繋がる命
連 鎖
第一章 カモミール
第二章 ジャスミン
第一章 カモミール
一
今日は、腎臓移植手術の日だ、不安であまり眠れなかった。
腎臓機能低下して五年経ち人工透析するようになって五年。
一向に良くならず「ドナーが見つかったら腎移植しましょう、このままでは危険ですから」と
主治医の村田先生。
間もなく、ドナーが見つかった旨聞かされた。
血液型、HLAも問題無いとのこと。右の腎臓の移植と聞かされている。
次女智沙は大学を休んで早朝から私の世話をしてくれている。
夫淳平も来ているが、落ち着かない様子で新聞の同じ所を行きつ戻りつし、活字は目に入って
居ないだろう。
自分の部屋に行っていても良いのに、淳平はこの大学の薬学部の教授なのだ。
長女の沙枝も顔を出してすぐに戻って行った。
「お母さん頑張ろうね、片方の腎臓だけでも正常に働いてくれたら、楽になるわ一番頑張らないと
困るのは淳一だわ」
淳一は医師となり、腎臓のスペシャリストになりたい、腎移植も出来るようになると頑張っている
経験不足だが、第二助手を志願したという。
ドナーも早く見つかり、家族皆が応援してくれている、私は幸せだわ。
ドナーさんありがとう。
術後観察室で目が覚めた、深夜のようだ。
傷口に少し痛みは有るものの苦痛では無かった、ナースが来てバイタルチェックして行った。
入れ替わりに長男の淳一と執刀医の磯部先生と主治医の村田先生が顔を出してくださった。
「拒絶反応少ないです、このまま免疫抑制剤続けますよ」。
淳一だけが残り「良かった普通の生活が出来るようになるからね、もう少しの我慢だ、磯部先生の腕は
確かだ俺も勉強になったよ、アレッ親父まだ居たのか?」夫がやって来た帰らなかったらしい。
私は、まだ上手に話せないので、目でありがとうを表したら涙が零れた。
夫と息子が笑って「良かった」を言い合う。
翌日は意識がはっきりしていた。
お腹の中に違和感は有るが苦痛では無い、そのうち同化していくだろうと楽観する事にした。
次女の智沙が来て開口一番「お姉ちゃんたら、昨日盲腸で入院してる、二、三日前から痛かったのを服薬で治そうとして、治らずに手術したのよ。我が家は医療一家なんだから、お父さんかお兄ちゃんに相談すりゃ良いのにね、シッカリ者の沙枝姉さんらしくない、薬剤師の不養生だわ」
「あらまあ、私の手術が控えていたので、我慢してたのよ、今は盲腸炎、手術しないで服薬で治す時代だからね、沙枝は薬のこと詳しいから治せると思ったのね。暫らく顔が見られなくて残念。智沙が来てくれて嬉しいけど、私は大丈夫だから学校行ってね」。
沙枝、もう二十八だ縁談の心配してやらねばならない、私の看病で青春を費やしてしまったのだ、幸せになって欲しい。
孫も抱きたいわね。
二
沙枝が生まれたのは、結婚二年目の二十六歳の時だった。
母静子も私も東京生まれの東京育ち、第一子沙枝の分娩も東京の病院だ。
静子は「お産は実家でするものだったが、今は病院だものねェ。時代が変わったわ」。
夫淳平は長野の出身、進学で上京しそのまま大学に残り薬学の研究の道を進んだ。
実家の農家は大きく庄屋だったとか、初めて挨拶に行った時には大きさに圧倒された。
結婚当初は薄給で生活が苦しかった。外へ働きに出ることを嫌がったので、私は前の勤めの建築会社からインテリアデザインの下請けをさせてもらい、生活費の足しにした。納品に行き、次の仕事を貰って帰って来られるように配慮してくれた。
夫の研究棟の増築工事を請け負った会社だ、私も度々行くうちに夫から声を掛けられ、
恋愛に発展したのだ。
夫の給料だけで生活出来るようになっても、私は下請け仕事を続けた。
家事をきちんとやっていれば、淳平は不服を言わない。子供達に塾や習い事もさせてやりたい、
私の小遣いも欲しかった。
沙枝は、オットリしていて泣かない子だ。
泣くのはオムツが汚れた時。空腹時は泣かないので、決められた時間をうっかり忘れると三十分も遅れてしまう、アラームをセットして仕事をした。母乳の出が悪く人工ミルクに切り替えた。大きな病気もせず手の掛からない子。歩けるようになり、沙枝の定位置が出来た、食堂のテーブルの下で独り遊びだ。
二歳違いで淳一が生まれた。歳が近く忙しいことこの上ない。
母静子は「忙しいのは一時の事よ、二人同時に手が掛からなくなるわよ」と諭された。厳しい事を言った替わりに度々来て二人の面倒を見てくれた。納品や買い物に出たい日は大いに助かり甘えた。
言葉を覚え始めた沙枝は「バアバ、綺麗だね沙枝にも付けて」と口紅をねだった、唇に少し塗ってもらい大喜び。
何度も鏡を覗いていた「やっぱり女の子ねェ」と母は嬉しそうだ。
淳一は夜泣きで梃子摺った、1歳の誕生日頃には少なくなったが、泣き出すと沙枝が、あやすと
泣き止んだ。
夫の睡眠不足が心配で、寝室を別にしたら「何だか独りでは寂しい」と私達三人に混ざって四人でごろ寝状態、子供っぽい淳平。
私は、夫の気まぐれだろうと思っていたら、毎晩続くではないか・・・。
主寝室が一番広く、夫婦の寝室だ。ベッドを処分して布団を敷いて寝ることにした。
三歳と1歳の子は、風景が変わりはしゃいでいる。布団から落ちても怪我はしないだろう、これで淳一の夜泣きが止めば良いのだが。沙枝と並んで寝るのが安心なのか、夜泣きはピタリと止んだ。
夫は兄が居るだけの二人兄弟だ、子供好きらしく「子供は沢山が良いな」と。
「定員オーバーよ」「でもあと一人」。
二年後、妊娠するが、四ヶ月目で自然流産。
諦めかけた頃、三人目を妊娠出産した。淳一とは六歳違いで、元気に生まれた。
夫はもちろん喜んだ、沙枝と淳一も大喜びでベビーベッドに貼り付いている。
智沙と名付けた、沙枝の沙をもらったのだ。
姉弟は「ちィちゃん」連呼で付ききりだ。
二人とも交互におんぶしてくれる。歳の離れた妹が可愛くてならないようだ二人が面倒みてくれるので、家事、仕事に専念出来る。智沙が少し話せるようになると、姉弟が幾つも単語を教える。
その為か、智沙はお話上手の子に育った。
保育園に通うようになると、自分で紙芝居をを作り姉兄に見せ、「上手に作れたね」褒められ得意気だ。
少し蓄えも出来た。子供部屋、沙枝と智沙は一緒でも良いが淳一は十歳になる、一人部屋が必要だ。
夫が帰宅したら相談だわ。
夫の通勤には此処が便利、何と言うだろう。
夫が機嫌良く帰って来た、少し酒気の匂いがする、研究実験が思い通りに進んだのでスタッフと呑んで来たと言う。
良いタイミング。
将来の事、このまま借家では手狭だし家賃が勿体無い「思い切って新築しましょうよ」。
「頭金は?ローン返済は?土地は?」
「銀行で相談してみる、不動産屋さん紹介してもらう、建築は私が居た所に相談するわ、私が二級建築士だってこと忘れてる?設計には嫌われない程度に口出すわよ」
「おう、忘れてた。あとは資金か?小遣い減らさないでくれるかな」
「減らさないけど、無駄遣い禁止ね」
「はいはい、任せるから頼むぞ」
定期預金してある銀行の融資課へ行き、相談したら、土地を担保に融資は可能だと言う。
夫の勤務先や肩書きに信用したらしい。紹介された不動産屋さんは大手の会社だ。
夫の通勤のこと、子供の転校が心配だ等のことを話し、建蔽率、容積率、斜線制限、高さ制限を考慮して必要な部屋数が取れる物件は有るでしょうか、急いではいない事を話す。
「そういう事なら、お宅の近くに売り物件が出て居ます、ただし現在も住んでいて、息子さん宅の増築が終わって転居してからの引渡しが条件です、十月頃に取り壊してになると思います」
今、契約して着手金払い、登記簿変更して、測量し設計を済ませれば、年内着工出来る。
銀行に再び行ってみたら話が通じていて、先方も現金が欲しいので相場より一割安くても良いと、息子さんに渡したいのだろう、登記簿の方は、銀行の紹介で司法書士がやってくれるので心配ないですよと。
建築費も銀行で概算を予測してくれた、設計次第だわ。ローン返済もどうにかなりそうだ。
丁度、納品の物が有ったので、建築依頼をした、予算と間取り、グレード。
こちらも、「元社員、現在下請けさんからの依頼だ、要望に答えよう」と言ってくれた。
最寄駅までの所要時間は変わらない、通学は五分ほど遠くなるが、転校しなくても良いのが安心だ。
万が一、私が仕事出来なくなっても返済に苦しまなくて良さそうだ。
帰宅した夫に話し聞かせた。
「トントン拍子だな、タイミングが大事だなこの話進めたら良い、あとは設計で智枝が腕を振るって
くれよ」。
淳平二十七歳大学の助手の時に結婚。順調に講師、準教授となり今四十五歳、まだ研究の道半ば、「末っ子の智沙十歳大学卒業まで、十二年。あなた頑張りましょうね」
淳平の書斎の造りとインテリアは本人の希望をなるべく取り入れた。
「掘りコタツ方式で床に座りたい、書棚は造り付けが良いんだけどな」。
色も木調で統一し、カーペット、カーテンは落ち着いたオレンジ系にした。
淳平の隠れスペースだ、資料紛失が怖いので小型掃除機を渡すことにして「掃除は自分で」と決めた。
子供達の部屋も個室を与える事が可能になった、沙枝と智沙の部屋は隣接させ間仕切り壁ではなく
パーテーションの可動壁にした。
大人に成りかけの沙枝とまだ子供の智沙の選ぶ物に差が有ってオモシロい。
淳一は明るい薄ベージュだ、壁に写真やポスターを貼るから無地が良いと。
一階に広いリビングとパントリー、主寝室、書斎、洗面浴室トイレ、中二階の下を駐車スペース。
中二階にダイニングキッチンと私の仕事コーナーと淳一の部屋。
二階に沙枝と智沙の部屋、予備室、収納室、トイレ、廊下にミニキッチンと洗面コーナーを設けた。
五人家族で洗面所が一箇所では朝混雑するからだ。家具は長く使える物を選んだ。
カーテンとカーペット、ベッドカバーも本人達が、カタログを見てアレコレ悩み楽しみながら選んだ。
外観は周囲から浮かないよう色調を合わせる。
屋根とベランダ手摺り壁にソーラーパネルを設置してエコを目指した。
後日「パネルいっぱいの家」と目印にされてしまったが、電気代は節約出来た。広目の庭も有る、ガーデニングも楽しめるが雑草取りも大変そうだ。
淳平の兄が「新築祝いだ」と言って、外周りの出費を申し出てくれて甘える事にした。
義兄が跡継ぎとなり、リンゴ園と田畑が半々くらいの大きな農家だ。
甥が三人、次男は沙枝と同い年でたまに遊びに来たり電話をして来る。義兄の公平さんは無口だが、義姉の悦子さんは、さっぱりした気性の面倒見の良い人だ。度々、お米、野菜、りんご自家製味噌を送ってくれ我が家の家計は大助かりである。
義兄夫婦が一泊でやって来た、義兄に「良い家だ、洒落た造りだ」と褒めてもらえた。私の庭造りの案のスケッチを見せた、記念樹に桜を植えたいが、落葉時隣家に迷惑かしらね、子供達の楽しみに何か
果樹を植えたい。
毎年植え変えるの大変だから宿根草、球根が良いかしら、手前の車道は透水性アスファルト等々思い付くまま話した。
悦子さんとは翌日、私の運転で日本橋、銀座有楽町のデパート巡りでお互い大荷物で帰宅した。
資生堂パーラーで休憩。
何と一週間後、長野から造園業者がやって来た。私が話した事を上手に整理し、希望を取り入れたお洒落な庭園を四日で造ってくれた、江戸彼岸桜は隣家から離れた所へ植樹。果樹は杏だった。
ハナミズキ、雪柳、カサブランカ、日本水洗は群生、薔薇等が手際良く植えられて行くのをリビングから眺めているのが楽しかった。
大きなプランターに寄せ植えの台も造ってくれた。
二人で来ているので「部屋は有るので泊まって」と話すと「同業の知り合いが近くに有るので」と
固辞された。
ならば、昼食だけでもと頼んで受け入れてもらった。
家が完成したのは二月上旬、すぐに引っ越して来た。
「外での作業寒くて申し訳ない」と詫びると「植物が活動始める前、三月までが移植の時期です気にしないでください」と。
「遅咲きの品種も植えたので、この春咲きますよ。夏、秋の植物も植えました」。と嬉しい言葉。
夫の実家にお礼の電話を入れたら悦子さんが出て「財産分与のしようがないので、公平の気持ちだから良いのよ」
「すごくお洒落なの嬉しいわ、悦子義姉さんにも見てほしい、来てね」
「農家は、今からが忙しくなるのよ、家の次男三男が沙枝ちゃん達に会いたがっているわ夏休みに
行かせても良い?」
「モチロンよ、庭の写真は折々送るわね、義兄さんはもちろんだけど、お義父さんお義母さんにも
宜しく伝えてください」
先方の好意を素直に受け喜んだ。
私の実家は姉の恵子が継ぎ、婿さんと同居している、私の母と姉がやって来た。
実家には代々継がれた骨董品が多く有る、曾祖母の代まで百年続く料亭を営んで居たからだ。
姉から「新築祝いに何が欲しい?」と聞かれたので「古伊万里の壺」と答えたので持参して来てくれた、早速玄関に飾った。
母は庭園を眺めて「良い財産分与だわ、公平さんお人好しねェ、相当な金額掛かったと思うわよ、感謝しなさいよ、亡くなったお父さんに報告するから水仙切ってよ」雪柳と一緒に渡した。
三
この所、気が付くとソファーに横になっている事が多い、どうしたのだろう?引越し、来客等で疲れたのだろうか。
時間が経てば回復するだろう。
夫淳平が気が付いた「通院しなさい」と言うが、そこまでしなくても・・・。
少し休養すれば動けるわ。家事は沙枝が手伝ってくれるので支障無く済む。
淳平から強引に通院させられた、それも淳平の大学病院へ。大げさだわよ。
人間ドックに入った、一週間後検査結果を聞きに行った。夫は既に聞いているようだ。
担当医の村田先生は淡々と「子宮がんステージ1B」「腎機能低下」頭の中が真っ白で感情が湧かない、どうすれば良いの。
夜、夫と話し合った。ステージ1Bだから、まだ初期だろうし転移はしていないようだ。
安全を期して全摘出すること、子供達には理解出来ないだろうが正直に全て話すことに決めた。
初めて涙が零れた、夫の胸でしゃくり上げた。子供達の前では泣くまい。
夫の温かい手が背を撫でてくれる。
生きたい、この家族が愛おしい。術後の抗がん剤治療が辛いだろうか。
沙枝は桜が好きだ、蕾が膨らんだのをじっと見つめて涙を零していた。
一メートル五十センチ程の苗木が二年で四メートルを越え初めて蕾を付けたのだ、生きていて良かった。
まだ油断は出来ない。
沙枝は高校三年生の受験生だ。医療系とは決めているらしいが、学部で迷っているらしい。
「お母さん、手術の後の抗がん剤で苦しんだでしょ?薬学部に行く。お父さんみたいな学者にはなれないけど薬の事を勉強する」。
「沙枝、ありがとう」目が潤んだ。あと三年無事なら生存率がグンと上がる。
淳一はまだ高校一年生だが、医学部を目指していて塾には行かず猛勉強している。常に学年トップだ、進学校のトップだ、大丈夫だろう。それより本当にやりたい事が医学部に有るのか、私のため?納得いく人生を送ってほしいのだが。
智沙は十二歳。大人になったら何に成りたいか問うが、毎回色々だ、テレビや雑誌の影響だったり、
沙枝に感化されたりとまだ定まらない、当たり前だ小学六年生なのだから。
沙枝は受験生ながら、家事の半分以上やってくれている。台所に立つと、淳一か智沙が纏わり付いて「今日は何?唐揚が食べたい」
「カレーがいい」「ハンバーグにして」賑やかだ。「火を使うから向こうに行ってなさいウルサ~イ」と叱られている。
台所横のコーナー、元々は私の仕事用だったのだが今は沙枝の勉強の為のコーナーになっている。
煮物、煮込み料理を作る時ガスレンジから離れる訳にはいかないので丁度良いスペースなのだ。
私は腎臓の治療が続いている、減塩食だ。
沙枝の料理は出汁をしっかり取るので塩分が少なくても美味しく食べられる。
野菜嫌いの夫と智沙の為工夫する、レタス、キュウリ、トマト、水菜、玉葱等の生野菜にサーモンとかの刺身を混ぜ減塩ドレッシングで和え、沙枝ちゃんカルパッチョにする。好評である。
洗濯は、帰宅の遅い夫以外の四人が入浴後に洗濯機を回しベランダに面したガラス戸越しに干す。
夫の分は朝起きてすぐ始める、朝食の頃に干せる。天気が良ければ外に出すが、曇りやにわか雨予報の日は室内干しだ。生乾きの物は乾燥機に入れる。五個の籠に入れ、其々取りに来てもらう、出来る事は自分でやる、良い躾けになる。
アイロン掛けは私がやっている。ハンガーに掛けたままスチームアイロンハンドタイプを使う、
とても便利だ。
夫淳平の物は特に丁寧に掛ける。
掃除は一階、中二階、二階用三台のルンバが回っている。クジ運の良い智沙が葉書一枚で当てた。
便利なので二台買い足したのだ。
中二階、二階のドアは全開で登校することに決め、そのチェックは智沙の仕事となった。
昼間独りきりになって寂しいだろうと、子猫を長野の甥昭平と末っ子の公次が、冬休み悦子さんの運転で連れて来てくれた。
ヒマラヤンの雑種だ。生後四十日くらいだと。 モフモフでとても可愛い。
哺乳瓶や猫トイレ等必要な物全て悦子さんが揃えて持って来てくれ、こちらで用意する物は愛情だけだ。
家族皆、動物好きだ持ち家になったのだから丁度良かった。
充電器から離れて作動し始めたルンバを見て悦子さん「テレビ広告で見たけど実物見るの初めてよ、
便利な世の中になったわねェ、あとは子猫が乗るかどうかね?」子猫を近付けたら、ジャレ付くが
乗るには子供過ぎた。
悦子さんは「どうしても携帯で撮りたい、ブログにアップしたい」と言って子猫をルンバに乗せ何枚も撮った。
「それってヤラセでしょ?同じ撮るならリボン付けようよ」
二人で笑った、久し振りに笑った気がする。
甥二人は淳一の部屋で、悦子さんと私は予備室で休んだ。
「・・・智枝さん良く頑張ったね安全圏まであと少しよ、今は腎臓の治療してるんでしょ、手助け出来ることが有ったら言ってね」
泣くまいと決めていたのに潤んだ。
沙枝は察しが良い、二人きりにするために、智沙を近付けないよう子猫と遊んでいる。
子猫の名前を考えている、カタカナの名前にしてと智沙が希望し雌猫の名前は「キャロット」になった。
昼間は私の所、夜は智沙の所で遊び寝ることとなる。
翌朝、沙枝の「朝ご飯だよ~」の声で起床した、深夜まで悦子さんと話していたので、二人とも寝坊した「家でやったらお義母さんに嫌味言われちゃうわ、あァ良く寝た。智枝さん、喋りたくなったら電話でもメールでも良いからね、女同士嫁同士遠慮しないでね」。甥二人は年末まで泊まることになり、
悦子さん一人で帰って行った。
甥の長男公太は高校卒業後、地元の機械系専門学校卒業家業を継いでいる、義父母と公太にお土産買って行くと言っていた。
沙枝は無事、夫の大学の薬学部へ合格した。
夫は「合格はお目出度いが、俺の教え子になるんだろ?やりにくいなァ」とボヤク。
「心配しないで、公私混同しない沙枝よ」
同い年の昭平も進学した。「智枝叔母さんみたいに建築設計士になりたいと関西の大学の工学部に合格。
私は子宮全摘出から六年経ち、一安心だ。腎臓の方は、人工透析週三回していて、良くなる気配が見られず苦しんでいる。
相変わらず一家の切り盛りは沙枝がやってくれている。実験等で帰りが遅くなる日は夫と待ち合わせて帰ってくる、物騒な世の中なので、安心だが、食材を買いに行く時間が無い。
五人家族だ、大量に消費する。ネットスーパーを活用し、配達の時間指定は智沙が帰宅する頃、支払いは夫のカード払い。
商品を冷蔵庫に仕舞うのは智沙で、無くなりそうな調味料などメモっておく、それを元に次回の注文時に沙枝が参考にする。
智沙も調理するようになった、姉に纏わり付いて見ていたので十四歳にしては、作れる種類も多い。
末っ子が頼もしく見える。
淳一も順調に医学部へ進み二年生となった。
沙枝は来春卒業だ、研究ではなく、薬剤師として大学病院への就職内定をもらっている。
あとは確実に国家資格試験に合格しなければならない。頑張り屋の沙枝なら大丈夫だ。
智沙は読書家だ、おそらく文科系に進むと思われる、気紛れな処も有るので四年後どうなっているか
楽しみだ。
我が家は夫がA型私がO型、沙枝と淳一がO型、智沙がA型、血液型で多少性格が違うのだろうか、
智沙は姉兄とは何か一つ違うって個性的だ。
悦子さんとのメールのやり取りは続いている、メールが来た『うちの金喰い虫の公次が東京の美大に合格してしまった!昭平と同じ大学も合格しているのに、美大に行くと言い張って困っている。
どう思う?』
『良いじゃないの、うちの家系から芸術家が出るかもよ、我が家に一部屋空いているから下宿させて。
食べ物と素行管理するわ』
『智枝さんの体調思うと頼めないわ』
『気にしないで、我が家の主導権は沙枝が掌握してる、こき使われるわよ』
『じゃあ頼っちゃおうかな、下宿代いくら送れば良い?東京の物価高いんだから、はっきり言ってよ』
『下宿代は不要、公次の労働で払ってもらう。美大はお金掛かるらしいわ、学費と小遣いの仕送りで
いいわよ』
公次が加わり六人の大家族となった。喜んでいるのは、智沙と猫のキャロットだ。
子供達四人で色々取り決めを交していて賑やかだ、私は食事が済み服薬して寝室へ入った。
ドア越しに聞こえる声が嬉しい。
夫淳平は「これで男女三対三になったな、沙枝と智沙は手強いぞ、負けるなよ」
淳平は教授に昇格した。
「今度の日曜日、お父さんのお祝いと公次兄ちゃんの歓迎会、庭でバーべキューとお花見やりたい」
「やったァ賛成。バーベキュー久し振りだもん、楽しみだ」淳一が喜んでいる。
アウトドア用具、この家を新築した時、誰かがお祝いに下さったものだ。二回使っただけで私が病気になってしまい、物置に入っている、使えるだろうか。
ワイワイ賑やかに食べ飲んだ、私と公次、智沙はソフトドリンク。キャロットもお肉をもらってハフハフいって食べている。
六人と一匹の楽しい宴であった。
公次は無事美大卒業し、イラストレーターの先生の弟子になったが給料は安い。
「当分の間、居候で居させてください」と。
快諾したが、居心地良いらしい。お盆とお正月は無理やり帰省させている。悦子さんが気を使って毎月沢山の野菜を送ってくれる。
四
淳一、国家試験は受かったが、半人前の研修医だ、夜遅くまで医局で働き帰宅後勉強している。こちらも薄給だ。
私の腎臓は限界に来ているらしい。自覚も有る、終日病院のベッドでウトウトしている。
夫と主治医の村田先生が廊下で話す声がする。
「腎臓移植」という言葉が耳に残った。
夫との約束、隠し事はしないと。
ベッドの横の椅子に座り、私の手を握り、照れ笑った「あと、三、四ヶ月以内に腎臓移植しないと命がもたない、ドナー探し俺もやるから、最後まで諦めないでいよう、見つかれば、突然、手術になるから動揺しないでな」
「解ったわ、一度は諦めた命、ここまで生きられてラッキーよ、良き夫、良き家族に恵まれて幸せよ、
天運を信じるわね」。
智沙の成人式も祝ってやれたし、沙枝も淳一もこの病院に勤務している。智沙は家政大学二年生だ、管理栄養士と家庭料理研究家になるのだという。「文学部に行くのかと思っていたわよ」
「読書は趣味、うちの料理の味付け急に変わったでしょ?でも美味しい。
お姉ちゃんの腕なんだけど不思議だったの、で、勉強しようと思った訳」
親の役目は大分果たしたのではないだろうか。
「お母さん、見つかったドナーが」と病室に淳一が飛び込んで来たのは一ヶ月後だった。
「移植が成功すれば、まだ生きられるのね」
「そうだよ、生きられるんだ、俺の腕ではまだ無理だけど、磯部先生なら出来る。これまで腎臓移植十例を超えている、拒否反応が強過ぎて亡くなったのは一例だけだよ、勝率九割超えだ、安心してよ血液型HLA型一致しているからね」
「淳ちゃん、ドナーさんの家族にお礼が言いたいわ」
「双方に教えてはならない決まりなんだ、例え母さんでも教えられない、自分が生きることがお礼になる。胸の中で感謝してよ」
淳一の目指していたのは臓器移植だったのか。
明後日の朝から手術室に入ることに決まった。
夫と淳一が来てくれた「俺も手術室に入る、第二助手だけど。宜しくお願いします」と。
沙枝も来てくれた「明後日ね緊張しないで」
手術や術後の薬の打ち合わせしていたらしい。
覚醒した。天井のライトが眩しい。
生きている、また生き延びることが出来た。家族の為、自分の為に生きよう。
少し浮世離れしている夫、温かい子供達。
夫、淳一、智沙が来てくれた。涙が零れた。
翌日沙枝がナースに車椅子押されてやって来た「どうしたの?」
「エヘ、盲腸。薬で散らそうと自分で薬飲んで居たんだけど、失敗。お母さんと同じ日に緊急
手術しました」
「まったくっ、顔見せないから心配したわ」
「ごめんなさい」
「智沙にも心配かけちゃったね、キャロット昼間取り残されて寂しがっているって、公次に媚売って
いるらしいわ、早く帰ってあげないと可哀相よ。私はあと三日、お母さんは三週間くらいって、村田先生がおっしゃっていたわよ、順調にいくと良いね」
「執刀医の磯部先生に何かお礼しないと」
「当病院は堅くご遠慮しております」
「でも・・・」
「それが誠意ある医療の現場です。謝礼によってとか、肩書きでとか差別してません、第一、執刀医独りで手術は出来ません、スタッフ一丸となって成功するのよ」
拒否反応少なかったが、免疫抑制剤治療が苦しかった。
甥の公次が自分の家のように寛いで居るのが可笑しい。すっかり我が家に溶け込んで暮らしている。
何かのデザインコンペで優勝したらしい、賞金百万円だったので、叔母さんにお礼で一割渡すと言うので「駄目よ、貴方を一番心配している悦子さんに送りなさい、残りは貯金しておきなさい」
「叔母さん聞いてよ、メールしたら、賞じゃメシは食えねえ、って」
「だから、お金と手紙送りなさい」
このデザイン業は包装紙のデザインとか、CMデザイン等具体的な形で示さないと理解されにくい
仕事かもしれない。
公次の頑張りと運もあるだろうか。
見かけよりしっかり者かもしれない。
五
沙枝が「会って欲しい人がいるの、今度の日曜昼食に呼んであるから、ヨロシク」。
この日が来るのは解っていたが緊張するわ。
智沙と相談した「レストラン予約した方が良い?我が家の味を楽しんでもらった方が?」
「どちらも緊張する場面でしょ?仲人さんが来るわけじゃないし、我が家で良いんじゃないのメニュー
考えるの楽しいな。私が考えるね、これは必ず作れって物有る?」
「特に無いわ、私も手伝うわよ、ドキドキするわね」
沙枝に、彼氏の好物聞いたら「丼物が苦手というか飽きてるくらいで、嫌いな物ないわ」
「お姉ちゃんも手伝ってくれる?」
「ええ、何作るの?」
「まだ決めていないのよ」
「料理研究家の卵さん、悩まなくて良いわよレストランじゃないんだから、何品かを呑みながら、
楽しく食べましょ?」
「解った、七人分だから材料調達が先か」
智沙は公次に訳を話して悦子伯母さんから野菜を送ってもらいたいと頼んだ。
「沙枝姉さんの彼氏が来るのかァ、俺も会わせてもらえるの?」
「モチロンよ、家族じゃないの」
「智枝叔母さんの快復で、家の空気明るくなり居候としては居心地良いんだけど、重ねて慶事で俺も嬉しいな、沙枝姉さんの選んだ人に会えるの楽しみだ」
翌々日、段ボール箱三つドカンと大量の野菜が届いた。宅配のおじさんが玄関に積み上げてくれたままにしてある。
私の力では運べない、開梱して少しずつならどうにかなりそうだが、我が家には男手が有る、頼むことにして置いたままにした。
そこへ、智沙が注文したネットスーパーから缶ビール四ケースを含む大量の商品が届いた。
要冷凍の食品のみ台所へ運び、冷凍室に入れようとしたら、七割方埋まっている。
入らない、どうしよう。
あァ二階に大型冷蔵庫があるわ。居候の公次が気兼ねなく、食べたい飲みたい時に一階にコソコソ来なくてもと思ってと、大家族の食材ストック用にと一年型落ちの冷蔵庫を安く買ったのだ。下段が冷凍室だ床に座り込んだ。腎臓移植は成功したが常人より疲れが出やすい。喉が渇いた、立ち上がって冷蔵室からお茶の大きなペットボトルを出し、コップに注いで飲んだ。
中二階の淳一もここから呑んでいる。綺麗に整理されていて気持ち良い、智沙が管理しているのだろう。
いけない、眺めている場合じゃない冷凍品を入れなければ、冷凍室を開けてビックリ、満杯なのだアイスクリームで。
ネットスーパーでは届けてもらっていない筈、誰がこんなに沢山買ってきたのだろう?
玄関で声がする。
「ワァこの荷物は何ィ?」私が聞きたいわよ。
「二階に居るわ、来てェ」
「解った」大きな足音。
「あァビックリした、またお母さん具合悪くなったのかと思ってしまったわ」
「具合悪くなりそうよ、下の冷凍室に入りきらないから、こっちに持ってきたのに、
これだものどうする?」
「えェ、昨日はスカスカだったのに・・・」
公次のドアが開き「何騒いでいるの」
「あら、居たの、具合悪いの?」
「違うよ、二日徹夜で今日昼近くに開放されて寝てたんだ、独立してェなー」
「え?この家出て行くの?」
「仕事の方だよ、ここ追い出されたら困る」
「このアイス、知ってる?」
「俺。帰る途中にアイスの製造直販店が有って、時々買って来てた」
「それで保冷剤がどんどん増えて来たのね、
このアイス美味しいね、ご馳走様です」
「食費にもならないけどさ」
「仕事、独立考えているなら節約して貯金しておきなさい、悦子さんから毎月送って頂くお野菜で
充分よ、気にしなさんな」
「東京ってなんで野菜たかいんだろ?輸送コスト考えても高すぎだよなァ、教授の叔父さんの収入って
高額なの?」
「世間が思うほどでもないわ、贅沢しなければ暮らしていける程度、ソーラーパネルにしておいて良かった。ドクターと薬剤師も少し入れてくれるようになったから何とかね」
「肩身狭ッ」
「だから、それは出世払いよ」
「感謝」
「それより、このアイスと冷凍食品どちらを優先させるの?」
「じゃあ、下の冷凍室を整理して今夜使う物出して、明日用は冷蔵室に移して今日届いた物を入れる、
どう?」
「冷蔵室も大分塞がってるし、今日も届いているわよ。駄目、解んない発注者に任せるわどうにかして」
「こっちの冷蔵室のソフトドリンクは全部出して、ビール入れる。アッお茶、開栓したの誰?今夜はビール無しィ~」
「ゴメンナサイ開けたの私です」
「まったくゥ、後は私がやるから休んでて」
「アイス一つください」
「お母さん怒ってないよ、持って行ってよ」
「美味しいのどれ?」
「ったく、一通り食べてくれると空くんだけどなー」
「一、二、三・・・八個も食べられない」
「アハハハ、冗談よ。私はこれが好き」
「俺はコッチ。俺達も食べよう」
「食べたら、玄関の食材運ぶの手伝ってね」
開けたままなので、ピーピー冷蔵庫が鳴る。
「ワア、これ何日分だよ?」
「大人六人だから、三日はもたない。悦子伯母さん送ってくれた物、中身見てないから何とも言えないけど五日?
いつもの三倍だから一週間かな?」
「オフクロ気合入れたなァ」
智沙は冷凍室の物を全部テーブルに並べ、今夜のメニューを考えている様子、話しかけると唇に指を
当てる。
子供の頃を思い出す。
手際良く詰め込んで行く、明日、明後日のメニュー決まったようだ。
「お刺身は明日の帰りに買って来る」と言う。
「まだ増えるのかよ?食糧危機って本当に起きるかもしれないなァ」公次が妙に感心している、はしゃいでいるキャロットを抱き上げて「少しダイエットしろ」と。
結局、二台の冷蔵庫が満杯となった。二階の野菜室にビールが納まりソフトドリンクは数本出しただけで済んだ。
悦子さんにお礼のメールを送信した。
すぐに返信が来て、白菜漬けは減塩で漬けたので早めに食べてとあった。
「今日は、冷蔵庫の大掃除したので変わった組み合わせだけど文句言わないでね」と智沙。
大型ホットプレート二台で鉄板焼き、牛豚鶏と野菜。白菜漬け、甘くて美味しかった。
沙枝が味見して少し塩抜き後OKしてくれた。
ビールも出したが、淳一ドクターはいつ呼び出しが有っても良いように軽く呑んだだけでお茶を
飲みながらの食事となった。
キャロットも普通に猫缶を食べている。
私と淳一以外は食べて呑んで賑やかだ、〆には残った野菜で焼きソバ。
近頃は帰宅時間がバラバラなので全員揃うのは久し振りで楽しかった。
この時が、私の人生で一番幸せ、沙枝を嫁に出すのが寂しくなりションボリしていると、夫淳平が声をかけてくれた。
「今夜とてもたのしかったから・・・」
「智沙も大人になったな、沙枝から代替わりして一家の中心だ。孫が生まれれば、
別の楽しみが出て来るさ」
「その日まで、生きて居られるの?」
「具合悪いのか?」
「今日レジ袋持って二階に上がったら疲れたのよ、少し不安になってね」
「無理するな片肺飛行のような体だ、移植した臓器だって完璧な働きするまで時間掛かるさ、
気を病むなよ」
自分のペースで生活すれば良いのだろう。
日曜日、平日と同じ時間で朝食を済ませると沙枝と智沙二人で、昼食の準備を始めた。
野菜洗い、皮むき等終わったころ、智沙「お姉ちゃんは沙枝ちゃんカルパッチョ作って、お刺身はチルド室に入っているわ」
頼んでいる、他は全部智沙が作る気か?
そうでは無かった、刻んだ青菜を茹で冷水で色止めし絞って、沙枝に渡し「辛子醤油和えにして」と助手になってもらっている。
ミートローフ、唐揚、カニクリームコロッケ、ニョッキ、フライドポテト、かぼちゃサラダ
ロール白菜、等々ご飯は最後に出すのだろう炊きおこわ、茶碗蒸し、味噌汁は直前に味噌を入れるだけにしてある。
キャロットを抱いて、離れた椅子から眺めていたら淳一が来て「姉さん迎えに行く時間」
「淳ちゃん、お願い代わりに行って来て」
「俺じゃ解らないだろ?」
「大丈夫だと思う、目立つから」
「人使い荒い姉貴だな」
「美味しい昼ご飯がたべられる~」
「解ったよ、別の人連れて来るかもよ」
「さ、行った行った」
「お姉ちゃん、ここどうにかするよ」
「揚げ物と、盛り付け同時は無理よ、これだけの品数、大皿盛りにして取り箸付けよう。
カルパッチョと辛子醤油和えだけは個別にする?」
「そうだね、お姉ちゃんに任せる、揚げ物始めるわ」
銘々取り皿を出してウロウロしてたら、「お母さんとキャロットは座っていて」と言われた。
八歳違いの姉妹だが、沙枝が童顔なので仲良し姉妹に見える。ホッとする光景だ。
「あれっ、磯部先生どこ行くんですか?」
「君の家」
「え?僕、約束してました?親父の方か」
「ノー」
淳一は自分でも間の抜けた言葉だと思った。
「もしかして、姉のフィアンセって先生?」
「そういうこと」
「いつから?切っ掛けは?親父は?」
「安藤教授には付き合い始めてすぐご挨拶したよ、同じ大学に居るんだ黙って居る訳にはいかないだろ?あと何だっけ?」
「いつから?」
「お母さんの移植手術の直後、沙枝さんからお礼だと言って食事ご馳走になったんだ」
「それで納得。先生、姉貴のメアド教えろって何度も言ってたのに、いつの間にかピタッと言わなくなりましたもんね」
「その話はするな、沙枝さんからアプローチされたことに二人の間ではなってる」
「どうでも良いですけどね、気付かなかったなァ」
「お腹の傷、気にしてたな。執刀したのは高田先生だ、綺麗な傷だ。高田先生と俺は同期でライバルさ。
お前は弟だから耳に入らないだろうけど、沙枝さんを狙っている奴は多いんだ、教授の娘って事で打算の奴もいる。今日のことが広まれば陰口が出るだろうな。俺は臓器移植の成功率をあげたい、拒否反応を減らしたい。沙枝さんも始めは、お母さんの子宮がんがきっかけでこの道にはいったけど、今は拒否反応に関する勉強をしている。聞いたよ、お前もお母さんの病気がきっかけで猛勉強してドクターになったんだって?」
「そうです、母を助けたい、その気持ちが強かったなァ、まだまだ経験不足勉強不足ですが、この大学病院に入れて良かったです」
「昨日、教授から手ぶらで来いって仰るからな、教授はブランデー呑むって聞いたけど、解らないから酒店で勧められた物にした」
「普段はビールだけど、寝酒かなどちらかと言えば酒弱いですよ」
「そうかァ、でも皆呑むんだろ?料理にも使えるしな」
「料理?あァフランベか、もったいない」
夫は落ち着かないようで、玄関先の掃き掃除を始めた。
「お、見えてきた、智沙ァ料理の方は大丈夫か、公次ビール出して来い」
沙枝がベランダから首を伸ばし「掃除は止めて座ってェ」。
テーブルに付いてから「着替えようか?」
「誰が着替えるの?」
「俺達」
「何言っているの、見合じゃないわよ」
「沙枝、着替えないのか?」
「振袖でも着ましょうか?まったく噂通りの天然なんだからァ」
「おい母さん、天然て何のことだ?」
「・・・お父さんの褒め言葉ですよ」
「そうか、養殖より天然の方が高いからな」
ビールを持って来た公次と智沙が声を殺して涙を流しながら笑い転げている。
「そこの二人、火を使ってるんでしょ?笑うの止めェ」
「だって可笑しいんだもの」
玄関からキャロットに纏わり付かれて、二人上がって来た。
「あら先生、お久し振りです、お礼もしませんで申し訳ありません、今日は何か・・・」
「お久し振りですお元気そうで何よりです」
「皆に紹介するわね、私の手術をしてくださった磯部研吾先生よ」
「お母さん、今日はね私が結婚を前提にお付き合いしている方を紹介する為来て頂いたの」
「あら、そうだったわね。え?二人・・・」
「淳一君、僕の立ち位置はどうすれば良い」
「こうなるの解ってましたよ」
「はいはい、私の指示に従って座ってください、お父さんとお母さんはココ、先生とお姉ちゃんはコッチ、お兄ちゃんは先生の隣、公次兄ちゃんはお父さんの隣、はい座ってェ」
電子レンジでチンした熱いオシボリを配った。「ビール注いで、乾杯はお兄ちゃんね」
「カンパ~イ、ようこそ」
「研さん先に言っておくわね、今日のこの料理、智沙が作ったの私は盛り付け係りだったから料理上手を期待しないでね」
「あ、姉貴ハードル下げてる」
「お姉ちゃんの料理から学んだの多いわよ」
「沙枝姉さんのお弁当美味しいですよ」
「六人家族、賑やかで良いですね、僕は早くに母を亡くしているので、祖母と父と三人ですから羨ましいです」
「ゴメンナサイ自己紹介しましょう」
「沙枝の父です、妻の手術ではお世話になりました、沙枝のこと頼みますよ」
「母です、驚きましたが、縁有ったのね」
「弟の淳一です、先生の後輩です以下省略」
「妹の智沙です、お姉ちゃんを幸せにしてください、子供も早く作ってくださいね」
「叔父さん方の従兄弟で居候の公次です」
「磯部研吾です、淳一君の先輩で、お母さんの執刀医です、安藤教授を尊敬していますが、沙枝さんが教授のお嬢さんとは見ていません、きっかけは沙枝さんからで・・・」
「え?そうなの」
「そうよ、お母さんお礼のこと気にしてたでしょ?だからお食事に誘ったの」
そうか、四人は広義で同じ職場だわ。
夫は娘の父として異論は無いのだろうか、揉めなくて助かるが、変なタイミングで天然が出なければ良いのだが。
沙枝、長いことありがとうね、今度は自分が幸せになって。
良く食べたわ皆、余るほど智沙は作ったのに大人数で話しながら食べると釣られて食べるのだろう、私以外の六人が呑みビール三ケース半が消えた。楽しかった。
「先生、丼物に飽きているって聞いたけど、よ~く解ります」
「だろ、医局で取る出前、飽きるよな」
夕方、沙枝が駅まで送って行った。
二人の結婚式披露宴は身内親族だけにした。
磯部家はお祖母ちゃんとお父さん、従兄弟が三人居るとのことでご招待しこちらは、公次と私の姪美恵を呼んだだけで小じんまり行った。
職場へは入籍後報告。新婚旅行も無し、沙枝が少し可哀相かな?医師の妻だ仕方ない。
二週間後の土曜日夕食をレストランで会費制パーテイを開き報告と挨拶をした。
成り行きで、淳一が幹事をしたという。
沙枝も淳一も夫の肩書きを利用しない、研吾さんも婿だとは言わない。
研吾さんの父親は銀行マンだ「嫁と言っても同居の必要は無い、お互い気疲れするから、別居しよう。
このまま働きたければ続けなさい。でも孫は作ってください」とのことで、家から五分の所に二LDKのマンション住まいとなった。時々、お祖母ちゃんの所へ行き、家事を手伝ったり、研吾さんの子供の頃の話、好きな食べ物の作り方を教えて頂いているらしい。徐々に「ただいまァ」と行くようになった。
食材を持って行き、夕食はお祖母ちゃん、舅と摂り休日前夜は一緒に呑んだ。
何度も呑むうちに舅も打ち解けさっぱりした気性の沙枝を気に入ってくれたようだ。
亡くなったお母さんの事も聞かせてくれた、「娘が出来た」と言うように距離が縮まった。
夜十時までに研吾さんが来ない日は、切り上げて帰るのだが、
「例え五分でも何か有ったら困る」とマンションまで送ってくださる。
お祖母ちゃんは「これで曾孫が見られたら、いつ逝ってもいい、研吾を頼みます」と。
分娩室のまえの廊下を夫が右往左往している。どうして男ってこういう時慌てるのだろうか、三人の子の親なんだから解る筈なのに。
「まだかな?大丈夫かな?」ブツブツ言いながら歩いている、沙枝のことには特に思い入れが深いように感じる。
夫は主任教授になっていた。出世欲等無い人だ、選挙で揉めた結果ダークホース的に、お鉢が回って来たらしい。「雑務が増えた」と。
淳一が来て「親父、自分の部屋に居ろよ生まれたら知らせるから、主任教授がウロウロしてると周囲の
者が気を使うんだよ自分の肩書きも意識しろよな」無理やり部屋に連れて行った。
ヤレヤレ静かに待ちましょ。
「えっ、もう戻って来ちゃったの?」
「悪いか?女の子って聞いているけどなァ」
「貴方が力んでも無駄、産むのは沙枝よ」
「研吾君はまだ来てないな?」
「だから、まだですって。私達は役立たずなんですから一度帰りましょう」
「嫌だ、赤ん坊の顔見るまでここに居る」
「座って一時間おとなしく出来るの?」
「解った、ウルサイ!」
着いて来た助手に、公務じゃなく私用なので気を使わないよう話した。
後日この日の夫の行動に尾ひれが付いて面白噂話として広まったと、淳一がボヤイテいた。
「安藤教授が、磯部先生の奥さんつまり教授の娘、沙枝さんの出産の時、中々産まれないので自分が真っ赤な顔でウ~ンて力んで夫人に怒鳴られていた、チビッたらしいよ」と。
待つこと二時間、夫は気を失いそうだ。
研吾さんが分娩室前にやって来て間もなく、産声が聞こえた。元気な女の子が無事産まれたのだ。
研吾さんを残し沙枝と二人にした。私達は新生児室の前で待った。
そこへ淳一がやって来た「祝、女の子誕生です」メールを一斉送信している。一瞬、病院中が湧いた。
私へも「おめでとう」メールが次々入って来るのが嬉しい。生命を繋ぐこと出来たのだ。
磯部のお祖母ちゃんへは、私から電話した、
涙声で「良かった、嬉しいよう」と。
気が抜けてしまった夫を早退させ、有名処のちらし寿司折を二十箱買い、磯部家へ寄りお仏壇に一つ供え手を合わせた。
あと四つ置き待たせてあるタクシーで帰宅した。いつもお世話になっているお隣へ五箱届け報告する。
「智枝さん良かったねェ、二度も辛い思いしたけど、生きていれば良い事も有るわ、何か有ったら気軽に言ってね、おめでとう」。
残り十箱、五人家族となった今では充分だ、ん?九箱しかない、公次も智沙も留守だ、老猫のキャロットが食べる訳ないし、淳平か?
着替えて出て来たので問うた「目出度いだろ、タクシードライバーに一つ御裾分けした」。
天然もここまで来ると立派だ。
かき玉汁と、小松菜のおひたしで良いだろう。
今日くらい、智沙にも楽をさせたい。
研吾さんと沙枝で決めた初孫の名前「詩織」という、可愛い。
退院して来て、磯部のお祖母ちゃんに抱いてもらったら、泣いてばかりで困ったと。
「何も仰らないけど、孫の研吾さん六歳から育てるのに苦労したんだろうな」
お宮参りで親族が集まった、お祖母ちゃんと詩織が中心となるよう気を使う。
研吾さんの父と意外にも淳一が詩織にデレデレだ、中々抱かせて貰えない淳平は不機嫌だマズイ、
沙枝に話をつけて、淳平が抱き私と三人で撮ってもらった。淳平が離したがらない、デジカメ撮りに
専念している智沙に窘められている。
次は誰が抱くかで揉めている。
「皆、大人気ない!」智沙のひとことで鎮まり、予約してある写真館で撮影後、料亭に移動した。
詩織は終始泣かずに機嫌良く助かった、詩織は智沙に興味を示し手を伸ばす。
少し具合が悪い。この所赤ちゃん絡みの日が続いたので疲れが溜まったのだろう。
明日は定期通院の日だ、村田先生に話そう。
夫淳平の主任教授は二年の任期で学部長に進み、ガン治療薬の研究に没頭している、
もう私のことで負担かけたくない。
婿の研吾さんは講師から、準教授となっている、研吾さんの実力だ。
沙枝は三十歳一児の母だ、育休明けは復職予定らしい。
淳一は講師となった、論文を書くことに熱中している、お付会いしている人はいないのだろうか?
悦子さんが長男公太の嫁探しをしているが、今時の女の子は来てくれないと気を揉んでいる。
「伯母さん、私の同級生に農業やりたいという子が居るんだけど、一度連れて行っても良いかしら」
「大学出て、農家の嫁にはならないでしょ」
「私は栄養学、その子は食品学でね、作るところから興味有るのよ。有機栽培とか環境に負けない作物を
作りたいんですって」
「遊びのつもりでいらっしゃい、公太には言わないでおくガッカリした顔見たくないわ」
「じゃ、今月末行くわ、二日泊めてね」
悦っちゃんの予測に反し、二人意気投合して、遠距離恋愛が始まった。
六
公太の結婚式披露宴に出席した淳平と智沙が帰って来た。私は祝電を打ち、メールもしておいた。
智沙は刺激を受けたのか、「早く結婚したいなァ赤ちゃんほしいなァ」を繰り返す。
悦子さんから「智沙ちゃんのお陰で、我が家にも春が来ました、感謝」と。
智沙は大学卒業し某企業傘下の介護施設で働いている、管理栄養士の資格も取り、張り切っている。
ある日突然、若い男性を伴って帰って来た。家政大学の栄養学の講師で三十歳。
「結婚前提でお付き合い始めます」宣言か。
「二十五歳までに結婚したいの、二、三年付き合えばお互い解るでしょ?」付き合い始める前に連れてくるとは智沙らしい。
甥公次は会社を辞め独立した。デザインコンペ幾つも優勝しており、クライアントも数社あるのだと。
「長年お世話になりました、マンション借りることにします、暫らくは住居仕事場兼用です、収入安定したら別にしますけど」と報告して来た。
「商業デザインの世界のことは解らないが、力になれる事も有るかもしれない、困ったら早めに言いに来なさい」夫が激励した。
独立祝いを現金で渡した。
悦子さんに電話した「今時の子にしては、気概が有って良い、上手く行くといいわね」
「何考えているんだか」
「我が子を信じてあげなきゃ」
「そうなんだけど、心配よ」
「私達も応援する、親が思うより大人よ」
「そう?十年ね、ありがとうございました」
夕食摂りながら智沙が「結婚させてください、三ヶ月後位に」夫も私も、すんなり受け入れた。
この二年、デート帰りは必ず送り届けてくれ、何度も話すうちに打ち解けた、誠意を感じる人柄が
気に入ってしまった。
太田修三、沙枝と同い年の三十二歳、大学の講師だ。
「お父さん、お願いなんだけど・・・ここに同居しても良い?太田さん三男だし、経済的にもね?
もちろん家賃も食費も入れるわよ、ねェ許可してよ、お姉ちゃんと公次兄ちゃんの部屋空いているでしょ?」
それは智沙の方便だ、本当は私達を心配しての事だ。修三さんと相談して同居を言い出したのだろう。
「実は俺も、そろそろ結婚考えている、病院の近くに住みたい。
智沙夫婦がオフクロ達と同居してくれるなら安心だけどな」
最近の淳平の趣味、暦を持って来てページをめくっている。
「淳一、来月マンション買って引っ越せ、同時にこの家の二階リフォームする。
外階段付けて、二階に直接入れるように上にも玄関と浴室も作る、智枝、建築会社に連絡な」と
言い出した。
「そうだ、財産分与だ淳一マンションの頭金出してやる、沙枝には現金で渡す。だからこの家は智沙にやる。残った現金は法定通りにするぞ、正式な遺言書作ろう」
「縁起でもない」
「元気で、頭がはっきり働くうちに作る」
「あ、三ヶ月後のこの日が大安で日曜日だ、こっちが友引で土曜日だ、淳一お前も式を挙げてしまえ、
何度もチョコチョコやられるの俺達の体力が持たん」
「えェ?まだ正式なプロポーズしてないよ」
「愚図だな、チャッチャッと済ませろ」
私の体調を考えて、娘さんのご両親に来てもらいご挨拶させて頂くことにした。
太田さんのご両親の来訪日と重ならないよう智沙と淳一で調整することになった。
バタバタと話が纏まり、大安吉日に二組の合同結婚式を挙げた、披露宴は簡素にしたつもりだが、三家が集まったのだ多人数。
私は車椅子で出席した留袖で。
詩織は二歳半、興奮気味だ「智沙お姉ちゃんキレイ」「真由お姉ちゃん、お人形さん」と会場を走り回り沙枝はハラハラしている。
大学関係者は招待していない、学部長の息子と娘の結婚だ華美になるのを避ける為だ。
その祝電の数が大量だ、お礼状出すのも大変だろう、二組分混ざっている可能性が有るので、後日二人の嫁でチェックだわ。
七
二組合同結婚式で、体調を崩し入院しベッド生活になってしまった。
智沙は仕事帰りや休日にきてくれる、老健の管理栄養士だがヘルパーさんのすることを見ているので私へのサポートもしっかり行き届いている。他の家族も仕事の合間に顔を出してくれる。
詩織も連れて来てくれ嬉しい。
夫と村田先生の表情が険しいのが気になる。
沙枝が帰宅途中、交通事故、「重態」と聞こえた、本当だろうか?心配だ。
沙枝に脳死判定が二回出た。
「お義父さんこれ見てください」
沙枝の運転免許証裏の臓器提供意思の欄に親族優先と書かれていたと後日聞いた。
ケースの中からメモが出て来た、母にもう一つ腎臓移植してください、使える臓器は全て提供します、
沙枝のサインと押印されていた。
「僕は、沙枝の意思を尊重したい、沙枝はお義母さんの中で生きてくれます、僕は、妻を尊敬します」
「・・・妻への移植手術、また君がやってくれるのか?」
「はい。僕は今の妻にメスを当てることは、辛くて出来ません、取り出すのは淳一君に任せましょう、
他に優秀な先生も居ますが、淳一君も大分腕を磨きましたから」
淳一が呼ばれ「明日、臓器の取り出し手術をやれ復習しておけ、涙は厳禁、手術が終わってからだ」
「・・・解りました、丁寧迅速にやります。キレイに縫合してご主人にお返しします」
「母さん、ドナーが見つかった、もう片方の腎臓移植、明日朝からだよ」
「え?私が二回も提供受けて良いの?」
「大丈夫、また磯部先生の執刀だ安心して」
前回同様拒否反応も小さく、体に馴染み始めたのが解る。
二週間して、車椅子に乗れるようになった頃夫と研吾さんが一緒に病室にやって来た。
険しい表情に私は口をつぐんだ。
「沙枝が交通事故に合った、助からなかった、明日通夜で明後日告別式。母さんは告別式でご焼香してお別れしたら病院に戻る、いいな」
涙も声も出なかった、ただ頷いただけ。
退院したら、詩織が居て無邪気に「おかえり、バアバ」と飛び付いて来た。
智沙夫婦が面倒をみていると言う。
悦子さんが迎えてくれた、初めて涙が溢れ、泣きじゃくる私をベッドまで抱き抱え連れて行ってくれ、
二人で泣いた言葉は無かった。
四、五日泣き続け落ち着いた頃、詩織が甘えに来た沙枝と研吾さんとの三人の写真を握りしめ
「バアバ、ママ死んじゃったの?いつ帰って来るかなァ」と、抱き締めて泣いた。
研吾さんが来て、色々相談した。
お祖母ちゃんは昨年亡くなっている、お父様は銀行を定年退職し関連会社で働いている。
研吾さんの仕事も不規則だ、智沙夫婦は「養子にしても良い、ちゃんと育てる・・・」と。
研吾さんとお父様から詩織を取り上げてしまっては逆に張り合いも失うだろう。
この家で暮らすのをメインとし、月に一度、週末に研吾さんの所で過ごして、日曜夕方にこちらに戻る。
それが詩織にとって今は、最善だろうか。
私が元気になったら保育園の送迎を引き受けよう、一緒に遊ぼう。
納骨、磯部家の墓は東京の郊外に有った。
研吾さんの車に詩織を抱いてお父様と乗る。
あとは淳一と修三さんの車に分乗して向かった。詩織は車窓の風景を見てハシャイデいる。
お父様はしきりに涙を拭う。
墓前では、詩織は神妙にしている。
何かを、感じ取ったのだろうか。
涙が頬を伝う。
「姉さん・・・」淳一が堰を切ったように、号泣。智沙が背を擦る。
仲の良い姉弟だった。
智沙は、書斎で話合っている三人にお茶を持って行った、偶然聞こえてしまった。
「ここに居る三人が墓まで持って行く話しだ、智沙にも悟られてはならない事だ」。
第二章 ジャスミン
一
「詩織先生、パパとママを助けてください」
尚一君の声だ。
「パパもママも頑張っているわ、私も頑張って助けるから。君はベッドに戻って寝てなければ駄目よ
解った?」
何て空疎な言葉だろう、無力感が襲う。
あぁ夢か。嫌な汗をシャワーで流そうか。
救命出来なかった時いつも夢で魘されて起きてしまう。
尚一君達が搬送されて来た時点で、お父さんの死亡確認された、お母さんの火傷は手足だけで軽症だ、
三人が庇うように折り重なったのだろう、尚一君は煙の吸い込みはあったものの気道熱傷は僅かだ。
問題はお母さんの頭部打撲で意識が無いことだ。
その後どうなったんだか記憶がぼやけている。
泣きじゃくりながら「助けるって言ったのにパパが死んじゃったよゥ・・・」
「ゴメンネ、お父さんは既に亡くなっていたの、ママは助かった、一緒に頑張ってね」
漏電による火災で全焼と聞いている。
毎日、何人もの人達が搬送されて来る、そのうち何割の人を救命できているのだろう。
寝る度に悪夢に苦しめられる、私の神経がもたない。先輩ドクターはどう処理しているのだろう。
心療内科に通うドクターもいるらしいが、当人から聞いたことは無い。常時戦場ではない、
対応を教えてもらう事も、雑談を交すことだって有るが、意識してか他愛もない明るい話が多いように
思う。
皆、救えなかった命、自分の処置に間違いは無かっただろうかという苦悩を包み隠して。
体力も精神もタフじゃないと勤まらない、専門科を決める時、パパも淳一叔父さんも反対したのだ。
二人とも同じ病院の外科医だから救命救急外来の過酷さを知っていた。
今でも私は後悔していない、瞬時の判断が鈍ったら異動すれば良い。
猫のレモンが居なくなって五年経つ、また猫と暮らそうかな。
レモンのやんちゃ振りが懐かしい、次の休みはペットショップ回りだ。
「しぃちゃん、降りるわよ」
お祖母ちゃんだ、待ってぇ。
電車は好きだが、改札機が苦手だ、タッチパネルの位置が高くて背伸びしなければならないからだ。
十分位歩くと校門だ。
教頭先生が笑いながら迎えてくれる。お祖母ちゃんはまた下校時間に迎えに来て、水泳教室に行く。
更衣室で水着になり別々のプールに。お祖母ちゃんは健康の為シニア教室で習っている。
私は自由形で十五メートル程は泳げるようになったが息継ぎが下手だ、がんばろっと。
「お祖母ちゃん待ってぇ」度々見る夢だ。
沙枝ママを三歳で失った私を十二歳まで育ててくれた。十二歳中学入学からは実父と暮らすようになり、会う機会は減ったが何でも相談出来る大好きなお祖母ちゃんだった。一周忌。
二
「しぃちゃん、しぃちゃん」
庭のバラの植え込みの方で、智枝お祖母ちゃんが呼んでいる。
「はぁい何?お祖母ちゃん」
「もう今日は、お仕舞いにしまよう」
「はぁい、あと三つ抜いたらね」
「抜いたのはコンポストに入れて来てね」
「解ったぁ」
お祖母ちゃんは埃を払って家へ入って行く。
バラは棘が危ないからと、私にはやらせてくれない。大丈夫だと思うのだけど。
時計は間もなく五時。
私の好きなレモンティを淹れたお祖母ちゃんがサッシを開けて呼んでいる「早く入っていらっしゃい」
リビングに行ったらお祖母ちゃんは洗濯物を畳みながら「手を洗ってお茶飲んだら、お風呂に入ろうね」
「あと一本あと一本ってやってたら遅れた」
「一度に沢山抜くのは無理よ飽きないの?」
「うんママもお花好きだったんでしょ?」
「そうね、よく草抜きしてくれたわね」
「だから私も草抜きするわ」
「切花になるのが咲いたら沙枝ママの写真の所へ飾りましょう」
「ウン、智沙お母さんにもあげるんだ、もうすぐ赤ちゃん生まれるんでしょ?」
「楽しみ?男の子かな女の子かな」
「・・赤ちゃん生まれても私、この家に居ても良いの?」
「当たり前でしょ、詩織の家は二つ有るのよ。
研吾パパはお仕事忙しいから詩織のお世話は無理でしょ?ここなら私が一日中居るからね。
智沙叔母さんも修三叔父さんも詩織のことを本当の子だと思って居るから甘やかすだけでは無く
厳しくもするのよ」
「そっか、解ったから泣かないでよ」
お祖母ちゃんは畳んだばかりのハンカチで目を押さえている。私は涙をこらえた。
智沙お母さんは妊娠六ヶ月目で、まだ働いている、赤ちゃんが生まれたら少し休むけど仕事は続けると言っている。
沙枝が亡くなった時、詩織は三歳だった。
智沙夫婦には、まだ子が無く本気で養子縁組を考えたが、淳一が反対した。
職場の先輩医師でもある義兄の研吾を思いやってのことだ。妻である沙枝を失ったばかりか溺愛している娘まで取り上げてしまっては気力が萎えてしまう「暫らく預かることにした方が良いよ」。
研吾さんも手放したくない意思だった。
「暫らくの間、詩織の世話をお願いします」
妻の実家を頼ってくれたのだ。月に一、二回研吾さんの許で過ごすが、それでも緊急オペで病院から呼び出しが有り私達の所へ戻って来る事も有った。
沙枝の妹の智沙夫婦は喜んで引き受けた、我が子のように。
時には厳しく叱り、詩織が納得すれば甘えさせた。
婿の修三さんは入り婿では無いが、三男なので妻の実家の此処で同居している。
結婚当初からだが、智沙が老夫婦だけになってしまう私達のことを心配したのだろう。
修三さんはS家政大学の講師で帰宅時間はまちまちだ。
気兼ねしなくて済むように改築して外階段を付け二階にも玄関と浴室、トイレを作った。
中二階は今まで通りダイニングとキッチンと予備室。
ついでだからとクロスの張替えもしたので明るい室内だ。
詩織の部屋は、元、甥の公次が居候していた時の部屋だ、小花模様のクロスになり女の子らしく可愛い。
安藤、太田、磯部姓三つの住民票が此処に有るが、表札は安藤と太田の二つだけだ。
長男の安藤淳一は、智沙と合同挙式をあげ大学病院の近くにマンションを買って所帯を構えている。
夫の淳平が頭金を出してやった、この家は智沙に相続させることになっている。
夫淳平は薬学者で少し浮世離れしているが、初孫の詩織を溺愛していて、孫娘の後追いをして時々邪険にされているのが可笑しい。
詩織に「不憫ってどういう意味?」と聞かれ「だいじってこと」としか答えようがなかった。
夫には言わないように伝えた。
詩織が来てからもうすぐ一年、ということは沙枝が亡くなってから一年ということだ。
「しぃちゃん、今日は誰とお風呂入るの」
「昨日はお祖父ちゃんだったから、今日はお祖母ちゃんと入りたい」
「じゃ、用意していらっしゃい」
「はぁい、水色のパジャマにしよっと」
畳んだ洗濯物を持って、お祖母ちゃんが付いて来た。
「私がやるよ、病気になっちゃうよ」
「心配してくれて、ありがとうね。でもね、三回手術して元気になったわ、そのうち二回は研吾パパに
手術して頂いたのよ。」
「ふぅん、パパがお祖母ちゃんの手術?」
「そうよ」
「ねぇ?歳をとると皆お腹の手術するの?」
「そんな事ないわ、お祖父ちゃんと私は偶然よ、手術しないで元気な人が多いわ」
半年前、夫淳平は胃潰瘍の手術をして跡が残っているので詩織は気になっていたのだろう。
お腹の膨らみが目立ち始めた智沙お母さんが夕食作りをしている傍で、お祖母ちゃんと下ごしらえで
モヤシのヒゲ取りをする。
口当たり食感が違い美味しいので好きなお手伝いだ。「草抜きに似ているね?」
「そうねぇ、根気良く一つ一つやるのよ」
「綺麗な花と美味しいのが好きだよ」
「無理しないでね、食いしん坊は誰に似たのかしら?沙枝ママもそうだったわ」
「あっ、お祖父ちゃん帰って来たぁ」
同時に外階段でも音がする。
「アレ?変だなぁ」
一階と二階の玄関扉がほぼ同時に開いた。
「お祖父ちゃんお父さんお帰りなさぁい」
二人同時に「なんだ風呂入っちゃったのか?一緒に入りたかったな」
忙しいお父さんのこの時間の帰宅は珍しい、お祖父ちゃんも半年前病気をしてから研究は続けているが
早く帰って来るようになっている。臨床医ではなく病理医らしい、患者さんを診ないお医者さんだ、
新薬を作ったり副作用などの研究らしい。
お祖父ちゃんが拗ねるので、お祖母ちゃんと交互に入浴するのだ。
栄養大学の准教授のお父さんは帰りが遅く、一緒に夕飯も摂れないが、たまに夕食前に帰って来てお母さんをビックリさせる、そういう日には私と入浴して高い噴水を作ってくれて楽しい。
「また庭の草抜きしたのか?」
「そう終わってからお祖母ちゃんと入ったの」
修三お父さんが二階の階段上から「詩織にプレゼントだよ」と大きな荷物を指した。
「何?開けて開けて、早くぅ」
「待て待て、詩織の部屋で開けよう」
孫を捕られた淳平の表情が暗い。
「お祖父ちゃん、早くお風呂入って来てよ」
「俺は、お前の親父だ、何でお祖父ちゃんて呼ばれなきゃならんのかな?」
「もう、ややこしくなるんだからぁ。詩織は研吾さんをパパ、修三さんをお父さんと呼び分けているわ、この子が生まれてきたら詩織を見習うと思う、孫目線で呼ばせてよ」
「私だってお祖母ちゃんって呼ばれてますよ、あなた拗ねないでね解った?」
「他に言いようが無いのか?」
「じゃ、グランドパパ、グランパパ?」
「・・嫌だ、風呂入って来る、パジャマ」
「用意してあります」
「パンツ」
「用意出来ていますよ」
やっと浴室へ行ったお祖父ちゃん。
お母さんの笑い声が聞こえた「お父さんずっとあの調子でしょ?疲れないお母さん?」
「四十年一緒に居るのよ慣れたわ、裏表の無い人で安心出来るわ、何かと感謝とか褒めていれば
機嫌良いしね」
「元々の天然に仕事柄なのか、浮世離れしているものね。子供の頃、本当に大学の先生なのか半信半疑だったの覚えているわ」
「多分、欲が無く敵が居なかった。それが功を奏したのね、名誉教授に何時の間にかね」
「権力闘争、お父さんには向いていないね、修三さんの事が心配。本人のやりたい研究が出来れば良くて出世は望んでいないと思うんだけど、トバッチリ受ける事も有るしね」
「お祖父ちゃーん、お祖母ちゃーん、お母さんも来てぇ」
「一番初めに俺を呼んだぞ」
淳平の機嫌が直り、三人で詩織の部屋へ急いだ。半階上がって、開いたドアを覗いた。
「ワァ可愛いー、あなたどうしたの?」
「空腹我慢出来ない、食べながら話すよ」
部屋を気にしながら詩織の「いただきまあす」で夕食が始まった。
オニオンスライスたっぷりの、かつをのたたきをポン酢で。
「美味しいね?」子供向きの味より、大人向きの味付けが好きだ。
「『離乳食、手が掛からなくて助かる』って、沙枝姉さんが言ってたの思い出すわ」とお母さんが笑う。
「お父さん、子猫の名前私が付けて良い?」
「ああ勿論だ、詩織の猫だからな可愛い名前付けてあげなさい」
色々考えていたらお母さんに注意された。
「名前考えるのは食事が済んでからにしなさい、考え事しながら食べるのは体に悪いわ」
「はい、お父さんどうして子猫貰えたの?」
「うちの女子学生が飼おうとしたんだけど、ペット禁止のアパートで管理人さんに見つかってしまい、
今日連れて来て飼い主探しをしていたんだよ。他の学生達もペット禁止のアパートばかりで困って
いたんだ」
「私お世話する、嬉しいな」
元から居るキャロットが子猫を咥えて来た。
ドキドキしながら見ていると、ソファーに乗り尻尾を振って遊ばせ始めたのでホッとする。
「詩織、自分のご飯が終わったら子猫にミルク飲ませましょうね」とお母さんが言う。
哺乳瓶、猫の粉ミルク、トイレも貰って来てくれたので安心、大荷物になる筈だ。
「学生には一万円渡して来たけど少なかったかな?常識的にはどうだろう?」
「キャリーバッグとかトイレ、ペット用品は高価だから・・その学生さんに実費を聞いてみたらどうかしら。たぶんマンチカンの猫だと思うわ。ペットショップで買ったのならそれなりのお金払ったと思うの」
「そうだな、いくらペット禁止の住居だったからとはいえ赤字では可哀相だものな」
お父さんお母さんが話し合っている。
後日解ったことは、出費はミルク代だけであとは貰い物だったとのこと。マンチカンの混血で友人から頼まれて貰い受けたと。
名前はレモンにした、お祖父ちゃんは「花子はどうだ?」と言っていたが私はカタカナの方が良かったので爽やかな「レモン」に決めた。
キャロットのトイレは一階、レモンのは二階に置き食餌場所は中二階でと決める。
レモンと遊んでいるところを、写メで研吾パパに送信された。
お父さんは色々タイトルを付けて度々送信してくれる。
「パパが寂しい思いをしないように」と言っている。
「たまにしか会えないけど詩織の日常が良く解って嬉しい」パパが言う。
レモンは私やキャロットに飛び付いては転びをしていたが満腹になって眠ってしまった。
お父さんが掌に載せて私の部屋の籠に寝せ、学生さんから貰って来たブランケットを掛けた。
「詩織の妹だな仲良くしなさい」。
初めての所にすぐ馴染んだらしく熟睡だ。
四歳半の今の私はパパと暮らせないけど、もっと大きくなってご飯が作れるようになったら一緒に暮らしたい、ママの代わりにお世話したいな。私の保育園へ向かっている車での事故で、もうママは居ない。
ベッドから出て「レモンちゃん」と声をかけて、そっと撫でてから戻った。
深夜にレモンの鳴き声で目が覚めた。ドアの所でウロウロしている。お母さんがやって来た。
「きっと、オシッコよ。猫トイレに連れて行って、濡らしたペーパーでお尻を拭いてあげて。
親猫は舐めて教えるのよ、ドア閉めない方がいいわね」
洗面所の猫トイレで少しオシッコをした。
「ミルクも飲む?」お母さんが作ってくれた哺乳瓶ミルクをチュウチュウ飲み前足でモガイタ。
何時の間にか私のベッドで眠ってしまったので、そのまま一緒に寝た。以降、レモンと添い寝するのが普通になったが、まだ小さ過ぎて自分で乗り降りが出来ない。
用が有る時は前足で私の顔をチョンチョンするのが可愛くてたまらない。
朝、身支度を終えて中二階に降りて行くとお祖父ちゃんとレモンが遊んでいる。
「レモン」を連呼していたら、キャロットが目を輝かせて寄って来た。
レモンを降ろして挨拶させている。
二匹ジャレあってまるで親子だ。
キャリーバッグにレモンを入れ、お祖母ちゃんと登園、お祖母ちゃんはレモンを連れて動物病院へ検診に行った。
「病気、感染症も無く健康です」と。
ナースに「マンチカンかしら?」と問われ、
「のミックスらしいです、孫がレモンと名付けました」とお祖母ちゃん。
「爽やかな名前いいですね。キャロットちゃんはヒマラヤンの血が入っているし、今時は純血の日本猫の方が少なくなったみたいです」と。
夕方お祖母ちゃんの迎えで帰宅したが、今日の草取りどうしようか迷っていると、お祖母ちゃんが
「草取りはお休みして、レモンと遊びなさい。その方がレモンが喜ぶわ」。
三
私立の小学校の制服が届いた。その他の学校指定のランドセル、靴、トートバッグ、テキスト等は既に揃っていて、オーダー制服を待っていたのだ。入学式が楽しみだ。
これらの費用は全部パパが出してくれた、パパは「自分の子供なんだから当たり前だ」と言っている、
入学金とかも払ってくれたのだろう。ちゃんと勉強しなきゃ。
制服試着した写メをお母さんが送信してくれた。三日後の土曜日にパパの家に泊まりに行くので
「その時見せる」と言ったのに、お母さんとお祖母ちゃんは「今すぐ」と言って写メ送信となったのだ。「どこかのお嬢様みたいだな、土曜日が楽しみだ」と返信。
お祖父ちゃんが「俺にも何か買わせて欲しいな」とシツコク言う。
特に欲しい物が無いので「今は要らない、欲しい時は言うから」。
独り拗ねていた。
土曜日、パパが迎えに来てくれたが、まっすぐ家に向かわず携帯ショップに寄った。
操作の一番簡単なスマホを買って貰った。勿論、家族割りだ。
ホントにパパと家族なんだと解って嬉しい。
設定などは、ショップのお姉さんに頼んだ。いじって良い所、メールのやりかた、電話の掛け方を教えてもらった。電話帳には、パパ、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お父さん、お母さん、淳一叔父さん、110、119の登録もやって貰った。
パパもガラケー携帯からスマホに変更したらデータの移行に一時間かかると言われ、今日の夕ご飯は馴染みの寿司屋さんに行った。
パパと二人きりでの外食は初めてで少し緊張する。
パパがよく行くお店らしく「先生、デートですか?」とカラカワレテ照れている。
「いっぱい食べような?運転が有るからビールが呑めないのが残念」
サビ抜きの握りにしてもらい、お醤油に山葵を少し溶いて付けて食べた。
「なんでそういう食べ方なの?」
「寿司はさび抜きじゃ美味しくない、でも多すぎると鼻がツンとしちゃうから・・」
「先生、お嬢さんには負けちゃうね、何が好きなんだい?」
「コハダ、しめ鯖、アナゴと鮪が好きです」
「おゥ渋いねぇ、将来、呑んべぇになるね」
「詩織、六歳らしい物食べてくれ、玉子は?」
「お母さんの玉子焼きが一番美味しいよ」
「お茶のティバック取らないと苦くなるぞ」
「いいの、濃いほうが好きだから」
馴染みの店員さんがアハハハと笑っている。
お父さんの方のお祖父ちゃんにお土産作ってもらい、携帯ショップに戻った。
お父さんの実家に寄り、お祖父ちゃんに挨拶した「明日の昼間遊びに来ても良い?」。
「勿論だ、待ってるよ」。
パパのマンションに行き、独りでお風呂に入った。パパは一緒に入らなくなっていた。
独りで入るのは滅多に無いのでビクビクしながらシャンプーしたら目に入ってしまい痛くて泣いた。
「パパー」パパが飛んで来てくれた。「向こうでは誰と入っているの?」
「お祖父ちゃんかお祖母ちゃんと入ってる」
「ゴメンな、まだ独りは無理だった」
何事も手が掛からない子なので、独りで入らせたのですが・・それに女の子だから・・とお祖母ちゃんに電話で相談したらしい。
「思春期になったら頼んでも一緒に入ってくれませんよ。今のうちだけですよ」の返事。
日曜夕方、磯部のお家にもどった。
スマホを皆に見せたら、お祖父ちゃんが「俺もスマホにしたい」とお祖母ちゃんに強請っている。
「操作に慣れるまで時間掛かるからやめてください」と却下された。
「しおりですすまほかってもらいましたうれしいです」と一斉送信した。
病院で、パパと淳一叔父さんが悩んでいたらしい「全部ひらがなで句読点無しのメールの判読って難しいな」そのことをお母さんに話したらしい、漢字の変換は簡単な漢字は出来るようになった、句読点も打てるようになった。
赤ちゃん修也君のお世話で忙しいので、お父さんに教わることの方が多い、漢字の変換をすると沢山出て来るので選択が難しい。
入学式出席者で揉めた、結局パパとお祖父ちゃんが出た。帰宅してから庭で家族写真を撮る。
お祖母ちゃんの待ち受け画面になる。
お祖父ちゃんのは私が修也君を抱いている物。
パパのは沙枝ママと三歳の私になっている。
私のはレモンとキャロットがジャレている物。
小学校は歩いて行くには遠い。一駅の電車通学となった。
「慣れたら独りで大丈夫」と言ったのに皆「何か有ってからでは遅い」と心配してくれる。
お祖母ちゃんも定期券を買って一緒に付き添ってくれることになった。ラッシュを避けて、早目の電車に乗る。習い事も増えた、水泳教室は保育園のころから通っているが、学習塾とバレエは家の近くの教室。
水泳は学校に近い、お祖母ちゃんもシニアクラスで練習しているので安心だ。
クラスの八割はスマホを所持していて、LINEでグループを作り楽しんでいる。
私は悩んだ末LINEアプリを入れるのを止めた。
メアドの交換はしたので、時々メールは来るが簡単な返信に止めている。イジメに発展して行かないので気にならない。
スマホは困った時のための物だと思っている。
水泳教室の仲良しは、公立小学校に通っている、其々の学校の事を話して違いを不思議に思うと言い合い笑って過ごす。
修也君は少し話せるようになってきた、私の口真似をして皆を笑わせる。保育園の年少さん。
来月には弟か妹が生まれる。
智沙お母さんはもっと忙しくなるのだ、お手伝い増やそう。倒れたら大変だもの。
「お母さん、修也君のお世話は私がやるから元気な赤ちゃん産んでね、妹がいいなぁ」。
「ただいまぁ、詩織、修也いるぅ」
期待通りの可愛い女の子をお父さんが抱いて三人で帰って来た。
一階のリビングでお披露目、お祖父ちゃんは大学病院で会っているが、まだ抱いていない。
お祖母ちゃんは病室で授乳の時、何度か抱いている。お父さんは最初に、お祖父ちゃんに抱かせた。
スヤスヤ眠っている、可愛い。
「沙織と命名しました。智沙お母さんと詩織から一文字ずつ貰いました、可愛がってください、お願いします」とお父さん。
年齢順に抱き、大騒ぎだ。七歳の私はソファーに座り抱かせて貰う、その横に修也君が座って小さな手をそっと触る。
「修君、お兄ちゃんになったんだから、転んでも泣いちゃ駄目だよ。頑張ろうね。沙織ちゃん可愛いね?お人形さんみたいね」
「わぁ、何でお祖父ちゃん泣いているの?」お祖母ちゃんの目も赤い。
「きっと詩織が生まれた時の事を思い出したのよ、同じ女の子だから。嬉泣きよ」
お祖母ちゃん「命の灯」とポツリと言った。
お宮参りの後の宴席は私の時も、修君の時にも行ったお店だ。修三お父さんのお父さんも伯父さんも出席して多人数で賑やか、研吾パパと淳一叔父さん二人は手術が長引いたとかで少し遅れて来た。
二人は私の両脇に座り「赤ちゃんっていいな」と言いながら呑んだ。
叔父さんは私をみて「大きくなったなぁ」と。
思い出した、私の最初の記憶。
「姉さん」と号泣している淳一叔父さんの背。
たぶん沙枝ママの納骨の時の事だろうか。
パパではなく叔父さんの姿が一番最初の記憶なのだ。
ママとの記憶はポッカリ空白で思い出せないのが悲しい。
本当の記憶なのか、写真を見慣れている記憶なのか区別が付かない。
お祖母ちゃんと智沙お母さんの事は沢山思い出すのに・・。
産休は一ヶ月取っただけで、お母さんは仕事復帰した。在宅勤務という形で仕事を続けている。
老人ホームの管理栄養士をしていて、「インターネットとFAXが有るから在宅勤務が可能なのよ」と
教えてくれた。月に一回は出勤している。
二歳と0歳のお母さんは大変だ。
今日の夕食作りはお祖母ちゃんと私で作ることになっている。相談して南瓜コロッケをメインにして幾つか決めた。
メモをお母さんにチェックして貰うと「青菜のおひたし足して」と言われた。
「食べ直しは出来ない、バランス良く美味しく」が口癖だ。一度食べたら五時間位は次を食べられないからだと言っている。
南瓜を切って蒸していたら、レモンのおねだりが始まった、キャロットもツラレテうろうろしている。
足元で二匹がウロチョロして危ない、二匹を私の部屋に閉じ込めたらドタバタ騒いでいる。
レモンの離乳食に南瓜をマッシュしてミルクを混ぜて食べさせたので好物になったのだ、与えるまで騒いでいる。
蒸し上がったのでマッシュして、修君用、猫用を取り分けて置いた。後でミルクを足して与える。
「待たせるの可哀相よ、もう冷めたからあげていらっしゃい」お祖母ちゃん。
私の部屋に運んだら飛び付いてきた。二匹共喉を鳴らしてアッという間に食べ、今は毛繕いをしている。
豆腐とワカメの味噌汁の味見をお母さんにしてもらった、一回でOKされたので嬉しい。
我が家の味付けは薄味だ、お祖母ちゃんは腎臓病なので塩分制限が有る。
出汁をしっかり取れば減塩食でも美味しい。
それに慣れてしまうと外食は濃すぎて喉が渇くと言う。
コロッケは揚げるだけまで仕上げて、私とお祖母ちゃんはお風呂に入った。
「おじゃましまあす」と公ちゃん叔父さんが入って来た。私の部屋の前の住人で智沙お母さんの従兄弟。
時々ご飯を食べにやって来る。
「公ちゃん、ラッキーだね今夜は私が作ったのよ」
「お腹の薬、有る?」
「ひどい、食べさせてあげない」
「ゴメンゴメン、楽しみだよ」
私は公ちゃんが好きだ、イラストレーターで楽しい絵を描いて遊んでくれるし冗談を言う。
お父さんから、十五分で帰るメールが来たので、コロッケをお母さんが揚げ始めた。
お祖父ちゃんは胃潰瘍の手術をしているので、揚げ物は少な目。油も特別な物を使っている。
しつこくなく揚がるので沢山食べられる。
お父さんと公ちゃんはビールを美味しそうに呑んでいるが、こっそり舐めたら苦かった。
修君に離乳食あげながらの食事でお母さんは忙しい、ご飯のおかわりなどは私の仕事だ。
「私も一口頂戴」とお母さんがビールを。
お祖父ちゃんは笑っているがお祖母ちゃんは呆れている。
「今日は仕事忙しかったの、一口だけよ、それにノンアルコールです。授乳中だから。」
「えっ、修三さんも?」と公ちゃん。
「資料持ち帰った日はね」
「なんか、独りで悪いな」
「気にするな」お祖父ちゃんが笑う。
「それにしても時代の変わり様は凄いな、インターネットのお蔭で在宅勤務が出来るとはなぁ。
お祖母ちゃんも若い頃建築の下請け仕事、家でやってたけど請ける時と納品は出かけていたよ」
「そうね、家事、子育て、仕事と忙しい時期が有ったわ。子育ては一時の事。
病気もしたから沙枝のお手伝いに助けられたわ」
「ね、沙枝ママと智沙お母さんってどんな姉妹だったの?」
「んー、歳が離れていたから、仲良しと言うよりお姉ちゃんに面倒みて貰っていたわ。だからお母さんが入院で留守でも寂しくなかったなぁ、心配はしたけどね」
「ママは戻って来ないけどお母さんもお祖母ちゃんもお祖父ちゃんも居るから大丈夫だ」
「それは良かった、修君とサッチャンのお世話してくれて助かる、ありがとう」
私はお父さんに教わって自転車に乗れるようになった。今は私が修君が補助輪外して練習している。
お父さんが見守っているが、唇に指を当て私に手を離すよう合図した。
「やったー、乗れたよ修君」
お祖父ちゃんも出て来て褒めている。
「外の道路で走るのはまだまだだぞ、庭でもっと上手に乗れるようになってからだよ」
「ウン解った、シイお姉ちゃんありがとう」
サッちゃんは三輪車を乗り回してはしゃいでいる、もう少し大きくなってから自転車を教えよう。
土曜日、パパが迎えに来てくれた。自転車の話をしたら褒めてくれた。
修君とサッちゃんが私と一緒に外泊したいとせがむ。
「サッちゃん、もう少し大きくなってから」
大粒の涙、私に抱き付き泣いて離れない。
パパが抱っこしてアヤシたら泣きやんだが、修君も抱っこをねだる。
「子供三人、今が一番賑やかですかね、忙しい思いをさせて、すみません」
「何をおっしゃいますか、詩織ちゃんがリーダーですよ。手伝いもいっぱいしてくれます」
パパは車ではないので夕食後、お父さんとビール片手に二人で話し込んでいる。
「食後によく呑めるわね」お母さん。
「え?ご飯の後は呑めないの?」
「普通は空腹時にゴクゴクが美味しいのよ」
「ふぅん、そうなんだ。ねぇお母さん、パパ再婚しないのかな?独りで寂しくないのかな、
私のせいで再婚しないなら可哀相だよね?」
「・・・」
レモンはパパが来ると落ち着かなくなる。
キャリーバッグの前で鳴きながら待っている。
レモンを連れていかないと、一晩中鳴きながら私を探し回るらしい。翌日帰ると訴えるように鳴き抱きついて来る。声枯れしていて可哀相になってしまう、食餌を摂り終日寝る。
なるべくレモン同伴でパパの家に行くようにしている。パパの方のお祖父ちゃんもレモンと仲良しだ。
猫用玩具を買って来て試してみている。レモンの一番のお気に入りは、マタタビの枝、お祖父ちゃんは園芸店に無理を言って手に入れたと庭に植えた。レモンの来る日は五センチ位折って用意してある。
お祖父ちゃんは、二番目の職場も退職して今は悠々自適の生活を送っている。
ボランティアの日、日帰り登山の日、読書で過ごす日と飽きないようにスケジュールがカレンダーを埋め尽くして有る。
私の来る日はパパの都合によるので書けないのだとボヤク。
「親父、食が細くなったな、年に一回は検診受けろよ詩織が嫁に行って曾孫抱くまで元気でいてくれよ」
「詩織の花嫁姿かぁ、楽しみだ」
「お母さん、来月パパの方のお祖父ちゃんの誕生日なの、あまり食べなくなっているのが心配。好物は寿司なんだって、来月行ったら、お祝いにちらし寿司を作りたいから教えて欲しいの」
「了解、二、三回練習しましょうね」
「飯桶、三人分の大きさの買いたいの、お小遣い貯まっているから買えると思う」
「足りなかったら、私が出しましょう」と、お祖母ちゃんが言ってくれた。
お母さんはインターネットで探し注文してくれた。翌日、帰宅したら届いていてビックリ。
とても安価で、お小遣いで足り嬉しかった。
食堂のテーブルで、お母さんの言う材料をメモする、栄養のバランスを考えて副菜とお吸い物も決めた。
明日の夕食で練習だ。楽しみでワクワクしながら、レモンとベッドに入ったがお祖父ちゃんの事を考えているうち眠った。
近いけれど、パパはマンションで、お祖父ちゃんは一軒家で独り暮らししている。
帰宅の電車の中「お小遣い無くなっちゃったでしょ?要る時には私に言うのよ」
「大丈夫、使わないし、まだ残っているわ」家に着いたら、ネットスーパーから食材が配達されていた。
今回の練習は、五目寿司の素で寿司飯を作ることになった。
家に有る大きな桶と私の小さな桶の二つ作って練習する。
ご飯を炊く水加減は「すし」の目盛まで。
乾し椎茸と昆布の戻し汁はお吸い物と茶碗蒸し用だ。まだ薄焼き玉子は作れないので、炒り玉子で飾る。
刺身用茹で海老、イクラ、タコ、塩茹で絹さやを細切り、桜でんぶ、きざみ海苔。イクラをお母さんが奮発してくれたので綺麗。
炊き上がったご飯を桶に移し五目寿司の素を切るように混ぜ込んだ。
味見をしたら「何か物足りない」とお母さんに報告。
「そうね、じゃあ此れを足して」と粉末酢。
丁度良くなった。美味しい。
お母さんが大きい桶の方に盛り付けて行くのを見ながら、小さい桶を盛り付ける。
「緑が足りないわね、貝割れも散らしましょ」
副菜に、「菜の花の辛子醤油和え」も出来た。
修君とサッちゃんは、お祖母ちゃんが拘束。レモンとキャロットは猫缶を食べさせてあるので
ウロチョロしないで助かった。
お祖父ちゃんは終日在宅で、書斎に居た。
お母さん「一番ややこしい人が自室に居てくれて助かったわね?」
お祖父ちゃんと修君、お祖母ちゃんとサッちゃんで入浴を済ませた頃、外階段で音がした。
「お帰りなさーい、お父さん」
「おや、今日は何の日だったかな?」
「詩織の花嫁修業一日目です」
「ダメだ嫁には出さないぞー」
「本人次第ですよ、向こうのお祖父ちゃんの誕生日用の練習です、こっちには内緒よ」
「アッと、ヤキモチ焼くよな」
「もう少し掛かるから、お風呂入ってきて」
「ビール冷えている?」
「勿論」
グラス三つに氷を入れ冷やし始めた、お母さんも飲むのか。
「詩織、久し振りに私と入ろうね」
「はい、嬉しい」
「美味しそうに仕上がったなあ」
「お祖父ちゃん、詩織が独りで作った記念よ一口呑む?」
「おう、一口な」形ばかりの乾杯をしている。
「呑める人が羨ましいわ」お祖母ちゃん。
修君五歳、サッちゃん三歳、私十歳。
明日、学校で自慢しようっと。
「子供の成長は早いなぁ。詩織は三歳でサッちゃんと同い年だったんだなぁ」
湿った声でお父さんが言い一気にビールを呑んだ。
パパの都合が早くなり、練習は一回しか出来なかった。少し不安だがどうにかなるさ。
お米以外の材料をお母さんと用意した。桶と幾つかのタッパー容器を持ち、レモンのキャリーバッグは
パパが車に運び、お祖父ちゃんの家へ直行した。
可愛いエプロンを着け手を洗っていたら「何か手伝うよ」と言うパパを断り、お米を研ぎ始めた。
「親父、今日中に食べられるのを祈ろう」と聞こえたが忙しくて反論しなかった。
練習通りに仕上がった、良かったぁ。
お祖父ちゃんへのプレゼントの万歩計は花柄の包装紙だ。「お祖父ちゃんオメデトウ」で食事が始まる。
二人共「すごい、美味しい」を繰り返し、三人と一匹で賑やかに食べた。こちらのお祖父ちゃんも涙を流す、歳をとると涙もろくなるのかしら。
「パパ、あと二年で中学生だよ。もう赤ちゃんじゃないから困らせないと思うの、二年の間に智沙お母さんに料理習っておくから、こっちに帰って来ても良いかな、そうすればお祖父ちゃんと毎晩一緒に
食べられるよ」
「俺のことはどうでもいいけど、いつまでも親子離れ離れは良くない詩織はしっかり者だ」
「んー、嬉しいけど、電車通学独りで大丈夫だろうか。登校は俺の車で、問題は下校と習い事の後が
心配だ」
「ウォッホン」
「?」
「うちに暇人が居るだろ?」
「あっそうか、下校の迎え頼めるかぁ」
「私一人で大丈夫だよゥ」
二人共「物騒な世の中だからダメ」
中学卒業までは送迎付きと譲らない。
俄然、お祖父ちゃんが張り切り出したのだ。
目尻を下げて「この家、建て直そう」
「えっ、何もそこまでしなくても・・・」
「俺の部下が銀行に居るうちに金借りよう」
「親父がこんなに詩織に肩入れするとはな」
「当時は仕事していたし、男手では無理だった。沙枝さんの実家を頼ったのだ、気を使うさ。
有り難かったよ」
「向こうへの伝え方、上手にしないとな」
「この家の敷地、無駄に広い。マンションにして、賃貸料を返済に回そう。最上階に三人で住もう、研吾のマンションもある。それまでは、研吾の方に居候するぞ、良いか?」
「当然だよ、何遠慮してんのさ」
「ねぇ、二年先の事だよー」
「二年なんてすぐだ、設計とかお金の事、建設に期間考えたら今からで丁度良い」
「向こうの家に話して、了解貰うのが難関だ」
「私が話す、設計はお祖母ちゃんの居た会社に頼んだら?向こうの家の改築でもお世話になったのよ」
「人生、最良の日。一杯呑んで良いか?」
「俺も付き合うよ、車置かせてくれ」
二人で、冷や酒をチビチビ美味しそうに呑む。
「詩織、パパの再婚気にしてるらしいな」
「ウン、余計な心配だった?」
「沙枝ママが素敵過ぎたんだ、再婚しない」
「素敵?」
「お茶目なとこが可愛かったし、立派な女性だったよ、たまに怒ると怖かったなぁ」
「ウフフフ」
「可愛い嫁だった・・・」
四
「きちんと話したい事があるので聞いてください」と畏まって言ったら集まってくれた。
「どうした?困っている事あるのか?」
「ちゃんと聞いてください。パパは再婚しないで独り暮らし、お祖父ちゃんも独り暮らしで寂しそう
です。私が帰る日を楽しみにしています。私、もう赤ちゃんじゃありません、あと二年で中学生です。
そしたらパパとお祖父ちゃんと三人で暮らしたいと思います」
「・・・」
「とうとう、その日が来たのねぇ」
四人共涙ぐんで居る、ひどい事言ったかな。
「ゴメンネ、今回帰ってお祖父ちゃんに、ちらし寿司作って三人で食べて感じたの。
いつも独りで食べて居るんだと思ったら、私が同居した方が良いんだと気付いたのよ。
今迄育ててくれて有難う御座いました、この家で暮らして楽しかった。お母さん、二年の間に料理色々教えてください。お祖母ちゃん、設計の事で話が有るみたいです」
「解ったわ、詩織大人になったねぇ。他人の痛みが解るようになって優しい子ね」
私が塾に行ってる間に、パパとお祖父ちゃんが挨拶に来て相談事を話して帰った。
それと、沙枝ママに所縁の有る植物が有れば株分けを頼んだという。
小学五、六年生の二年間しっかり料理を教えてもらった。入れる調味料の順番など理由も教わった、お母さんは厳しかったけど勉強になる。清潔、バランス何より楽しむ事と。
応用や余り物のアレンジ方も知った。
日曜日、リビングで聞いていたお父さんが「調理師にでもする気か?」と笑っている。
「それも有りね、受験資格調べておくわ」
「おいおい」
日々のメニュー全部を書き留めた。先々参考にするためだ。
「そんなに熱心にメモされたら手抜き出来ないわよ。勘弁して」
食材買い物に行けないだろうからと、ネットスーパーの注文の練習もさせてくれたのが、
嬉しかったし勉強になった。
「支払いは、代引きも有るけどパパのカード払いが良いと思うわ。配達時間帯はお祖父ちゃんが
居る時にね」とアドバイスしてくれた。
「私用のパソコン、欲しいけど高いよね?」
お父さんがネットオークションで落札したのは二千八百円の中古品だ。
ボロイ物が届くかと思っていたら予想外に綺麗で、お母さんの物より新型で驚いた。お父さんはお金受け取ってくれないので、手紙を書いて渡した。返事はEメールで来たのにも驚いた。
ネットスーパー注文と親族とのメール以外でネットは使わないと、SNSは厳禁と約束。
検索サイトもダメ、調べたい事は辞書でと言われた。何を言っているのか解らなかった。
「ネットスーパー注文専用です」と答えた。
エクセルとワードが面白そう、お父さんに言ったら
「もう少し大きくなったらマニュアル本で勉強しなさい。中学の授業でも有ると思うぞ」と。
待ち受け壁紙を、レモンとキャロットの写真に変更して貰った。
磯部家の木造家屋は取り壊され、更地になっている。
RC造五階建てが建つという、二階から四階が賃貸住戸で五階が私達三人の住まいとルーフバルコニー。
レモンが落ちない工夫もするというので安心だ。
マタタビは鉢植えになっているが、お祖父ちゃんは挿し木でどんどん増やしているが、そんなに増やしてどうするのだろう。
「我々のスペース、広すぎないかな」
「詩織は結婚して姓は変わっても同居する」
「十年以上先のことだよ、何で孫に甘いの?」
「お前だって、沙枝さんとの思い出があるからって、マンション売らずに貸すんだろ?」
順調に工事は進んでいる、私の中学進学までに充分間に合いそうだ。
それに、新年度だ人が動く時期に合致しテナントも全部埋まったらしい。お祖父ちゃんが喜んでいる。
ダイニングキッチンの配置で、パパはお母さんに「シンクとレンジの位置、冷蔵庫の配置ダイニングテーブル等」のことを聞いている。
私の部屋の壁紙は自分で決めるよう言われた。
サンプルを眺めるのは、二度目だが楽しい。
カーテンと色調を合わせた、床は水回り以外全部コルク材になると。
下階へ音が響かないようにだとパパが決めた。部分ラグを敷くらしい。
私の部屋と洗面所のドア下にミニ出入り口が付く、レモンのトイレ用だ。
設計のお兄さん「ペットの居るお家ではよくあることです」と笑っていた。
テナント管理は、管理会社に頼むことになった、一階に管理人事務室、ゴミ集積所、集合ポスト、
エレベーターホール等。
「運動のため階段をなるべく使うこと」と言われてしまった、残念。
二、三階は一LDKとワンルームの七室ずつ四階は二LDK三室の十七戸。私達の五階は四LDKと大きめの納戸になる。
ルーフバルコニー側には強化アクリル板でサンルームも出来るとのこと。お祖父ちゃんが喜んでいる。
「熱帯系の植物を育てようか、バルコニーでは大きい鉢を幾つか並べて、沙枝さんの好きだったらしい
ピンクの薔薇やカサブランカ百合、カーネーションを育てよう」
「桜は?」
「一階の庭に植えるよ、安心しなさい」
「お祖父ちゃんは、盆栽ってやらないの」
「年寄りが皆、盆栽やるとは決まってない」
「そういえば、安藤のお祖父ちゃんもやらないわ、草取りは私とお祖母ちゃんがやってた」
ほぼ仕上がった各室を三人で見て回り、新居の匂いを楽しみ嬉しかった。
「あぁ、遺産残すことが出来た、俺は年金と企業年金で充分だから、少し貯まったら繰り上げ返済を
して、借財減らそう。
研吾はなるべく預金しておけ、何が起きるかわからんからな、家事は俺がなるべくやるぞ長年やって来たから任せておけ、詩織に手伝ってもらえれば心配ない、外科医の本分を発揮しろよ」。
「私も節約するね。お母さんがソーラーパネルいっぱい付いているから、電気代は掛からなくなるって言ってたわよ、助かるね?」
「そうか、助かる」
パパが家具のカタログを渡してくれたのでベッドと本棚、整理箪笥と椅子を選んだ。
机は今使っている物を持って来ることにした。
沙枝ママのお下がりだからだ。パパも書斎の物はマンションから持ち込む、ベッドは一台処分してママ用だった物のマットレスは新品同様なのでそれを使うと。
お祖父ちゃんのベッドは、電動を買うと唇に指を当て教えてくれた。
ダイニング、リビングの家具家電で新しく買う物のリストアップしていたパパが
「こんなにお金掛かるのかぁ」とため息をつくので、
「私の部屋は後回しでいいよ」
「いや、ゴメン心配しないでいいぞ」
春休み、引越しをした、私の身の回りの物三分の一は残しておくことにしたのは、時々こちらに泊まりに来ようと思うし、学校は制服だから心配無い、レモンの物は少しだけ。
修君とサッちゃんが落ち着かない、お祖母ちゃんに宥められているが機嫌が悪い。
「時々、お泊りでくるから、遊ぼうね」
お祖母ちゃんとお母さんが「お祝い、何が欲しい?」と言ってくれた、嬉しい。
「何でも良いの?」
「言ってみて」
「ブルーとグリーンとピンクのお弁当箱と包むバンダナ三色が欲しいんだけど・・」
「どうして?」
「中学からは、お弁当持って行くから、お祖父ちゃんとパパの分も作りたいの」
「無理しないでね、お弁当用の冷凍食品が有るから利用すると良いわ」
お母さんはネット通販で、普通のと真冬用保温出来るもの二種類六個のお弁当を買ってくれ、
お祖母ちゃんは三色のバンダナ2セット買ってくれた、嬉しい。
「まだ、パパ達には内緒にしてね?」
学校の手続きは、お母さんと二人で行って済ませた。中学校の制服や鞄の手配をやっている処へ六年の時の担任先生がやって来た。
「磯部さんは三つお目出度だな、卒業と進学と転居のね、アッお母さんは寂しくなっちゃうかぁ、
すみません」と頭に手をやる。
「いえ、いつか来る日ですし、実父と暮らすのがノーマルですから。一番可愛い時期、一緒に暮らせて楽しかったです。チョッピリ寂しいかな、祖父母が沈んでいますよ」
「お祖母ちゃんは毎日送迎していましたもの」
「作文で、薬剤師になるか栄養士になるか悩んでいるって書いてたけど決まった?」
「あらまあ」
「まだ時間はたっぷり有る、沢山悩みなさい」
私は、顔が赤くなるのが解った。
帰りはデパートの女性用下着売り場に行き、女の子の下着、サニタリーショーツ等、当面必要な枚数を買ってもらった。
そして、パジャマが目に付いたらしく、少し大きめのを色違いで二着三着見比べ、二着買って荷物が増えた。バーゲン会場で子供服も少し大きめでボーイッシュな物まで買い込んだので多荷物。
「人混みは疲れるね、何か飲みましょう」
ティルームで私が、オレンジジュースを一気に飲んだら、お母さんもアイスティを一気に飲み、二人で笑った。
「パパに話せない事とか、困った事が出来たら悩まないで私かお祖母ちゃんに言ってね」
「沢山沢山ありがとうございました」
「どう致しまして、いつでも会えるわよ」
届く家具等は昼間、お祖父ちゃんと新居で待ち受け取った。開梱に手間取った。
「過剰包装だな」とお祖父ちゃんがボヤク。分別しておくと、パパが紐で括り一階のゴミ置き場へ持って行く。
「大変だ、全住戸が入居で半端じゃない段ボールだ、もう入らないから持ち帰ったよ、
納戸に一時保管だ」
家具の配置をしたら、住まいらしくなった。私の部屋はいつでも暮らせる、嬉しくて飛び跳ねたらパパに注意された「下の階の人の迷惑になるからドタバタしないように」と。
翌日、家電の配送の人が来て、大型モニターのテレビはリビングの壁に設置されたし、大型冷凍冷蔵庫はシステムキッチン横にピッタリ納まった。
中型テレビはお祖父ちゃんの寝室に設置。梱包材は持ち帰ってくれた。
お祖父ちゃんは電動ベッドに横になり、作動確認と言いながら楽しんでいるが
「年寄り扱いするなぁ」と言い張るが、どこか楽しんでいるように見えた。
お母さんのメモ書きを持って、大型百円ショップに三人で行った。洗面浴室の小物、キッチン便利用品、雑貨、食器も百円には見えない物が揃っている。
レモンの食器も買い、大量の荷物をパパの車に積んで帰った。
「食事、今日は外食だファミレスでいいよな、食料品の買出しはどうしようか?」
「パパ、私のパソコン、インターネット接続お願いします」
「?」
「ネットスーパーで買うのよ」
「ネット使えるのか?」
「お父さんに教わった、このパソコン、オークションで二千八百だったんだよ。ネットスーパーの注文のやり方は、お母さんに教わって練習もしたから大丈夫、一番初めは調味料等も買うからお金掛かるよ。
支払いはパパのカード使わせてね、持っている?」
「カードの三枚や四枚持っているさ、便利だなぁ。光熱費等の引き落とし専用口座のカードにしよう」
配達時間帯指定もできる、学校が始まったら、お祖父ちゃんが在宅の時間を確認しなきゃ。
お祖父ちゃんが生活費半分出すと言い張りパパと揉めていたが、パパが折れた。
「お祖父ちゃん、自分の予定を優先させて、私の迎え来られなくても気にしないでよ」
「解った、民間の子供の送迎してくれる会社と契約しておく、独りで帰宅は絶対ダメだ」
「えー、もう子供じゃないのに」
「まだ子供だ、中学生の事件事故のニュース、テレビのニュースで、たまに有るだろ?起きてからでは遅い、後悔したくないんだよ」
「解った、来られない時は電話かメールください、替わりに来る人の名前も教えてね」
「そうだな、パパが当直で留守の時の登校もお祖父ちゃんか、その会社の人と」決まった。
一番最後にレモンが引っ越して来た。既に小物は持って来てありレモンがキャリーバッグに入って来るだけで、お仕舞い。
家中隈なくクンクンして回る。私の部屋に猫ベッドが有り以前から使っていた物だ、洗面所に猫トイレを置いた。ドアの小窓からの出入りもすぐ覚えたので安心。いつもの顔振れの三人なのですぐ落ち着いた。
歓迎の意味で、レモンの好物の南瓜は冷凍だが買って有った。
マッシュ南瓜を食べリビングのソファーの上で毛繕いしている。安心した。ルーフバルコニーの手摺りは猫の爪が掛からないタイプの物が設置されている、五階から落ちたら大変だ、手摺りに近寄らないよう躾けた。それは理解したようだが、エレベーターと階段で遊ぶようになった。扉が開いていると乗ってしまいどこかの階で開き、降りて階段で戻って来るのだが、長時間エレベーターに閉じ込められてしまうこともある。開くのをジッと待ち続け、やっと開き飛び出してくるので、ボタン押した人はビックリだ。
この賃貸マンションはペット禁止になっているのだが、大家さんだけ特別だ、申し訳ない気がする。
住人達に知れ渡り、親切に五階のボタンを押してくれるらしい。管理人さんにも馴れ、一階で乗り五階で降り、階段で一階に降りまたエレベーターに乗る遊びをしていると。途中階で降りても、五階まで戻って来る、匂いで解るのだろう。
ドアをカリカリしてお祖父ちゃんに家に入れてもらうのだが、お祖父ちゃん不在の時はドア前に蹲っているらしい。「レモン、家に居ると思って出かけてしまい可哀相なことをしてしまった」と嘆く。
以降、お祖父ちゃんが出かける時は、マタタビで遊ばせている間に素早く出るのだそうだ。
今日から、きちんと炊事することにしている。炊きおこわ、ワカメと葱の味噌汁、ブリの照り焼き、
茹で玉子入りポテトサラダ、韮の御浸し。写メをお母さんに送信した。
「美味しそうに出来たわね、合格」の返信。
桜の苗木、染井吉野、小松乙女、天の川が植樹された、咲く時期がズレているから長く楽しめるよと
造園屋さんが言う。
敷地境界の所は生垣でシンプルだ。
私十四歳、修也君九歳、沙織ちゃん七歳。
サッちゃん就学の年だ。お祝いのやり取りは止めましょうという事で、二家で合同のお花見をした。
花見の名所は場所取りが大変だから、安藤家の近くの河堤で公園も有りトイレの心配は無い。
行き着けの小料理屋さんで、松花堂弁当を作ってもらい、お母さんは鶏唐揚、フライドポテト、サンドイッチを作って来た、私はポテトサラダを作って行った。
お祖父ちゃん二人、パパとお父さん、和気藹々。女性陣と子供達でにぎやかだ。
パパはいつ病院から呼び出しが有るか判らないので、宴席でもいつも呑めなくて可哀相。
沙枝ママが居ない。
私が転居してのすぐの週末、パパは休みが取れた「記念にどこか行こう、希望は?」
「景色が良くて、食事が美味しい温泉」
「遊園地じゃなくて良いのか?」
「パパともお祖父ちゃんとも一緒に入っていないから、最初で最後の混浴。家族用の露天風呂っていうのもあるんでしょ?」
「解った、ネットで調べてみるよ」
「ペットOKの所にしてね」
パパの運転で、三人と一匹で群馬県の温泉地に向けて出発する。誰も車酔いすることもなく無事到着。小ざっぱりした部屋で、外の景色も山の中らしいのが気に入った。
大きな浴槽の露天風呂、気持ちが良いので、私は泳いだが五メートル位で、パパに叱られた。
お祖父ちゃんは笑い自分も平泳ぎをしている、パパまで泳ぎ「私を叱ったのにぃ」と文句を言ったら
「気持ち良いからな、少し」。
部屋に戻ったら、話し声がする。そっとドアを開けると、仲居さんとレモンがジャレ合っていた、
仲居さんのハンカチを咥えてレモンが逃げ回っているのだ。
床に五センチほどの小枝が落ちていたのでハンカチに挟んだら、「猫ちゃんがジャレ付いて来て・・」
「あぁ、ごめんなさい。猫の玩具なの」
「えっ?小枝が?」
「猫にマタタビって言うでしょ?他所に行ったら困る時とか躾の時に使う小枝なんです」
「あら、これがマタタビですか?初めて見ました、その匂いがハンカチに付いたので反応してしまったのね?当方の掃除ミスかと思ってしまいました、じゃあ小枝お返しします」と仲居さんは袖から小枝を出してくれた。暫らく小枝で遊んで、マタタビに酔っ払い床にへたり込んで大人しくなった。
ポット交換に来た仲居さん「別の部屋のお客さんも、猫同伴なのですがこの袖にメロメロなんですよ。
猫の嗅覚ってすごいですね?マタタビはペットショップ等で売っているのでしょうか?」
「我が家では、苗木を取り寄せました」
「幸せな猫ちゃん。当館でも植えておけば、落ち着きのない猫ちゃんに使えますね?」
「お祖父ちゃんたら、レモンに甘いのよね」
「違うぞ詩織の猫だからだ、孫に甘いのさ」
「だって、お祖父ちゃんたら、枯れたら大変だって言いながら挿し木でどんどん増やしているわよ」
「程ほどが出来ない爺さんなんだなぁ」
「帰宅したら、鉢植えになってるのでお送りますよ」
「そんなぁ、申し訳ないです」
「売るほど有るのです、ご遠慮なく」
「では、女将に報告しておきます」
夕食も豪華で、どれから食べて良いか解らなくて困っていたら、仲居さんが手伝ってくれた。
鯛と鮪の刺身をレモンに分けてやったら、喉を鳴らしてご機嫌で食べた。
翌日チェックアウトする時、女将さんが来て「昨夜はご挨拶に伺わず失礼致しました。
今朝、担当仲居からマタタビの苗木のこと聞きました。お申し出に甘えさせて頂きます」
帰りの車中用の飲み物や菓子を下さった。
帰宅して早速お祖父ちゃんは三鉢を宅配便で送った。
旅館の庭に植えた旨と、礼状を添えた地酒が送られて来た。
「フロントにサービスで置いていますが、やんちゃな猫ちゃんの時、重宝しています。
有難うございました、またご来館ください」ハガキが届き、お祖父ちゃんは自慢気だ。
「家族旅行良かったな、家族って良いなぁ」
中学校の入学式はお祖父ちゃんだけが出席。
これからお祖父ちゃんの送迎が始まるが、校舎が変わるだけだ通い慣れた所だが、教科が増えるので
頑張ろう。この私学には高校も有るが、女子高のためか偏差値の高い大学への進学率は低い。
高校は学力の高い所へ行きたい。
大学に行きたいけど、パパお金出してくれるかな。家の建築でお金掛かったよね。
下校時、考え事しながら歩いていたら、お祖父ちゃんに叱られた。危ないと。
帰宅してから「何か困っているのかい?」と。
進路進学のことを話した。
「今日、中学生になったばかりじゃないか」
「でもね、良い大学に行くには偏差値高い高校に行った方が有利でしょ?その高校に受かるには中学で
頑張らないとね。それと、パパ私のこと大学まで行かせてくれるお金有る?」
「今の子供達は大変なんだなぁ。お金の心配はするな。研吾パパ用意してる筈だ」
一週間分の献立を作り、足りない材料は、ネットスーパーで配達してもらう、昼間お祖父ちゃんが受け取り、冷凍品冷蔵品を其々冷蔵庫に納めてくれるので助かる。時々パパのリクエストでビールを注文するが、一ケースを間違えて十ケースと入力した事があった。
パパにゴメンナサイを言ったら、仕方ないと笑いながらニコニコして納戸に運んでくれた。
朝食は三人共パン党だ、ベーコンエッグとサラダ、野菜スープ、ヨーグルト、紅茶が定番。
夕食で人気が有るのは、煮込みハンバーグ、手作りシュウマイ、切り身魚ときのこのホイル焼きを味噌マヨネーズで、出汁巻き玉子も。
薄切り肉で青紫蘇とチーズを巻いて焼くのも肴になるからと人気だ。
明日からのお昼はお弁当が要る。夜のうちに下準備しておいた。
パパとお祖父ちゃんに渡したらビックリされた、同時に喜ばれたので嬉しい。
お祖父ちゃんは、散歩の日は公園のベンチで食べていると、犬の散歩の人とかベビーカーを押す若い
お母さんとか話す人が増え楽しんでいる。管理人さんとも仲良くなり、管理人休憩室で一緒に食べることも有るそうだ、友人が増えお祖父ちゃんは明るくなった。
パパの初日はわざとらしく医局で食べたと。
ナースと若い研修医に「愛彼女弁ですか?」
「そうだよ、ハートのでんぶだ」
「先生はもう再婚しないと思っていました」
「エッヘッヘ」
「色とりどりで美味しそう」
「あぁ美味しい」
「俺も彼女作りたいなー」
「どんな彼女なんですか?」
「弁当はここで食べよっかなー」
「見せびらかしですか?」
「ごちそう様、洗って返さないとな」
「自分で洗ってくださいね」
「あぁそれに比べて詩織は優しいなぁ」
「詩織さんっていうんですか?」
「いかん、余計なこと言った」
「詩織がどうかしたんですか?」淳一准教授が入って来た。
「先生、教授の彼女ご存知なんですか?」
「詩織?知ってるも何も、俺の姪、教授の娘」
「えー、あの時三歳位だったでしょ?お弁当作れるようになったんですか・・」
「今年から中学生になったので同居の始まりで、給食が無いからお弁当三つ作ってた」
「三つ?」
「爺さんの昼」
「同居、嬉しいでしょ?」
「生きてて良かった、フッとした時に亡くなった女房に似てる仕草があって、ドキッと」
「でも家事は無理じゃないんですか?」
「勿論、爺ちゃんと分担してやってる」
「調理は詩織ちゃん?」
「そう、叔母さんが管理栄養士だから、しっかり修行して来た。魚、三枚に下ろすのも上手だ、
自慢の娘だ。義妹夫婦に感謝している」
「先生、オヤジくさいと嫌われますよ、年頃のお嬢さんなんですから、気を付けてね」
「加齢臭?」
「それだけじゃなくて、湯上りにパンツ一枚でウロウロするとかもね」
「思春期の女の子って解らんなー、今の処嫌われていないから、いいや」
修君からメールが来た「キャロットが老衰で死んじゃった」と。悲しいねと返信。
レモンだって十歳だ、いつかその日は来る。
一学期が終り、各教科の様子が解った。
塾通いが無駄に感じていた、自宅学習の方が良いように思う。高校受験の為、バレーと水泳も止める
ことにする。送迎のお祖父ちゃんの負担も減る。パパに成績表を見せる時、自宅学習にしたいことと
習い事は全部止めたい理由を話した。勉強に時間を回せると。
「詩織、成績良いんだな?俺のDNAか?」
「パパ、ふざけないで。塾も止めるからね」
「お金の心配してるのか?」
「違う、塾の授業のレベルが低いんだもの」
「そうか・・じゃあ日曜日の午後、家庭教師頼むことにする」
「それこそ、お金勿体無いよ」
「独学も良いけど、全体が見えなくなるぞ」
「・・解った、それでお願いします」
「体力も要るぞ、水泳は続けなさい」
「はい」
「俺もシニアクラスに通う」お祖父ちゃん。
翌週の日曜日から、家庭教師の斉藤先生がやって来た。二十歳のK大学二年生のお姉さんだ、
ちょっと可愛い。斉藤先生オリジナルのテストをされた、その子の学力を測るのだそうだ。
「詩織さんは理数系が良くて、少し英語が苦手かしら?でも、全体に優秀ね」
「高校は偏差値高いですがS校に行きたいので頑張ります、宜しくお願いします」
「詩織さんの場合、四時間フリータイムの方が良いかもしれませんね。学校の授業や参考書、
ドリルを平日やって、解らなかった所を集中的に一緒に学習して行きましょう」
「はい」
秋田出身の斉藤先生は独り暮らしだ、自炊はほとんどしないと言う。
来て頂いた日の夕食を摂ってから帰ってもらう事になった。
私が作るのをビックリして見ていたが、簡単な事は手伝ってくれた、作りながら雑談しているうちに
仲良しになれた。
そこにお祖父ちゃんも混ざり賑やかな台所となった。
私の育ち方をお祖父ちゃんから聞き、同情の目をむけた。
「ママが居ないのは寂しいけど、家族が二組有るようなもので安心です」
「そう?レモンちゃんも居るしね?手馴れた包丁さばき見ていると、主婦だわね」
「叔母さんに教わったの、結構厳しかったわ」
「包丁とか、揚げ物って気を使うものね」
「叔母さんの事、お母さんって呼んでいたんだけど、色んな事教わったの感謝している」
「で、今日は何作っているの?」
「メンチカツとハンバーグ、先生どっちが食べたいですか?」
「メンチカツ作れるの?」
「はい、先生モヤシのヒゲ取りやってもらえますか?韮とオカカ和えにしますので」
「エッ、モヤシってヒゲ取るの?」
「和える時、絡まないし食感も違いますよ」
「どれどれ、先生一緒にやりましょう、二袋だな?」
「お願いします、こっちが身、こっちがヒゲ入れのボールね」
ワンプレートにメンチカツと山盛りの千切りきゃべつ、アスパラ、キュウリ、湯剥きトマト、スパゲッティナポリタン。
野菜スープにはベーコン細切りを入れた。
「メンチカツはソースかけないで食べて、キャベツには少しね、和え物も有るから塩分摂り過ぎに
なっちゃうからね」
「はいはい、血圧高いから言う事聞きます」
パパも帰って来たので、四人と一匹の夕食が始まった。パパと斉藤先生が会うのは二度目なので、
すぐ打ち解けた。
「バイト代から夕食代差し引いてください」
「却下。詩織は向こうの家ではずっとお姉さん役をやって来ました、お姉さんが出来てワシは嬉しい、
勉強の時間以外では甘えさせてやってくれませんか?」
「では、甘えさせて頂きます、有難う御座います、それにしても美味しいです中学一年生が作ったなんて、見ていなかったら信じられません、買出しも詩織さんが?」
「先生、忘れている、ネット社会ですよ」
「アッ、そうだったわ。普段調理しないボロが出ちゃうね。」と顔を手で覆った。
「向こうに居る間に、大学ノート六冊にメモして来たんです、立派な主婦です」とパパ。
「そんなに?」
「お母さんとお祖母ちゃんから教わった一品料理と、毎食の献立を書き溜めて有るの」
「小学生の時でしょ?脱帽です」
マヨネーズ好きのレモンにねだられて、キャベツを分けてやっているパパの表情も明るい。
「明日のお弁当、シュウマイが良いな」
「皮が餃子用しかないの、ニンニク入れないから餃子でも良い」
「了解」
「俺もそれで良いよ」
「エーッ、お弁当まで作っているんですか?」
「パパは病院の食堂が有るから良いけど、お祖父ちゃんはほっとくと、カップ麺で済ませてしまうの、
それに中学になって給食が無いからお弁当作り始めたんです」
「毎日、蓋を開けるのが楽しみです」
「今は夏休みですけど、続けています、お祖父ちゃんと毎日ピクニック、行く場所が違うので楽しい
ですよ、少し暑いけど日陰でね」
「規格外のお子さんの担当になってしまったようです、学力もずば抜けて良いですし」
「オッ、それは良かった。S校目指して居るんだよな、頑張れ。家事は手抜きで良いぞ」
「詩織が出来ない分は俺がやるから心配ない」
「毎週日曜日が楽しみです」と斉藤先生は自転車で帰って行かれた。
前夜のうちに、朝食とお弁当の下準備を済ませてから、勉強を始める。
レモンが遊んで攻撃して来て困らせる。
パパに「寝なさい」と声掛けされる毎日だ。
スマホのアラームをセットするが、毎朝レモンが先に騒いで起こされるから寝坊したことが無い。
休日でも。
三年生の三者面談で「S校受験したいです」と話したら、パパは心配そうに先生を見る。
担任先生「トップクラスの磯部さんなら十中八九大丈夫でしょう」と言ってもらえた。
S校はパパの出身校だ「頑張れ、体壊さない程度にね」、水泳教室を止めることにした。
斉藤先生は四年生で就活で忙しいようだ、無事、希望の会社の内定がもらえた。
サークルで詩織のことを話していて、後釜希望者が多かった。
多分、相性が良いであろう女子学生を連れて来て引き継ぎをしてくれた。
「学力も性格も百点満点の子。たまに理解出来ない処が出て来ると、百%納得するまで食い下がって来るわ、こちらも本気で教える」
「今迄聞いてきているから想像つくわ」
「お父さんはM大の教授、叔父さんは准教授、母方のお祖父ちゃんは名誉教授のサラブレット、そういう環境で育つと可愛気ない子になりがちだけど、三歳でお母さん亡くしていて、お母さんの実家で育てて貰ったせいか、自制心の効くスゴーク素直な性格でチャーミング、夕食頂いてたんだけど詩織ちゃんの作るのは、そこらへんのお店で食べるより美味しい。掃除の仕方、洗濯物の畳み方、仕舞い方はお祖父ちゃんに教わったの、私いつでも主婦になれるわよ、感謝ね。」
「私も、食べさせて貰えるかしら」
「面接で決るんじゃない、背伸びしない事」
「早く、詩織ちゃんに会いたいな」
「猫、大丈夫?」
「大好きよ」近藤さん。
「マンチカンのミックス、可愛いの。レモンっていうんだけど、こちらの合格が先かも」
「手土産持って行ったほうが良い?」
「逆効果だよ、素のままが良い、媚ないことねすぐに見抜かれるわ」
「ドキドキして来た」
「肩の力抜いて」
私は、無事高校受験合格した。
合格祝い、就職祝いを新旧先生を呼んで夕食会を開いた。
「噂通りの腕前ね、感心しちゃうね。後片付けは私達でやりましょうね」
二人の先生はお金を出し合ってプレゼントを持って来て下さった。下着のセットだ、嬉しい物だ、
売り場に行くのが恥ずかしいから。
中学校卒業式では、離れ離れになる友と抱き合って泣いた。
パパは緊急オペが入って、「ゴメン、行けなくなった」メールが来た。
お祖父ちゃんも来ると言ってたのに、探したが見つからない。
メールの返信も来ないし、電話にも出ない。
シッターさんも来て居ない。
式も終わって大分経つ、残っている人はチラホラだ。パパにメールをした。
手術は終わったらしく電話が来た「タクシーで帰りなさい」
家に着いたらドアの外までレモンがギャーギャー鳴いているのが洩れ聞こえる。
リビングで礼服を着たお祖父ちゃんが倒れていた。慌てて救急車を呼んだ。
パパに報告したら救急車のおじさんにパパの病院に搬送してもらうようにと。
どうにか一命は取りとめた、発見が早かったかららしい。脳梗塞。
しばらくは入院だ、左半身に麻痺があり、リハビリを理学療法士さんと頑張っている。
高校入学前の春休み、毎日通って食事介助をしたり下着交換をした。
「詩織のご飯が食べたい」仕草をする。
「早く退院出来るようにリハビリ頑張って」
高校の入学式、パパと安藤のお祖母ちゃんが出席してくれた。
式後の足で、磯部のお祖父ちゃんの病室に制服姿を見せに行った。
泣きながら「行けなくてゴメンよ」を繰り返す。
「退院出来たら、毎日制服姿が見られますよ」
お祖母ちゃんに慰められていた。
病院中、身内がウロウロしては迷惑だ、パパがメールで安藤のお祖父ちゃんと淳一叔父さんを
病室に呼んだ。
「オメデトウ、S校だって?」と。
お祖父ちゃん退院予定の前日、硬膜下出血を起こした。助からなかった。
一緒に暮らし始めて三年。四年目に入った処だ馴染み始めていたので残念でならない。
「人生の終りに、愛孫と暮らし楽しんでいた、幸せだったと思う」とパパが言う。
享年七十六歳、通夜、告別式、納骨までアッという間に過ぎていく。
ママと並んでいるお位牌。たゆたう線香の煙にレモンが前足をかく。
近藤先生に再開願いのメールをしようと、スマホをいじっていたら、レモンが遊んで攻撃で飛び付いて来た、空メール行っちゃった。
「どうしたの?何か困ってるの」返信が来た。
「ごめんなさい、レモンが飛びついて空メールになってしまいました。こちらは、どうにか落ち着いたので、先生のご都合の良い日曜日から家庭教師授業お願い致します」
「承知しました、今度の日曜日から再開ね」
レモンは、今使っているスマホに興味を持っている。マタタビの匂いが着いているのか、何度も拭くが、自分の猫ベッドに持ち込んで遊ぶ。抱えたまま眠っている時に着信しバイブ振動で起こされ、飛び上がった。相当ビックリした筈なのに、スマホ好きに変化は無い。パパのスマホ与えてみたが興味なさそうだ。
「マタタビの匂い付けようかなぁ」
「ダメ、緊急連絡の時困るから止めてくれよ」
近藤先生のスマホにも興味を示さない。
高校の授業は面白い、授業を真剣に聞いていれば宿題課題レポートは困らない。
大学受験用の勉強を一年生から始めた。
淳一叔父さんの所に待望の赤ちゃんが産まれた、結婚四年目から不妊治療を始めやっと妊娠したのだ
そうだ。
安藤のお祖父ちゃんお祖母ちゃんも大喜びしているとお母さんがメールをくれた。
二卵性の双子ちゃん。
淳一叔父さんにお祝いメール送信しておいた。
陽一君、初音ちゃんと命名。十六歳下の従兄弟ができて嬉しい。早く会いたいな。
明日のパパのお弁当は大きめタッパー容器におかずを沢山、重箱には炊きおこわを詰める。
きっと叔父さんと食べてくれるだろう。
ママの十三回忌法要が執り行われた。
「もう十三年かぁ早いな」
「お祖父ちゃん、私高校二年生になっているのよ、孫だって私の後に四人生まれているわ」
「そうだな、ママの事、覚えているか?」
「覚えていないのが悲しい、一番最初の記憶、淳一叔父さんが泣いている背中なの、たぶん此処だと思う、墓石覚えてるわ」
「そうか・・」
「詩織に弟か、妹が居れば良かったかな?」
「年下の従兄弟が四人居るから寂しくない、お祖父ちゃんお祖母ちゃんと暮らせたもの、パパのお父
さんが亡くなったのは悲しい」
「いつでも泊まりに来てね、遠慮しないで」
「ありがとう」
「パパと暮らしたいと言い出した時は、ビックリしたし寂しいと思ったけど、磯部のお祖父ちゃん孝行
出来たからこれで良かったのね」
「お祖父ちゃんが家事、手伝ってくれてたけど、今はパパがやってくれる、上手だよ。
手分けして助け合っています」
「研吾さんはとうとう再婚しなかったな」
「今でもママが好きなんだって」
「沙枝は幸せ者だ」
長野の悦子伯母さんも来てくれていた、「家にも孫が二人居るわ、一度泊まりにいらっしゃい、
夏休みに」と言ってくれた。
「来年は大学受験に専念したいので、今年の夏休みに伺っても良いですか?」
「是非いらっしゃい、待ってるわ」笑顔だ。
「パパ、今日はお弁当作っていないから病院の食堂か、出前でお願いね」
「どうして?材料無いのか?」
「前に話して有るわよ、今日はバス旅行、イチゴ狩りよ、沢山食べて来ようっと」
「どうにかならないの?パンでも良いから」
「冷凍ご飯があるから、どうにかするわよ、有り合せで作るから文句言わないでよ。たまには食堂で食べれば良いのになぁ」
「俺の昼飯は詩織の弁当って決っているの」
煎り玉子、レトルトの鶏そぼろ、でんぶで三色弁当、冷凍しゅうまい、冷凍ブロッコリー、昨夜の残りのキンピラゴボウを詰めた。
「手抜きでゴメンナサイ」
立ったままトーストを齧りながら作り、インスタントポタージュで流し込んだのを見て、
「行儀悪いぞ」と。
「だって遅れる。バス待ってくれないもの」
「どこのイチゴ園だ?付き添いはいいのか」
「千葉。子供じゃあるまいし・・」
「修学旅行は来年か?」
「パパ、私の話聞いていないでしょ、数年前から進学校のうちは修学旅行は取りやめになって、
二年生でバス日帰り遠足になってる」
「ふうん、修学旅行は一大イベントなのに」
バスの中で、友達に今朝の騒ぎを話した。
「イチゴのお土産忘れちゃダメよ」
「俺も行きたかったとか?逆効果よ」
「詩織の所って途中から同居なんでしょ?」
「月一は帰ってたわ、叔母さんに育てられた」
「同居して何年?」
「中学からだから五年かな」
「じゃ、パパにしてみれば詩織は五歳だぁ」
「生まれてから三歳までは同居してたよ」
「娘というより、恋人に近いんじゃない?」
「天然?」
「止めてよ、天然はお祖父ちゃん独りでいい」
「たしかお祖父ちゃんて学者さんだよね?」
「浮世離れは職業病かも」
「夏休み中、三泊親類に泊まりに行く予定なんだけど大丈夫かなぁ」
「そりゃ大事件だ」
パパはクラスで有名人となってしまった。
事有る毎「何回も言って摺り込みしなよ」。
魚の干物と茹で落花生を買って帰宅した。
安藤家の分も買って来たので翌日の休みに訪問した。
「一泊して来るのでレモンをお願いします」
「・・・」
ご機嫌ナナメだが、無視して出発。
修君とサッちゃんにその気が有るなら、子供三人で長野に行こう。
お父さんお母さんはOKしてくれたが、お祖父ちゃんお祖母ちゃんは反対。
「久し振りに長野に帰省したいから一緒に行くよ」と。五人で行く事で纏まった。
それを、お母さんからパパに話してもらうが、案の定「僕も行きます」と。
お父さん「研吾さんの気持ち解るよ」。
そんなに娘が心配なのかしら。
「じゃ、俺達も行くか?大学は休みとれる」
「研吾さんは外科医よ遠出は無理でしょ?」
「お弟子さんが育っているさ」
「じゃ、淳一兄さんにも話す?」
「話すのは良いけど誘うなよ赤ちゃんが居る」
今、八名と一匹、もしかすると九名か。
「八人で伯母さんの所に泊まるのは無理だから、ペンション探してみるわね」とお母さん。
「八月二日から六名用が二軒見つかったけどどうします?」
「ラッキー、二軒とも予約だ」
「そうね、足りないより良いわね」
淳一叔父さんは参加。
公次叔父さんも「切っ掛けがないと帰省しないから、俺も参加」という事になった。
お祖母ちゃんが悦子お祖母ちゃんに電話して「ペンション借りたわ」
「うちに泊まれば良いのに、何遠慮してるの」
「大人七名、子供三名、猫一匹だもの」
「エッ東京勢皆で来るの?」
「詩織は子供だけで行きたいと言い出したのが始まり、子離れ孫離れ出来ない大人が沢山居てね」
「アハハハ、お祖父ちゃんね」
「それと研吾さん」
「解る気がする」
「公次と淳一も行く、宜しくお願いします、あと二人泊まれるから悦子さん泊まってお嫁さん開放してあげると良いわ」
「嫁いびりしてないつもりだけど、所詮は他人だからね泊めてもらうわね」
「同じ日に教授と准教授が揃って休暇だなんて何考えていらっしゃるの」看護師長からクレームが
ついたらしい。
「娘と舅の為です勘弁してください」
「二人共、外科医でしょ」
「お許しください」
通りかかった淳一叔父さんが「じゃ俺がやめますよ、教授は許してあげてください」
「美しい義兄弟愛ですこと、今の処手術の予定は無いし、腕は落ちるけど外科医は他にも居ますし
救急外来には専属医が居るので許可します、後々恨まれても困りますもの」
「恩に着ます」
「俺達の腕が悪いだってさ」
「外野は黙ってて、ややこしくなるでしょ」
「おお怖い」
予定通りのメンバーで三台の車で出発。
昨日、獣医さんから酔い止め薬貰って有ったのでレモンに飲ませた、車の中に放したら、ダッシュボードの上に乗ったが、走り出したらパパの手にジャレ付き叱られている。
バックボードの上でフテ寝を決め込んだ。
同乗の修君とサッちゃんが可笑しがっている。
サービスエリアで休憩しながら、ゆっくり行くことにしたようで休憩タイムが多い、子供と年配者への
配慮だろう。
何軒目かの休憩の時、後続車から歓声が上がった「ワー、生きてる、動いた」レモンのことだ。
水を飲ませようと声掛けしたらノッソリ起き上がり伸びをしたのだ。子供達とお祖母ちゃんがソフトクリームを食べた。レモンにも分けてあげたら機嫌が直ったようだ。
学校は夏休みだが、サラリーマンはまだ休みではなく道路は空いている。
三台の車には食糧も積んで有ったが、道の駅に寄る度、地元の物を買い足した。地ビールをケース買いして、パパと淳一叔父さんは呑む相談を楽しそうにしているのが可笑しい。
普段は酔うほど呑めないからだろう。
私達東京勢が先に着き、三十分遅れて悦子お祖母ちゃんと公平お祖父ちゃん孫の敦子ちゃんと翔君が
来た。
十四人でのバーベキューは賑やかで楽しい。
東京勢が買い込んできた物の他、悦子お祖母ちゃんの家の畑で採れた、シシトウ、玉葱、トウモロコシ、スイカ、プラム等の他に猪肉、ラム肉、鶏肉、馬刺し肉も持って来てくれた。
不思議と幾らでも食べられる。トウモロコシは焼きと茹での両方食べた、レモンには穂先の軟らかいところをとられた。
予想外に消費したのは、大人数で釣られて賑やかだからだろうけど、本当に美味しくて幸せ。
呑める大人の顔が皆赤いのが可笑しい。
敦子ちゃんは私より三つ年下、翔君と修也君は同い年、すぐ打ち解けた。
お祖母ちゃん同士も泣いたり笑ったり忙しい。
敦子ちゃん「私も東京の大学に行きたいな」
「公次叔父さんを味方にしておくと良いよ」
「それ良いかもしれないね」
「それと、住む所は私の家にしたらどうかな、部屋余っているし、パパと二人暮らしには広過ぎるんだ」
「良いの?」
「アッちゃんなら良いよ」
「ヤッター、勉強頑張ろうっと」
「長野県は教育レベル高いんだよ大丈夫」
「そうなの?」
「聞いたこと有るよ」
あっという間に三日は過ぎた。帰りにアッちゃんの家に寄り、お米と味噌、野菜を頂いて、
帰りの車のトランクも満杯。
智沙お母さんとアッちゃんのお母さん恵美さんは同級生で智沙お母さんの紹介で公太叔父さんと結婚したとのことで、お喋りに夢中。
「パパ、医局とナースステーションにお土産忘れると怖い目に合うからね」
淳一叔父さんと相談して買い込んでいる。
帰宅してレモンを放したら溜息をついた。
「だから、猫は留守番が普通なのよ」
「ンガッ」(だから何)
「疲れたでしょ、次からは留守番」
「ンーガッ」(嫌だ)
「ミルク飲んだら休みなさい」
「ニャッ」(そうする)
近藤先生には、高原で見つけた四葉のクローバーを押し花にして、文房具屋さんでラミネート加工して貰い、しおりにして渡した。
「就活、上手くいくかも、ありがとう」と喜んで貰い嬉しかった。
五
医学部受験に決め二校受けた。志望校M大合格は本当に嬉しかった。
近藤先生は喜んでもくれたが心配そうだ。
「M大医学部受験したこと言ってないんでしょ?これから話すの大丈夫かしら、心配よ」
「うん、受験料は自分で出したからね・・」
「入学金等、初年度のお金は頼まないと」
「パパ、話が有るの」
「全滅か?一浪すりゃ良いじゃないか?」
「それがね、二校共合格したわ」
「おぅオメデトウ、何で暗い顔してるの?」
「・・M大医学部に行きたいの・・・」
「えええっ、合格したのか?俺の教え子になる訳か、やりにくいなあ、行きたい?」
「はい、行きたいです、お願いします」
「・・解った、払い込み用紙持って来なさい」
「ああ良かった」
「俺の方がドキドキしている」
「うちの大学、偏差値高い筈、よく受かった」
「私、すごーく頑張ったもの」
「安藤の家に報告しなさい」
「はい、本当に行かせてくれるのね?」
「腹、括った」
早速、お母さんに電話で報告。
皆に伝播「オメデトウ」が聞こえた。
友達も出来、取る単位のこととか、講師陣の噂などきいていて面白い。
教授パパの講義は一年間で四回不定期らしい、評判も上々。
淳一准教授の講義は毎月一回だ。友人には親族の話はしていないし今後も隠しておきたい。
淳一先生の講義で、入室が遅れた為、最前列ど真ん中に座ったことが有った。
九十分間ずっと下を向いてノートを取り続けたが、先生もやりにくそうだ。
「教授、何で当大学受験させたのですか?僕困っていますよ、僕の授業では絶対に質問させないで
くださいよ」
「そうお?素行監視出来るじゃないか?」
「一度、娘の教壇に立ったら解りますよ」
私もパパの授業は遠慮したいな、必須科目に指定されている、困ったなぁ。
お祖父ちゃんの授業は年に一回有る。楽しみだけど『詩織、ここで何しとる?』と言いかねない、目立たない席ってどこだろ、パパに聞いておこう。
「今日一緒に居た男は誰だ?」とパパからメールが来た。食事の時に聞いてくれれば良いのに。
無視しようかと思ったが明朝、機嫌が悪いと厄介なので「サークルの勧誘」返信。
お弁当に海苔でアカンベーと書く。
パパは学生課に行って、私の履修届をコピーして持っている。あぁ息苦しい。
解らない事が有っても、パパや叔父さんには聞かない。友人グループで解決している。
「詩織、細菌学はしっかり勉強しなさい」と。
私が三年生の一月、長野のアッちゃんはセンター試験に臨んでいた。頑張った甲斐があり看護大学
合格。ご両親と上京して来て、我が家に一泊。お父さんは公次叔父さんのお兄さん、お母さんは智沙
お母さんの友人だ。
「こちらにお世話になって宜しいのでしょうか、下宿代はいか程で?」
「伯母さん、私が誘ったのよ、下宿代なんて不要です、たまに野菜とお味噌送ってくだされば充分です。
公次叔父さんの時もそうだったと聞いていますよ」
「野菜はお安い御用です、こちらでお世話になると、親としては安心出来ます」
ご両親は安藤の家にも一泊していかれた。
お祖父ちゃんの部屋のクロスを張替えることになり、アッちゃんは見本を珍しそうに眺めている、
カーテンも合わせて替える。
この所、レモンの元気がない、獣医さんに診て頂いたら「特に病気じゃない、老衰だろうから好きにさせてあげなさい」と。
徐々に寝たきりになり水も飲めなくなった。
深夜、話し掛けながら撫でていたら苦しそうに「アーン」と鳴いて息を引き取った。
子供の頃からいつも一緒だった。
一晩泣き明かした、パパが背を擦ってくれる。
ペット用の火葬と納骨にはアッちゃんが付き添ってくれた。
外科手術を見学した、手際良くアザヤカな手順だ、流石パパ。
患者さんに負担を掛けない為には短時間で正確に処理するのが良いのだそうだ。
何度も頭の中でシュミレーションするのだろうか。私も外科医になろう。
三人で夕食を食べている時、私の専門科の選択が話題になった。
「婦人科か小児科?」アッちゃん。
「ううん、外科医の娘だもの。先日、教授のメス捌きを見学して決った。
日本って災害の多い国でしょ?DMATになりたい」
「ウェー、詩織、女の子だぞ。知力体力が要る、責任も要る相当な覚悟が必要なんだぞ」
「覚悟は出来ています。通常は救急外来で外科医をします」
「外科医の専門は?」
「消化器外科医」
「時間見つけて、手術の見学。文献は俺の書斎入って良いから勉強しなさい、ミスの許されない
分野だからな」
「はい、努力します」
「そうかあ、私このままナースになるのかな」
「アッちゃん、正看の上を目指してよ」
「救急外来で、しぃ姉ちゃんの援護しようかなぁ」
「遣り甲斐は有ると思うけど、キツイぞ」
「うーん、悩むなぁ」
アッちゃんに遅れること二年、弟の翔君が上京して来て同居することになった。
親譲りなのか、農業に熱い思いを抱いている。
T農大に合格したのだ、公平伯父さんが一番喜んでいる。将来の農業を真剣に考えていて跡継ぎが
居なくなり休耕地が増えていくのを目の前で見ていて心配している。
翔君は、水耕栽培やバイオ栽培を学んで帰り、法人にして、土地提供者にも利益分配して行きたい、従来の重労働でなければ高齢者や女性でも出来る作業形態にしたいらしい。
予備室に住んでもらうことになり、伯母さんとアッちゃんが付いて行き、机、本棚、整理箪笥を買いに行った。ベッドと寝具は元から有る物を使って貰う。
「今回からは二人分の下宿代払わせてくださいね、心苦しいです」
「二人分の学費、嵩むでしょう?小遣いだって要るでしょ、下宿代は不要です。お米とお味噌新鮮野菜で充分です」
「そう、おっしゃても・・・」
「僕は、小さな詩織を育てられず、マンション独り暮らしで寂しい思いもしました。これからは四人暮らしです、楽しみですよ。公次さんに、詩織の美味しいご飯食べに来るよう言ってください、
多分バランスの悪い食生活して居ると思います」
「では、再び甘えます、厳しい目でお願い致しますね」
「家事は三人で分担してやって貰います」
「こき使ってください」
何時の間にか、食材調達と調理は私、洗濯とアイロン掛けはアッちゃん、掃除ゴミ出しは
翔君となった。
時々、公次叔父さんが夕食に来るようになり賑やかだ、その上、部下まで連れてくることも有り慌てさせられる。
翔君がお弁当箱を見つけて、作ってとねだる。
学食、安くて美味しい筈なのに、節約して浮かせるのだと解っていたが作ることにした。
暫らく中断していたので、要るかどうかパパに問うてみたら「特別料理か?」ズレている。
面倒なので、説明は止めた。
翌朝、三つのお弁当を作り二人に声かけする、「翔君の大盛り弁当はブルーだよ」
「やった、明日もお願いします」
「はい、了解です」
アッ、私のが無い、パパだ。
「以前と変わらず美味しいけど、どこが特別料理でしょうか?」とメールが来た。
一つお弁当箱買って帰ろう。
パパの研究室の事務系助手さんから、スケジュールを教えて貰った。外出の日はお弁当不要だからだが、
当日朝「パパのお弁当は無いからね、他の人の持って行かないでよ」
「何で俺だけ無いんだ?」
「今日は外出でしょ?」
「そうか?何で知ってるの?」
「兎に角、お昼は外食ですから」
「しぃちゃん・・・」この呼び方はまずい。
「明日のニ限目授業、俺なんだよ、やり難いから欠席してくれる?」
「絶対嫌だ、出席。最前列の真ん中」
「それは簡便してくれ、端っこに座ってよ」
アッちゃんが聞いていて笑っている。
「淳一君もやり難いってぼやいていたな」
私もアッちゃんも実習で忙しくなっていてじっくり話すのは久し振りだ。
「折角、看護大学に入ったのだから、大学院まで進んで、正看の看護学校の教員になるのはどう?」
「ナースを育てる側か、それ良いかも」
「ええ、地元の看護学校にも就けるわよ」
「・・・そうする、詩織姉さんと話せて正解」
「色々な科を回って実習しているけど、どの科も責任重大。特に救急外来に同時に患者さんが搬送されて来たら戦争よ、一瞬で判断しなければならない生死の境目よ」
「それでも、詩織姉さんの考えは変わらないわけね?」
「ええ、変わらない。パパみたいな臓器移植の外科医にはなれないけど、一人でも多くの命を救いたいと思っているわ」
外科と救急外来で研修を受け、最終的には、救急外来勤務にして貰えた。
判断力と体力勝負の場所。症例を沢山見ておこう。
パパは心配して反対されたが、私は譲らなかった。
「若いうちに経験しておきたいから」。
その頃には、父娘であること知れ渡っていた。
「教授のお嬢さんって、頑固なんだって」
「親に似たんじゃないのかしら」
「サバサバしてて、外科医向きかもね」
「亡くなった母親にも似ているらしいわ」
「今時の若い娘らしさが無いけど愛嬌はある」
「女医の恋愛事情は?」
「今日の帰り遅れるから、パパ外食して」
「良いけど、実習か?」
「違う、友達とカラオケ、ストレス発散」
「・・・男も居るのか?」
「解らない、彼氏連れて来る娘もいるかも」
「・・・」
「パパも来る?場所は後でメールするね、言い忘れた、アッちゃんも参加だよ」
六
お祖母ちゃんが体調崩している。
数回、入退院を繰り返し、多臓器不全で亡くなった。私の手を握りながら。
ありがとう、お祖母ちゃん。
四十九日法要の後、安藤の家に寄った。
お祖父ちゃんの部屋で三人神妙に話し合っている、どうしたのだろう。
「詩織、入りなさい」
「はい」
「お前も医者になった、これから話す事は、口外厳禁。ここに居る三人で話し合って決めた。特例だ」
「お祖母ちゃんのお腹に三つ傷が有ったの、覚えているか?」
「はい、お風呂で見ていました」
「一番初めは、子宮癌、全摘出で再発せずに助かった。数年後、腎臓が悪くなって人工透析までしたが
改善されず、臓器移植しか助かる道は無くなった」
「はい」
「ドナー、血液型HLA型適合性が良いのは、親族の物が一番生着しやすい。
その時、沙枝ママ、まだ結婚前だったが、一つ提供すると申し出た。お祖母ちゃんには内緒でだ。
それで大分健康になった。
淳一も智沙もまだ学生だった。沙枝は既に薬剤師として働いていた。主婦業もやってくれていた」
それが二つ目の傷か。パパが古ぼけた運転免許証を渡してくれた、ママの写真だ。
裏面の臓器提供意思表示欄に「親族優先」と。
「お祖母ちゃんの腎機能は低下して来た」
「ママは仕事が終り、三歳の詩織の保育園に向かって運転している時に信号無視の車に衝突され、
重体でうちの病院に運ばれて来た。脳死だ。二回の判定を受け、もう一つの腎臓をお祖母ちゃんに移植
した、沙枝の意思を尊重したのだよ、そのお蔭でお祖母ちゃんは普通の生活が出来るまでになった」
「沙枝ママは、お祖母ちゃんの中で生きた。お祖母ちゃんは知らずに生きた七十三歳迄」
「移植して二十二年、ママの腎臓もお祖母ちゃんも良く頑張ってくれた」
「詩織三歳の時だったなぁ」
「ママの妹の智沙さん省三さん夫婦が育ててくれたんだ、パパ一人では育てられなかった、
親父もまだ仕事していたからな」
「心から感謝しています」
「パパも早くにお母さん亡くしていたから、智枝お祖母ちゃんを慕っていた」
「あのね・・・ママは死んじゃったからもう帰って来ないの解っていても、どこかで生きて居るとも
感じていたわ。科学者の言葉ではないけどね。お祖母ちゃんの中で生きてた」
「・・・」
「ママを尊敬します」
「ワシに曾孫抱かせてくれるかな」
「努力しますが、約束は出来ません」
「夕ご飯出来たわよー」智沙お母さん。
了