彼の話 3
「好きです。付き合って下さい」
もう何度目か分からない、一希への告白にこの日も遭遇した。
高校に入ってからというもの彼への好意はより直接的なものが増え、少なくとも1ヶ月に1回以上は呼び出されていた記憶がある。
学年で噂されるモテ女、すらりとした美人の先輩、他校の可愛い女子、普通なら目移りしてしまいそうな面々に言い寄られていた。
それなのに、彼は誰とも付き合おうとしなかった。
「ごめんなさい」
それがお決まりの台詞だった。
俺が知っている限り彼に恋人は居なかったから、どうして誰とも付き合わないのか不思議だった。
誰か好きな奴がいるのかなとか、もしかして未帆を一人にさせないためなのかなとか色々考えた。
でも、正直なところ、そんなのどうでもよかったのかもしれない。
一希を追って、俺はこの高校を選んだ。
自分の気持ちに気づいたあの日からずっと、届くことのない背中を追い掛けている。思いを消せないのなら隠すしかないと、そう思い始めたのはいつからだっただろうか。
中3でまた一希とクラスが離れていくらか疎遠になっていたため、高校の入学式で顔を合わせた時とても驚かれた。
「一希達もこの学校だったんだ。偶然だな」
なんて、すっとぼけた態度をとったっけ。
さすがにクラスまで一緒というわけにはいかず、いつの日かと同じように俺と彼の間には教室3つ分の距離があった。
でも、前みたいにわざわざ彼の所まで出向くことは無くなり、廊下ですれ違った時に挨拶を交わす程度になった。
帰り道、未帆と2人で歩く彼を時々見掛けた。高校生になっても変わらず仲が良さそうだった。遠くからみると恋人同士みたいだよなあとかそんなことを思っては寂しくなっていた。
2年への進級を控えた春休みのとある日。
中学からの付き合いの友達2人とファーストフード店にいた。
最初、流行りのゲームの話題で盛り上がっていたが、じきに好きな女子の話へと切り替わった。
「香坂未帆って可愛いよなあ……」
友達の1人が遠くを見るような目つきでそう言った。すると、すかさずもう1人が「あーだめだめ」と首を横に振った。
「あの子、こいつが好きだから」
そう指差されたのは俺だった。呑気にジュースを飲んでいた俺はその言葉を聞いた瞬間あやうく吹き出してしまうところだった。
ありえない、と思った。だって、俺と彼女は本当に友達みたいなものだったから。
「まさか、それはないだろ」
そう笑い混じりに言うと、冷静に真顔でばっさりと否定された。
「いいや。好きだね、絶対」
何故そこまで言い切れるんだと思った。
でも、もし本当に未帆が俺のことを好きなら────と頭の中に一つの考えが浮かんだ。
一希にとって未帆は姉であり家族であり、きっと一番大切な女の子だ。
俺はというと所詮は幼なじみで、それ以上でもそれ以下でもない。血の繋がりも無ければ、ずっと一緒に居る理由も無い。
だから、俺は理由が欲しかった。あいつの近くに居る口実が。
未帆が自分を思ってくれているのならその好意に甘えてしまえと、心の中で黒い何かが囁いていた。
『未帆と付き合えば、一希の側に居られる』
そればかりが頭の中を支配した。
高校生活2度目の春、俺は一希と同じ教室に居た。
「腐れ縁ってやつかな……」
そう溜め息をもらす一希に笑いながら「酷いなー」と返した。
はたから見れば、多分普通の友達をやれていたと思う。
一希と2人、食堂でパンを買っていると見知らぬ女子が近づいてきた。目的はやはり一希だったらしく、何かメモのようなものを渡していた。
そういう光景は幾度となく見てきた。
その度に、好意を隠さずにいられることが少しだけ羨ましいと感じていた。
「新こそ、好きな奴いないの?」
俺が一番一希に聞きたかったことを逆に問いかけられてしまい、一瞬答えに迷ったけれど「うん」と言った。
「そりゃあ、いますよ」
言いながら俺は虚しさに襲われた。きっと自分だなんて少しも思っていないのだろう。
同じ日の放課後、俺は未帆に付き合ってくれと言った。
結局、俺は自分に甘かったらしい。
考える時間が欲しいと言う彼女に頷いた。
それから初めて2人で帰った。彼女とちゃんと話したのは本当に久しぶりで、最初はお互い少しだけ他人行儀だった。
でもやっぱり未帆は未帆のままで、柔らかい雰囲気も変わらず健在だった。
次の日、俺は何事もなかったように一希と接した。
告白のことをそう簡単には言えなかった。彼がどれだけ未帆を大切にしているのか知っていたから。
それだけじゃない。邪な考えがあったから余計に言えなかった。
午後、一希を食堂に誘ったが、体調が優れないと机に顔を伏せてしまった。
こんな彼は初めてだったため本気で心配した。
「保健室行く?」
「大丈夫だよ、そこまでじゃない。こうしてれば治る……」
くぐもった声で言う一希はそれ以上何も発しなかった。
その時から、彼の様子が変わった。
話し掛けても反応が薄かったり、目を合わせてくれなくなった。
彼を観察していると、それは俺に対してだけということが分かった。他の奴にはいつもと変わらない態度の彼を目の当たりにし、酷く落ち込んだ。
もしかして知らぬ間に彼を傷つけたんじゃないかって、夜になるとそればかり考えてしまい睡眠もろくに取れなくなっていた。
一希とまともに会話をしないまま1週間くらい経った日だ。
トイレで用を足していると、クラスメイトの男子が俺を呼びながら駆け込んできた。
何事かと尋ねると彼は少し焦った様子で「一希が平澤ともめてる」と言った。
それを聞いて急いで教室に向かうと沢山の野次馬がいた。そのせいで中へ入ることに手こずってしまい、やっと入れた頃には平澤が一希に掴みかかっていた。
皆が傍観する中、俺は彼等の間に割って入った。
手が付けられなくなる前に何とか止めることが出来た。
その後、平澤達は先生に連行されて行った。
平穏を取り戻した教室で、俺は拳を握り締めて腹の底から湧き上がる怒りを必死に抑えた。周りに誰も居なければ平澤をぶん殴ってやったのにと思った。
負傷した一希を保健室へと連れて行き、そこで事の発端を詳しく聞いた。どうやら平澤の彼女が元凶らしかった。本当は文句の一つでも言ってやりたかったけれど、一希の身を案じて我慢することにした。
本当はもっととどまっていたかったのだけれど、千原先生に早く戻れと背中を押されてしまい、俺は仕方なく授業に向かおうとした。
その時だった。
「さっきはありがとな」
一希が照れ臭そうにそんな言葉を口にした。
気づいたら俺はくるりと踵を返していて、彼の方に駆け寄っていた。
「なーに言ってんの! 当たり前だろ」
そう言って彼の頭を思いっきり撫でた。
ほっとして心なしか肩が軽くなった。この先ずっと一希と話せなくなったらどうしようって、情けないことに酷く思い詰めていたから。
先生に急かされて保健室を出た直後、自分自身の異変を感じた。
喉の奥がぎゅうっと締め付けられるように痛くなって、呼吸がスムーズにできなかった。
俺は閉まり切った扉に背中を預け唇を噛み締めた。
『すきだ』
そう声を出さずに呟いては、泣きそうになっていた。