第十話「ライバルが現れました」
若いって素晴らしい!何を言っているかわからないと思うけどそのままだ。あれほどきつい筋肉痛だったのに二日目の今日はもう筋肉痛が治っている。年を取ってくると筋肉痛になるまでも時間がかかるし治るのもまた時間がかかる。すぐに筋肉痛になってすぐに治るのは若い証拠だ。
今日は体が軽いからテキパキ朝食の準備を済ませる。メニューはいつもと大差がないけど調理は昨日に比べて楽々だった。体が自由に動くっていうのは素晴らしいことだ。
「ふぁ~……、おふぁひょ……」
「健吾……、随分眠そうだな。もしかしていつも俺が照明をつけているせいか?」
ここ最近健吾はいつも朝眠そうにしている。それはもしかして俺が本を読むために遅くまで照明をつけているからじゃないだろうか。
「いや~?いつも通りだろ?前からこうだったろ?」
「そうか……」
残念ながら俺にはその『前』とか『いつも通り』がわからない。俺だって『ここ最近』と言ったけどそもそも俺がこの世界に来て健吾を見るようになってから毎日同じだからそれ以前と違うかどうかも知りようはなかった。
だけどもしかして俺のせいで健吾が寝付きが悪くて寝不足になっているのなら悪いなと思って聞いてみた。健吾が言うには元々いつも通りだから気にすることはないっていうけど何か良い方法を考えた方が良いかな。
「飯にしようぜ。……ふぁ~、うめぇ~!」
俺がそんなことを考えている間に顔を洗ってきた健吾が用意しておいた朝食を食べる。だけどうめぇとか言うほどのものじゃないだろう。今日はソーセージとスクランブルエッグと焼いたパンだ。誰でも出来る簡単な料理とも呼べない朝食を健吾はうめぇうめぇと言いながら食べていた。
~~~~~~~
学園の授業は相変わらずレベルが低い。日本の学校で言えば中高レベルくらいだからそれほど難しくはない。それに科目によってレベルも随分違う。特に理系の発達具合は地球に比べて未発達だと言わざるを得ないだろう。適当にある程度授業を聞いていたら十分対応出来る程度の内容だ。
俺の育成プランではこれから当分の間は体力特訓と瞑想部屋を交互に訪れる予定だ。毎日体力特訓をしても効果的とは思えない。ある程度基礎が出来ている者とかボディビルダーみたいに筋肉ムキムキを目指しているのなら毎日特訓でも良いだろうけど今の俺はそんなことをしても体がついていかない。
一日置きに特訓して基礎体力をつける。筋肉痛と疲労で動けなくなるだろうからその日は瞑想だ。それにHPだけ上げまくっても仕方がない。俺は魔法職向きだろうからMPもきちんと上げておかなければ後で使い物にならないキャラに育ってしまう。
魔法基礎も毎日読み進めているけどなかなか進まないな。ゲームだと選択すれば所定のコマンド回数で読了扱いになるけど現実だとそんなに簡単じゃない。隙間時間を利用して行動回数アップ!とか思ってたけど全然そんなにうまくいかない。
まぁとりあえず今日は体力特訓に行って……、って考えながら放課後の廊下を歩いていると前が騒がしいのに気付いた。このまま行くと騒ぎの前を通ることになるだろう。何事かと思って廊下の角から顔だけを出して騒ぎの原因を確認する。
「ちょっと貴女!パトリック様に馴れ馴れしいんじゃありません?」
「えっ……、私は……」
主人公アイリス・ロットフィールドが複数の女の子に囲まれている。アイリスを囲んでいる女の子達の格好はプリンシェア女学園の制服だ。
この場面と台詞だけでもう何事かわかった。これは主人公アイリスが初めてライバルキャラ、アンジェリーヌと出会う場面だ。これはチュートリアル中の強制イベントだからやっぱりまだチュートリアル中という判断は間違いじゃなかった。
イケシェリア学園は男子校だけど様々な名目のもとアンジェリーヌが手下のプリンシェア女学園の生徒達を引き連れてやって来る。
アンジェリーヌはプリンシェア女学園の謂わば女帝でパトリック王子の婚約者候補という設定になっている。ゲーム中では別に婚約者だ、とは明言されていない。あくまで候補のはずだけど本人はすでにパトリック王子の妻のようなつもりで周りにあれこれとうるさく口を出す。
主人公が女性でありながら異例の待遇でイケ学にやってきてパトリック王子とよろしくやっているのが面白くなくて何かと妨害や嫌がらせをしてくる面倒なキャラだ。
青いゆるふわカールの髪で顔は美人という設定だけど顔つきはキツイ。釣り目がちな顔とあの性格のせいでパトリック王子からも煙たがられている。ゲーム中では何かと主人公の邪魔をしたり足を引っ張ったりしてくれるから嫌いなプレイヤーも多いだろう。だけど実は俺はそんなにアンジェリーヌが嫌いじゃない。
俺からするとアンジェリーヌの言い分もわからなくはないからだ。アンジェリーヌは家柄も良く本人も能力的に王妃に相応しい。性格が少々高圧的に感じるけどそれはあくまでパトリックを思ってのことでパトリック以外のことに関しては実は人望もある。だからこそプリンシェア女学園の生徒達はアンジェリーヌに従っている。
設定ではアンジェリーヌは幼少の頃からパトリックの妻となるべく育てられたということだ。本人がその自負のもと放蕩なパトリックの行動を諌めるのは当然だろう。
ただそうしてゴチャゴチャと自分の私生活について口を出されるパトリックとしてはアンジェリーヌは面倒臭い相手と映る。ゲーム中でもアンジェリーヌはあくまでパトリックのためを思って行動しているけど、パトリックがそれを理解せずにアンジェリーヌを拒絶するからうまくいかない。
主人公に数々の嫌がらせをするとはいってもそれも当然のことだろう。例えば自分がずっと幼少の頃から付き合っている婚約者がいたとしてその相手に勝手に近寄ってきて誘惑する女がいたらどう思いどうするだろうか?当然その相手に自分の婚約者に近づくなと注意するだろう。そして婚約者にはもっとしっかししてくれとも言うはずだ。
もちろんだからってアンジェリーヌが主人公アイリスやパトリック王子に何をしても良いということにはならない。途中でアンジェリーヌが実はあまり悪い奴じゃないと擁護する論調が出て来たために、イケ学の運営はアンジェリーヌが極悪な嫌がらせをするイベントを実装してとことん嫌われる悪役に仕立て直したという経緯がある。
だから俺はアンジェリーヌは実は可哀想なキャラだと思っている。思っているけど……、だからって俺が関わるのは御免だ。それとこれとは話が違う。一プレイヤーとしてゲームの中のこととして見ているだけなのと、実際に現実世界で自分が関わるのとでは話はまったく違う。俺はアンジェリーヌにも、そしてアイリスとも関わる気はない。
ここはただの顔合わせと最初の因縁をつけられるだけのチュートリアル中のキャラ紹介的なイベントだからすぐに終わる……。終わる……、はずなのに終わらない。ゲームなら途中で人の近づいて来る気配を察してアンジェリーヌが手下達を連れてこの場から去るはずだ。
元々今回アンジェリーヌがイケ学へやって来たのは先のインベーダーとの戦いの慰安が名目だった……はずだ。ゲーム初期のチュートリアルの一コマだから少々記憶があやふやになっている部分もあるけどそんな説明だった……、たぶん?
その時にパトリック王子を探して歩いている時にアンジェリーヌがアイリスを見つけてパトリックに近づくなと声をかけるだけのはず……、なのにいつまで経っても終わらない。
体育館に行くにはここを通るしかない。ここを通らないと今日の予定である体育館で体力特訓が出来ないというのにいつまで経ってもこいつらがいなくならない。
じゃあ俺が割って入って仲裁すれば良いじゃないかって?絶対にお断りだ。アイリスとアンジェリーヌの争いに巻き込まれたら絶対碌な事にならない。俺はモブはモブらしく大人しく目立たずこっそり主人公達の手助けをしてゲームクリアをさせる。表立って目立つつもりはない。
そもそもで言えば今の俺は別に何の能力もなければステータスもイケ学の中でも最低ランククラスだろう。家柄も何もないしアンジェリーヌに睨まれたらまずい。この体の持ち主の家族がいるのかどうかもわからないけど俺が下手なことをしてこの体の持ち主の家族までアンジェリーヌに何かされたら大変だ。俺は責任を取れない。
だからさっさとイベント通りに誰かが通りかかって解散になって欲しいのにいつまで経ってもまったく誰もやってくる気配すらない。俺はいつまで角で隠れてたらいいんだ!もう面倒臭い!
「早く体育館に行こうぜ~」
我慢の限界に達した俺はわざとペタペタと大きく足音をさせながらまるで誰かと話しながら歩いているかのように大きな声を出した。
「……ふん。誰か来たようね……。貴女!これで終わったと思わないでちょうだい。貴女がパトリック様にまとわりつくのをやめなければまた来ますからね」
アンジェリーヌはそれだけ言うとこちらに歩いてきた。どうやら俺の狙い通り大勢の人がこちらに近づいてきたと思って引き上げることにしたようだ。俺も今から引き返したりどこかに身を隠すのも無理があるのでそのまま向こうへ向かう。角の近くでアンジェリーヌとその手下達とすれ違った。
「あっ……」
「ん……?」
先頭を歩くアンジェリーヌは特に俺に何も思わなかったのかスルーしてすれ違ったけどアンジェリーヌの手下の一人が俺を見て小さく声を漏らした。その相手を見て俺もあることを思い出す。
こいつは……、戦勝パレードの時にパトリック王子達への贈り物の花束を渡してきたプリンシェア女学園の制服を着ていた瓶底眼鏡の女だ。あの花束には贈る相手の名前が書いてなかったから結局どうなったのかわからない。俺はただ王子達へのプレゼントの回収場所に全部丸ごと置いてきただけだ。
別にこの女の贈り物がどうなったかなんて知ったことじゃない。知ったことじゃないはずなんだけどちょっと気になってしまう。俺のせいじゃないんだけどきちんと贈りたかった相手に届いただろうかと思ってしまう。まぁ俺が考えた所でどうにかなるものでもない。ただ解けない謎が気になる程度の話だ。
その瓶底眼鏡の地味女は暫く俺の方を振り返って見ていたけど俺が気にせずそのまま歩き続けると途中で諦めたのかアンジェリーヌを追いかけて向こうへ行った。王子達にプレゼントを贈るくらいだからそうだろうとは思っていたけどアンジェリーヌの取り巻きの一人とはな。
ゲーム中じゃあんなキャラはいなかったけど取り巻きだって固定の面子以外はただのモブだ。現実となったこの世界ならモブたちもきちんと一人一人存在しているし交代だってするだろう。側近のような女達は今も居たしずっと固定だけどね。
ともかくアンジェリーヌ達がいなくなったから俺は廊下を通って体育館に……、え……?
さっきまでアイリスとアンジェリーヌ達が揉めていた場所にはまだポツンとアイリスが立っている。きっと絡まれて呆然としているんだろう。そう思っていたのに……、アイリスの横を通り過ぎた時……、アイリスは……、笑っていた……?
いや……、そう見えただけだろう。ゲームのキャラデザインだからアイリスはいつも笑顔に見えるような顔に描かれている。実際ゲームの設定でも明るく元気で前向きな女の子という設定だ。いじめられてもへこたれず健気に頑張る女の子だ……。だからこんな気持ちになる必要はないんだ……。きっと俺の見間違いなんだから……。
「ようやく来たか!昨日はサボって今日は遅刻とは随分舐めているな!」
「えぇ……。昨日は筋肉痛でまともに動けなかったから休みましたけど今日は遅刻ってまだそんな時間じゃないでしょ……」
体育館の体力特訓に来た俺に向かってニコライは笑ってない笑顔でそんなことを言ってきた。体力作りなんて毎日無理をしてもかえって効率が悪いだけだし今日はまだ時間はまるで経っていない。授業が終わってダッシュで来るよりは遅いけどそれはアイリスとアンジェリーヌの争いで足止めを食ったからだ。それもほんのちょっとの時間でしかない。
「ほ~う!言い訳するか!じゃあ今日のメニューは一昨日の五割増しだな!」
「はっ!?そんなの無理でしょ!?」
五割増しとか馬鹿ですか?絶対無理だろ!
「つべこべ言うな!まずは百五十周走ってこい!」
「げぇ~~!」
本当に五割増しになってる!何か生き生きしているドSのニコライに今日も散々しごかれることになりそうだ。