4話《編集中》
数日が経った。
その間、新とはまともに話していない。
終業の鐘が鳴り響き、教室が次第に騒がしくなっていく。
教室を一人出て行く新を目で追いながら「はあ……」と頬杖をついた。
ずっとこのままでいるのはどうかと思うけど、どうすればいいのか僕には分からない。
突如、教卓側の扉が勢いよく開けられた。先ほどまでのざわつきが嘘だったかのように静まり返る生徒達。開け放たれた扉の向こうに2人の男子生徒が立っていた。
皆の注目を浴びる中、彼等は無言で教室内を見回し始めた。
「香坂いる?」
2人のうち片方が近くにいた生徒にそう問いかけた。その瞬間、僕へと一斉に視線が注がれる。
2人の男子生徒はそれに気づき、物凄い形相でこちらへ寄ってきた。
「香坂君さー、何考えてんの?」
一人が、気味の悪い歪んだ笑みを浮かべながらそう言った。
「……何が?」
思ったことをそのまま口にすると、もう片方の男子が僕の机を力任せに蹴り飛ばした。その勢いで床の上に教科書やら何やらが散らばった。
さっきまで目の前にあった机が近くの数席を巻き込んで倒れ、皆は声を上げて逃げ出し教室には僕と彼等だけになっていた。
「何が、じゃねーだろ。人の彼女に嫌がらせしといて何言ってんの」
机を蹴り飛ばした彼が憎悪に支配された瞳で言った。意味が分からなかった。「何言ってんの」は僕の方だった。
「全く身に覚えが無いんだけど」
あっけらかんとした僕の態度に彼等の顔色が変わっていくのに気づいた。
「調子乗ってんじゃねーぞ‼︎」
突然、胸ぐらを掴まれると壁に向かって叩きつけられた。その衝撃に口から鈍い声が漏れ出した。
間髪を容れず拳が振り上げられる。
僕は反射的に目をきつく閉じた。
「はーい、ストップ」
だが、その拳はある人物によって止められていた。その人物は反感と哀れみが入り交じったような目で2人の男子生徒を見た。
そこにいたのは新だった。
「もうやめないっすか。みっともないと思うんだけど」
彼は掴んでいた手を離し、廊下の方を顎で指した。
廊下を埋め尽くす程の大勢の野次馬達。すっかり見世物と化していることに2人の男子生徒は顔をしかめた。
「おい、何やってるんだ!」
騒ぎに気づいた教師が野次馬を追い払いつつ僕達の方へと向かってきた。
目撃者が多数いたのと、僕が一切手を出していないことによって、最初に絡んできた2人が全て悪いという結論に至った。
彼等は舌打ちをしながらも大人しく教師と共に教室を去って行った。
「香坂君、大丈夫?」
床に落ちた教科書を拾い集めていると、同じクラスの女子が心配そうな顔で言ってきた。
「ごめん……、ありがと」
僕の言葉に「災難だったな」と苦笑いするクラスメイト。
廊下に出ると、憂色を浮かべた未帆と目が合った。彼女も騒ぎに気づいてやって来たのだろうか。僕は特に何を言うわけでもなく彼女の前を通り過ぎた。
「あら、喧嘩でもしたの?」
体を支えられ保健室へとやって来た僕を見て、養護教諭の千原先生は呆れたように口角を上げて言った。
近くにあったソファーに腰を下ろし、背もたれに体を預けた。すると何故か新も隣に座った。大きく息を吐き出して呑気な笑みを見せる新。そんな彼に千原先生はやれやれといった様子で「チャイムが鳴ったら戻りなさいよ」と告げた。
新はそれに返事をしてから僕の方へ向き直った。
「平澤に何かしたのか」
平澤という名前に覚えはなかったが、誰のことを指した言葉なのかはすぐに分かった。
「してない。ただ、その人の彼女絡みなのは確か」
「彼女絡み……」
そう僕の言葉を繰り返して、新は何か心当たりがあるようだった。
「そういえば、あいつの彼女が廊下にいたなー」
新は呟くように言って両腕を胸の前で組んだ。僕の視線に気づき、ほら、と彼は続けた。
「この前、食堂で手紙渡してきた後輩いたじゃん? その子とよく連んでるのが平澤の彼女。1年なんだけどさ、割と有名なんだよ、悪い意味で」
それを聞いて一つ気づいた。渡された手紙を無視していたことに。無視というよりもすっかり忘れていたのだ。
手紙を渡してきた後輩は「友達から」と言っていた記憶がある。おそらくそれが平澤の彼女で、無視されたことを根に持って嫌がらせをしてきた。手紙に名前は書かれていなかったが多分そうだろう。そのことを新に話すと納得していた。
手紙の呼び出しに応じなくて正解だったのか、そうでないのか、どちらとも言えない。
「お前も早く彼女作れば分かるよ、きっと」
「『そうしたら俺も未帆と付き合えるのに』って?」
「何だよ、それ。そんなこと言ってねーだろ」
自分の口角が不自然に上がっているのが分かった。僕の中が冷えた言葉で埋め尽くされ、真黒と化していった。
帰宅して、制服のまま冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出してコップに注いだ。
家の中は静寂に包まれ、まだ僕以外は帰っていなかった。
そう思った矢先、誰かが家の中へと入ってくる音がした。
迷うことなくこちらへ近づいてきた足音に、僕は眉をひそめた。
「教室行ってもいなかったから、……早退したと思った」
後ろから聞こえてきてか細い声に振り返ると、その声の主である未帆が気まずそうに立っていた。
「早退なんかしてないよ」
そう言って緑茶を喉に流し込んだ。
「怪我……平気?」
「ねえ、未帆。告白断ってなかったんだね」
空になったコップをシンクに起き、普段より少し強い口調で言った。
彼女はそれに対して焦りの色を見せた。
「付き合う気ないって言ったよね。あれ、嘘だったの?」
僕は少しの間、彼女が弁解するのを待った。しかし、彼女の口から言葉が吐かれることはなく、僕は「あーあ」と落胆した。
「なら、はっきり言えばよかったじゃん。新と付き合うんだって」
苦笑交じりに言い捨てると、彼女は眉間に皺を寄せ結んでいた唇を開いた。
「ち、違う……私は」
「何が違うの? また嘘ついたってことだよね?」
そうして僕は一歩、また一歩と彼女に詰め寄っていった。
「あ、あの……」
彼女はびくびくと怯え、後退りしていく。
僕は手を伸ばした。
「いやっ!」
「ご、ごめん……なさい」
彼女は涙声で言って、目の前から去っていった。
ぱたぱたと階段を上っていく音が静かな室内に響いている。
檻の中がどんなに息苦しくても不自由でも、僕にとっては心地よい場所だった。