第百話「犬になりました」
舞とアンジェリーヌの手を握ってから俺はある魔法を使った。
「『ハイド』!」
「「――っ!?」」
俺達はお互いの姿すら見えなくなる。他人にかけるとこうなるのか。
「舞と伊織様がいなく……?」
「伊織ちゃんどこー?」
「シッ……。これは俺の魔法だ。二人の手は俺が繋いでいるから、このまま三人で移動しよう」
舞とアンジェリーヌの手を引いて移動する。俺が今使ったのは補助魔法の『ハイド』という魔法だ。ゲームの『イケ学』時には戦闘中にハイドをかけられたキャラは敵からのターゲットにされにくくなる、という微妙な魔法だった。
何度も言っている通り範囲攻撃の要である魔法職が、わざわざ手を止めてまで使う必要がある魔法とは思えない。しかも絶対ターゲットにされないとかならともかく、ターゲットにされにくくなる、という曖昧な効果の魔法だ。
ゲームの場合は敵が味方の誰を優先して狙うのか、ということを指示してやらなければならない。とくにアクションRPGなんかでは敵が誰をターゲットにするのか、というのは必要な要素だろう。
そこで敵にとって嫌な行動、直接ダメージを与えたとか、味方の回復をしたとか、様々な行動によって敵愾心が上昇するように出来ている。アクションRPGなどではそのヘイトが一番高い相手を攻撃する、という風に出来ているのが一般的だ。
でもターン制のRPGならそこまで厳密にターゲットを誰にするとかは決まっていない。アクションのようにウロウロ動き回ることがないからだろう。敵からすればプレイヤー側のパーティーの誰を攻撃しても大して違いはないことになる。
だからアクション系ではヘイト管理は重要であり、後衛のヘイトは下げて、前衛のヘイトを上げ、常に誰にターゲットがいっているか考え、管理しなければならない。
それに比べて『イケ学』のようなゲームシステムなら誰が攻撃を受けても大差はない。もともと前衛が狙われやすいというシステムな上に、ハイドはあくまで、狙われにくくする、というふんわりした効果だ。絶対狙われないならともかく、狙われにくくなる、という微妙な効果のためにわざわざ魔法一発を無駄にする意味がない。
でもそんな微妙魔法のハイドも現実となった世界では違う。その効果は姿を見えなくする透明化魔法とでも言えるようなものだった。ゲーム時代は使うこともなかった死に魔法でも、こちらでは透明化なんて効果なんだから使わない手はない。
特に今回のように侵入とかをしたい時には非常に重宝する。俺が今まで人に見つからずに王都内に侵入出来ていたのはこのハイドのお陰だ。
ただ俺はずっと一人だったからわからなかったけど、味方がいる時に使ったり、味方に使った場合にどうなるのかはわからなかった。今初めて二人に使ってみた所だからな。結果お互いの姿すら見えなくなるということになった。これは便利が悪い。せめてパーティー同士では姿が見えるとかなら助かるけど……。
そういえばこの世界では具体的にパーティーってどうやって組むとかもわからなかったわ……。イケ学の出撃の時は六人ずつ組まされていたけど、ゲームのようにシステム上でパーティーになってるとかの違いがあったのかはわからない。
「これすごいね」
「確かに凄いですが伊織様はどちらに向かっておられるのでしょうか?」
お互い姿が見えない。今俺が握っている手を離してしまったら見つけるのも困難だろう。話し声は普通に聞こえるけど、自分の姿すら見えない中で歩くというのは最初は中々難しい。俺だって消えたまま移動するのに慣れるまで結構かかった。
「騒ぎになっていたから……、あのままあそこに居たら人に見つかると思って離れただけで、特にどこへ向かってるということはないよ。というより俺は王都内のこともよくわからないし……」
ただあの場から離れようとしただけで、向かっている先なんてない。そもそもそんなことがわかっていれば何も苦労していないしな。
「それでは私の家へ向かいましょう。家ならば食事もお風呂もご用意出来ます」
「う~ん……、大丈夫なのか?こんな時間に俺みたいな得体の知れない者を入れたら家の人が驚くんじゃ?」
舞は前からアンジェリーヌの家に出入りしているかもしれないけど、俺みたいな怪しい奴が入ってきたら家の人も驚くだろう。
「もちろんこの消えたままでこっそり入っていただきますわ。それくらい可能なのでしょう?」
「ああ、ハイドの効果が切れたらまたかければいいからね。それじゃ消えたままアンジェリーヌの家に行けばいいのか?」
「はい。魔法だけかけていただければ私がご案内いたします」
アンジェリーヌがそういうので、俺は魔法の維持だけして行き先はアンジェリーヌに任せることにしたのだった。
~~~~~~~
俺はハイドの効果が切れないように管理しつつ、アンジェリーヌと舞と三人で手を繋いで消えたまま移動を続けた。そしてとても……、そう、とても立派な……、俺なんかが入っていいのか心配になるような立派なお屋敷に入った。
本当にこんな所に入っていいのか聞いたけど、アンジェリーヌが良いというのだから従うしかない。王都内のことがわからない俺はアンジェリーヌの指示に従うしかないだろう。そして舞とアンジェリーヌを抱えて窓までジャンプして侵入した。
アンジェリーヌの部屋だという豪華な部屋に入ってから色々と話を聞いた。どうやらアンジェリーヌ達は夜中にこっそり抜け出していたようだ。だから家の人に知られないように戻ってこれたのはラッキーだったらしい。
アンジェリーヌは見つからずに出る方法は用意していたようだけど、見つからずに戻る方法はなかったようだ。そりゃそうだろうな。アンジェリーヌの部屋がある二階まで、俺ならジャンプすればいいけどアンジェリーヌが何かでよじ登るとかは出来るようには見えない。
「お風呂とお食事は今用意させております。伊織様と舞はそのまま隠れていて頂戴」
戻ってからアンジェリーヌのハイドの効果が切れてからはかけ直していない。だからアンジェリーヌの姿だけ見えている。俺達は家の人に見つからないように相変わらず消えたままだ。
そうして色々と話をしているうちにお風呂の用意が出来たらしい。メイドさんが呼びに来たけど、メイドさんがアンジェリーヌの部屋に来てから、勝手に動物を拾ってきてはいけない、というような小言を言ってから去って行った。どうやらアンジェリーヌが動物を拾ってきたと思ったようだ。それって俺が動物並みに臭いってことかな……。
まぁ俺は自分のことだからもうわからないけど、他の人からすると俺は相当臭いのかもしれない……。いきなりアンジェリーヌがお風呂や食べ物を用意しろと言ったり、部屋に来てみれば獣臭いような臭いがしていれば、メイドさんもアンジェリーヌが何か拾って来たと思っても止むを得ない……、のか?
「それではお風呂にまいりましょう」
「ああ、頼む。って舞はどうするんだ?」
「私も入るよ!伊織ちゃんを洗ってあげなくちゃ!」
ということで俺と舞は消えたままアンジェリーヌの家のお風呂にやってきた。本気で舞に洗われるつもりはないけど、だからってついてくるなとは言えないしな。
脱衣所に着いて暫くするとちょうどハイドの効果が切れたので俺と舞の姿も再び見えるようになった。脱衣所の鏡を見てみれば……、それはもう俺は酷い姿だ。顔は薄汚れて髪はべちゃべちゃ。臭いはもう自分の鼻がおかしくなっているからわからないけど……、確かに臭うだろうなと思う。
「伊織様って……、本当に女の子でしたのね」
「え?……あっ!」
お手製のずた袋マントを脱いだ俺に向かってアンジェリーヌがそんなことを言った。慌てて自分の体を見てみれば、このピッタリボディスーツのせいで明らかに女性の体型が浮かび上がっていた。これは言い訳のしようもない。
「大丈夫だよ伊織ちゃん。アンジーにはもう伝えてあったから」
「アンジー……」
舞が随分気安くそう呼ぶことも、俺のことを話していたことも、色々と驚いた。でもまずはお風呂に入ることにする。しかも何故か三人で……。
「女の子同士だからいいでしょ?それに昔はよく一緒に入ったじゃない」
「いや……、それは……」
それは俺であって俺じゃない。俺は地球育ちの伊織で男だ。この世界育ちの女の伊織じゃない。でも今更そんなことも言えないわけで……。渋々三人でお風呂に入ることになった。
俺は男同士、女同士でも裸を見られて一緒にお風呂に入ったりするのには多少なりとも抵抗があるけど、アンジェリーヌは特に抵抗もないのかあっさり服を脱いだ。俺の目の前でも関係ないらしい。そのことを聞いてもキョトンとしていた。舞が言うには普段からメイドさんにお世話されるのが当たり前だから、ということらしい。
舞は一緒に入ろうと言っていた割に少し恥ずかしそうにしていたけど、それでもこちらも簡単に服を脱いでいた。残るは俺だけなので覚悟を決めてボディスーツを脱ぐ。これを脱ぐのは久しぶりだ。老廃物を取り除いて輩出してくれるからって、ほとんどずっと着たままだったからな。緩めるのは用を足す時くらいだった。
研究所のあった森の方ならたまには体を洗うのに脱いでいたけど、森を出てからはいつ敵に襲われるかもわからない状況だったし、そうホイホイ脱いでいられなかったからな……。
「ほら!伊織ちゃん!まずは伊織ちゃんのその頭を洗わないと!こっちに座って!」
「そうですわよ。さぁさぁ!」
「ちょっ!ちょっ!」
美少女二人に引っ張られて座らさせられる。そして頭を何度も何度も洗われた。どうやら一度や二度洗ったくらいじゃ汚れが落ちなかったらしい。髪もかなりバリバリだったし、ねちょねちょで綺麗にならない。それでも二人が何度も何度も洗ってくれたお陰で、ようやく少しはマシになってきた。
「伊織ちゃん、随分髪伸びてるね」
「あ~……、まぁ……、この何ヶ月かずっと伸びっぱなしだったしね……」
散髪なんてしてるわけもなく、伸び放題に放っていたからイケ学から追放される前に比べて随分髪が伸びてしまっている。洗ってサラサラになるとそれがよくわかった。
「伊織様綺麗ですわ……」
「本当……、伊織ちゃんスタイルがいいし、うらやましいな……」
「ちょっ!どこ見て……」
散々俺を洗いながら二人は俺の体をジロジロと見ていた。とても恥ずかしい。俺は女の子の体にしては引き締まった体だろう。腹筋も少々とはいえ割れているし、筋肉ムキムキというほどではないけど、タルンタルンでもない。適度に引き締まった理想的な体だ。
ただ女性にしては胸は小さい方だと思うし、腰も細くない。お尻は……、まぁ……、少々丸いかな。キュッ!と格好良く締まったお尻というよりは、少し女性らしい丸みが残っている。
「アンジェリーヌや舞こそ……、女性らしい体で……」
チラチラと見える二人の体は、とても女性らしくて綺麗だ。アンジェリーヌは少々緩い体をしている。やっぱり高位貴族として楽な生活をしているからだろうか。決して太っているというわけじゃないけど、全体的に緩いというか丸いというか、とても女性らしい柔らかい体つきだ。
舞はアンジェリーヌに比べれば少し貧相というか、東洋系らしいというか、あまり自己主張が強すぎず慎ましやかな体つきとでも言えばいいんだろうか。こちらも俺のように筋肉質ということはないので、女性らしい体つきであることは変わらない。
しかも二人とも一切体を隠さない。普通ならタオルを巻いたりするのかと思う所だけど、アンジェリーヌも舞もタオルすら巻かず、一矢纏わぬ姿のまま俺を洗ったりしている。目に毒すぎて困る。明らかに俺はのぼせているのとは違う理由で真っ赤になっている。
「はぁ~~~~~」
頭や体をよく洗ってから湯船に浸かる。一体いつぶりだろう。って考えるまでもないか。最後にイケ学から出撃して以来の湯船だ。湯船に浸かるとまるで疲れまでお湯に溶け出していくかのような感じがする。
「伊織ちゃんの声を聞くと本当に気持ち良さそうに聞こえるね」
「そうですわね。こちらまでそういう気分になりますわ」
三人で広すぎる湯船に浸かりながら、少しだけ静かな時間を満喫する。お風呂場で騒ぐと声が響く。今は時間も時間だしあまり下手に騒いで家の人に見つかる方が困るからな。
本当はもっとゆっくりしていたいけど、舞とアンジェリーヌの裸も気になって落ち着かないし、あまりうるさく騒ぐわけにもいかないので、手早くお風呂を済ませると再びアンジェリーヌの部屋に戻った。
再び俺と舞はハイドで消えてアンジェリーヌの部屋に戻る。メイドさんが持ってきてくれた夜食は……、ミルクにパンを入れて溶かして温めたものだ……。しかも浅い皿に入れて……。これは確実に俺は犬か何かと思われてるな。
「それじゃ……、俺から色々聞きたいことがあるんだけど……」
「はい」
「うん。こっちも色々聞きたいことがあるからお話しよ」
俺の言葉にアンジェリーヌと舞が答えた。人心地ついた俺は二人に色々と質問を開始したのだった。