第百三話「悩みました」
朝、目が覚めると腕が痺れ……、ていないな……。ずっと両腕に舞とアンジーが頭を乗せて眠っていたのに腕が痺れたりはしていない。これもボディスーツのお陰だろうか。結局寝る時もアンジーの制服は脱いだけどボディスーツは着ていたからな。
夜、寝ている間だって何があるかわからないんだからボディスーツを脱ぐことは出来ない。ずっと外で暮らしていた俺にとってはもうこのスタイルは当たり前になっている。それに王都やアンジーのウィックドール家の状況を聞いたら、王都の屋敷の中だから大丈夫とも言い切れないしな。
「ふぁ……、おはよ伊織ちゃん」
「おはよう舞。それと俺は斎だぞ」
目を覚ましたらしい舞が寝ぼけ眼でそんなことをいう。どうやら俺が斎を名乗ることにしたのも寝ぼけて忘れてしまっているようだ。
「あっ!そうだったね。ごめん。おはよう斎ちゃん」
ハッとした顔になった舞が言いなおした。まだ昨日の今日で慣れていないのは仕方がない。この世界の伊織と舞が幼少の頃からの付き合いだったのなら、それこそ人生の大半は伊織と呼んでいたんだ。それを昨晩急に斎だと偽名を決めたくらいですぐに切り替えられるはずもない。
「いいさ。そういうことがあるからこそ早めに決めて慣らしているんだろう?」
「うん。ありがと……」
何かちょっと顔を赤くした舞が可愛い。朝起きたら隣に愛しい女性が眠っていて、朝からこんなほっこりした気持ちで笑い合えるなんて……、これが幸せというやつか。この世界に来てから初めて本当の意味での幸せを味わっているのかもしれないな。
「うぅ~ん……」
「あっ……、アンジーも起こさなくちゃね」
「そうだな」
まだ眠っていたアンジーを起こす。こういう平穏な朝が毎日続いてくれるのなら、それはなんて幸せな時間なんだろうか。地球に居た時も、この世界に来てからも、こんな幸せなんて知らなかった。出来ることならずっとこの幸せを守りたい。
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アンジーも起こして三人で朝の準備に取り掛かる。というか二人が俺の準備をするというのが正解だろうか。服はアンジーの制服の予備で、下はタイツを穿くからボディスーツが見えることはない。あとは長袖の先から出ている手先だけだけど、これもグローブをつけるから問題ない。
まぁ……、問題ないって言っても逆の意味の問題はありそうだけど……。
俺の格好は首から上以外の肌を一切露出しないものだ。それはそうだろう。だって首から下はボディスーツを着ているんだから……。それを隠すためには上から全身を覆うしかない。
そして今、それとは別の問題も発生していた。
「やっぱりこっちの方がいいよ!」
「そんなことありませんわ!こちらの方がお似合いです!」
二人が激しく言い争う。しかしお互いに一歩も譲らず決着がつきそうには見えない。
「あの……」
俺が何か言おうとしても……。
「「斎は黙ってて!」」
「はい……」
そんな時だけ二人は息を揃えて俺にこういう。二人にそう言われたら俺は黙るしかない。二人が何故こんなに争っているのか。その元凶は俺の髪型についてだ。
服装についてはすぐに決着がついた。だってアンジーも舞もプリンシェア女学園の制服を着ている。俺もそれに合わせれば一番簡単に解決出来る。あとはボディスーツが露出している部分をタイツやグローブで覆えばお終いだ。誰も文句を言わない。
それに比べて髪型はそうはいかなかった。長い野外生活の間に俺の髪はそれなりに伸びている。イケ学にいた時も刈り上げたりしていたわけではなく、それなりの長さだった。そこからさらに伸びたんだから女の子として十分なくらいに髪が伸びている。
問題はその髪をどういう形にするか……。
舞は三つ編みのお下げにしようと主張した。何かちょっと舞の髪型に似ている。アンジーはツインテールにしようと言う。長いテールは出来ないけど、両サイドで短いテールを作って括ろうというわけだ。ちょっとアホっぽい髪型にも見えなくはないけど……。アホっぽいというとあれか。短いアップのツインテールだと子供っぽい?
細かいことはどうでもいいんだけど、とにかく二人が俺の髪型であーでもないこーでもないと言い合っている。俺としては無難な髪型なら何でもいいと思うんだけど……。
「おはようございますアンジェリーヌさ……ま……?」
「「「あっ……」」」
そしてやってきたのはメイドさん。どうやらそろそろアンジーが起きなければならない時間だったようだ。舞とアンジーが俺の用意を急いでいた理由もこれだ。メイドさんが来たらアンジーの身だしなみを整えなければならない。それまでに舞とアンジーで俺をどうにかしようと思ってやっていたのに、結局決まらず、とうとうメイドさんが来てしまった。
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「いえ!やはりこちらの方が!」
「そんなことないよ!」
「私は譲りませんわよ!」
そして……、何故かメイドさんも加わって、女性三人による俺の髪型論争はさらに白熱していた。舞とアンジーはさっさと用意を済ませ、何故か加わってきたメイドさんを入れて三人でまた俺の髪型をあーだこーだといじくりまわす。
「普通に下ろしてるだけじゃ駄目ですか?」
「「「駄目です!」」」
「はい……」
三人に揃ってそう言われては黙るしかない。その後も散々時間がかかり、他のメイドさんやさらに後から呼びに来たメイドさんも加わってかなりの人数でようやく俺の髪型は決定した。
「仕方ありませんわね……」
「今日のところはこれで妥協するしかないね」
「「「うんうん」」」
ようやく決まった髪形は……、何ていうんだろう?ちょっと長いシャギーみたいな?いや、俺はそういうの詳しくないから何ていう呼び方の髪型なのかわからないけど……。後ろから前に向かって不揃いな段々のギザギザになっている髪型だ。それが顔の横から首くらいまで段々になっている。
別にこの髪型で皆が納得したわけじゃない。今の俺の髪の長さで、なるべくカットしたり手を加えることなく出来そうな髪型がこれだけだった、ということにすぎない。どうやら一度カットしてしまったら簡単に他の髪型に出来なくなるから、今日の所はなるべくカットせず、先だけ少し揃えて、素のままの髪を活かせるようにしたらしい。
俺には皆のその熱意がわからない。何故そこまで拘れるのか……。髪型なんて朝起きて、よほど跳ねている分だけちょっと直せばあとはどうでもいいんじゃないのか……。
ともかく俺の髪型は後でまた正式に決めてカットすることになり、今は時間もないのでとりあえずこれで決まりとなった。メイドさん達に連れられてアンジーの両親達が待つ食堂へと連れて行かれた。
「アンジェリーヌ……、その子達は?」
「おはようございますお父様、お母様。こちらは舞、そしてこちらが斎。私のお友達ですわ」
「おはようございます」
「あっ、えっと、おはようございます」
俺達を見てアンジーの両親はポカンとしていた。そりゃそうだ。むしろそれが普通の対応だろう。ここのメイドさん達がおかしい。朝主人の娘の部屋を訪ねたらわけのわからない者が二人も入り込んでいたのに、そんなことお構いなしに髪型がどうだこうだとやり始める方が異常だ。
「ふむ……?よくわからないが……」
そうでしょうね……。そりゃそうだよ。ご両親の反応こそが普通だと思う。それでも普通に受け入れて朝食を一緒にしようと言うだけ変わった貴族だとすら言えるだろう。普通ならプリンシェア女学園の同級生だったとしても、朝いきなり現れた平民と食卓を共にする貴族なんてまずいるとは思えない。
「それはともかく……、アンジェリーヌ……、そろそろ日が迫っているがそちらの準備は大丈夫なのか?」
はっきりとは言っていないけど多分アンジーの嫁入りのことだろう。それくらいは昨日聞いただけの俺でも察しがつく。俺は一瞬ドキリとしたけどアンジーは堂々と答えた。
「そのことですがお父様、わたくし、あの家には嫁ぎません!」
「…………そうか」
アンジーははっきりとそう言ったのに、両親は特に動揺した様子もなく黙ってそれを受け入れた。え?そんな程度でいいの?と思わなくもない。それとも俺達がいるからこの場ではあまり言わないでいるだけなのか。何ともわけがわからない。
「お父様……、そのような反応でよろしいのですか?」
「ああ……。もうこのような状況だ。今無理に娘を不幸にするようなことをする必要もないだろう……。それにアンジェリーヌならそう言うのではないかと思っていたよ」
そういってアンジーの父は力なく笑った。どうやら……、この国が滅びかけているということがわかっているようだ。どうせこれから皆滅ぶのに、今無理に娘を嫌な奴の嫁に出して死ぬ前に不幸にする理由はない、というように聞こえる。
「それより私達は紹介してくれないのかい?」
「あっ、そうでしたわ。舞、斎、こちらが父のウィリアム・ウィックドール公爵ですわ。そしてこちらが母のビクトリア・ウィックドールですわ」
「はじめまして舞さん、斎さん」
アンジーの両親と簡単に挨拶を交わす。ウィリアムの方は何かくたびれたような様子だ。王城で相当疲れているのかもしれない。王城にいるような者達なら今がどれほどの状況かわかっているだろうからな。王都滅亡の危機に瀕しているというだけでも大変な心労だろう。
母親のビクトリアの方はとても穏やかだった。ゲームでは結構気性が激しいアンジーの母親とは思えない。顔は良く似ていて美人だけど、儚げというかか弱そうというか……。気が強く言いたい放題なアンジーとは正反対とすら言えるかもしれない。
「それで……、この子達はどうしたんだ?」
「それなのですが……、お父様、私これからしばらくプリンシェア女学園は休みます。嫁ぎもしません。舞と斎の三人で少しの間行動させていただきます」
アンジーの言葉は断言だ。お許しを願うような言い方じゃない。もうアンジーの中では確定していると宣言している。しかしウィリアムはフッと笑っただけで反対もしなかった。
「そうか……。アンジェリーヌがそれで気が済むのならば好きにしなさい」
やっぱり……、ウィリアムは確実にこの先王都が滅ぶと考えているに違いない。だから最後くらいは愛娘の好きなようにさせてあげたいと思っているんだろう。俺だってもし逆の立場だったら同じように思うはずだ。
俺は……、どうしたらいい?ここに戻ってくるまでは王都のド腐れ共のためになんてもう二度と戦うつもりはなかった。でも……、ウィックドール家の人々はどうだ?両親もメイドさん達も、皆ただ温かく正体不明の俺ですら迎え入れてくれている。そんな人達を見殺しにするのか?
舞とアンジーだけなら連れて逃げるのは難しくない。持ってきた転移装置でどこか安全な場所に転移してこれから残りの人生を過ごせばいいだろう。でもそうなればこの家の人達は見殺しになるということだ。
ウィリアムが良い人かと言えば、俺の立場からすればそんなことはないだろう。ウィリアムはイケ学の生徒達の役割を知っていながらそれを黙って生徒達に押し付けている。到底良い人などではなくそれに関しては他の貴族達と何も変わらない。
しかし家に帰ってみれば、家族や家人達にとっては良き夫であり、良き父であり、良き主人なのだろう。それはこの家の雰囲気からわかる。メイド達も落ち着いているし、俺達を平然と受け入れているのは主人がそういう人だとわかっているからだ。もし主人が酷い人ならば最初にアンジーの部屋で俺達を見つけた瞬間に追い出しているだろう。
イケ学で戦わさせられていた俺としてみればウィリアムも、ウィックドール家も他の貴族達と変わらない。でも……、アンジーの両親としてこうして接してしまったら……、前までのように『どうなろうが知るか!』と言って見捨てることは難しい。
転移装置で往復すれば皆あの研究所まで連れていける、と思うかもしれない。でもそうやってウィックドール家の人々を助けるのならば……、俺はこれから先出会う良い人達を全員助けるのか?そうじゃなくて、アンジーの家族だけ助けるのか?それは俺のエゴだ。
そもそもウィックドール家の面々を助ければ、他の人達が自分達も助けてくれと群がってくるだろう。それを選別することも、断ることも難しい。
大体、例えウィックドール家の面々だけ助けたとしても……、どうやって生活していく?舞とアンジーの三人くらいならあの森で何とか食っていけるかもしれない。でも何人も、何十人もになれば到底養えない。それに黒インベーダーの襲撃はなくならない。
舞とアンジーくらいなら見つからないように隠れながら、襲われたら俺がある程度戦えば何とかなるだろう。でも何十人も隠れたままというのは不可能だ。そして結局あの研究所の白骨死体のようになってしまうのは目に見えている。
じゃあ……、どうすればいいんだ?俺も一緒に王都で他の者達と一緒に死ぬまで戦うのか?舞とアンジーだけ連れて逃げるのか?無理だとわかっていながら出来るだけ多くの知り合いを脱出させて……、その先で野垂れ死ぬのか?
俺にはもう……、わからない……。