初戦闘(前編)
俺たちの住まう魔王城は、一応は人間の国に属していた。
その国とはアルテミア王国。
貴族と国王の支配する国。
一応というのは、魔王城周辺には決して人が近づかないから、とても国内と言えないのではないかという考えからだ。
「魔王様、あれが街道でございます」
俺の斜め前を歩いていたルシフェルが、指を指した先には、草原の中に伸びる幅の広い道があった。
道だけ綺麗に整備されているところを見ると、人間がそこそこの頻度で通るようだ。
「街道に沿って歩いて見るぞ」
俺は、ルシフェルにそう返して、街道の方へ歩いて行った。
現在、俺はルシフェルと死霊のウェイタンの三人で外を出歩いている。
ただの散歩だからとなんとか皆を説得して、三人で外に出ることに成功した。
説得しなければ、どんだけの大部隊で散歩することになったのか、本当に笑ってしまうレベルだ。
過保護にもほどがあったが、ルシフェルへ「お前一人で守れないの?」とか挑発紛いのことをしているうちに承認された。
ウェイタンは、汎用性のきく魔法を多様に使えるので、ここに同行している。姿を消したり、治癒魔法だったり。
まあ、そもそも俺一人でも大丈夫なのだろうが、流石にそれは許されなかった。
俺たちは今、認識阻害ローブを身につけているから人間に出会っても、魔物だということはバレないはずだ。見た目的には、フードを深く被った怪し目の三人の人間が歩いている、そんな程度だろう。
暫く草原横切るように歩くと、横から遂に街道に到着。
この世界に転生して初めて人間に会えるかもしれないと、期待してワクワクする。
そして、その期待はすぐに叶うこととなる。
「ーーあれは、もしかして人間か?」
街道の先の方、三人の冒険者風の男たちが何やら取り込み中だ。
俺が、ただそのファンタジー的な身なりに感動していると、
「ええ。あまり見ないほうがよろしいかと」
ルシフェルは、先の三人の冒険者の方を向いて、眉をひそめる。
そして続いてウェイタンも、
「あれはとびきりの屑野郎ですね」
と、顔をしかめた。
どんだけ人間嫌いなんだよ! と呑気にも心の中でツッコミを入れていた時、冒険者の方を見てなんとなく二人の過剰な反応の原因を悟った。
三人の冒険者は、何やら取り込み中なのだ。
彼らの前には、背の低い緑の肌の魔物ーー恐らくはゴブリンがこちらも三匹ほどいた。
それだけ聞くと、人間とゴブリンが三対三で闘っているのだろうと想像しそうだが、目の前で起きているのはどうやらそういうことではなさそうだ。
冒険者側の殴打による一方的な暴力。
そしてゴブリンは少しも抗おうとする姿勢を見せない。
ーーその光景はまるで、元の世界の金を巻き上げる不良と巻き上げられる弱々そうな少年、と同じものだった。
腹の中で、何やらムカムカする感情を溜めながら、
「あれは、どういう状況だ?」
「人間がゴブリンから何か奪い取ろうとしている、そういう状況でしょうね」
ルシフェルが目を釘付けにしたまま、答える。
話しながら、俺たちは歩を進めた。
「討伐とか、ではないのか?」
「ええ、今のところは討伐ではありません。服従させ、物を奪った後で討伐する可能性はありますが。
本当に忌々しい野郎どもですね」
ゴブリンといえば、ファンタジー世界で言う雑魚キャラだ。
それを思うと人間側が奪いたいものなど持っているのか甚だ疑問だ。
確かに大きな荷物を彼らが守ろうとしているように見えるけど。
「あれは、ゴブリンの行商人でしょうね。あれを奪われるのは、相当痛い」
俺の腑に落ちない顔を察して、ウェイタンが補足説明。
彼女の言葉で、俺はますます混乱した。
まさか、この世界ではゴブリンの行商人など存在しているのか。
この世界のファンタジー感に、ちょっとワクワクしていると、
「魔王様、あの人間ども非常に不愉快なので、斬り捨ててもよろしいでしょうか」
と、ルシフェルが憎悪の対象を鋭い目つきで睨みつけていた。
その手には、いつの間にか妖刀が握られている。
何もないところから発生する妖刀だ。
妖しい気配を発するその剣を見て、俺は焦った。
「待て、落ち着け」
まだ人間とゴブリンからは、そこそこ離れているが、ルシフェルがその気になれば、すぐさま人間の命は消し飛んでしまうだろう。
「ルシフェル。私に任せるのだ」
俺は、冷や冷やしつつルシフェルを止めた。
「分かりました、魔王様」
彼の表情から命令に従わない可能性も頭を過っていたが、ルシフェルはいつも通りの調子で、俺の言葉にはきちんと従った様子だった。
殺しはなし。
闘わずして、やめさせるのが一番だ。
それにまだ人間が本当に悪いのかも分からない。
ここは対話するべきだ。
その結論に至った俺は、その位置から歩きながら、
「少し、いいですかね冒険者さん」
威厳を含ませながら、声をかける。
冒険者たちがベテラン風だったからか思わず敬語になってしまったが、まあこんな身なりだ、下手から出た方が良いだろう。
「ああ? 何か言いたいことがあるのか?」
俺の声で、ゴブリンを持ち上げてタコ殴りしていた冒険者達三人が一旦手を止める。
人間側三人は、敵意むき出しのままこちらを向いた。
ゴブリンは、腫れた顔でぼーっとこちらを見ている。
実に痛々しい。
殺す気でやっているのだろうとすぐさま悟る。
「これは、一体何をしてたのですかね?
理由とかあるなら聞きたいのですが」
正当な理由があればいいなと願いつつ、その三人に対して俺は静かに尋ねる。
敵意を向けられたことで、萎縮したりはしない。
転生前だったら絶対していたが、今では感情の水面にさざ波すら立たっていなかった。
「見ての通りだろうがぁ。ゴブリンから金を奪ってんだ。なんか文句あんのか?」
「文句っていうより、そんなことしていい理由を知りたくてですね。なんか一方的に見えたもんですから」
「はあ? お前、頭おかしいんじゃねえのか?
ゴブリンは魔物だぞ? 無害でもなんでも、こいつらに生きる価値はねえんだ! だから金を奪うのにとどまる俺らはむしろ感謝してされていいはずだ!」
冒険者が、手に持ったゴブリンを激しく降りながら喚く。ゴブリンは、もう殴られすぎて力尽きている様子だった。
滅茶苦茶だ、と俺は素直にそう思った。
ゴブリン側からすれば溜まったものじゃないと。
そして、反省も何もする気がないこと、話し合いがこの人間には通じないことを早くも悟る。
「そうです、か。 それが当たり前なら話し合いとか通じないんだろうな、こりゃあ」
ぼそりと呟くと、戦士風の冒険者の一人が喚いた。
「さっきからなんか、偉そうだな、てめえ。
てめえら三人とも痛い目見たいのか?」
いかにもな小物の雑魚役みたいな反応だ。
その様子を見て、俺は少し安堵した。
初めて人間に敵対しそうになって不安だったのだが、こんな悪役みたいな奴らならば敵対しても仕方あるまい。
ふと、ルシフェルの方を見ると、またも怒りの表情を浮かべていた。
好き勝手言う冒険者に腹わた煮えくり返っているのだろう、今にも斬りかかりそうな様子だ。
本当に怖い怖い。
ウェイタンはそこまで、起こっていないところを見ると、ルシフェルは意外と感情豊かな奴みたいだ。
ここは、彼に他の役目を与えるべきだ。
そっちに集中して貰えば、怒りも一旦落ち着くはず。
俺はそう考えて、
(ルシフェル、この冒険者をどうするかはこの私に任せろ。お前は隙を狙ってゴブリンをあいつらから奪い取れ)
と、冒険者に聞こえないようルシフェルに念話。
こういうときに念話は便利だな、なんて考えていると。
「!?」
ルシフェルは、隙をつく必要はないとでも言うように、即座に取り戻そうと地面を蹴る。
その一蹴りで、ルシフェルが目にも追えないスピードへ一瞬で加速。
冒険者の方にいったと思ったら、既に冒険者が手に持っていたゴブリンは姿を消していた。
一瞬でルシフェルが彼らの手からゴブリンを奪い去ったのだ。
一瞬のことだったから冒険者は気づかない。
彼らとしては、突然強めの風が吹いたという感覚だろう。
ルシフェルは俺から見て、冒険者の向こう側で停止。
冒険者を通り過ぎるときにゴブリンを三匹とも奪っていくとは器用なものだ。
ゴブリン達も何が起きたのか理解が追いついていない様子だったが、冒険者から救い出されたことを理解すると、「アリガトウ、ゴザイマス」と力を振り絞って片言で感謝を述べる。
突然、背後から聞こえてきたゴブリンの声を聞いて、振り返る冒険者。
冒険者達はルシフェルと抱えられたゴブリンを見ると、確認するようにさっきまで自分たちがゴブリンを持っていた手を見て絶句。
それもそのはず、一瞬のうちにゴブリンが奪い去られていたんだから。
驚くべき程の早業に俺は思わず嗤ってしまった。
そして人間の反応の鈍さにも。
ルシフェルに集中して貰って、怒りを忘れさせようとして出した指示だったが、彼には簡単すぎたようだった。
だが、今はルシフェルはゴブリンの怪我の具合を確認している。
少しは効果があったようで安心する。
冒険者たちは、今の早業で完全にびびってしまっている。
前にいる俺とウェイタンを見たり、背後にいるルシフェルを見たりして慌てている。
このまま逃げ出すならそれで許してやろうとそう思った時、愚かにも冒険者は叫ぶ。
「お、おい! 人の獲物を奪うってのは、ルール違反だって分かってやってんだよな!
ベテランの俺たちに楯突いて、ただで済むと思ってんじゃねえぞ、お前ら」
おそらくは、アホみたいな自尊心に突き動かされたのだろう。
怒声を上げて、三人で目配せした。
そして、三人で背中合わせになって陣形を作る。
「こ、これは、正当な理由あってだ。お前らはこの俺たちを怒らせた」
早くもこの冒険者、完全に闘う気のようだ。
お前らごときが怒ったからって、だからなんだ? と思いつつ、俺も覚悟を決めた。
人間に受けて立つことを。
「ウェイタン、ゴブリンの治療でもしてやっててくれ。
ルシフェルも手を出すな。
私も少しぐらい実力を試して見たいからな」
俺は、涼しい声で一対三の戦場を創り出す。
人間に対するのは嫌だけど、逆に考えればこれは自分の実力を試す良い機会だ。
まずは俺の体にどれくらいダメージが通るのか、それを知りたい。
魔神の加護の耐性がどれくらい強力なのか、未だ調べたことがないのだ。
この数週間の間に、何度か配下に攻撃してこいと頼んだのだが、どうしても攻撃したくないらしく、ことごとく断られた。
「相手は、私一人だ」
「舐めてんのか、てめえっ!
いらついてきた、殺してやる! 」
戦士風の冒険者が、わめく。俺はそれがいかにも芝居臭いのを見抜く。
こいつは、殺すどころか全く距離を詰めてくるつもりがない。
これは、ただそちらに意識を誘導しているだけの行為だ。
ならば、俺に対する攻撃はーー。
「デ・シャリュース!」
後ろの魔術師が叫んだ。
「デ・シャリュース」、水属性の攻撃魔法。
その叫びに呼応して、俺の頭上に巨大な氷の塊が生成する。
つららの形をしたそれは、鋭い切っ先を俺に向けていた。
薄青の美しい凶器は、すぐさま落下し始める。
俺は一歩も動かず、防御もせず、それを真っ向から受ける覚悟をする。
物凄い質量の氷の塊が重力の影響以上のスピードで落下。
生身の人間だったら、死んでしまうだろう威力だ。
冒険者め、本当に容赦がない、なんて思いながら痛みに耐えようと心の準備する。
元々、痛いのはあまり得意じゃないし、ある程度の痛みを覚悟して、思わず目も瞑ってしまう。
「って、あれ?」
俺の間の抜けた声。
痛みが襲ってくると思われるタイミングになっても全く痛みがなかったのだ。
痛みがないというか、むしろ何も感じなかった。
攻撃されたのか? と疑問に思い、目を開けて周りを見渡すと、巨大な氷が草原の土を巻き上げて砂埃が舞っている。
ーーこれは、すでに攻撃が起こった後だ。
砂煙で視界は全く効かない中、前方から笑いあう声が聞こえて来た。
勝利を確信して、余裕を覗かして笑い合う声。
彼らとして、不意打ちを成功させたつもりなのだろう。
「おいおい、デリウスよ、いきなり第二級魔法をぶち込むなんざ容赦ねえ。多分、死んだぜあいつ」
「でも、まさか避けることもできないとは思わんかった。口だけ達者だと死に損するだけってののいい例だな、こりゃあ」
死んだとか、言っているが。本当に何にも感じなかった。
まさか魔神の加護の耐性がここまでとは。
このぶっ壊れた性能に俺は思わず嗤ってしまった。
高らかに悪役のように。
笑うのに必死なのと砂煙で、笑う俺に対して冒険者がどんな反応をしているのかはわからない。
だが、だいたい予想は出来ている。
俺が嗤い続けるうちに、段々と砂煙が薄れていく。
嗤うのをやめて、冒険者達が予想通りの驚きの表情を浮かべているのを見て、俺は再び嗤った。
そして、まさかこんな台詞を闘いの中で言うことになるとは、と思った後こう言い放った。
「痛くも痒くもない。 もっと強力な魔法を打ち込んでこい。でないと俺のダメージゲージを1ミリも動かせないぞ」




