第百二話「寝ました」
「それじゃまずは伊織ちゃんの偽名から考えないといけないね!」
「「え……?」」
舞の言葉に俺とアンジェリーヌが首を傾げる。偽名?俺の?何で?
「もう!伊織ちゃんが八坂伊織だって名乗ってたらすぐに見つかっちゃうじゃない!だから偽名で隠さないといけないでしょ!」
「あ~…………。それもそう……か?」
アンジェリーヌの家でお世話になって隠れてるだけなら名前とか人に聞かれることもないと思うけど……。いつどこで誰に聞かれるかもわからないし、そういう所も口裏を合わせておいた方がいいのかな?
「そうですわね……。お父様やお母様にご紹介する時にも名前は必要ですものね……」
大貴族であるアンジェリーヌの両親が、ただのイケ学の一生徒でしかなかった俺の名前なんて知るはずもないと思うけど……。二人がそう言うのなら一応偽名もあった方がいいのかもしれない。最初から口裏を合わせて、呼び慣れていないといざという時にもボロが出るだろうしね。
「何がいいかな?」
「イケシェリア学園の時は男装されていたのですから、今度は本来の性別通り女性で通した方が良いのではないでしょうか?」
「「なるほど……」」
アンジェリーヌの言葉に舞と二人で揃って納得してしまった。イケ学関係者からすれば俺は男だと思われているだろう。そこで俺が肉体の本来の性別である女性のフリをすれば、イケ学関係者に見つかる可能性は下げられるかもしれない。
「じゃあ何か女の子らしい名前が良いよね!何がいいかなぁ~……」
「そうですわねぇ……。パトラッシュなんていかがでしょうか?」
「「…………」」
おい……、アンジェリーヌよ……。お前は本気で俺を犬にするつもりか?こっちの世界ではあの物語は存在しないはずだけど、舞も何か目を丸くして黙ってしまった。
「アンジー……、それは男の人の名前だよね?」
「そうですわね……」
そうなのか?パトラッシュって男の人の名前なの?地球でも?それともこっちの世界では?よくわからない……。
「それよりフランボワーズとかどうかな?可愛いよね!」
「「…………」」
舞さん……。それはフルーツの名前では?確かに女の子は好きかもしれないけど……、それが名前ってどうなんだよ……。
「え~……、お嬢様方、それでは斎というのはいかがでしょうか?」
「え?」
「いつき?」
俺の提案に二人とも何かボーッとした顔になった。反応が薄い。二人の変な提案の時も俺達はこういう反応を返していたんだろうか……?そんなに変かな?
「いつき!いいね!可愛い!」
「とても良いと思いますわ。ですがいつきという名前の由来は何なんでしょうか?」
「え~……」
とても説明し辛い。地球では関東武士が官職風の名前を勝手に作って名乗っていた。それを東百官と呼ぶ。つまり本来は何の官職にも就いていない者が、名前の中で官職風のなんちゃってな名前をつけることで、名乗った時に何か官職についているような感じにしたというわけだ。
そして伊織も斎もその東百官の名前に入っている。今でこそ伊織なんて女の子につけられることも多い名前だけど、本来は武士達がつけていた男の名前だったというわけだ。
これに似た物は他にも色々あって、主水之介などたくさんある。頼母とか主税とか時代劇にも良く出てくるだろう。難読な変な名前や、実際にある官職のもじりや、本来ない役職などの名前など様々にある。
俺は前世で男なのに伊織という女性風な名前がコンプレックスだった時期があり色々と調べた。その繋がりで斎という名前を知り、今思い出したというわけだ。でもそんな説明を二人に出来るはずもなく、追及してくる二人に何となくだと説明して何とか逃れた。
「それではこれからは斎様ですね」
「違うよアンジー。斎ちゃんって呼ばなくちゃ」
アンジェリーヌの言葉に舞が突っ込みを入れる。俺が男性のフリをしていた頃ならアンジェリーヌが俺を様付けで呼ぶのもおかしくはなかった。でも同性同士となるなら高位貴族のアンジェリーヌが俺を様付けで呼ぶのはおかしい。
「そっ、そうですわね……。それでは斎と……、斎も私のことはアンジーと呼んでくださいな」
「わかったよアンジー」
何か照れながらそういうアンジェリーヌ、いや、アンジーに答える。でも……。
「斎ちゃん!もっと可愛い言葉遣いしなくちゃだめだよ!」
何故か舞に怒られた。
「言ってる意味がわからないけど……」
「だから!斎ちゃんはこれから女の子のフリを……、じゃなかった。女の子に戻るんでしょ?だったら女の子らしくしなくちゃおかしいじゃない!」
「あ~……」
そうか……。名前や見た目だけ誤魔化しても俺が男みたいな言葉遣いをしたり、行動をしたら全て台無しになってしまうというわけだな。そういう所からボロが出る可能性もあるし、確かに舞の言う通り注意しなければならないだろう。
でも俺は前世からずっと男で、この世界に来てからも男のまま振る舞っていればよかった。今更女の子のように振る舞えと言われてもどうすればいいかわからない。
「ごめん……。女の子のフリをするってどうすればいいのかな?難しくてわかんないや……」
「「…………」」
俺の言葉に今度は舞とアンジーが顔を見合わせていた。自分でもおかしなことを言っている自覚はある。この世界では俺は元々女のはずなのに、女の振る舞いもわからないなんておかしすぎる。でも本当にそうなんだから仕方がない。
「斎ちゃんにはまず女の子としての振る舞いから叩き込まなくちゃいけないんだね」
「そうですわね……。それではまずは格好からどうにかしましょうか」
俺の言葉を受けて、手をワキワキさせながら近づいて来る女が二人……。
「え?あの……?二人とも?」
俺は身の危険を感じてジリジリと下がる。でもそんなことで見逃してもらえるほど世の中は甘くない。
「斎ちゃん覚悟!」
「大人しくなさい斎!」
「ひぇ~~っ!」
逃げようとした俺の努力も空しく、あっさり捕まった俺は二人に良いようにおもちゃにされてしまったのだった。
~~~~~~~
スカートにストッキングにブラウスにジャケット……。どうやらアンジーのプリンシェア女学園の制服の予備らしい。これからアンジーのお世話になるとしても、わけもわからない同世代の子が急に転がり込んでくるよりも、同じプリンシェア女学園の生徒ということにした方が話が通じやすいからだろう。実際一緒に行動する舞もプリンシェア女学園の生徒なわけだし。
「わぁ!可愛いよ斎ちゃん!」
「本当に……、羨ましい体型ですわ」
全然うれしくない……。しかも胸はブカブカだ。俺はむしろアンジーの胸に興味があります!
まぁそれはともかく、俺は下に着ているボディスーツを脱ぐつもりはない。このボディスーツは所謂バフ効果もある。バフというとあれか……。ステータスアップ効果がついた装備品か?なんでもいいけど、これを着ているだけで身体能力や防御力が格段に上がるのは間違いない。それを脱いでおくのは馬鹿のすることだろう。
普段脱いでいて緊急時に着る、という手もなくはないけど、すぐに着替えられる環境にあるとは限らないし、突然何かに巻き込まれるということも考えられる。こんなご時世でこんな環境下にいながら、折角のボディスーツを脱いでおくのは馬鹿のすることだ。
でも俺が一人でウロウロしていた時ならともかく、この王都の中でボディスーツ丸出しは無理だろう。明らかに異質すぎる。
そこで俺が絶対これを脱ぐつもりはないと言い張ると、舞とアンジーはストッキングなどを用意してくれた。これなら何とかスカートの下から足が出ていてもボディスーツが隠せる。ストッキングはパンストみたいな薄い生地じゃなくて……、タイツ、そう!タイツみたいに厚いものだ。これなら下が透けないからボディスーツが見えない。
スカートなんて穿いているのはちょっと恥ずかしいというか、情けなくなるというか、複雑な心境なんだけど、ボディスーツの上から着ているからかあまり抵抗はなかった。スコットランドの民族衣装では男性もスカートだし!どうってことはない!と思っておこう……。
「ところで……、少し気になってたんだけど、アンジーが言ってた『最後に』ってどういう意味……なの……かな?」
「「…………」」
俺の言葉は段々尻窄みになった。舞とアンジーの態度が明らかにおかしいから……。何か聞いちゃまずいことを聞いてしまったんだろうか……。
「私は……、もうすぐ嫁に出されることになっていたのですわ」
「えっ!?」
アンジーの言葉に俺が驚く。嫁に出される……。冷静に考えたら何もおかしくはない。パトリック王子の許婚候補だったアンジーだ。婚約破棄された後にあちこちから次の婚約話が舞い込んでいてもおかしくない。高位貴族であるアンジーの家と繋がりを持ちたい相手はたくさんいるだろう。でもまだ学生なのにそんな急に嫁ぐことになるのか?
「斎がいなくなってから……、我が家も少し立場が危うくなったのです。そこでお父様は止むを得ず相手の要求を飲み、家の安定のために私を嫁に出すことにされたのです」
「…………」
なるほど……。王子に婚約破棄されたというのも家のダメージだろう。そして今の王都の荒廃ぶりからしても貴族内にも色々と問題があるに違いない。その中で何とか家を守るために、アンジーをどこかの家に送り出し、両家の繋がりをもってこの事態に対応しようということなんだろう。
貴族としては何もおかしくないのかもしれない。むしろ当然の行いだと言われても俺には否定のしようもない。だけど……、それは親としてどうなんだ?アンジーのこんな顔を見て……、それでも愛してもいないどこぞの貴族にアンジーを嫁に出すなんて……。地球の感覚を持つ俺からすると到底許せない。でも俺にはそんなことを言う資格はないわけで……。
「ですがもう良いのです」
「……え?」
ふっと笑ったアンジーに驚く。何か吹っ切れたような顔をしている。まさか……、嫁ぐことに吹っ切れたのか?いやだ……。嫌だ!アンジーをわけのわからない貴族に嫁がせるなんて!
「駄目だ!アンジーをどこぞの貴族に嫁がせるなんて絶対にさせない!」
「いつき……、いえ、伊織様……」
俺がギュッとアンジーを抱き締めると、アンジーも俺を抱き締め返してくれた。絶対に手放したくない。俺は最低なことを言っている。舞のことが好きだと言いながら、アンジーも俺の手元に置きたいなんて最低だろう。でも心は偽れない。アンジーを貴族のおっさんの下に嫁がせるくらいなら二人を連れて王都から脱出するほうが良い。
「ふふっ、大丈夫ですわ。私はもう嫁ぎません。その覚悟が出来たのです」
「え?」
抱き締め返してくれているアンジーからそんな言葉が聞こえた。驚いて少し離れて見詰めてみれば、そこには強い意思の宿った瞳があった。
「伊織様がいなくなられて……、家も王都も大変な状況になり……、家やお父様のために嫁ぐことも止むを得ないかと思っておりました。……ですが、伊織様が戻ってこられてはっきりわかったのです。私は他の誰の下にも嫁ぐつもりはありません。私の全ては伊織様のものなのです」
「アンジェリーヌ……」
真っ直ぐそう言ってくれるアンジーと二人で見詰め合って……。
「ウォッホン!」
「「あっ……」」
隣でじーっとこちらを見ていた舞の咳払いで二人だけの世界から戻ってくる。何というか滅茶苦茶気まずい。舞という者がありながら、アンジーと二人っきりの世界に入っていたなんて……。舞が怒るのも無理な……。
「二人だけじゃなくて私もちゃんと混ぜて!」
「もう……、舞ったら……」
「え?え?」
舞は怒ってたんじゃないのか?何か舞も俺とアンジーが抱き合っている所にダイブしてきて一緒に三人で抱き合う。
「伊織ちゃん!アンジーと仲良くするのは良いけど!私のことも忘れちゃ駄目だよ!」
「あっ、はい……」
確かに怒るには怒っているのかもしれない。でも何か俺が思っているのとは違う怒り方だ。本当にこんなので良いのか?と思わなくもない。でも当事者である俺と舞とアンジーが、三人がこれで良いと思っているのなら……、これはこれで良いのかもしれない。
「それでは明日の朝お父様とお母様にご紹介しますわね。今日はもう休みましょう。眠くなってしまいましたわ」
「そうだね。さっ、斎ちゃんも一緒に寝よ?」
「うっ?」
舞とアンジーが天蓋付きの豪華なベッドに入って俺を誘うように手招きしている。二人の色香に釣られた俺はフラフラとベッドに引き寄せられ……、めくるめく官能の世界へ……、は行くこともなく、ただ二人に抱き枕にされて一晩中生殺しを味わったのだった。