5登城
各埠頭から伸びる坂道はやがて一つにまとまり、港を見下ろす白亜の城にたどり着く。
ウイザードはその城の裏手にまわり、城壁を乗り越えて勝手口に来ていた。
「きゃっ」
「失礼」
桶を抱えたメイドが出てきて鉢合わせをした。
水色のワンピースに白いエプロンドレス。フリルのカチューシャはストライプだ。
これらは港街をイメージしたものだと思われるが、ドレス丈は見習いほど短く、素足をさらすのが恥ずかしければ早く一人前になれという事らしい。
しかし、若い子ほど丈が短いのだから伯爵の趣味と言ったほうが正解かもしれない。
「ちょ、ちょっとお待ちください」
横を抜けようとしたら通せんぼされた。ポニーテールのかわいい子だ。
「怪しい者じゃないんだけど」
「目いっぱい怪しいです」
両手の拳に力が入って、頑張っている感じが伝わってくる。
「ははは。だよね」
力ずくとはいかないし、そうこうしているうちにもメイドの数は増えてきた。
「だれ?」
「知らない、怪しい人」
クルリと振り返って答え、すぐさま向き直って睨みつけてくる。
「みんな、入れちゃだめよ」
「おお!」
娼館だとこのまま引きずり込まれるのだが、ここは違う。
「まいったな」
頭を掻いていると奥からメイド長がやって来た。ドレス丈は長く、足首さえ見えない。
メイドたちが左右に分かれ、ウイザードを目にするとため息をついた。
「ここは立ち入り禁止です。正面からお越しください」
「こっそり入りたくてさ。部屋があるんだろ?案内してよ」
ふざけた言い草だが、隠された意味は通じたようで眉をピクンとさせた。
「今回だけですよ」
「悪いな、無理言って」
メイドたちの中には、いぶかしげに見る者もいれば、好機の目で見る者もいた。
「お城にこんなかわいい子たちがいるなんて知らなかったよ」
触れあいそうな距離でその中を進む。
風呂に入った後でよかったと思いながら、次に来るときのために笑顔を振りまいておいた。
「ここが俺の部屋?」
「さようでございます」
通された部屋は広い。キョロキョロしながら思わず尋ねた。
「なんとまあ。無駄に広いな」
「何かお召し上がりになられますか?」
都合の悪いことは聞かなかったことにするのだろう。平然と聞き返された。
「ああ。肉、は、お酒が欲しくなるか。フルーツがいいな。何か月も食べてない」
「賜りました」
「それと、伯爵様を呼んでくれ。無理なら家令のサタレイでもいいけど、日が暮れるまでに頼む」
「……かしこまりました」
伯爵を呼びつけるなど実子でもしてはいけない事だ。
こめかみを押さえても不思議はないところだが、メイド長は奇麗な礼を残して部屋を出て行った。
ソファーは柔らかい。お尻が沈むような椅子は久しぶりだ。
このまま昼寝もいいなと思っていると、ノックがして、高そうな編み籠に山盛りのフルーツが届いた。と、同時に伯爵もやって来た。
城に来ることを嫌がっていたはずのウイザードが前触れも出さずにこっそりとやって来た。伯爵を動かすのに十分な出来事だったのだ。
「お前はここで待て」
「はっ」
ドアの向こうで伯爵の声だ。
「あっ、サタレイさんなら入って」
「人払いをしたかったのではないのか?」
「そうなんだけど、伯爵一人では荷が重すぎるよ」
ルタ伯爵とサタレイは思わず顔を見合せた。
「早速なんだけど、獅子の紋章ってどこの旗?」
「イスタンベール王家の紋章だが、それがどうかしたのか?」
二人に上座を譲って座ったところまでは良かったが、言葉使いは友達のそれだ。あまりの無礼にサタレイの方がはらはらしていた。
「やっぱりそうか」
「話が見えんぞ」
しかし、当の伯爵は気にしない様子だ。
男爵家の事件でお互い思いをぶつけあってから、もう親子でいいから敬語は嫌だと言って決着していたのだ。
「そこの、イスタンベールのお姫様が国王陛下に会いたいって来てるんだ」
「な、なんだと?」
ルタ伯爵が聞き返した。言葉は分かるが、頭が付いていかないのだ。
「だから、あっちは内紛中だろ?助けてほしいんだと」
「ちょっと待ってください。姫様は今どこに?」
家令のサタレイが口をはさんできた。優秀な人だ。
「船の中、夜まで隠れていてもらってる」
「なんてことを、すぐにお迎えをしなければ」
「ちょっと待てって。これは陛下のご判断を仰ぐ事がらだろ?それまで秘密にしないと、敵に見つかったらどうすんだよ」
「敵?」
「ああ、襲われてたんだ。同じ獅子の紋章を掲げた船に」
「……」
「……」
二人が黙ってしまった。
あれっとは思ったが、この隙に果物をいただこうと手を伸ばしたのだが、その手首がつかまれた。
「はじめっから、順を追って、ちゃんと、説明、しろ」
伯爵が手首をギリギリと締め付けてくる。かなり痛いが、言える雰囲気ではない。
しかたなく、2つの船影を発見したところから事細かに説明したのだが、再び二人が固まった。
最後にルタから南へ1日の海域と言ったことがショックだったようだ。
「目と鼻の先ではないか」
「そんなに近くとは」
そう言ったきりなのだ。
果物に手を伸ばすチャンスだったが。今度はウイザードがその気にならなかった。
「近くてショックだったのは分かるけど。これって、戦争してくれって話だろ?平和ボケした王都の貴族どもが了解するわけないと思うんだけど、なんでそんな顔するんだ?」
「それは……」
伯爵が言いよどんだ。
「それは?」
「3日後にサンダー王子の誕生会がある」
「んで?」
「その王子がイスタンベール打つべしと、好戦的なのだ」
「王子一人が頑張ったって動くかな?」
「本心はどうであれ、次期国王だ。追随する貴族は多い」
「なるほどな」
「姫様の救援要請は王子に大義名分を与えることになりかねん。かといって、連絡をしないわけにもいかん」
伯爵が腕を組み目を閉じた。
国王と次期国王。二人の意見が分かれた時、家臣は中立を保とうとする。どちらの意見にも賛成し、決定に従うのみと逃げるのだ。
ところが、理由はどうせあれ、大義名分を与えるとなれば王子派筆頭ということになりかねない。
戦争などないという状況で、それはまずいのだ。
「でもさ、戦争してもいいんじゃないかな?」
「戦争だぞ。分かってんのか?」
薄目を開けてにらんでくる。
「分かってるよ。だけど、今戦争しないとこの国が亡びるんじゃないの?」
「なんだと?」
今度は、体を乗り出して睨んできた。
「イスタンベールは大国だ。一つにまとまった後だと勝ち目ないよ」
「我々とて、むざむざやられはせんわ」
「そりゃ、簡単には負けないだろうけど、勝つのはもっと難しいよ」
「……」
「国力の差は戦力の差だ。二倍以上の敵に勝つのは難しい。兵器の差もある。いい武器のほとんどはイスタンベール製だ。船足の違いもあるしな」
「早いのか?」
「ああ。一隻曳航した状態だったが、クインベレーは満帆だったのにピタリと付いてきた」
「クインベレーの満帆にか?」
伯爵は驚愕の表情を見せた。
「少なくとも、中型船に出せる速さじゃない。いいか、どれ一つとっても勝ちは見えてこないんだ。だけど、今なら話は別だ。イスタンベール人同士の殺し合いに手を貸せば戦力がそげるし、戦場になって国土が荒れれば復興までに数十年はかかる。戦利品に領土は必要ない。鍛冶と造船の技術をいただいて、イスタンベールが力をつけるまでに発展させる。それ以外に生き残る道は無いと思うぞ」
「……」
「……」
「もう、帰っていいか?」
返事がないので聞いてはみたが、やはりない。
「……」
「……」
籠ごとフルーツを抱えて、そっと部屋を出た。
部屋に残された二人はしばし無言だった。
「事が事だけに、早馬は姫様のお話もうかがった後ですね」
「ああ」
「受け入れの準備をしておきます」
「ああ」
サタレイが部屋を出て行った。
たしかに、戦争をしたいと思う貴族はいなかった。
イスタンベール王国と国境を接していない事もあるし、ルタで量産された船が貿易を拡大させ、豊かになったことも大きな原因だった。
そんな中、王子一人が戦争を訴えたところで賛同する者は無かったのだ。
次期国王なので追従する者はあったが、戦争することは無いと見越していたし、国王初め、良識ある貴族はみな困った王子だと笑っていた。
ルタ伯爵もその一人で、この王子に国の将来を任せてもいいのかとさえ思っていたのだ。
「まさか、馬鹿王子が正しかったとは……」
誰もいなくなった部屋には頭を抱えたルタ伯爵が残されていた。
帰りは堂々と正門をくぐった。
自分の役目は終わったのだ。後はどうなろうと知った事ではない。背伸びをして、見下ろす絶景を堪能する。
防御を見据えたS字の坂をたどれば港までの直線道になる。男爵家の絵画とは似ても似つかぬ広さだ。
左右に広がる赤い屋根は波のようにどこまでも続いているし、港に浮かぶ船はその大きさも数もけた違いになっていた。
埠頭に停泊している船、左奥がクインベレーだろう。その向こうの半島は森だ。
海峡のように長い港の左側には陸路がなく、いくつかの支流の先にエルフの集落が1つあるだけだ。
一方、右側9番埠頭の向こうにはまだ港が続いている。
ここは伯爵の命で造船専用ドックとされ、船大工が集められた。
潤沢な資金を使って造船資材を集め、使用料はとるものの、かかる費用は船大工の手間賃のみだ。
これがルタを急激に発展させた原動力だったが、チョウゴロウもここで大型客船を作っていた。見に行きたい気持ちはあったが、奴隷たちがそのままだ。
目を左に転じると懐かしい屋根が見えた。見る角度が違っても、10年たっていても忘れることがない赤い屋根だ。久しぶりに登ってみるかと足を踏み出した。
S字を荷車が上ってゆく。数人の男たちが汗を滴らせ、シャツの色も変わるほどだ。そんな彼らをあざ笑うかのように貴族の馬車が追い越してゆく。だから貴族は嫌いなのだ。
真っ直ぐになった道は坂と平坦を繰り返しながら港へと向かっていて、港に近づくほど人通りは多い。
広い道の両側の店は大きく、荷車が何台も止まっていた。積み下ろしをする男たちの中には小さい子もいる。みんな逞しい。
左の道に入る。メインほどではないがここも広い。
左右の店は小さいが、道にはみ出した軒先に笑顔の客が多い。使途不明の木箱があちこちに積み上がり、子供たちの遊び場となっている。子供の数が多いのは発展の証だろう。
同じような路地が現れては過ぎてゆくが、ある場所まで来るとぴたりと足が止まる。何が違うのかは分からない。だが、ここだという事は分かる。この先にあの赤い屋根がある。
しかし、もっと気になる所があった。
再び路地が過ぎてゆく。3つ、4つ、ここだ。
路地をのぞき込む。周囲を確認する。間違いない。ここがスフィアと別れた場所だ。10数年前に約束を交わした場所であり、キスをした場所だ。
その路地から少年たちが駆け出てきた。1番後ろに手をつないだ男の子と女の子がいて、思わず笑顔になる。
子供たちが立ち止まった。見ているのは手元の果物だが、果物より人数が多い。
1つ取って後ろの二人に投げる。男の子が体と両手を使ってキャッチした。食べ物は貴重なのだ。
子 供たちの視線が外れたすきに果物籠ごと地面に置き、その場を立ち去る。後は、仲良く分けるなり、喧嘩するなり、好きにすればいい。
しばらく下って籠を忘れたことに気が付いたが、そこはすでに子供たちが群がっていた。
「ちょっと待ちな!」
まあいかと踵を返すと、男たちが数人出てきて制止をかけてきた。
彼らの気持ちはわかる。
無償で果物を与えるような金持ちの甘ちゃんはカモなのだ。有り金をいただくのが普通だが、今回ばかりは相手が悪かった。
まずは、言葉をつづけようとしていた男に急接近する。
両肘を曲げてのファイティングポーズをフェイントにして、前蹴りで下腹を打つ。
素早く横に移動して頭をつかみ、頬をめがけて膝を当てる。最後は首筋に肘を落として終了だ。
時間にして5秒というところか、平然と背を向けて10番埠頭に向かえばいい。
戦闘奴隷にとっては遊びの喧嘩でも、ウイザードにとってはいい訓練だった。
物陰から全員で奇襲するならまだしも、道をふさいでいながら話をするような者たちに負けることは無い。
走りこんでの前蹴りはそれだけで十分威力があるし、横から頬を狙えば、膝と奥歯に挟まれた頬の内側が切れる。顎にも当たれば簡単にひびが入るし、肘打ちは体重が乗るから威力が高い。どれもこれもほとんど力を入れていない。
脅しをかけようとした瞬間に倒されて気を失い、口から血が流れていれば殺されたと思うだろう。悠然と背を向ければ、恐怖を覚えた彼らには戦う気力は残らないのだ。
ローランド男爵の屋敷が見えてきた。門番があくびをしている。
2階のテラスに行くには、南の庭にある木から飛び移ればいい。
3階のバルコニーは手すりに乗れば手が届きそうだ。あとは懸垂して足を振り上げてからませれば登れる。バルコニー間は狭いから暗くても移動は可能か。これなら、スフィアの部屋が分かればいけるな。
いや、まあ、これは習慣。ではなく、癖。でもなく、習性。そう、男の習性なのだ。うん。そういう事にしておこう。
やがて、10番埠頭が見えてきた。