第百四話「王都を歩いてみました」
朝食を終えて暫くしてから俺は舞とアンジーに連れられて町へと出かけた。パレード以外で町に出るのは初めてだ。夜に屋根の上を走り回っていたからある程度地形は理解しているつもりだけど、夜中に屋根の上を走るのと、日中に地面を歩いてみるのではまったく様子が違う。
あちこちに人が歩いていて店も開いている。確かに人も多いし店もあるんだけど……、何というか活気がない?置いている商品も棚いっぱいということもなく、あちこちの棚が空になっている。
「何というか……、活気がないな……」
「斎ちゃん!口調!」
舞に怒られた。女性らしい口調というのがよくわからないのでそれっぽく答えてみる。
「あら?おほほっ、ごめんあそばせ」
「もうっ!真面目に気をつけて!」
「ごめんなさい……」
余計怒られた……。駄目だったのか……。じゃあどうすればいいんだ?俺を私と言い変えるくらいは簡単だ。普段は俺と言っている人でも状況を考えて僕とか私と言う程度は簡単に出来る。でもこの世界での女性らしい口調というのがどういうものかもわかっていないのに、女性らしくしろと言われても出来ない。
こちらの世界に来てからもずっと男ばかりのイケ学にいた俺が接することが出来た女性といえば、アイリスか舞かアンジーくらいだった。アンジーの話し方は一般的ではないとしても、舞と俺の話し方にそんな違いがあるとは思えないんだけどなぁ……。
アンジーの家があるのはやっぱり貴族街らしい。その周りは閑静な住宅街……、というか、お金持ちのお屋敷が並んでいるというか……。貴族達の邸宅なんだから当たり前と言えば当たり前かもしれないけど、大きな家が並んでいる一画だ。
そこから少し離れると高級店?らしきものが並んでいる区画に出た。ここも歩いている人は皆身なりが良くて裕福そうだ。多分貴族街の者達が買い物に来るエリアなんだろう。
そんな高級店街を抜けてさらに歩いていると人が増えて、雑多な感じになってくる。でも歩いている人は皆元気がないというか暗いというか。お店の商品も空きが目立つ。並んでいる物は普通の野菜、肉、魚などの食品とか日用雑貨類の店がほとんどだ。
「この辺りまで来ると何か雰囲気が暗いな……、暗いね」
舞にジロリと睨まれたから言い直す。最後の語尾を少し変えるだけでも印象は違うはずだ。幸い俺は男にしては声が高い、って当たり前か……。女の体だもんな……。男にしては声が高いってそりゃ女だからだろ……。
「ここ何ヶ月かで餓死者も急増していますわ」
「アンジーが実家の支援で炊き出しとかも何度もしてるんだけど……、焼け石に水で……」
その言葉で二人まで暗い顔で塞ぎこんでしまった。こんな時になんて声をかけたらいいのかわからない。二人のせいじゃないよ?働かない奴が飢えるのは当たり前だ?炊き出しをしているだけでも凄いよ?
なんだろう……。どれも陳腐にしか聞こえない。俺自身がそういう状況に直面したことも、対処したこともないから何も言えない。俺が何か言った所で偽善や綺麗事にしか聞こえないだろう。実際にその最前線でどうにかしようと苦労してきた二人に何もしたことがない俺が何を言えるというのか。
「あ~……、あっ!あのカップ可愛くない?」
「え?あっ!本当だね!可愛い!」
何か話題を変えようと辺りを見回してみれば、雑貨店に置いてあったコーヒーカップみたいなカップに下手な絵が描いてあった。その微妙な下手さ加減が妙に可愛らしい。
「いらっしゃい!それ買うの?」
俺達がその下手な絵のカップを見ていると店番らしい小さな女の子が目を輝かせて駆け寄ってきた。これはもうあれだろう。どう考えてもこの子が描いたから売れるかと思ってドキドキしているに違いない。
「店番をしているの?君の名前は?」
「え……?あたしはドロシー!お店のお手伝いをしているの!」
そうかそうか。やっぱりそういうことなんだろう。まだ小さいのに両親の仕事を手伝って店番しているなんて偉い子だ。まぁ小さいといっても十歳くらいか?この世界の子供がどれくらい成長しているものなのかわからないけど、日本で言えば小学校中学年から高学年くらいというところだろうか。
ただ五、六年生というには少し幼い感じだからやっぱり三年生、四年生くらいかな?わからないけどね。
「このカップが売れたらドロシーはうれしい?」
「うんっ!」
こちらの質問に素直に答える。素直な子供は可愛いな。でも自分から自分で描いたものだとは言わないんだな。売れるまでは自分で描いたと言うなとか両親に言われてるのかな?それでも売れるか待ってるみたいな?
「この絵は~……、ドロシーが描いたのかな?」
俺はもう直球で問いかけてみた。そんなことを言わずに黙って買ってあげるのが良いのかもしれないけど、これは俺がこの世界に来て初めての対面販売での買い物だ。通販のようなものはしたことがあるけど、こうやって直接買うのは初めてだからな。
「ううん!その絵を描いたのはお父さんだよ!下手くそでしょ?でも面白いんだよ!」
「「「…………」」」
その言葉を聞いて……、俺と舞とアンジーは固まった。何か凄い方向で思いっきり予想が外れてしまってどうすればいいのかわからない。
ここでドロシーが自分で描いたと答えたら買ってあげようと思っていたけど、ドロシーのお父さんが描いたこの下手くそな絵のカップを買ってどうするんだという空気になってしまった。しかも俺はお金を持っていない。買うとしたら舞かアンジーのお金を頼ることになる。それなのにドロシーのお父さんが描いたカップを買ってやってくれとは言えない。
「う~ん……、やっぱり駄目かぁ……。お父さんのじゃ駄目だよね。それじゃこっちはどうかな?」
そう言ってドロシーは別のカップを出してきた。とても綺麗な絵が描かれている。柔らかいタッチなのに緻密に描かれていて独特の世界観がある綺麗な作品だ。これはもう日用品のカップじゃなくて芸術とすら言える。
「綺麗……」
「これなら当家で使っても他の食器と遜色がありませんわね」
舞とアンジーも大絶賛した。どうやら俺の芸術センスがおかしいわけではないようだ。
「お父さんの方を買ってくれるならこっちを半値におまけするよ?」
「えっ!?勝手にそんなことしていいの?」
ドロシーの言葉に俺は驚いた。いくら店番を任されているとはいっても、勝手に半値にするとかそんなことが許されるんだろうか?
「いいのいいの!こっちはあたしが描いたやつだから!」
「「「えっ!?」」」
再び俺達三人の心はシンクロした。それはそうだろう。子供の落書きみたいな方がお父さんの作品。プロの作家顔負けの芸術品のような出来の物がドロシーの作品。これで驚くなという方が無理な話だ。
「買ってくれる?」
「う~ん……。買ってあげたい気持ちもあるんだけど……、私は無一文だから……、お願いするならこっちのお姉ちゃん二人かな」
チラリと舞とアンジーの方を見てみれば、まだ二人は変な顔のまま固まっていた。そりゃそうだろうな。誰でもそうなるわ。
「お姉ちゃん達、買ってくれる?」
「はっ!?そっ、そうですわね……。それではその二つをいただこうかしら?」
ようやく復活したらしいアンジーが答える。結局ドロシーのために買ってあげるアンジーは甘いというか優しいというか。そういうことも狙って店主もドロシーに店番をさせているのかもしれない。ドロシーがこうやって売り込んでくるのもそれを狙ってだろう。あざといと言えばその通りだけど、それがわかっていてもつい買ってしまう気持ちはわかる。
「ありがとうお姉ちゃんたち!すぐ包むね!」
割れ物だからか一応それなりに包んでくれた。これだけ包んでいれば相当雑に扱わない限りは簡単には割れないだろう。
「ありがとう!またきてね!」
ドロシーに見送られながら店を出た。俺の不用意な一言から何か余計なものを買わせてしまったようで悪い気がする。
「ごめん。私が余計なことを言ったから……」
「いいえ斎。あんな金額でこんな素晴らしい物が買えたのは斎のお陰よ。それにこうして世間にお金をまわして経済を潤すのも貴族の務めとお父様もよく言われているわ」
アンジーはそう言って笑ってくれた。どこまで本気なのかはわからない。ただそれらしい理由を言ってくれただけかもしれないし、本当に本心なのかもしれない。一つわかることは、こうして一緒に町を歩いているとアンジーの心が綺麗なことがわかるということだろう。
ゲームでは高圧的でヒステリックな悪役ライバル令嬢だったアンジーは、こうして直に触れ合ってみればとても良い子だということだけはわかる。プリンシェア女学園の生徒達に慕われているのも頷けるというものだ。こんな良い子で美人で頭も切れるアンジーを振ったパトリック王子は本物のアホだろう。
「次はあっちを見てみようよ!」
「もう!舞ったら」
雑貨屋の次は他の店も冷やかしていく。別に食べ物を探しているわけでもないのに八百屋や肉屋や魚屋に行くのは、多分市場調査というか、流通している物の種類や量や値段を確かめているのだろう。二人は定期的にこうして町に出ては調査しているに違いない。あれの値段が上がってるとか、どれがなくなってるとか話し合っていた。
「少しお腹が空きましたわね」
「うん。あの露店からおいしそうな匂いがしているからもう我慢の限界だよ」
「舞ってそんな食いしん坊キャラだったっけ?」
確かに露店から何かを焼いている良い匂いが漂っている。でも貴族のアンジーが露店で食べたりするのだろうか?あと舞は小食っぽいけど何か発言だけ聞いてると大食いキャラみたいだ。
「もう!斎ちゃん!今日の斎ちゃんは私に意地悪だよ!」
頬を膨らませて舞がポカポカと俺の胸を叩いてくる。かわぇぇ……。何やこのかわぇぇ生物は……。
「あはは。ごめんごめん」
とりあえず可愛いからどさくさに紛れてギュッと抱き締める。すると俺の胸を叩けなくなった舞も大人しくなって抱き返してきた。さっきまでのじゃれ合いから一転して二人で静かにお互いの鼓動を……。
「ンンッ!」
「「あっ……」」
アンジーの咳払いで現実に戻ってきた。町の広場で抱き合うプリンシェア女学園の女子生徒が二人。目立たないわけがない。男達は何か鼻の下を伸ばしながらこちらを見ていた。女性達もキャーッ!とか言ってる。俺の方が少し背が高くてボーイッシュだから、どうやら俺が某歌劇団の男役みたいに見られているようだ。
「あの串焼きをいただきましょうか」
「そっ、そうですね」
「うん。それじゃ買ってくるよ。お金持ってないから……、えっと、もらえるかな?」
俺が買いに行くと申し出る。でも俺は無一文だ。イケ学の時からお金は持っていなかった。イケ学では全て無料だったしな。でもあれってむしろずるいよな。俺達は給料が払われていない兵隊みたいなもんだ。本当ならもっともらってなければおかしかったんじゃないかとすら思える。
まぁ過ぎたことはどうでもいいんだけど、俺が今無一文なことに変わりはない。舞かアンジーからお金を受け取らないと買い物一つ出来ない状態だ。
それなのに何故俺が名乗り出たのかと言えば、俺もお金の価値や現金のやり取りをして慣れておいた方が良いと思ったからだ。あとどれくらい王都にいるのか、王都が無事なのかはわからないけど……、少なくともまだ暫くはいるつもりではある。それなのに買い物の一つも出来ないのでは困るだろう。
「じゃあ、はいこれ」
そう言って舞がお金を渡してくれた。今までの感じからして体感で日本円で千円くらいの金額だと思う。それで三人分の串焼きを買ってこいというおつかいミッションだ。
「すみません」
「へいらっしゃ……」
店主が変な所で言葉を切った。何かあったのかと思って店主の方を見てみたけどただ固まって俺の方を見ているだけだ。俺って何か変かな?まさかイケ学で俺のことを知ってるとか?八坂伊織だとバレた?戦勝パレードで町をよく歩いてたしたまたま覚えられていたとか?
「あの……、なにか?」
「あっ!あ~!いや何!お姉ちゃんがあんまりにも綺麗なんでびっくりしただけだ!」
……このおっさんは頭がわいているのか?俺が綺麗とか気持ち悪いことを言うんじゃない。
「え~……、これとこれとこれ、三本ずつください」
「へいまいど!お姉ちゃん美人だからこれもおまけしとくよ!」
「あ~……、ありがとうございます?」
おっさんの気持ち悪い対応にどうしたらいいか困りながらも、とりあえず三人分買えた。それにしてもおまけするよとか実際にあるもんなんだな。架空の世界だけのものかと思っていた。
「さすが斎ちゃんだね!」
いや、何がさすがなのかわからない……。
「あちらのベンチに座っていただきましょう」
「アンジーは……、高位貴族なのにこういうの大丈夫なのか?」
あまりに手馴れた様子のアンジーに聞いてみる。でもアンジーは意味深に笑った。
「ふふっ。これでもわたくしは今までこういう下町には何度も出ておりますのよ」
ふふん!とばかりに胸を張ってそういうアンジーに何と返したらいいのかわからない。わからないので適当に誤魔化しつつ三人でベンチに座って串焼きを食べたのだった。