第百六話「服を買いました」
朝、目が覚めると舞がこちらをじーっと見ていた。夜中に王都の調査から戻ってきて、また舞とアンジーに腕枕されている。俺が起きて舞の方を見たことに気付いた舞がそっと目を閉じた。
「ん……」
「いや……」
目を閉じてじっと待っている。でも俺はただじっと舞を見詰めることしか出来ない。
「んっ!」
「あの……」
さらに唇をタコのように突き出して顎を上げるけど俺にはどうしようもない……。
「んっ!!」
「ごめん……」
ついに……、俺は舞を見ていられなくて目を逸らしてしまった。罪悪感で胸が潰れそうになる。とても胸が苦しい。でも俺は舞の期待に応えてあげられない。
「どうして謝るの!おはようのキスもしてくれないの!?私のこと……、嫌いになっちゃった?」
目を開けた舞がシュンとした表情でそんなことを言う。俺も辛くて舞の方を真っ直ぐ見られない。だけど……、駄目なんだ……。だって俺は……。
「舞……、ごめん……。俺は……、俺は……」
「いつき……、ううん、伊織ちゃん……、やっぱり他に好きな人が……」
舞は悲しそうに目を伏せた。その姿を見て俺の心も締め付けられる。舞にこんな顔をさせてしまうなんて……。でも……、でも俺は……。
「ごめん舞……。俺の左腕にアンジーの頭が乗ってるからこれ以上そっちに近づけないんだ……」
「…………あ~」
ついに俺は言ってしまった。とても居た堪れない。俺は両腕を広げた状態で舞と逆の腕はアンジーの頭を乗せ、体をぴったりくっつけられている状態だ。首を横に動かすことは出来ても片方に近づけることは難しい。いくら舞が目を瞑って待っていてくれても俺はこれ以上顔をそちらに近づけられないんだ……。
俺にそのことを言われてようやく気付いたらしい舞はポリポリと頬を掻いていた。舞は割と本気で気付いていなかったのかもしれない。本当に天然でおっちょこちょいだ。
「貴女達は朝から何をしているのですか……」
そして途中から起きていたらしいアンジーに俺達の茶番を指摘されて、途端に俺も舞も顔が真っ赤になったのだった。
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今日も俺の髪型で論争が起こり、横は前に流しているけど後ろは束ねる形で決着がついた。確かに男と違ってあれこれ髪形を変えられるのは面白いかもしれないけど、メイドさん達まで巻き込んで毎朝大騒ぎするほどのこととは思えない。こんなことに熱中出来るのも平和な証拠かもしれないけど……。
「今日はどうするの?」
「もちろん今日も斎ちゃんを案内するよ!」
「そうですわ。王都にはまだまだ行ってない場所がありますわよ」
アンジーの両親と一緒に朝食を終えて、今日の予定を聞いてみたらそんな答えが返ってきた。俺としてはありがたい。舞とアンジーがいれば俺が出歩いていても不審に思われないだろうし、案内してくれるのなら俺が迷ったり、常識を知らずに困るということもないだろう。
昨日一日でも俺がいかにこの世界の常識を知らずに生きてきたか身に沁みた。俺一人で王都をウロウロしていたら絶対に不審者だと思われるだろう。その点この二人が案内してくれていれば、俺が変な行動をしようとすれば止めてくれるはずだ。何より土地に詳しい人がいるのはとても助かる。
「それでは今日は向こうの地区に行きましょうか」
「そうだね」
アンジーと舞は何か相談しているようだけど俺にはわからない。二人が行きたい所へ行くのを俺はついていくだけだ。夜の調査もそうだし、こうして日中に散策することにも意味がある。二人は市場調査というか、町の様子を確認しているみたいだけど、俺は王都そのものを調べているからな。
「それじゃ行くよ斎ちゃん」
「りょーかい」
行き先が決まったらしいのでついていく。昨日とは全然違う方角に進んでいる。向かった先は……。
「服屋?」
「そうそう!この辺りは布や服を売っている店が多いんだよ」
どうやら地区によって色々な特色があるようだ。昨日行った辺りは日用品や食料品が中心だった。食べ物が欲しければあの辺りへ行けということだろう。そして今日の場所は服屋や布屋が密集している地区らしい。
「あっ!見て!これかわいい!」
「本当ですわね!スタイルの良い斎に似合いそうですわ!」
「…………え?」
そう言いながら二人がじーっとこちらを見ている。まさか……。
「いらっしゃいませ!ご試着なさいますか?」
「はい!この子が着ます!」
「ちょっ!舞っ!?」
その服を持って俺をグイグイと店の方に押し込んでくる。確かに可愛い服だ。女の子が着ているのを見ればきっと幸せな気分になれるだろう。でもそれは見る方に限る。自分が着るのは嫌だ。
「こんなの無理!」
「大丈夫大丈夫!斎ちゃんならきっと似合うから!さぁ!」
「はい。きっとお似合いですよ!さぁ!」
店員と結託して俺を試着室に放り込む。この服はただ可愛いだけじゃない。ミニスカートだし胸元も緩い感じだ。それにお腹の部分の丈がちょっと短い気がする。動いたらおへそが見えそうだ。俺は下にボディスーツを着ているから肌を直接見られることはないけど、逆にボディスーツ丸出しになってしまうわけで……。
とはいえ試着室に押し込まれているのに着替えないわけにもいかない。舞とアンジーは俺が着替えるまで許してくれないだろう。だから俺は諦めて着替え始めた。
「斎ちゃーん?出来たー?」
「……うん」
「じゃあ開けるよ?」
「はい……」
着替えた俺は諦めて舞に答える。試着室のカーテンが開けられて……。
「うわぁ!可愛い!」
「とっても似合いますわね!」
「とても良くお似合いですよ!これほど似合う方は滅多におられません!」
いや……、褒めすぎだろ……。そりゃ俺もちょっとは思ったよ?あれ?これ結構イケてね?って思ったよ。でもさぁ……、俺は男なわけで、こんな可愛い格好をして、女の子らしくて可愛いって、それは結構ダメージなんだよ……。
「それじゃさ!それじゃさ!次はこれにしよ!」
「こちらも試着しなさいな」
「ちょっ!ちょっ!」
舞とアンジーに新しい服を渡されて再び試着室に押し込まれる。もうこうなったら付き合うしかない。いくら俺が言っても二人は諦めないだろう。覚悟を決めた俺は渋々試着を始めたのだった。
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疲れた……。滅茶苦茶疲れた……。どうして女性の買い物はこれほど疲れるのか。そして女性達のどこにそんなパワーがあるというのか。
あの後俺はあのお店で散々試着させられて、しかも何も買わずに次の店に行った。そして次の店でもまた試着の嵐だ。それを延々と繰り返し、まるで端から端まで全ての店を見ていくつもりかというほどにハシゴして……、ようやく終わりかと思ったらまた最初の店の方へと戻りつつ何着かの服を買ってもらった。
今はアンジーのプリンシェア女学園の制服を借りているけどいつまでもこの格好というわけにもいかない。もしプリンシェア女学園の生徒達に会ってしまったら、俺がなんちゃってプリンシェア女学園生だとバレてしまう可能性がある。
それにオフの日まで制服というのもおかしいわけで、私服の一つや二つは持っていなければならない。その説明や理由はわかる。わかるけど……。
たったあれだけの服を買うのに一体どれほど時間と労力がかかった?俺はもうヘトヘトだというのに舞とアンジーはまだ生き生きしている。俺よりレベルもステータスも低そうなのに、実はこの二人の方が俺より強いんじゃないのか?
「あっ!あのアイスクリーム食べよう!」
「いいですわね。少し休憩にしましょうか」
「あっ、ああ……」
二人の元気についていけない。俺はもう一杯一杯だ。休めるのなら何でもいい。二人に付いていった先のお店に入る。アイスクリームかソフトクリームか知らないけど、そういった冷たい商品を扱うのに外で販売出来るほどのものはここにはないようだ。
「どれにしようかなぁ……」
「私はバニラですわね」
舞は迷っているようだけどアンジーは即決していた。俺もぼんやりメニューを見ながら考える。俺はそんなに甘党じゃなかったと思う。もちろん甘い物でも食べられるけど、甘い物が大好きというほどでもない一般的男性くらいだったんじゃないだろうか。
でも今の俺は違う。体が女性だからなのか。それとも疲れていて体がエネルギーを求めているのか。他の客達が受け取っているアイスクリームを見てとても食べたくなってきた。こう……、体が求めているというか、飢えているというか……。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
「えっと……、私はストロベリーを」
「私はバニラですわ」
「お……、私はチョコ」
三人バラバラの物を注文した。別に示し合わせていたわけじゃない。ただ前の女性が買っていたチョコアイスがおいしそうだったから選んだだけだ。アンジーは先に言ってたけど舞はギリギリまで迷っていたみたいだしな。
「ありがとうございました」
代金を支払い、すぐに出て来たアイスを受け取って店の外に出る。販売は店でしているけど食べるのは外で食べろということのようだ。まぁ店舗も狭かったしね。
「ん~!つめたーい!」
「んふっ!歩き疲れた体にしみますわね」
二人ともおいしそうに舐めている。俺も少し舐めてみた。
「うん。おいしい」
地球の物とそう味が変わらないような気がする。まぁ地球でチョコレートアイスを食べたのなんてもう遥か昔のことで、しかもこの体じゃないから本当に味覚が正しいかはわからないけど……。ただ一つ言えることはアンジーが言ったように疲れた体にこの甘さがよくしみるということだけだ。
「ねぇねぇ斎ちゃん。一口もらうね!」
「あっ……」
俺が何も言う前に舞は俺が持っていたチョコアイスをペロリと舐めた。
「はい!かわりにどうぞ!」
「むぐっ!」
そして強引に自分のストロベリーアイスを押し付けてくる。仕方なくペロリと舐めた。でもこれって……、間接キスなんじゃ……?
「あっ!二人ともずるいですわ!私にも味見させてくださいな!」
「あっ!」
「ちょっ!?」
そしてアンジーも混ざって三人でそれぞれお互いのアイスをペロリと舐める。俺はかなり恥ずかしくて困っていたんだけど、二人が俺も舐めるまで許してくれなかったから仕方がない。いつまでもマゴマゴしていたらアイスが溶けてしまう。
「バニラもチョコもおいしいね!」
「そうですわね……。今度はストロベリーにしようかしら……」
「えっと……」
俺だけ赤くなっている気がする。二人は平然としている。女の子はこういうの平気なのかな?
「これって間接キスなんじゃ……」
「「あっ……」」
俺が指摘すると二人も突然固まった。そしてみるみる顔が赤く染まっていく。なんだ。やっぱり二人も間接キスは恥ずかしいのか。今まではアイスに釣られて忘れていただけか?
「まっ、まぁ……、溶ける前に食べよう?」
「うっ……、うん……」
何か変な空気になってしまった。でもこれもまた青春だろう。何か……、地球でもこっちに来てからも、今が一番充実していて幸せな時のような気がする。荒野に放り出されて苦労した分、今報われているのかな?それならこんな日々も悪くは……。
『インベーダーが現れました』
「――ッ!?」
イケ学で……、散々聞いてきたインベーダー襲来のアナウンス。それが王都の街中にも流れた。ただイケ学と違うのは生徒は戦闘準備をしろという指示がないことだ。
そんなことよりも……、まずい。魔剣『終末を招くモノ』は持ってきていない。いくら布を巻いて隠しているとはいっても、プリンシェア女学園の生徒が長い棒状の物を持ち歩いているのは不自然すぎる。王都の、それも貴族街があるような中心に近い位置だからと思って持ち歩いていないのが災いした。
もちろん『反逆の杖』は持っている。杖は小さいし隠して持ち歩きやすい。さすがに女の子三人で町に出るのに何も持たずに出るほど無用心ではないけど……、杖はまずい……。
街中で魔法をぶっ放すとフレンドリーファイヤの可能性が高まる。ゲームと違って味方にも周囲の建物にも俺の魔法は当たってしまう。仕込んだ魔法陣も着けてきているけどこの魔法陣の魔法達は範囲攻撃が中心だ。俺一人で敵を殲滅するために範囲攻撃中心に構成しているからこんな街中では使えない。
杖で直接魔法を使うにしてもこんな街中だ。広範囲な魔法は使えないどころか初歩的な魔法でも制限が厳しい。町のチンピラに絡まれるくらいなら杖があればいいかと思ったけど、剣を持ち歩かなかったことがこんなに響いてくるなんて……。
「剣を置いてきてしまった。一度アンジーの屋敷に戻ろう」
俺は二人にそう提案する。ついでに二人には安全な所に居てもらおうという考えだ。二人を連れて守りながら戦うより二人を安全な屋敷で匿って俺一人で動く方がいい。
「いいえ斎!こんな時こそ私が先頭に立って行動しなければならないのです!舞!避難誘導を行ないますわよ!」
「はい!……斎ちゃん、私達だってただの足手まといじゃないよ」
「アンジー……、舞……」
二人の言葉に何も言えない。門や城壁の感じや、今まで町を見てきた限りでは、敵はほとんど内部まで侵入出来ていない。ほぼ城壁で抑えている。だからここまで敵が来ることはない、……はずだ。
もちろん絶対はない。だけど……、二人を残したまま剣を取りに行くくらいなら杖装備だけでも二人の傍にいる方がいいだろう。こんな腐れ王都のためになんて二度と戦わないと思っていたけど……、これは二人を守るためだ。
「わかった……。じゃあ俺が護衛する」
「ありがとうございます斎様……」
「どさくさに紛れて口調が戻ってるよ」
「「あはっ!」」
舞の突っ込みに笑みが零れる。大丈夫。どうってことないさ。こんな奥まで敵が来るはずがない。少し避難するだけのことだ。