1999年6月28日 『真実』
昨夜、眠れないと思っていたが、開き直れたせいか、睡眠はとれた。朝もいつも通りの目覚めで、これといって変わった所は無い。昨夜、彼に私の連絡先を渡したので、今日の動向は連絡次第だ。じっと待っててもしょうがないので、庭の手入れやら読書をしたりして時間を潰した。読んでいた小説のいよいよクライマックスという時に携帯が鳴った。読み始める前に若干嫌な予感はしていたのだが、嫌な予感ほど良く当たる。
「もしもし……」
「良いとこ邪魔して悪いな」
「それも直感かね?」
「あぁ~そうだ……」
「恐れ入る……でっ?」
「今夜7時、
茶店で待ち合わせてそのまま直行だ」
「では、私もその頃に
そこに行くとしましょう。ありがとう」
「頑張りなっ……」
私は『彼』をもっとクールで寡黙な男だと思っていたが……、ん~今時なのか……良くわからん男だ。良く言えば神秘的というか謎めいている……。悪く言えば……、キリがなさそうなのでやめておこう。どうも私は古い側の人間の思考から逸脱することはできなさそうだ。
人を待っていた。これも歳のせいか、性格か恐らく、その両方だろう。先に来たのは彼女の方だった。彼の姿を探してる風だったので私から声を掛けた。
「ここですっ。
どうぞ、こちらへお座りください。
もうじき、彼も来ると思います」
「あのぉ」
「あっこれは失礼しました。
私、山田と申します。
今日、あなたがここで待ち合わせしてる
若者の連れです」
「あぁ……あなたでしたか。
彼が、あの時もう一人いたろって
教えてくれたんですが思い出せなくて。
確かあの時
彼と一緒にいらっしゃいましたね」
「えぇ。思い出していただけましたかな。
まぁ、立ち話も何ですから、
どうぞお掛けください」
「ありがとうございます」
彼女は軽く微笑んで私の前に腰かけた。
「憶えていてくださいましたか」
「えぇ、お早いですね……」
彼女を見た瞬間、ちょっとした違和感を感じた。ただ、具体的には分からなかった。
「どうも、歳をとると
せっかちになっていけませんな」
彼女は私の目を見るなり
「何か聞きたい事がおありのようですね」
と微笑んだ。彼女は昨日とは明らかに雰囲気が違って、明るい表情と口調が好印象をさらに強めた。
「お見通しですか……。実は……、
やり取りは聞いておりましたので、
概ねは……。
あなたにどういう事情がおありか
わかりませんが、
願いは叶っておりましたか?」
「えぇ……。でも、不思議と、
それが当たり前のように感じたんです。
あの方の言葉は信じるとか信じないとか
そういう感覚ではないんです。
あの方の言う
『魔法』……にかかってる感じ……。
何事も無くそのありようがそこに或る……。 と言った感じなんです……。
表現が難しくて……。
昨日、あの方に逢う前までの状況が
嘘のように……。
この『平穏』に感謝出来る喜びで
満ち溢れています」
「ほぉ~それは良かった」
「えぇ。
ところで、彼とはどういうご関係ですか?
お父様ではないですよね」
「いえ違いますよ。おこがましいですが
友達といったところでしょうか。
とは言え、彼とは知り合って
日が浅いのですがね」
「そうでしたか」
軽く微笑む彼女の気分を害するのではないかという心配もあったが、核心に触れてみることにした。
「今日……、今からの出来事は
正直苦痛ではないのですか?」
申し訳なさそうなのが伝わってしまったのだろうか、彼女はそのままの表情で答えてくれた。
「あぁ……、
お聞きしたかったのは、そこでしたか……」
と明るい笑顔で私の罪悪感を柔らかく消してくれた。
「そうですね……。
不思議と嫌悪感はないです。
素敵な方だったからとかじゃなくて……。
手に届く神々しさ
とでも言うんでしょうか……。
あるとすれば、不安と感謝と……、
ほんの少しの期待………ですかね。
隠してもしょうがないので……。
期待というのは
『より優れた子孫を残したいという
女性の本能』と言うより
『理屈じゃない女性の性』としての……。
勿論初めてなんです。
付き合ってる大切なヒトがいるのに、
こんな気持ちになるなんて……。
勿論、罪悪感は否めません。
彼ともちゃんと向き合って話しました。
そして、二人で決めたんです。
後悔はしないと……。
なので、今のこの私自身の自然体で、
そのままの気持ちで逢いに来ました。
それが、
今の私にできる精一杯の誠意なんです」
さきほど感じた違和感は『覚悟を決めて来た』ということでは無かったのだと納得できた。とは言え、期待に胸を膨らませてるという感じでもない。ましてや『ふしだら』な感じも全くなかった……。
「もし彼が満足出来なければ、
魔法は解けるかもしれないわけですよね?
『不安』とは
そういう意味での『不安』ですか?」
「いえ……。
『不安』というのは、
こういう事自体、初めてなので……」
と照れて魅せた。
「……という事は、他に不安はないと……。
魔法が解ける心配はしてない……と?」
「はい。そんな気がします。
自信ではなく確信に近い感じ……。
おそらく、彼は他にも
こういう経験をしてるんでしょうが、
今までの相手の方も
『同じ想い』だったと思います。
期待してしまうという
不貞な感情は私だけかもしれませんが……。 心から『ココロ』を開ける……、
そんな感じがします。
純粋な慈愛のカタチ……。
普段、こんな話しないんですよ私。
もしかしたら、彼の魔法というのは
彼に出逢った瞬間、すでに私の心を
裸にしていたのかもしれません」
「そうですか……。
私には永遠に理解出来ないのかも
しれないですね……」
「そうでしょうか……。
彼の事を軽蔑できないから、
彼を理解したいと思っているから、
傍にいらっしゃるんじゃないのですか?」
彼女はこう続けた。
「真実は
人を救ってくれることもありますが、
時として傷つけもします。
あなたが求める真実は、
どちらなんでしょうね……」
私はその言葉にはっとした。
「あっ、ごめんなさい生意気ですねっ」
「いえいえっとんでもない」
私は何が知りたいのであろうか?
『見える真実』
『見えない真実』
それはどちらも真実……。
『見える真実』を守りたいのか
『見えない真実』を暴きたいだけなのか
私はどうしたいのだろうか……。
そんな自問自答の連鎖を阻んだのは
『隠さない真実』という彼そのものだった。
考えてみれば、彼は最初から『真実』だった。正直に向き合ってくれていた。私は彼の何を見てきていたのだろうか。自分の狭い世界観で彼を量り彼のレッテルを作り上げていた。ふと彼女に目をやると彼女は優しい微笑みを私に向けていた。
「気はすんだかい?」
後ろから、聞き覚えのある心地よい声が私を安堵させた。
「えぇ……。木を見て、森を見ず……。
そんな心境です。
この年になって気付くとは……。
私もまだまだですね」
「あんたのクライアントは
納得できそうかい?」
「何でそれを……」
「直感ってやつだ」
「キミはどう思うかね?
キミ……ご自身は?」
「さぁ~どうだか……」
そう呟くと
「さぁ……行こうか……」
と彼女へその眼差しを向けた。
「ありがとう。
こんな老いぼれの話しに
つきあってくれて……。では……」
帰ろうと立ち上がった瞬間、
「見て……みますか?
これから……何が起こるのか……。
あなたご自身の目で……」
私は一瞬で腰が抜けて、また座り込んでしまった。
「そりゃ~いい。
俺は構わないぜ……どうする?」
彼は明らかに面白がっている。私にはそんな度胸等ないことを見透かしてるのだろう。……いくらなんでも……と。しかし、近からず遠からず……。
「いや……そこまでは……」
これは度胸云々ではない。モラルの問題だ。いくら興味がある上に、相手が了承してくれているとは言え、ああいうものは見世物ではない。ましてや面白半分で覗き見るものでもない。もっと神聖な行為のはずである。と思う私が古いのだろうか。そうこう迷走する思考回路に答えを導き出せないでいると
「想像で終わらせるつもりか……。
それで、真実がわかるのか?」
明らかに茶化していないトーンで聞いてきた。その目を見れば、彼と彼女が言ったことが冗談ではないと私にもわかった。私も彼の魔法に掛かってしまったのだろうか。私は今日、彼らと夜を共にすることにした。
『今ここはホテルの部屋、
彼らはワインを片手に寛いでいる。
私は日記を家に置いているため、
いつも持ち歩いている手帳に走り書きし、
明日、自宅で書き写すことにする。
さて、鬼が出るか蛇が出るか……。
この3人のなかで、
一番緊張してるのは、間違いなく私で、
これから起こる事を想像できないのも
私だけなんだろうと、
彼らを見てそう感じた……』