4再会
「あの日と同じだな」
見上げる空は青く、白い雲が浮かんでいた。
先導するのはローランド男爵家の兵士が5人。木箱を二人がかりで運び、途中持ち手が交代した。ひ弱に感じるのはガレンザ達を見ているせいだろう。
道は知っているが、黙ってついてゆけばやがて屋敷が見えてくる。
2メートルくらいの塀で囲まれた広い敷地に、3階建てのお屋敷。海に面した2階部分が広いテラスとなっている。夕日を見ながらガーデンパーティーが出来そうだ。
こうまじまじと見たのは初めてだが、3階部分は海側と南側にも各部屋ごとのバルコニーがあった。
門番は一人だ。
「おかえりなさい」
慌てて門を開けるが、緊張感がない。門番というよりお留守番が似合いそうだ。
門を抜けると馬車回りの空間を開けて扉。北側に空き地と厩舎、南は森のような庭が見える。
4人が北側に向かい、案内は一人になった。
正面玄関には誰もいない。扉を抜けても、執事やメイドのお出迎えはない。
「ここで待つように」
「はっ」
とうとう一人になってしまった。狭いがエントランスだろう。左右に伸びた通路。正面に絵画があり、その左横に階段、右横に扉がある。
階段を目でたどると2階の廊下が見える。吹き抜けもなく、明り取りの窓はあるもののシャンデリアもない。
時間つぶしが出来そうなのは絵画だけ。昔のルタが描かれていた。
白亜の名城の前にグネグネとした一本道。それに沿ってごちゃごちゃとした家々が並び、たった一つの埠頭にはこの当時にしては大きな帆船が停泊している。
散らばる小舟は漁船だろう。海峡かと思うほど長く広い港の先に大海。水平線を境に濃い青から薄い青に変わる。
白い雲がいくつか浮かぶ。この絵が描かれた当時も空だけは変わらないようだ。
階段横の扉が開いた。
「こちらへ」
木箱を運んでいるとき、最初に交代をしてくれと言った男だ。
謁見の間というより家具を取っ払った部屋に入る。奥中央に椅子があり、その横に2人の兵士がいる。一緒に来た男たちだ。
入り口からその椅子まで赤い絨毯の通路があり、不思議なことにこれだけで謁見の間に見える。
部屋の中央で膝を折り、右手を左胸に、左手の拳を腰の後ろに回して頭を下げた。
やがて聞こえてきた衣擦れの方へ上目を使えば白いドレスが揺れている。見えるのは段差がないからだろう。
スフィアが席についた。
「面を御上げなさい」
かわいい声だ。頑張っているのは伝わるが、鈴を鳴らすような可憐な声では威厳は出ない。
笑みを浮かべる余裕さえあったが、顔を上げると驚きで声が出なかった。
スフィアが美しい女神に見え、おもわず目をパチクリしてしまった。
結い上げた髪は黄金の煌めきを放ち、両頬に垂らすは金糸の滝に見える。大きな瞳はエメラルドか。白磁の頬に赤みが差して、触れてみたいと心が騒いだ。
唯一、唇だけは当時のまま。多少大きくなった気はするがかわいいままだ。
美しき男爵令嬢のうわさは聞いていた。聞いてはいたが、まさかこれほどとは思わなかったのだ。
「直答を、ゆるし、ます」
見とれていたのはスフィアも同じだった。
ウイザードのやさしさは強さに変わっていた。日々の戦闘で身にまとったのだろう、その荒々しい雰囲気に引き込まれそうになるほどだ。
刈り上げた金色の髪も、紺碧を思わせる瞳も、鼻筋までもが逞しく感じる。
離れているのに漂ってくる汗の臭いにゾクゾクしたのは初めてだ。引き締まった唇からどんな声が出てくるのか早く聞きたかった。
「ゴホン」
わざとらしい咳払いは隣の兵士だ。
時間としては短くても、令嬢が若い男に見とれるのは恥かしいことなのだ。
「え、えっと、ウイザードでしたね。10埠頭の使用許可は出したはずですが、まだ何か?」
頬の赤みが強くなったスフィアだったが、素早く令嬢モードに切り替えた。
「ありがとうございます。じつは、出航予定が定まっておらず、ご迷惑をおかけすることをお詫びしたく参上したしだいにございます」
立場の違いに素早く対応するが、視線を外すことが出来ない。じっと見るのはいけないとは思うのだが、無理だった。
スフィアが横に立つ兵士の方を向く。白い首筋を隠すように金の髪糸がさらさら流れた。瞬きをしてもエメラルドの輝きは変わらない。小さかった鼻がスッと伸びてきれいだ。
「使用料は十分に収めております」
兵士から答えが返ってきた。
「なら問題はありません。期限まで自由に使うといいでしょう」
小さくかわいいままの唇から白い歯が見えた。
「ご配慮感謝申し上げます」
意思を総動員して視線を外し、深々と礼をした。
「この後、予定はあるのですか?」
「はい。お城に出向こうかと考えております」
「そうですか。では、湯あみをしてからになさい。かなり匂いますよ」
「も、申し訳ございません」
背中にどっと冷たいのもが流れ、夢から現実へと引き戻された。
嫌われたくなかった。手遅れかもしれないが。
城に行っても恥をかかないようにとの配慮だと思いたい。そこまで世話をしてはやりすぎになるから、あまりに臭いので見るに見かねたという体裁をとったのだと。そう思いたかった。
「クインベレーの冒険譚は私も楽しみです。今度ゆっくりいらっしゃいな」
「はっ」
間違ってはいけない。これは社交辞令だ。臭いまま面会をした無礼は許しますという意味だ。たぶんだが、そうだ。そうであってほしい。
スフィアは横の兵士に目配せをして立ち上がり、頭を下げたままのウイザードに何か言いたそうにしたが、結局何も言わずに部屋を後にした。
「まいった、降参だ。かわいさと美しさが同居するなんて反則もいいとこだ。勝てるわけがない」
頭を下げたまま小さくうなっていると、兵士に立つように促された。
そのまま案内されて湯あみだ。
「ふーっ、いい湯だ」
1年近い船旅、風呂に入ったのは港に寄った時だけだから、指折り数えて3回だ。あとは雨が降った時に裸になるくらいなのだから、まあ、臭いのも仕方がない。
「しっかし、美人になったな。嫁にしたくなった。でも、あんだけ綺麗なら婚約者とか絶対いるよな。あーあ、横取りしてえな」
無茶な話ではあるが、出来なくもなかった。
非公式とはいえルタ伯爵の養子となっているからで、無論、チョウゴロウが暗躍した結果だ。
背景としては、エルフとの交易は新たな収入資源としての将来性があったし、ルタに陸揚げされる胡椒のほとんどすべてはクインベレーが運んでいた。
これは、ウイザードが胡椒の群生する島を見つけ、チョウゴロウがそこに村を作った結果だった。
そんな中、亡くなった男爵にいくつもの不正をでっちあげ、ルタにとってどちらが有用なのかと迫ったのだ。
「今回、戦闘奴隷を含めて、ウイザード商会の誰も参加しておりません」
そして、これが最後のセリフだった。
だから無罪だというのは面向きで、本気で戦えばこんなものでは済まないという脅しだ。
「何を勘違いしているのかは知らんが、今回呼んだのはウイザードを儂の養子にしてやるという話だ」
ルタ伯爵に、敵対ではなく取り込む策に転換させたのだ。
「海賊が貴族になってどうするよ」
ウイザードはそう言ってみたが、反目するのはお互い不利益なのも確かで、そのままだったのだ。
城へは日が暮れるまでに行けばいいだろうと思っていると、扉が開いて年かさの女性が入ってきた。
「体を洗いますから湯船から上がってください」
「いや、大丈夫。自分で洗います」
スフィアの世話係といったところだろう。裸を見られて恥ずかしいわけではないが、見せて喜ぶ性癖もない。
「体を洗ってから湯船につかるのが礼儀。とっとと上がる!」
「は、はい!」
なんだか、逆らってはいけない人のようだ。素早く湯船から出た。
腰に手を当てたご婦人はウイザードの裸を見ても動じることも無く、座ったその背を洗い始めた。
「えっと。こういうことは聞いてはいけないのかもしれませんが」
「なんですか?」
無言のままはさすがに気まずい。
「スフィア様は怒っていらっしゃいませんでしたか?その、臭いまま面会して」
「スフィア様は男ら、いえ、気性のさっぱりしたお方ですから心配いりません」
「そ、そうですか」
今、男らしいと言いそうになったよな。それって、どうなんだ?いや、そこまで言えるという事は乳母あたりだろう。ここに来たのは令嬢に近づく虫退治とか。
「見ているだけとはいえ、美しきご令嬢に嫌われたくはありませんからね」
「その割には、ぶしつけな視線を送っていたように思いましたが?」
見てたんかい!心の中で突っ込みを入れた。
「あのお姿に見とれぬ男はおりませんよ」
「口のうまい男は信用できませんね」
「ご心配なさらなくても、奴隷船に女性は乗せられませんし、船を降りろと言われても困りますから」
「そういうことにしておきましょう。ところで、胸元の赤い宝石に見覚えがあるのは気のせいでしょうか?」
10年も前だぞ、なんちゅう記憶力だ。
「似たような品はたくさんあるでしょう?」
「窃盗は犯罪です」
「もらったものだと言ったら?」
「当家の物だとは認めるのですね」
食えないばあさんだ。
「これを奪いに来た者たちはみな殺しました。はいそうですかと渡したら彼らがかわいそうだ。そうは思いませんか?」
「脅しですか?」
そうきたか、まいったな。
「カランコエの花言葉はご存知でしょう?」
「貴女を守る」
「思うことくらい許してください」
「……」
ようやくかよ。ここの風呂2度と入らん。固く心に誓うウイザードだった。
チョウゴロウは問題の船に来ていた。
「このマストは、まさか?いや、この帆、間違いあるまい」
見張りの奴隷たちが見守る中、異国のマストに触り、たたまれた帆を見上げていた。マストの立つ位置が違う。たたまれているから定かではないが帆の形も違うようだ。これは考えていた新型に近い。つまり、速い船なのだ。
「それで2隻とも曳航してきたのか」
船内へ通じる扉をノックした。
「ウイザードが家臣、チョウゴロウ・ハヤシにございます。船内への立ち入りを許可されたい」
「どうぞ」
しばしの間をおいて、許可が下りた。
「失礼する」
階段に人影はない。扉を閉めると暗くなる階段を船内の明かりが照らす。
階段を下りたところに男はいた。その後ろに半円を描いて兵士たちが囲む。
「チョウゴロウ・ハヤシです。ウイザードを王とするなら宰相に当たります」
「スタイナー・ガーベンハイト。近衛師団海兵大隊の長だ」
言葉の裏に隠させた攻防。チョウゴロウが苗字を名乗り、平民とは思うなよと言えば、スタイナーは軍事力を誇示した。
「これより先は頭脳戦となりましょう。姫様への拝謁を賜りたい」
「しばし待たれよ」
奥にいるが同じ船内。話は聞こえていてすぐに許可は出る。
チョウゴロウは姫より少し離れた場所で対面した。
周囲に兵を置かれた状態でも平然と胡坐をかき、両の拳は膝先の床。深々と頭を下げた。
「ウイザードが家臣、チョウゴロウ・ハヤシにございます。姫様への拝謁を賜り、恐悦至極にございます」
「アリーシア・カレミン・イスタンベールです。面を御上げなさい」
アリーシアが持つ凛としたたたずまいはここが船内とは思えない雰囲気があった。
結い上げた金の髪は芸術の域に達し、大きく清らかな瞳はどこまでも澄んでいる。
スラリと伸びた鼻筋。透き通るような白い肌は唇の赤を際立たせていた。
それと比べては可哀そうだが、チョウゴロウの貧相な顔つきはいかんともしがたい。ものおじしない態度と、強い意思を見せる瞳がせめてもの救いだ。
「ありがたき幸せ。早速ではございますが、現状の認識と情報の共有を図りたいと存じます」
「いいでしょう」
本来なら会うことすらない低い身分の者だが、ようやくたどりついた国。多少の無礼に目をつむってでも情報はほしかった。
「現在、我々の配下が船上及び桟橋を固め、何人も通さぬ警備を敷いております。ウイザードと私以外はみな戦闘奴隷。裏切りの心配はございません」
アリーシアが小さくうなずいた。
「今回の目的は援軍要請と伺っておりますが、相違ございませんか?」
「そう望んでおります」
「では、その道のりの険しさについてお話申し上げます」
アリーシアの目の色が変わった。まさしく、それが聞きたかったのだ。
「今宵、伯爵家からお迎えが来るでしょう。王都までの早馬が往復4日。早ければ5日後には王都に向かい、陛下との謁見。と、ここまでは問題ないと思われます」
「はい」
「陛下との交渉に成功し、援軍を携えての帰国であるならよろしいのですが、その可能性は極めて低いと言わざるを得ません」
「難しいのは承知の上です。しかし、何としてもやらなければならないのです」
アリーシアの言葉が強く響いた。
「そのお覚悟、わが心に刻み、最大限の御助力をお約束いたします。我々は儀で動きますゆえ御懸念には及びませんが、国は利で動きます」
「利益、ですか?」
「いかにも。例えば、サランダ王国の場合、隣国の戦力をそぐチャンスです。戦いに勝てば領土獲得も可能でしょう。ですが、イスカトラにはその利がございませぬ」
「十分な褒章は用意できます」
「貴国ほどではございませんが、イスカトラは裕福な国です。しかも、自国の戦争は浪費ですが、他国の戦争は儲かります」
「それでも、諦めることは出来ません」
「承知しております。問題はその時期なのです。厳しいようですが、姫様自らの外交ということは、すでに大勢は決まっているのでしょう。国力の差を考えますと、2国同時の参戦で5分。サンドラ単独では負けと見ます」
「つまり、時間との勝負だと」
アリーシアがチョウゴロウの話に引き込まれるように聞き返した。
「御意にございます。さらには、イスカトラ王国にとって姫様は人質としても価値がございます。今から脱出路を確保しておく必要があると存じます」
「失敗を考えるようでは、成功はおぼつきません」
さすがは姫というべきか、覚悟はできているという事だろう。
「捕虜となれば、次々と死ぬ仲間たちと、悪に染まってゆく愛する国を見ることになります。しかし、それでも生きている限り再興の夢を持つことは可能でしょう。脱出すれば仲間とともに戦って死ぬのですから、何が失敗かは姫様次第にございます」
この無礼な物言いにスタイナーが腰を浮かせて剣に手をかけたが、アリーシアが片手を上げることで止めた。
「ウイザード商会に数名の連絡係をいただきます。王都の店で働きながら地形や警備を確認していただき、脱出計画を練ります。脱出後は、王都の港からクインベレーで出航。この船は秘密の入り江で待機しておいて乗り移ります。ルタに向かうクインベレーをおとりに本国に帰還いただく計画となります。ご決断を」
チョウゴロウが頭を床につけた。
「……分かりました。よきに計らって下さい」
「ご無礼の段、平にご容赦を。では、これにて、ごめん」
チョウゴロウはすっくと立ちあがり、一礼をして立ち去っていった。
「ウイザードには救恩の儀があるというのに、祖国に逆らうような真似までさせるとは情けない限りです」
「姫様?」
「大丈夫です。何としても成功させてみせます。人選は任せましたよ」
「はっ」
やがて、薄暗い船内に木箱が届けられた。