ディアナ様のために少々詐称いたしましょう。
「ハンス様、折り入ってお話があるのですが」
「え、いきなりどうした?」
船首の女神像へと片足を乗せて、澄み渡る海原を眺めていたハンスへとそう声をかけます。一応女神像なのですが、そのように足蹴にして良いものなのでしょうか。激しく疑問です。
そして、まぁディアナ様のおかげで自動で動いているようなものですので、ハンスは特に何もする必要がありません。このように船首でサボっている姿を見てしまうと、本当に良いものなのかと疑問に思ってしまいますね。
少々溜息を吐きたい気持ちを抑えつつ、本題に入ります。
ちなみに、ディアナ様も一緒です。
ディアナ様には、「面倒なことは全部私が終わらせますので、黙って隣にいてくださいませ。私が何を言おうとも」と言い含めております。どのようにハンスに説明するかも、事前に納得くださっております。
理解してくださっているかは、また別ですが。ディアナ様は、ご興味を失ったことに関しては全く意欲もなくなりますので。適当に終わらせてさっさと帰りたいというのが本音なのかもしれません。私も同意です。
「実はですね、私どもはハンス様に嘘を吐いていました」
「へ? 嘘?」
「ハンス様は、海の女神ラケルススについてご存知ですか?」
「そりゃあ……海に出ようと思って、女神ラケルススを知らない奴はいないと思うけど」
まぁ、そうですよね。
一般的に、船乗りを見守る女神と称される女神ラケルススは、様々な国の船乗りに信仰されている女神です。ちなみに、船首でハンスが足蹴にしていたのも女神ラケルススなのです。
当然、そんなことは誰だって知っていますとも。船乗りでない私でさえ知っているのですから、海に憧れを抱き海に出て、後世に海賊王と称されるハンスが知らないはずがありません。
すっ、と私は隣を、手で示しました。
「このお方こそが、女神ラケルスス様にございます」
「は……?」
私が示す相手は、ディアナ様です。私のそんな言葉に対しても、落ち着いて黙っております。
いきなり、目の前にいる女のことを女神だと紹介された――恐らく、ハンスにしてみれば全く意味の分からない状況でしょうね。
むしろ、若干の嘲笑が混じっている気がしますし。こいつ頭大丈夫か、という。
「いや、ラミアさん。いきなり何言ってんのさ……ディアナは、ディアナだろう? 女神ラケルスス様だって言われても、困るよ」
「おや、信じておられませんか」
「そりゃねぇ……女神ラケルススは知ってるけど、それが目の前に現れたなんて聞いたこともないよ」
「この船の状況を見れば、分かると思うのですけれどね」
「は……?」
少しくらい奇妙に思わないものなのでしょうか。
ハンスも私もディアナ様も特に働いていないのに、船は自動的に進んでいるのです。それも、次の目的地である島へと。
普通、風の動きに合わせて帆の向きを変えたり、嵐や時化で方角を見失ったり、無風のせいで全く進まなかったり、そういうことが多々あるのが帆船というものです。だからこそ、人員は割と多めに必要なのですが。
それが誰も何もせずに進んでいるという時点で、おかしいのですよ。ハンスは船に乗ること自体が初めてなので、そういうものなのかと思ったのかもしれませんが。
「ハンス様、この船はどこへ向かっているのですか?」
「どこへって……え、どこ?」
「この船は、次の目的地である島へと向かっております」
「い、いや、何でそれが分かるんだ?」
「それは、このように船が自動的に進んでいるのは、全てディアナ様……女神ラケルスス様の導きあってのことですから」
「ど、どういうことだ!?」
ようやく、ハンスも半信半疑になってきたようです。
確かに、この状況における異常を考えれば、多少の信仰的解釈をしても良いほどですよね。
「ハンス様……いいえ、ハンス」
「い、いや、どういうことなんだよ、ディアナ。お前みたいなちびっこいのが女神とか……」
むかっ、とディアナ様が少々お怒りになられたのが分かります。
ディアナ様に対して、『小さい』は禁句ですよ。まぁ、教えていませんけど。
「女神ラケルスス様にそのように失礼な態度をとると、海の呪いが処されますよ」
つん、とディアナ様を肘で突きます。決して痛いものではありませんよ。
これが合図です。よりハンスに信仰してもらうための。
私の合図と共に、ディアナ様が小声で囁かれました。
「……《天候操作》」
瞬間――青空が澄み渡り、穏やかな海原が続いていた状況が、一変しました。
空は黒く深い雷雲に覆われ、海原は唸りを上げ、風は暴風と化して雨と共に船を打ちつけます。
そう――大嵐。
「なっ――!」
嵐において、帆をそのままにしておけば風を直接受けることになり、転覆の危険すらあります。
実際に、船がそのように斜めに傾き、ハンスは投げ出されそうになっておりました。船首の女神像にしがみついて、どうにか耐えている様子です。今にも船が横転しそうですね。
しかし、私とディアナ様はそのまま直立しております。これも、その神秘を高める効果を狙ってのことです。
「これで信じていただけましたか?」
「ひっ……な、なら、ディアナは、本当に……!」
「女神ラケルスス様に対する無礼な言葉を、訂正するつもりになりましたか?」
「わ、悪かった! 許してくれ! 女神様っ!」
「良いでしょう」
「……《天候操作》」
ディアナ様が小さく呟くと共に。
まるで唸りを上げる猛獣のように、荒れ狂っていた海原――それが、瞬時に晴れ空へと戻りました。
海も同じく、凪を取り戻します。あまりにも一瞬の出来事すぎて、ハンスが呆然としておりました。
ちなみに、この間私とディアナ様は全くの不動です。何故かというと、ハンスの前に立った時点でディアナ様が《浮遊》を使用なされて、私とディアナ様を浮かせているからです。直立しているように見えて、実はちょこっとだけ浮いているのですよ。ですので、どれほど嵐で荒れ狂おうとも直立不動でいられたのです。
「ほ、本当に、女神ラケルスス、様……」
「ええ。あなたに、女神ラケルスス様のお導きを伝えましょう」
「は、はいっ!」
「女神ラケルスス様は、あなたがどのように航海をするのか試していたのです。ですが、あなたは船を操ることに関して何も知らず、ただ怠惰に船首で風を感じていただけでしょう。これから仲間と共に海賊となるあなたが、そのような体たらくでいることを女神ラケルスス様はとても悲しく感じております」
「うっ……!」
「ですが、あなたに航海術の一つも学びがないことを、女神ラケルスス様は哀れにも思っております。ゆえに、これからあなたと共にある仲間のもとへ、あなたを導きましょう」
「は、はいっ! どうか、よろしくお願いしますっ!」
つん、とディアナ様を肘でつつきます。
ちゃんと段取り通りにしてくださいよ。そのためにいつ、どのタイミングで何をするべきなのかちゃんと伝えておきましたし。
ええと、とディアナ様が掌を見ています。ちゃんと、何回目です何の魔導を唱えればいいのかを掌にメモしているのですよ。
「……《瞬間移動》」
ひゅんっ、と視界が一瞬で変わります。
それは先程までの、穏やかな水面ではありません。目の前にあったのは――港町なのですから。
「えぇっ!?」
「いいですね、ハンス」
「は、はいっ!」
「ここに、あなたの生涯の友となるであろう存在がおります。その者と共に、海を渡りなさい。いずれ、あなたには遥かなる高みが待っていることでしょう」
「ありがとうございます! 女神ラケルスス様!」
「女神ラケルスス様は、いつもあなたを見守っていますよ……」
つん、とディアナ様を肘でつつきます。
さぁ、最後のお仕事ですからちゃんとなさってくださいね。
「……《時間移動》」
ぐにゃり、と世界が歪むような感覚に。
時空を超える、奇妙な感覚と共に。
私とディアナ様は――そのまま、ハンスの前から姿を消しました。