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エリシオン  作者: アルセーヌ・エリシオン
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1999年5月27日 『目に見える真実』

 今日で約束の期日が終わる。私は、あの親子に起きた奇跡は見た……。が、あの親子と彼の間に『何』があったのかという経緯は知らない。正確には親子とではなく、母親とだが……。しかも、期日とは……。今日までに何が起きるというのだろうか……。もしかしたら、もう起きた後なのだろうか……。いても立ってもいられず、私はあの公園に行ってみる事にした。


『もしかしたら彼に逢えるのでは……』


というささやかな期待を胸に……。お昼を少し過ぎた温かい陽射しの中、木漏れ陽を全身に浴びながら私はいつもより若干早足で公園へと向かっていた。どこからともなく、聞き覚えのある声が聞こえて来た。しかし、以前とは明らかに違うトーンの高い声の会話だった。私は急いで辺りを見渡した。すると、手を繋ぎながら楽しそうに会話しながら歩くあの親子が、まばらな人混みのなかに見え隠れしていた。私は無意識にそこへと足を向けていた。その道を規則正しく流れる人の列のなか、その流れを無視し、明らかに自分たちに向かう私に母親が気付いて軽く会釈をした。私も帽子を取り応えた。


「その節は……」


母親がそう言うと少年が嬉しそうに私に話しかけて来た。


「ボク、もう大丈夫なんだってっ」


「それは良かった。本当に良かった……」


「うんっ」


満面の笑みで返事をすそのる少年の笑顔に、私も何だか嬉しくなり思わず口を突いて出た。


「おぉそうだ。お時間ありますか?

 もし時間に余裕がおありでしたら

この老人に、暫しお付き合い願えませんか」


「特に用事はないんですが」


「それならどうでしょう。珍しく今日は

 何だかパフェでも食べたい気分なんです。

 ご一緒しませんか?

 この先に感じの良い喫茶店があるんですよ。

 ご馳走しますよ」


「ママ、ボクもパフェ食べたいっ」


「まぁこの子ったら。

 では、ご一緒させていただいても

よろしいですか」


「おぉ、そうこなくてはっ。

 すぐそこの喫茶店なんです」


顔見知り程度の老人の誘いを、二人とも快諾してくれた。店に入り、公園の見える窓際の木陰で涼しい特等席に座り、少年にメニューを手渡した。


「どのパフェを食べたいかね?」


すると、少年は返事をする前に母親の方をちらりと見た。


「えっとぉ……」


「こんなときは遠慮をさせては可哀相です。

 お好きな物をお食べなさい。

 さ~さ~あなたも何がよろしいかな」


母親にも半ば強制的にメニューを差し向けた。


「では、お言葉に甘えて……」


と、母親も遠慮気味に答えた。


「勿論。

 ここのパフェはかみさんも好きで

良く二人で来たものです。

量は少なめですが味は絶品ですよ。

 私は久しぶりに

 チョコレートパフェなるものを

食べてみたいんですよ……」


そう言うと、その場は一瞬で笑顔に包まれた。三者三様、皆各々好みのパフェを注文した。甘く冷たいパフェをつつきながら世間話をしていると母親がこう切り出した。


「この子、余命半年だったんです。

 あの日までは……」


「えっ……」


私はかなりびっくりした。『歩けるようになる奇跡』だとばかり思っていたからだ。まさか『生命そのものへの奇跡』だったとは夢にも思っていなかった。そして、彼女は続けた


「あの動物園の翌日、あの方に逢いました。

 そして昨日、この子を連れて3人で

 かかりつけの病院へ行ったんです。

 看護士さんをはじめ、

 みなさんには良くして頂いておりました。 長い通院と入退院の繰り返しで、

 事情も知って頂いておりましたから、

 尚更、気に掛けてくださっておりました。

 余命宣告を受けて在宅ホスピスを選択し

 この子の余生に寄り添って生きることを

決めて間もない頃でした。

 覚悟を決めつつも

微かな希望を手探りしている……。

そんな不安と恐怖が付き纏う毎日。

そんな、疲弊していたあの日、

 あの方が目の前に立たれたんです。

 目が合った瞬間、全身の力が抜け

崩れ落ちそうになりました。

 たぶん、緊張が解れたんだと思います。

それくらい、包容力のある存在感でした。

とは言え、普通の生活の中に居たなら

あのような言葉、信じもしなかった。

しかし、あの状況では信じられた。

いえ、縋りたかったんです。

たぶん、何でもよかった……。

あの生活を変えられるなら……。

その時告げられたのは、交換条件の

取引的なことを、するかしないかの

選択をするというものでした。

どのみち、光明が見いだせない毎日。

ダメもとで話を聞くことにしました。

 後日電話をかけ、条件を聞き、

 言われた通り、出された条件について

 主人とも良く話し合いました。

 無くしていた感情をぶつけ合い

 真剣に家族として向き合ったんです。

 そして、私たち夫婦の……、

 いえ、家族の結論は出ました。 

 藁をもすがるとは

 こういうことなのかもしれませんね。

 そして、あの動物園で起きた奇跡。

 この奇跡は、本当にこのまま続くのか

 一応、病院で検査をと言ったのは

 主人でした。

 それで、翌日、歩くこの子を連れて

3人で病院を訪れたんです。

 現れた私達を見て

 皆さんびっくりされておられました。

 無理もないですよね、歩くのは元より

 話すのもやっとだったこの子が、

 皆に走り寄り元気に話しかけたのですから、

 驚いて当然でしょう。

暫くして診察室に呼ばれ

 診察していただき、検査もして頂きました。

 結果は、原因不明の完治。

 『奇跡』だと告げられました。

 そこで私達は初めて、心の底から

 あの『選択』は間違いではなかったのだと

 これで良かったのだと安堵致しました。

 先生はもとより看護士さんたちも皆

 声も無かったんです。驚きと歓喜のなか、

 笑顔で見送ってくださるみなさんに

 手を振りながら家路へとつきました。

 奇跡って……あるんですね。

 その日は、久しぶりに……、

 本当に久しぶりに心からの笑顔で

 家族揃って外食して帰りました。

 ごくありふれたこの日常に

本当の幸せがある……。

 それに改めて気付かされました……。

 私達には、

 あの方が『奇跡そのもの』なんです」


と笑顔で涙をこぼしながら話してくれた。


「どういうことなんでしょう」


と考えるより先に口にしてしまった。しかし、彼女は何のためらいも無く話してくれた。


「あの日、あなたと、あの方が

 私達の目の前に現れました。

 何の前触れも無く……。

 そしてあの方が私に

 

『アンタのその願い叶えてやろうか?    ただし条件付きだ』

 

とだけ言い放って、

 メモを手渡してくださいました。

 そのメモには

 携帯番号だけが書いてありました。

 先ほども話しましたが

なぜか、冗談とも思えず、

 藁をもすがる思いで電話をかけました。

 すると……、

 一晩だけあの方の願いを叶えれば、

 私のどんな願いでも

 一つだけ叶えて下さると言うのです。

 但し、この条件は私はもとより、

 主人にも伝えた上で

 両方が納得しなければならない

 ということでした。

 私達夫婦はこの子の長い闘病生活の辛さを

 一番近くで見て来ていましたから、

 話し合いの結果、

 あの方の条件をのむ事にしたんです」


「彼の、その条件というのは……」


無意識に言葉にした私の問いに、彼女は少年をお手洗いに向かわせて小声で言った。


「私を……、

 私を抱く……というものでした……」


それを聞いた私は彼に少なからず違和感と嫌悪を憶えた。


「そん……な……」


私は言葉に詰まったと同時に聞いた事を後悔した。私の感情云々ではない。彼女のそんな苦しい胸の内をさらに抉ってしまったことにである。


「でも……、

 私も主人も心から納得したんですよ。

 だって一回だけ、一回だけ我慢すれば、

 あの子は助かるんですから……。

 ただ、主人は、今になって

 自分だけが何も出来なかったことに

 憤りと罪悪感を抱えてしまいましたが、

 本当に後悔はないんですよ、私達には……。

 ただ主人に対しては

 これから時間を掛けて償っていきます。

 勿論、

 主人がそれを望んでる訳ではありませんが、

 あの人は自分で自分を責めてますから……。

 ただ……私個人で言えば、

 あの体験は言葉にできない物がありました。

 不思議と罪悪感というものが

 全く無かったんです。

 あの疲弊しきった生活の中

 妻として、母として生きる中、

 いきなり現れた彼の言葉が

 一人の女としての自分を

 思い起こさせてくれた気がしました。

 本当に不思議でした。

 あの子が余命宣告された後、

 誰から掛けられる、どんな言葉も

 響いたことがなかったのに

 あの方の言葉は優しく私を揺り起こした、

 そんな感じでした。

 主人も納得してのことだと、

 私は子供のために体を張って

 犠牲になるのだと自分に言い聞かせ

 体裁上の大義名分を作り上げたんです。

 私は弱くてずるい人間なんです。

 ほんの一瞬、

 逃げたかったのかもしれません。

 ただ……嬉しかった。

 私を妻でもなく、母でもなく

 一人の女性として見てくれたことが。

でも、あの夜は……、

 私のそんな人間的な思考が

 馬鹿らしくなるくらい

 あまりにも純粋で無垢で……、

素直に、ありのままの

 気持ちのやりとりが出来たというか……。

 言葉で表現するのは……、

 とても難しいです……。

 不貞な女だと蔑まれても仕方ないです。

 主人には言ってませんし、

 この先も言う事はないです。

 確かにあった出来事なのに

 次元が違うというか、

 私が私ではないというか……。

 もう一人の私だったんでしょうか……。

 客観的に冷静に見てる自分ではない

 もう一人の自分……。

 そんな感覚なんです。今でも……。

 だから、主人には

 普通の出来事として償っていきます。

 私の気持ちで……。

 多分、当事者じゃないと

 理解出来ないと思います。

 この感情というか……感覚は……」


彼女が言い終わると見計らったかのようなタイミングで少年が戻って来た。


「そうでしたか……。

 あの話しの裏側に、そんなやりとりが……」


そう私が言うと、彼女はおもむろにそっと私にメモを手渡した。


「私にはもう必要なくなったので……」


と……。私は見透かされた気がして彼女の目をまともにみることが出来なかった。


「さ~そろそろいこっか。

 パパが待ってるわよ」


そう彼女が言うと


「いつもパパ遅れて来るじゃん」


と嬉しそうに返事をした。


「おじいちゃん、おいしかったよ。

 ありがとうっ」


「本当にごちそうさまでした」


「いやいや、こちらこそ。

 無理やり付き合わせてしまって。

こちらこそ、ありがとう」


「とんでもございません。

 楽しい時間でした。」


「おじいちゃんっ

 また会ったらここ来ようねっ」


「えぇ、また来ましょう」


「この子ったら」


「子供は正直で素直が一番。

 あなた方、ご両親のお人柄を

ちゃんと受け継いでいるんですよ」


「ありがとうございます。

 頂いた家族の人生、一日一日を大切に

楽しく生きていきます。

あの方に、もし会えるのであれば

そうお伝えください。

本当に感謝してもし足りないと」


「えぇ、伝えておきます。

 きっと彼も喜ぶでしょう」


「では、またどこかで……」

「おじいちゃんまたねっ」


「また、いつか、どこかで……」


と二人からお礼の言葉をもらったが、お礼を言うのはむしろ私の方だった。彼女達は私を残し喫茶店を後にした。喫茶店の逆光の窓から見えたあの親子は普通のどこにでもいそうな親子だった。しかし、それはそれは幸せそうだったのが、唯一の救いだった。私は花音君の携帯番号が書かれた『彼』のメモを手にし眺めながら迷っていた。私は『彼』に何を期待していたのだろうか。軽々しくは言えないが奇跡を起こせる『何か』を持っているのは確かなようだ。しかし、私利私欲が交換条件だとしたら……。確かに彼の力をどう使おうが彼の勝手と言ってしまえばそれまでだ。だが、立場の弱い人の足下を見ているとしか考えられなかった。あの、初めて見た時の『神々しさ』は私の思い込みか勘違いだったのだろうか……。目に見える真実が私を嘲笑うかのように翻弄する。私は今日の目的も忘れ失意にも似た感情のまま帰宅した。

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