦労して、大変な思いをして、結局老いて死ぬか、黒インベーダー達に対処出来なくなって殺されるか、それに何か意味があるとは思えない。
舞とアンジーを連れて逃げても同じだ。女ばかり三人逃げても結局子孫が残せず人類滅亡。そして仮に男も連れていって子供を生めたとしても、五人や十人じゃあっという間に滅びて終わりだろう。それに大人数になれば食料の確保が難しくなる。どちらにしろ王都が落ちた時点で人間は詰んでいる。
俺は……、それなりに魔力結晶を持っている。あの湯沸かし器の石よりも大きく魔力の篭った石がある。それを提供すれば何日か、何週間かは結界が維持出来るだろう。
あるいは……、個人用転移装置に入っている超大型でエネルギーがたくさん詰まっている魔力結晶も持っている。小粒の石一つで一日ももつというのなら、転移装置に入っている巨大魔力結晶なら一体どれほど結界が維持出来るだろうか。それに転移装置はたくさんあるからかなりの数を揃えられる。
でも……、転移装置の魔力結晶は補給が利かない。使いっきりの最後の頼みの綱だ。今の腐った人類にアレを渡して、何ヶ月か、何年か滅びを先延ばしにしたからって何の意味がある?
インベーダーを全滅させる手段もない。魔力結晶が劇的に増える見込みもない。滅亡を一年先送りした所で結局一年後には滅亡するだけのことだ。
古代魔法科学文明が作り出した、巨大で高効率な転移装置用の魔力結晶は研究所で見つけた分しかない。二度と作れない物だ。そもそもウィリアムが言うように問題の先送りをして結界を長持ちさせた所で、王都の退廃がさらに進むだけだろう。今ですら貴族達は自分達の滅亡を知って腐っている。それがさらに先延ばしになっても碌なことはない。
どうにかする方法……。根本的に解決する方法がなければ……。
「あっ……」
「え?斎ちゃん?どうしたの?」
「あぁ……、いや……、うん……。何でもない」
俺が声を漏らしたから舞とアンジーがこちらを振り返った。俺は適当に誤魔化したけど……、一つだけどうにかなるかもしれない方法を思い出した。
ゲーム『イケシェリア学園戦記』ではどうすれば世界が救われるのか。それは聖女アイリスの祈りだ。命を懸けた聖女の最後の祈りで世界は救われる。じゃあこの世界もアイリスが聖女としてその力を使えば救われるのか?
ゲームはまだ完結まで実装されていなくて、というか恐らく他のオンラインゲームと同じように、『イケ学』も最後までアップデートされてきちんと完結するなんてことはないだろう。だから俺がプレイした範囲ではまだ完全なる結末は出ていなかった。
ただネットの噂とか、公式で流している設定や今後のアップデート、世界観やストーリーなんかでそういう風に言われていただけに過ぎない。
だから何の確証もないといえばその通りだ。アイリスが聖女として祈りを捧げ、世界は浄化されて救われる。命を懸けたアイリスだったが、もし誰か攻略対象のクリア条件を満たしていれば、その攻略対象によって呼び戻されたアイリスは命を落とすことなく、それぞれのエンディングへと進む……。
まぁ極端に言えば、二人の愛と絆があれば、死ぬはずだった聖女の祈りを使っても、聖女アイリスは死なず、息を吹き返して戻ってくる。そして二人は結ばれる。あっ……、そういえば二人とは限らないな。攻略対象全員の条件をクリアしていれば逆ハーレムエンドもあるらしい。
この世界のアイリスはどうだ?世界のために自らの命を懸ける人物だとは思えない。でも絶対死なない自信があるのなら、世界のためとかじゃなく、自分が崇められるために祈りを使う可能性はあるだろう。そしてそのための攻略対象達じゃないのか?
アイリスは完全に攻略対象達を掌握している。ゲームの時とは感じが違うけど、あれも一種のハーレムエンドかもしれない。アイリスは自分が死なないように攻略対象達をああやって意のままに操り、最後の祈りに備えている可能性はある。そう考えればこれまでの不可解な動きも全て説明がつく。
まずこの国がピンチでもないのに救ってやってもいまいち感謝されないだろう。今この時点で祈りを使って世界が救われても、民衆達は何もわかっていない。インベーダーが差し迫っていることも、王都の結界が限界なことも理解してない。
だったら……、戦後自分が崇められるためには必要だ……。明らかな脅威と絶望、そして大きな被害が……。
そうなった時初めて王都の住民達は世界を救ってくれる救世主を願うだろう。その時にようやく自分が出てきて、民衆を救ってやる。そうなってこそ脅威が去った後も自分が崇められるというものだ。今人知れず世界を救った所で誰も感謝なんてしてくれない。
そして祈りを使っても操っているパトリック達攻略対象がアイリスを呼び戻し息を吹き返す。それなら自分が死ぬこともない。完璧だ……。これこそがアイリスの狙いだと言われても十分納得出来る。
パトリック達を操り人形のようにしていることも、まるで人類が滅びるのを望んでいるかのようにイケ学の戦力を無駄に浪費させているのも、全ては王都陥落寸前から、自分が祈りで世界を救い崇められるための布石というわけだ。
だったら……、もうアイリスに任せておくか?俺は舞とアンジーだけを守って、アイリスが聖女の祈りを使うまで粘っていればいいんじゃないのか?その結果王都の大勢の人が犠牲になるかもしれない。でも俺は所詮ただのモブだ。王都の住民全てを俺一人で救うなんてことは出来ない。
俺に出来ることはただ一つ。この手の届く範囲にいる大切な人を、大切な人達を守ることだけだ。
「伊織ちゃん、また難しいこと考えてるでしょう?」
「……え?」
いつの間にか舞が俺の前に立って、やや下から覗きこむようにこちらを見ていた。俺は別に難しいことなんて考えているつもりはないけど、舞から見るとそういう風に見えるのかもしれない。
「伊織ちゃん!こっち!」
「あっ!ちょっ!」
舞に引っ張られた俺はボフッ!とベッドに倒れ込んだ。その上に舞が……、圧し掛かって……。
「ん……」
「――ッ!?」
柔らかい感触が俺の唇に触れている。とても柔らかくて、甘くて、脳がとろけそうになる。
「伊織ちゃん……」
「舞……」
顔を離した舞が真っ赤になりながらも俺の上に圧し掛かったまま見下ろしてきていた。その瞳は熱に浮かされたようにトロンとしている。俺も思考が定まらず、ただ阿呆のように舞と見詰め合うことしか出来ない。
「伊織ちゃん」
「舞」
そしてまた俺達の顔が徐々に近づき、間に割り込んできた手に顔を押さえられた。
「ちょっっっっっっとお待ちなさい。初めては譲って差し上げたのです!次は私の番でしょう!」
「「あっ……」」
完全にアンジーの存在を忘れていた、というと失礼だけど、まぁ……、その……、何だ。
「伊織様、次は私と……」
「えっと……、本当にいいのか?俺は女だし……、舞のことも好きなのにアンジェリーヌともなんて……」
「いいんだよ伊織ちゃん。私達三人がそれを望んでいるんだからそれでいいの」
「そうですわ……。もうこれ以上待てませんわ」
「んっ!」
ガバッ!と勢い良く突っ込んできたアンジーの唇が俺に触れる。舞よりも少し唇が厚い。ぷっくりした唇の感触を甘噛みするように楽しむ。
「ん……、んんっ」
離れた唇の間につーっと銀の橋がかかって消える。アンジーは自分から積極的に飛び掛ってきたのに、一度離れると舞以上に顔を真っ赤にして一気に俺から体を離した。
「しっ、してしまいましたわ……」
「うん。しちゃったね」
「ああ……」
何というか……、とても恥ずかしくて間が持たない。
ただ……、何故舞やアンジーが急にこんなことをしてきたのか。それはもうあと数日で王都が陥落すると思ってのことじゃないか?もう世界が滅ぶのなら、自分達が死んでしまうのなら、せめて最後に……、と思ってこんな行動に出たのかもしれない。
それが最後のきっかけや後押しになった、というのは悪い意味ではないんだろう。でも……、これが最後になるかもしれないから……、という理由でこういうことになったのだとすれば……、とても悲しい。同じ結ばれるとしても、せめてもっと……、お互いの心が通じ合って、ちゃんと結ばれたかった……。
「伊織ちゃん」
「伊織様」
「舞……、アンジー……」
でも……、ただ嘆いているばかりでもいられない。舞とアンジーが勇気を振り絞ってこんな行動に出たのなら……、俺は二人の想いに応えるだけだ。
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どれくらい時間が経ったのか。まだ外が薄暗い中で意識が戻ってくる。何というか……、女の子って凄い……。
男みたいに弾数制限もないし、ちょっと休憩すればすぐに復活する。ずーっと終わらない快楽の渦に呑まれて翻弄され続けてしまった。
二人は元々女の子だから慣れているのかもしれないけど、全てが初めての経験だった俺には刺激が強すぎた。ぐったりしたまま何とかベッドから抜け出す。
舞もアンジーも昨晩はハッスルしすぎたのかぐっすり眠っているようだ。俺がベッドから抜け出しても気付く様子もない。……あっ、この二人は元々一度寝たら中々途中で起きないタイプだったわ。俺が一人で夜に抜け出して王都調査を行なっても気付いていなかったからな。
喉も渇いたし、少し気持ちを入れ替えようと思ってアンジーの部屋を出る。勝手知ったる何とやらじゃないけど、もうある程度この屋敷にも慣れているので自分で水を汲んで飲む。まぁアンジーの部屋にも水差しは置いてあるけど、ちょっと気分転換も兼ねて出て来ただけだ。
それから少しだけ屋敷の中を歩いていると灯りのついている部屋があった。あそこは……、ウィリアムの部屋だ。この時間まで起きていたのか、早くに起きるタイプなのか……。
そっと近づいてみれば扉が少し開いていた。きちんと閉まっていなかったようだ。その隙間から中を覗いてみれば、ウィリアムはソファに腰掛けてグラスを傾けながら虚空を見詰めていた。今どのような気持ちでこうしているのか俺にも何となくわかる。この先に起こることを知っている者なら誰でもこうなるだろう。
「…………よし、いくか」
意を決した俺は扉を開いてウィリアムの部屋に入った。さすがに扉が開けば気付かれる。こちらをチラリと見たウィリアムが気だるそうに口を開いた。
「こんな時間にどうかしたかね?」
「このような時間にノックもせず押し入ってすみません」
そう言いながらも俺は出て行かずに扉をきちんと閉めてウィリアムの向かいに勝手に座る。普通なら不敬だとして俺もゴロツキみたいな最後を迎えてもおかしくないような行動だ。でも今のウィリアムは大して興味もないとばかりにぼーっとした様子でこちらを見ているだけだった。
「何か……、用かね?」
まぁ自分の前に座ったんだから何か用があると思うのが普通だろう。覚悟を決めた俺は研究所の皮製のポーチから数個の魔力結晶を取り出した。
「これで、あと何日くらい結界はもちますか?」
「――っ!?こっ、これは!?」
俺がテーブルの上に置いた魔力結晶を見てウィリアムが顔色を変えた。マジマジとその石を見ている。
「これほどの大きさ。これほどの純度。これほどの魔力。信じられん!これを一体どこで!?」
盛大に食いついて来たウィリアムは腰を浮かせて俺に顔を寄せてくる。俺からすれば小石程度の魔力結晶だけど、湯沸かし器に入っていた石に比べれば遥かに大きく強力な石だろう。湯沸かし器の石で一日もつのならこの石一つで数日はもつかもしれない。
この程度の石でこれほどの驚きようなら転移装置用の石を見せたら腰を抜かすかもしれないな。まぁあれを渡すつもりはないけど……。
「私は……、いや、俺は、俺の本当の名前は八坂伊織といいます。斎というのは偽名です。騙してすみませんでした。少しだけ……、俺の話を聞いてもらえますか?」
「八坂……、伊織っ!?」
ウィリアムは魔力結晶を見た時以上に驚いた顔で俺の名前を叫んだのだった。