05 魔女のペットその四 もふもふ度★★★★★
夜中、私は目を覚ました。
別に隣で寝ているイーフォに蹴られたからとかそういうわけじゃない。イーフォは大人しく寝ていた。ただ、少し夢見が悪かっただけだ。今日はいろんなことがあったからな。疲れたせいだろう。
月明かりのお陰で少し明るい部屋を見回すと、私はふぅと息を吐いた。すると、窓が少しがたっと揺れる音がした。私はその気配にひどく安心した。
イーフォが起きないように静かにベッドから降り、窓をゆっくり開くと、そこには月明かりに照らされた銀の鬣をたなびかせる大きな狼がいた。
狼は空を仰ぐように月を見上げていた。
「ギン」
私が名を呼ぶと、狼はこちらを向いた。その金の瞳はもう二つ月があるのではないかと錯覚する美しさだ。
『起こしたか?』
低く身体に響く声で狼は私に問うた。その声はとても心地がいい。
「いや、私が勝手に起きただけだ。それよりも、この辺を回ってきたのだろう? 気に入ったか?」
『ああ、ここは悪くないな。広くて、美しい。それに、お前の魔力が満ちていて過ごしやすい』
「そうか。それはよかった」
ギンの返事に私は満足すると、バルコニーから飛び降りた。魔法で地面にふわりと降り立つと、少し離れたところにいたギンはすでに目の前いた。ギンが芝生の上に寝そべると、私はその首元に飛び込んだ。
銀の鬣をもふもふする。うん、気持ちがいいな。
『随分と静かだな。あいつの魔力に影響されたのか?』
私がもふもふしているのにいつもより静かだったからだろう。ギンは低い声で私に訊ねた。
私は正直に答える。
「……ん。たぶん、な」
『そうか、じゃあ、あいつは本当に弟だったんだな』
「ああ、あの子はやっぱりイーフォだった。……まだ、残っていた」
私はギンに顔を押し付けて抱きしめた。ギンが大きくて首周りの半分も手を回せていないが、全身に伝わってくる温もりが嬉しかった。
イーフォは、イーフォの魂は私の本当の弟のものだ。数千年前に殺されてしまった私の可愛い弟の。
当時の私は幼くて魔法もほとんど使えなかった。だから、目の前で死んでいく弟の魂を追いかけることも捕まえることもできなかった。弟の魂は世界を飛び出し、次元流に溶けてしまったのかと思った。
次元流とは神々が管理する世界と世界の間のつなぎのようなものだ。どの世界の間にも存在する。
生き物の魂は基本的にはその世界の中で循環しているが、何かの拍子に飛び出し、次元流に飲まれてしまうこともある。次元流は波のような嵐のようなもので、普通の魂なら瞬く間に消え去ってしまう。稀に強い魂を持っていると、神が気まぐれに次元流から拾ったり、運よくどこかの世界に入ることができたりすることがある。そうやって、同じ世界、または違う世界で生まれ変わることもあるのだ。それが転生だ。他にも魂を保護することで自分の世界に呼び込む召喚という魔法もあるが、あまり一般的ではない。
つまり、次元流に入ってしまうと、よほどのことがない限り魂はその中で消え去ってしまうのだ。
私が弟の魂が世界の外に出てしまったと知ったのは弟が死んだ後、大分時が経ってからだった。私は弟も私と同じく魂が強いと知っていた。なんせ私の弟だからな。だから、弟の魂はどこかにあると信じて探し回った。必死にいろんな世界を回り、生まれ変わっているかもしれない弟を探し続けた。だが、いくら探しても弟は見つからなかった。
そして、私がもう魂は次元流に溶けてしまったのではないかと思ったのは弟が死んでから千年と少しの時が過ぎてからだった。
だから、弟を見つけた時、驚いた。もう、随分と時が経っていたからだ。
「さすが、私の弟だな。あの次元流のなかで数千年も形を保ったんだからな」
私はふっと笑った。
あの時の苦労が何だったのかと思うくらい弟は唐突に、簡単に見つかった。牢屋の中でイーフォを、イーフォの魂を見た時にこの私が唖然としたくらいだ。
「だが、あの魔力量は驚いたな。昔よりは低くなっているが、相変わらず規格外だぞ」
弟は私と同じで昔も魔力が膨大だった。まあ、私に敵いっこないが、それでもヒトがもつには十分な量だった。もちろん私の弟だからだけどな。
『そうか。よく頑張ったな』
ギンは自分の首元に身体を埋める私に頭を摺り寄せた。
私がどんなに強がっていてもギンには見抜く。いつもなら悔しいと思うが、今はそんなことはどうでもよかった。
「ああ、私は頑張った! 超、すごーく、めっちゃ頑張った!! 褒めろ、ギン!!」
久しく目の奥が熱くなっている気がした。
『ああ、お前はよくやった。すごいぞ』
「あはははは。当たり前だ。なんせ、私は完璧からな!!」
『お前の行いがすべて完璧とは言い切れんが、ここまで口では他のことを目標に掲げながらずっとあいつを諦めずに探していた。それは並大抵の精神じゃできないことだ。お前はよく頑張った』
「うるさいな。相変わらず一言余計だぞ。私は全てにおいて完璧に決まってるだろう? 褒めるなら褒めるだけにしろ」
『その性格に難あり、だ。小さい頃は今のイーフォみたいだったからな』
ギンは私のいた世界の聖獣だった。
私は弟が死んだ後、倒れ、そしてギンに拾われた。だから、ギンとはもう数千年の付き合いがある。そのせいか親代わりだったギンは私に遠慮がない。まあ、私が遠慮なんてしたことがないのだがな。
「そんなことは覚えていない。歳食ってギンの記憶に補正がかかっているんじゃないか?」
『歳はお前とそう変わらんだろう?』
「いーや、私の方が十数歳年下だ。たぶん」
『数千年も生きて何を言っている。十数歳の差などすでに誤差の範囲内だ』
「これだからジジイは。私のこのピッチピチの姿を見て数千年も生きているだなんて誰も信じるわけがないだろう。イーフォだって私をまだ10歳くらいだと思っているぞ」
こんな言い合いはしょっちゅうだ。年齢の話になると特に白熱する。まあ、私たちは不老不死だからな、歳の話をしても意味ないのだが、言われたら言い返さなきゃ気が済まんだろう?
私たちが言い合っても生産性はないが、すっきりするな。私は不老不死のせいで神以外の知り合いはほとんどいない。気軽に言い合えるやつもだいぶ減ってしまった。まあ、寿命の関係だな。
『それよりも、お前はもう寝るがいい。明日も弟と遊ぶのだろう?』
「そうだな。森も山も湖も行っていないしな。それに、イーフォに教えてやるものがたくさんある」
『ならば寝ろ。お前の弟が起きて横にお前がいなかったら心配するだろう』
「ああ、そうだな」
たぶん、悪夢は今日はもう見ない。
久しぶりにイーフォと会い、その懐かしい魔力に触れてしまったせいで私としたことが繊細にもイーフォが殺されてしまった時のことを思い出したのだ。もう、数千年も前のことだと言うのにな。少しフラッシュバックして夢で見てしまっただけだ。目の前で身体を何度もめった刺しにされる弟を。裂けるような悲鳴。あれは自分のだったのか、弟のだったのか、もう覚えていない。
「じゃあ、私は行く。ギンも休養をとれよ。歳だからな」
『ああ、お前は明日は弟と楽しむがいい』
ギンは心地のいい低い声で返事をしてくれた。
ああ、もう眠いな。
私は少し名残惜しくもギンのふわふわした鬣から離れた。そしてふわりと浮いて、イーフォの部屋のバルコニーに降り立つ。
中に入ろうとして、そういえば、と思い出す。
「ギン、イーフォだ。あの子をイーフォと呼べ。私が許可する」
ギンは私の言葉に鼻でフッと笑った。私が言いたいことが分かったからだろう。
ギンは一度もイーフォを名前で呼ばなかった。それは私の弟として認めていても、イーフォ自身を認めていないからに他ならない。
つまり、イーフォを認めろと言ったのだ。
『そのうちな』
ギンはそれだけ言うと、うずくまって眠ってしまった。
まあ、そのうちなら及第点だろう。
ギンをもふもふしました。
次ももふもふします。