2 敵船
雲一つない青い空と、果てしなく続く紺碧の海。白い帆船が一本の航行線を描いていた。
数多の帆が風に膨らみ、マストには羽を休める海鳥たち。その上に掲げる旗にカランコエ、ピンクのかわいい花が一輪咲く。
大型商船クインベレー号は1年にも及ぶ南洋航海を終え、母港であるルタの港まであと1日の距離だった。
「これはかなり厄介だぞ。あと少しなのに、まいったな」
危険などがあると頭の中に光を感じた、
強さや色にバリエーションがあり、それらと実際に起きた事件などを比較すれば、だいたいの事が予測出来た。
「避けるか?それとも、このままか?」
船長室で一人。ウイザードは首にかかる赤い宝石を手で遊ぶ。
スフィアからもらった赤い石に触れていると心が落ち着き、不思議と正解が浮かんでくる。
命がけの仕事をしていれば誰もが持っている第六感。それの強力な物だと思うが、その力と宝石のおかげで、危険を回避したりお宝を得たりしてきた。
今回はハリケーンなどの自然災害ではないようだが、かなりの危険を感じさせる。それなのに、宝石は大丈夫だと言っている気がするのだ。
厄介ごとなど避けた方がいいに決まっている。ルタまであとわずかだし、無理をする必要はどこにもなかった。
「どうすっかな?」
刈り上げた頭を掻きながら操舵室に向かって行った。
短い廊下から甲板が見えた。
長い船旅も終わりが見えてきたせいか、帆を操っている者以外は笑顔で雑談していた。
「おい、新入り。もうじきルタだってのに、浮かない顔してどうした?」
「あ、いや。ハリケーンにも、水龍様にも会わなかったからホッとしていたんだ」
皆が浮かれる中、手首に刻まれた奴隷紋をさする男がいた。
航海に危険は付き物だ。
嵐もそうだが、水龍様と呼ばれる巨大な魔物もいて、特に一獲千金を狙う遠洋航海は運次第だと言われている。
奴隷落ちするような運の悪い奴が船乗りになることは無いのだから、男の不安も理解できた。
しかし、座っていた男が奴隷なら、声をかけたのも奴隷。この船は船長以外はみな海賊上がりの戦闘奴隷という構成だった。
「なんだ?1年もこの船に乗っていて、知らないのか?」
「南方諸島はおろか、遠洋航海は初めてなんだ」
「そうじゃねえ。ご主人様は水竜様の加護をお持ちなんだ。だから、水龍様もハリケーンもよけるんだよ」
「ほんとかよ?」
「ああ。でなきゃ、あのガレンザが奴隷頭なんかに収まっているもんか」
「有名なお尋ね者だったな」
「そうともよ。水龍様の生まれ変わりだと言う奴もいるが、どちらにせよこの船が沈むことは無いし、だからこそ無敵商船と呼ばれているんだ」
「そうだったのか。おりゃ、どんな海賊に襲われても負けないからそう呼ばれているのかと思ってた」
「そんときゃ俺たちの出番だ。ご主人様にばかり働かせていたんじゃ奴隷の名折れってもんだ」
「なるほどな」
二人とも筋骨隆々だ。
戦闘奴隷なのだから当然だが、彼らは並外れた強さを持ち、海賊が襲ってくれば嬉々として戦い、逆にお宝を奪うほどだった。
「それに、チョウゴロウ様がいらっしゃる」
「番頭さんか?」
「ああ。あのお方がまたすごいお人でな。ルタには10人の下級貴族、男爵がいたが、今では9人だ。知っているか?」
「いや。そうなのか?って、まさか?」
「ああ。俺たちが潰した。それでも母港はルタのままだぞ」
「そんな、信じられん」
男爵と言っても伯爵の配下なのだから準男爵と呼ぶべきだが、それでも貴族であることに変わりはない。
「まあな。でもな、そんなとんでもないことをやってのけるのが番頭さんなんだよ」
「陸でも無敵か」
「そういうこった。どうだ?ちっとは安心したか?」
「ああ。心配かけて済まねえ」
「いいってことよ。んじゃ、心配料だ、一発殴らせろ」
男がニヤリと笑った。
「なんで、そうなる?」
「モヤモヤした時は喧嘩してすっきりする。それがここの流儀よ」
「まったく、とんでもねえとこに来ちまったな。だが、嫌いじゃねえ、やるか?」
「おうよ」
二人は喧嘩をするために立ち上がった。
武器を持たない殴り合いが暗黙の了解だ。不器用な彼らだが、これでも仲がいいのだ。そして、浮かれてもいた。
「船影2!方位1.5!繰り返す。船影2!方位1.5!」
ウイザードが操舵室に入ったころ、見張り台の男が叫んだ。
甲板にいた男たちは手を止め、船内にいた男たちは飛び出してきた。
「おお、あれか!」
「2隻か、たまらんな!」
「へへへ、最後のお楽しみだ」
「おお!戦いだ!腕がなるぜ!」
右舷に集まる荒くれたちは並外れた大男ばかりだ。
「戦闘とは限らんぞ」
「なんだよ、戦いは無いのか?」
「無いとは言っとらん」
「どっちだ!?てめえ、もしかして喧嘩売ってんのか!?」
「なんだと?やんのか!?」
真っ黒に日焼けした体には多くの傷跡が走り、いかつい顔には鋭い眼光が光る。
「待て!」
「「とめるんじゃねえ!」」
ふたりの声がそろった。
「止めるかよ。俺も混ぜろ、肩慣らしにちょうどいい」
「俺もやるぜ」
「おれもだ」
彼らにとって喧嘩は娯楽でしかないが、50人以上の戦闘奴隷たちが喧嘩をすれば大騒ぎでは済まない。
だが、戦いの予感に興奮する彼らを止めるすべはないし、戦いを前に怪我をしたらどうするのかという常識人もいなかった。
操舵室にまで騒ぎが聞こえてくる。
「どうしようもねえな、あいつら」
「止めやすか?」
聞き返したのは奴隷頭のガレンザだ。
大男ばかりの奴隷の中でも頭一つ大きく、元は海賊船団の長だった。海賊を束ねる海賊と言われた男が低い声を響かせる。
「いい、ほっとけ」
「へい」
「それより、あの2隻どう思う?」
「この距離だと、分かることは少ないですぜ」
ガレンザは顎に手を当てて考えていた。
「少ないって、分かることもあるのか?」
「そうですね。お前らは分かるか?」
操舵室にはあと3人奴隷がいる。
奴隷副頭のスマードは隻眼。ガレンザの右腕だった男だ。
背の高い操舵手のテンダーと、逆に低い副官のナイツは航海士だが、二人とも元は海賊船の船長だった。
奴隷と言っても手首に奴隷の刺青が入るだけだから、逃げようと思えばいつでも可能だ
しかし、ガレンザは処刑されそうなところを買い取ったから、命の恩人だと言うし、スマードは副官だからの一点張り。テンダーとナイツにいたっては退屈しないとか、おもしろそうだとかいう理由でここにいる。
4人の海賊歴はウイザードの年齢より長い。彼らから見ればひよっこ船長に過ぎないのに、ご主人様だと言いながら、いろいろなことを教えてくれていた。
「航路が変です」
鋭い左目を光らせたスマードが口を開いた。
「我々はルタに向かう航路を取っていますが、あの2隻はそれに直交します」
「なるほど」
海賊なのに丁寧な口調は、乱暴なガレンザの下で苦労してきたからだろう。
感心しながら2隻の方へ目をやったが、話が終わったわけではなかった。
「考えられることは2つ。1つは、海賊に追われて進路を変えざるを得なかった。もう一つは待ち伏せです」
「待ち伏せ?」
「ええ。狭い海域ならともかく、大海原で出会うのは不自然です。まずは疑ってかかる事です。もっとも、うちは精鋭ばかりですし武器もいい。2隻が10隻で負けはありません」
「そうか」
ガレンザが推奨してくれた奴隷たちは規格外に強いし、スマードがそういうならそうなのだろう。納得していると操舵手のテンダーが目を向けてきた。
「船足がいいですぜ」
「早いってことか?」
「へい。遠いですから定かではありやせんが、軍船並みでさあ」
「帆と櫂両方使っているのか?」
「帆だけだとすれば新型ですぜ」
「その線もあるのか」
競い合いでもしなければ早いかどうかは分からない。遠いとなおさらで、こればかりは経験がものを言う。
「ありゃ、海賊船じゃねえな」
操舵手副官のナイツがつぶやいた。
「理由は?」
「2隻ともマストの上に旗が見えやす。海賊は旗を持ちやせん。どこにも属さないことが誇りで、だからこそ何をしてもいいという理屈なんでさ」
「なるほどな」
知らないことだらけだ。彼らといるとそれがよく分かる。
「旗は2隻とも獅子!繰り返す。旗は2隻とも獅子!」
再び見張りから連絡が来た。
「厄介なことになりそうですぜ」
ガレンザの顔が曇った。
「どこの旗だ?」
「イスタンベール王国の、王室です」
「イスタンベールって東岸の大国のか?」
「へい。東岸の船が南回りでサランダ王国の海域を北上して、イスカトラ王国まで来たことになります」
「とんでもねえな。いったい、イスタンベールってどんな国なんだ?」
「そうですね、軍事大国で技術大国です。我々の剣もイスタンベール製ですし、それなら船が早いのも納得できます。たしか、内戦中だったはずです」
「面倒ごとの予感しかしないな」
いっかいの船長が国の政事にかかわっても碌な事にならない。
「その予感は当たりみたいです。あの二隻交戦しますよ」
話の区切りを待っていたかのようにスマードが口を開いた。
「なぜ分かる?」
「船団を組む時は真後ろを航行しないと前船の波の影響を受けるんです。ですが、後ろの船は斜め後ろから肉薄しています」
「お家騒動か、勘弁してくれよ」
これは本格的にまずい。改めて宝石に手をやるが、何かを言ってくれるわけではない。なんとなく、いいか駄目かを感じるだけだ。
宝石は大丈夫だと言っているはずだが、本当にそうなのか自信がなくなる。
しかし、悩んでいるうちにも2隻の船が大きくなってきた。
そして、奴隷4人は何も言わなくなった。
決断し、その結果に責任をとるのが船長の仕事で、その繰り返しが成長の糧となるからだ。
「敵船!互いに交戦中!」
見張りからの連絡だ。ここからも火矢が飛び交っているのが分かる。
海戦は火矢を打ち合うことから始まる。帆を燃やせば航行出来なくなるし、木造船にとって火は最大の弱点だ。追われる側もそれは同じで、大量の火矢が行きかうことになる。そして、その混乱の隙をついて接舷し、渡し板を使って乗り込むのだ。
「どちらかの味方をして、間違っていたら両方沈めるってのもありですぜ」
このままではいけないと思ったのか、ガレンザが口を開いた。
「ありなのか?」
「死人に口なしが海賊流です」
不敵に笑うガレンザは不気味だが、その言葉で吹っ切れた。ここは自分たちの海域だ。知らん顔は出来ない。
「戦闘準備!」
「「「「イエッサー!」」」」
4人の声がそろった。
ガレンザがここは任すとスマードに告げて操舵室を飛び出していった。
いつもはスマードに行かすのだが、国際問題になりかねない相手なら自分が行くべきだと判断したのだ。
「戦闘準備!」
「「「「イエッサー!」」」」
甲板に飛び出したガレンザだが、それ以上指示を出すことは無い。戦闘ともなれば何も言わなくてもそれぞれやるべきことをやってのけるからだ。
戦闘準備はボロを継ぎ合わせた何枚もの絨毯を持ち出すことから始まる。これを甲板に敷き詰め、四隅にある水樽を倒して水浸しにする。空になった樽には、ロープをくくりつけたバケツで海水の補充だ。
船縁に盾が並ぶ。矢間から打ち込む火矢の準備。その後ろに飛び板が固定されてゆく。
帆は次々と巻き上げられ、側船の小窓が一斉に開くと櫂が飛び出してくる。帆から櫂による航行に切り替えるのだ。
「正面から突っ込み、攻撃してきた方の側面に急速旋回。すれ違いざまに飛び板で乗り込む。ギリギリで行けよ」
「イエッサー!」
テンダーが勢いよく答える。
「両方から攻撃されたら?」
「殲滅するまでだ」
「イエッサー!」
ナイツの声とともに操舵室の戦闘準備も整った。
「急速旋回に備えろ!」
敵の船との位置関係を見ればどうなるのかの予測はつくはずだが、オタオタしていた新米が慌ててマストにしがみついた。
クインベレーが迫る。もはや敵の表情さえ見える距離で、追いかけていた方の船から火矢が飛んできた。
「スターボード!」
「スターボード!」
転舵の指示と復唱、テンダーが思いっきり舵を切る。
「ポート!」
「ポート!」
船が右に向けば左に傾き、左に進路が変われば今度は右だ。
櫂航行ならではの急回頭に船がきしみ、転覆しないかと思うほど傾く。
奴隷たちがマストや防御盾にしがみつく。
揺れ戻しが始まれば櫂が引っ込み、敵船の真横をかすめれば助走をつけた奴隷たちが飛び板を踏む。
空から敵が降ってくる。それも一騎当千の戦闘奴隷が次から次へと降ってくるのだから悪夢としか言いようがない。
一振りすれば体が二つに分かれ、返す剣で首が飛ぶ。戦闘などと言う生易しい物ではない。もはや殺戮だ。
帆を支えるロープはおろかマストさえ倒され、逃げ惑う者にも容赦がない。
追いかけていた船はたちまちのうちに制圧され、先行した船に乗り込んでいた者たちは武器を捨てた。
戦闘はあっけないほど早くに終結し、先行していた船から声がかかる。
「ご助勢感謝する」
「我らは戦闘奴隷。そのお言葉を受ける資格はございません。しばしお待ちください」
渡し板で連結された二つの船。乗り込むことは簡単だが、奴隷頭のガレンザはそれを認めない。敵ではない船に乗り込むのは礼儀に反するからだ。
そして、奴隷にはその許可を受ける事も、言葉を交わす資格すら無い。
クインベレーが戻ってきて、ウイザードがその場所に立つまで膠着状態は続くのだった。