そしてディアナ様はご興味を失われました。
数日後、ディアナ様の号令により王宮にパン職人が一堂に会しました。
そして、貴族階級には出回るものの平民には出回らず、パン職人たちの間では存在そのものが疑問視されていたランドワーズのパン屋の白パン。
初めて見たパン職人たちが盛大に驚いておりました。何よりも、その柔らかさに。
勿論、そんなパンを人数分用意したのはディアナ様のお金です。パン職人それぞれに対して食べさせるのみならず、自宅に帰ってからも研究できるようにと一袋をお土産に持たせる太っ腹でした。ディアナ様曰く、もう使いきれないほどにあるお金なのだから、多少の無駄遣いくらいはいいでしょう、とのことです。実にお優しい方ですね。私の給金もこれを機会に、もう少し上げていただきたいのですけど。
「ディアナ様、失礼いたします」
「ええ、ラミア」
本日も、朝一番からディアナ様のお部屋を訪れます。
当然ながらディアナ様は既に起きられており、本日は読書をされておりました。今度はどんなろくでもない……ええと、一風変わったことを考えておられるのでしょうか。
せめて平和なものであれば良いのですけれど。
大賢者であるディアナ様が読んでおられる本なのですから魔導書だと考えるとのが当然なのでしょうけど、残念ながらそう上手くは話が進みません。そもそもディアナ様、既に魔導に関する興味なんて全部失われていますから。
随分と前には、農業に関する王宮の蔵書を読まれながら、何故生産性が上がらないのかという疑問と共に王都から遠く離れた麦の生産地まで一人で《瞬間移動》され、一週間王都に不在だったこともあります。その間の予定のキャンセルは全部私がやりました。あれに比べれば、今回のパン屋の件なんて平和なものですよね。
「朝食をお持ちしました」
「ええ、そこに並べておいて」
「は」
ディアナ様の言葉と共に、テーブルに並べてゆきます。
本日の朝食は、サンドイッチです。勿論、材料は一級品を使っているものです。ディアナ様は、食事に関してはこだわるお方ですので、シェフはいつも戦々恐々としているそうです。本日の朝食についても、私からお願いをするとあからさまに嫌そうな顔をされておりました。
ディアナ様は本を読まれながら、ふむふむ、と目を動かされつつサンドイッチを召し上がられます。
ちらりと見た本のタイトルは、『アルトルード王国、山の幸』というものでした。もう嫌な予感しかしませんね。
ディアナ様は黙々と召し上がられながら本を読まれ、手元を見ずに私の淹れたお茶を飲んでから小さく息をつきました。
何の文句もありません。これがシェフのミスなどで味付けを間違えたりしていると、もう一切れ召し上がられて以降は手をつけなくなるのです。
程なくして、お皿からサンドイッチがなくなりました。くいっ、とやや冷めた残るお茶を飲んで、少しだけ前に出します。これが、ディアナ様のお食事終了のサインです。
「お下げいたします」
「ええ。今日も美味しかったわ」
「本日も、特に変わりありませんでしたか?」
「少しだけ、パンの歯応えが違っているような気がしたわ。シェフを変えたの?」
「いいえ」
良かったです。違和感はあったようですが、それでも満足されたということですから。
ちょっと賭けではありましたが。
「ディアナ様、先程召し上がられたパンは、ランドワーズのパン屋ではありません」
「あら、そうなの?」
「はい。こちらは、パン職人のフリードリヒが焼いたパンでございます」
「誰?」
勿論、ディアナ様が知るわけがありませんよね。
それも当然です。フリードリヒとディアナ様が会われたのは、王宮で行われたパンの試食会だけなのですから。
そのときに、一番気合を入れていたパン職人でした。
何故なら――ディアナ様がパンを改善しようと考えた切っ掛けとなった、この近くで購入できる硬い黒パン。それを焼いたのが、フリードリヒなのです。
絶対にディアナ様の舌を唸らせるパンを焼いてみせる、と気合十分でした。
「ディアナ様が以前に召し上がられた、硬いパンを焼いた男にございます」
「あら。それじゃ、技術を再現することができたの?」
「そうらしいです。フリードリヒはディアナ様よりいただいた白パンに驚いて、寝る時間も惜しんでパンを焼いていたのだとか。そのときに、途中で疲れから寝てしまったのだそうです。そうすると、目覚めると随分と生地が膨らんでいたのだとか」
「なるほど、時間を置くことだったのね」
「はい。その後、フリードリヒはランドワーズのパンになるべく近付けるように努力して、完成した試作品とやらを本日の朝に届けに来ました。私も試食をした上で、問題ないと思ってディアナ様の朝食に用意いたしました」
「ええ、それは朗報ね。良かったわ。これで、みんな柔らかいパンを食べることができるようになるのね」
うんうん、とディアナ様が頷かれています。
ディアナ様が自ら動き、成果を出せるように努力し、その上でもたらされた効果です。やはり嬉しいのでしょう。
「今後、他のパン屋にもフリードリヒの方から教えてゆくそうです。程なくして、王都では柔らかい白パンが主流になるでしょう」
「是非ともそうしてほしいわ。みんな、柔らかくて美味しいパンを食べた方が良いものね」
「はい」
しかし、今回の件で最も被害を受けたのはランドワーズのパン屋ですね。
まぁ、今まで貴族家に対して、パンの販売を独占していたようなものです。そんな特需が終わったものだと思ってもらいましょう。フリードリヒの持ってきた白パンは、以前の硬いパンと同じ値段で販売するそうですし。パンを買う客からは喜ばれることでしょう。
良かった良かった、とディアナ様が笑顔を見せます。
ですが、私には分かります。
気分屋で、何かあればすぐに行動されるディアナ様。
そんなディアナ様は、興味を持つのも早ければ興味を失うのも早いのです。
そして――既に、『白くて柔らかいパンを安価に庶民が味わえるようになった』という事実など、もう何の興味も持たれていないのです。
つまり、私の面倒がまた増えるということなのですが――。
「そうだ、ラミア」
「はい、ディアナ様」
「ちょっと相談があるのだけど」
「はい、ディアナ様」
ええ。
嫌な予感しかしません。
そんな笑顔のディアナ様は、私に向けて嬉しそうに本の表紙を見せてくださいます。
そう――『アルトルード王国、山の幸』と書かれた、それを。
「わたし、大賢者やめて猟師になろうと思うの」
「ディアナ様、お気を確かに」
ですので。
また厄介なことを言い出した、と私は頭を抱えるのです。