1999年8月22日 『運命』
窓から見える蒼黒色の夜空に瞬く星々。何を考えるでもなくその窓に切り取られた星空をぼんやりと眺めていた。次第に明るみを帯びる朝空。その空に溶け込むように姿を隠す星々。
結局、眠れなかった。そのまま、目覚ましが鳴るのを待ち、。目覚ましと同時にいつも通り起きた。徹夜とはいえ、横にはなっていたため体力的には問題ない。不思議と眠気は全く無かった。午前中をそつなくこなしお昼を早めにとり、寝室にあるリクライニング式の椅子を半分倒し、半時程、天井を眺めながらシオン君との記憶を思い起こしていた。改めて彼の一挙手一投足の心地よさと飾らない物言いが鮮明に思い出され胸に空いた穴をさらに拡げた気がした。言葉にし難い感情が胸にこみ上げたが今日、彼の足跡が分かると思うと、それも幾分和らいだ。約束の時間に間に合うよう支度を済ませ時間に余裕をもって家を出た。約束の時間の15分前に公園に着いたが、少しの胸騒ぎを感じ足早に例の約束の場所に向かうと湖を眺める青年の後ろ姿がそこにあった。声を掛けようと近づくと気配を感じたのか振り向きもせず言葉を投げてきた。
「お早いですね」
「あなたこそ、お早いですな」
「待つのは嫌いではないので」
そう言い様にこちらに向き直った。彼だ。この前見た彼、確かにセツラ君だ。冷徹さとは違うクールさが印象的だったが昨日の電話でのやりとりで、そのクールさに磨きが掛かって見えた。シオン君の時もそうだったが、本当に驚かされる。あの花音君の面影が一切ない。もう別人としか言いようがない反面、彼は花音君だという潜在意識が妙な安心感を生み出す。とは言え、彼らが個々の存在を有している限りやはり、別人格と言うより完全に別人だ。それに関する医学的な知識がない以上そうとしか認識できない。
「どうぞ、お座りになってください」
「あっ……えぇ。ありがとう」
「世間話などというのは性に合わないので
単刀直入に本題に入りますが
構いませんか?」
「えぇ、構いませんよ」
やはり根底に花音君がいるようだ。シオン君然り、セツラ君然り、その態度や言動とは裏腹に根本が丁寧で親切な好青年だ。
「では、シオンの安否の件ですが
結論から言うと、
彼は今も尚、消滅はしておりません。
かと言って、存在もしておりません。
本来の在るべき姿、居るべき場所に
戻ったとしか今は言えません。
いずれ分かるでしょう。
今ではない、その来たるべき時に」
「来たるべき時……。
その時にまた会える可能性があると?」
「さぁ……そこまでは……」
「そうですか……。
それでは、シオン君が……。
彼が、私たちの前から消えたあの日。
彼に何があったのか教えて頂けますかな」
「えぇ。いいですよ。
あの日……、
シオンとアベル、そしてあなた。
3人でホテルの一室で過ごしていた。
そして、当たり前のように
あなたの目の前で、いつものように
シオンは今回、アベルと交わった。
そこまでは覚えておいでですか?」
「えぇ……。うっすらとですが」
「彼らの恍惚の無我な状態は
2時間以上に及びました。
互いにトランス状態での交わりでした。
あなたもそれを見ていたんですよ。
ただ、覚えていないだけで。
そして遂に、彼ら二人同時に溺愛したまま 激しく絶頂を迎え意識が途絶えました。
失神した二人を呆然と眺めていたあなたは
吸い込まれるかのように意識を閉じた。
3人とも意識が無い中、
最初に目覚めたのはアベルでした。
彼女はシオンの腕枕に抱かれながら
愛しそうにシオンの顔を間近で眺めていた。
いつもならシオンがしそうなことを
彼女がシオンにしていました。
この時、今までと違う違和感を感じ、
その時、ふと思ったんです。
もしかしたら、
彼女にも望みがあったのではと」
「望み……ですか……」
「今回、いつもと違ったのは、
あなたもご存知の通り、
その交わりはアベルの為のそれではなく、
シオン自身の為のものでした。
彼の真の望みを叶えるための……。
それを遂行できる者は、
自分の望みではなく彼の望みを理解し
叶えてやれる器が必要でした」
「器……」
「えぇそうです。
今回、それがアベルだったというだけ」
「恵梨守さんではなくアベルさんが……」
「火事のあったあの夜の後、主人格である
まだ幼かった恵梨守さんを護るには
アベルのような思慮深く大人な要素を
兼ね備えた人格が必要でした。
他の人格を束ねる統率力を持っており、
ただただ、主人格である恵梨守さんを
護ることを最優先できる人格です。
今回の件も、シオンの為ではなく、
恵梨守さんの為に協力したに過ぎません。
そこの詳細は語れないのですが……」
「頼もしい反面、切ないですな」
「切ない……なるほど……。
あなたもロマンチストのようですね」
「えっ?」
「いえ、独り言です」
「アベルさんは、シオン君にだけ
特別な存在だったのですか?それとも、
彼女自身、万人に特別なのですか?」
「どちらもですよ。
誰に対しても特別な存在になり得ます。
彼女には見えるんですよ。
他人の真理を司る深淵というものが。
まぁ、見えていても、今回のシオンの場合、
それを受け入れられる特殊な器量と
いくつかの条件が揃わなければ
叶わなかったんですが
奇跡的にと申しましょうか
その全てを兼ね備えていたんです、彼女は。
ただ、シオンは
根本的な思い違いをしていました」
「思い違い?」
「えぇ。ノルマがあると……」
「そういえば、そのようなことを……」
「実際、彼の持つ特殊能力が
他者に良い影響を与えたこと自体
それはそれで良かったのですが、
それ自体が彼の到達点への手段では
なかったんですよ。
しかし、教えることはタブーとされており
私を含め、それに気づいている者は
見守るしかできませんでした。
シオンの言う監視がそれです。
意味合いが全く違いますが」
「色々と事情がおありのようですね」
「えぇまぁ……。結局、彼自身が
辿り着くしかなかったのです。
アベルという真の契約者に。
今回、再びシオンが目覚めたのは
他の人格と違い自分という人格に対する
ひとつのけじめでした。
アベルがシオンの真理に気づき
シオンの望みを理解し受け入れるまでが
彼に与えられた時間でした。ある意味、
奇跡のような出逢いが必要だったのです。
何せ、全てが手探りだったのですから。
結果、奇跡は起きた。
恐らく、起こるべくして。
仕組まれた必然とも取れますが
今の私にはそこまでは……」
「必然という奇跡?」
「兎に角、事が成就し、めでたし……。
と言いたいところですが
必然の時点で奇跡ではない……。
それに腑に落ちない点がありまして」
「確かに矛盾しておりますね。
で、腑に落ちない点というのは?」
「気づいていらっしゃいましたか?
今回、二人の間で
明確な契約が交わされてはいないのです。
シオン自身、今回の件は
今までとは違い特別なことだと
認識はしていたようですが、
互いに、何の条件も契約も交わすことなく
さも当たり前のように事に及んだ。
シオンは兎も角として
アベルが目的も無しに応じるとは
ちょっと考えにくい。
互いにしか分かり得ぬ何かがあったとしか
考えられないのです……。
先ほども申した通り、
シオン同様、アベルにも実は何か
望みがあったのではと考えております。
つまり今までと違い、本当の意味での
ギブ&テイクだったのではと」
「あなたは、ほかの人格の全てを
把握できているのではないのですか?」
「まさか……、誰がそんなことを……。
色々、情報は入ってきますが
いくらなんでも万能とまではいきません。
そもそもシオンの望みも知りません。
まぁ、シオン自体、私たちとは
存在理由が違いますし、
花音から生まれた人格でもありませんしね。
そんなシオンが生み出されてから10年。
あの事故の瞬間まで鳴りを潜めていた彼が
偶然、あの事故がきっかけで覚醒したのか
それとも
何か別の要因が起因となって
もっと前に覚醒していたのか
何れにせよ、彼は目覚めてから
何かに導かれるように行動を始めた。
まぁ『何か』と言うより
ただ単に彼の本能………な気もしますが。
私個人としては、彼が彼自身の能力を
どのように知ったのかは気になります。
彼の欲望を満たすことで
相手のどんな願いも叶えてしまうという
何とも都合の良い能力があると
どうやって知ることができたのか。
もしかしたら、
彼の後ろに誰かいるのかもしれませんね」
「これはこれは」
「どうかしましたか?」
「私たちは、その後ろにいる人物が
あなただと踏んでいたのですが」
「それはそれは……。
失礼。真似してみました」
「ほほっ構いませんよ」
「なるほど。
私に用があるとはそういうことでしたか。
直球勝負とは大したものですね。
あなた方からしたら
私たちは得体の知れない存在でしょうに」
「あなた方を信用できるかを考えるより
花音君を信じたのですよ。その方が、
もし意にそぐわなかった場合でも
自分自身、納得できますから」
「なるほど、私ではなく我が主を……。
微妙に複雑な心境になりますね」
「悪気は一切ないのですよ」
「冗談ですよ。勿論、理解しております。
それはさておき、私たち同様、あなた方も
シオンのバックには誰かが付いていると
そう考えているのですね」
「えぇ。しかし、今の段階では
それの善悪は判断できません。
シオン君が消えた事以外、
さして、悪いことは起きていないので。
純粋にシオン君を導いてくれたのであれば
何も問題はないのですが、もし他意があり、
シオン君が利用されていたと仮定した場合、
消えたシオン君の安否が気になったのです。
そこで、あなたでした。
以前、お会いしたあなたはその口ぶりから、
聡明で色々と精通してそうだったので
今回、ご協力頂けないかと
画策致しておりました。
勿論、シオン君のバックにいた人物だと
想定した上でのことでした。
しかし、そうでないとすると
一体、誰が……何のために……」
「さぁ……。他者に危害を加えたり、
私たちの邪魔さえしなければ
静観しておくつもりでしたので
私自身、彼に対するアンテナは
必要最低限に留めておいたのですよ。
なので、彼を取り巻く現在の状況は
今の私でも分かりません。
先ほども言いましたように
彼は今も尚、消滅はしておりませんが
存在もしておりません。
本来の在るべき姿、居るべき場所に
戻っているとしか今は言えません。
あの夜……いや、もう朝方でしたね。
シオンの腕枕を解いたアベルは
先にシャワーを浴びていました。
その音にシオンが目覚め
彼女のために珈琲を淹れ
彼女が上がるのを待っていた。
彼女がシャワーを終え出てくると
入れ替わりでシオンがシャワーを浴びに
バスルームへと消えました。
暫くしてシオンが上がると
二人して珈琲片手に歓談していました。
半時程して帰り支度を始めた時、
あなたはまだ熟睡しておりました。
結局、二人はあなたを起こすことなく
シオンがあなたを背負って
チェックアウトしました。
そのまま朝焼け前の街路樹を抜け、
アベルを主の自宅に送り届けた後、
シオンは休まず30分程歩いて
あなたの自宅へと辿り着きました。
1時間以上、あなたを背負って
歩いていたんですよ、シオンは。
そして、何の迷いもなく
あなたのジャケットの右ポケットから
鍵を取り出し玄関を開けると
他には目もくれず寝室へとあなたを運び、
慣れない手つきで着替えまでさせて
そのままベッドへ寝かせました。
彼は窓際に立ったまま暫く、
あなたの寝顔を眺めていましたが
朝日が辺りを染め始めたとき
置手紙をしてそっと部屋を出ました。
部屋の前の廊下で1度だけ振り返り
静かに家を後にしました。
置手紙、読みましたか?」
「……気がつかなかった……」
「そうですか……。
では、帰ったら探してみてください。
私を呼び出さなくても、その置手紙に
あなた方の知りたがっていたことが
書かれていたかもしれませんよ。
今思えば、いくら熟睡していたとは言え
あそこまで目が覚めないのは
不思議を通り越して不自然ですが。
まぁ、いずれ諸々が分かるでしょう」
「彼は黙って消えた訳ではなかったのですね。
私がそれに気づいてあげられなかった。
何とも不甲斐ないですな……。
ともあれ、彼の最期の経緯と
消滅したわけではないことが
分かっただけでも大きな収穫です。
ありがとうセツラ君。
帰ったら手紙を探してみます……」
「えぇ、そうなさってください。
あとは、私たちの願いが叶えば、
あなた方とお会いすることは
もうありません。これも何かの縁です。
一応、お別れを言っておきます。
お元気で……」
「私は、望みが叶う君たちに
何と言えばいいのか言葉が見つかりません。
とても複雑な心境です……」
「そのお気持ちだけで十分です。
ありがとうございます。では……」
「こちらこそ、ありがとう……」
私は彼の背中に、次に会うときは、花音君であろうその後ろ姿に……。何と声を掛けてあげればいいのか最期まで分からずに見送った。
夕方に帰宅したが、どこをどう歩いて帰ってきたのか思い出せなかった。急いで寝室に向かい、手紙を探すと風に飛ばされたのだろうか少々雑に二つ折りされた紙切れがベッドの下に落ちているのが見えた。拾い上げて開くと、飾り気のない文面がそっと書かれていた。
『黙ってて悪かったな。
苦手なんだよ、こういうの。
じいさんも余生とやらを楽しんでくれ』
手紙には、これだけ認められていた。言葉と違い、文字にすると本当にそっけなさが浮き彫りになる。また、それが彼らしいとすら思えた。この内容では、セツラ君の言っていた疑問の解決には少々至らないが何やら妙に懐かしい香りがした。今日の件は、明日、皆に伝えることにする。今夜は、胸がいっぱいで上手く伝えられそうにない。




